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グーグル美術館。
とりあえず、サブスクでは、アーティストでの検索もできるので、ゴールウェイを調べてみたら、RCA以外のものが結構見つかりましたね。その中で、これは何だ? と思ったのが、このアルバムです。リリースされたのは2016年あたりのようですが、このHERITAGEというレーベルは、ゴールウェイとは何の関係もなかったはずなのに。 そこで、調べてみたら、それはこちらで聴いていたものと同じ音源であることが分かりました。こんなジャケットでしたね。 ![]() そのジャケットは、こんなものでした。 ![]() Volume 1 ![]() Volume 2 Volume1の収録曲は、ベートーヴェンの「セレナード」(フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ)、モーツァルトの「オーボエ四重奏曲」(オーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)と、同じ編成で「コールアングレと弦楽器のためのアダージョ」です。ここでの参加者は5人ですね。 Volume2の方は、ここにヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロが加わります。演奏されていたのはバッハのホ長調のフルートソナタ(フルートと通奏低音)、テレマンのトリオ・ソナタ(フルート、オーボエと通奏低音)、そして、モーツァルトの「アダージョとフーガ(弦楽四重奏)を挟んで、テレマンの「協奏曲第2番ニ長調(フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音)です。 ということで、この中でゴールウェイが参加しているものは全部で4曲あるのですが、最初に挙げたEMIから2004年に出たコンピレーションCDには、テレマンの協奏曲が入っておらず、3曲しか聴くことが出来ませんでした。これで、晴れて、オリジナルLPでのゴールウェイの演奏がすべて聴けるようになった、ということなのでしょうね。もしかしたら、別の経路ですでに出ていたかもしれませんが。 この、初めて聴いたテレマンの「協奏曲」は、「パリ四重奏曲第1集(クァドリとも呼ばれます)の中の曲で、協奏曲の様式に従って作られています。フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、そして低音の4つの声部が絡み合う、楽しい曲ですね。 今回のコンピレーションCDのタイトルにもなっているベートーヴェンのフルート、ヴァイオリン、ヴィオラのための「セレナード」は、後の1988年にもRCAに録音しています。それと比較してみると、1972年の録音とはかなりの違いがみられます。RCAの方は、テンポも速く、とても「押し」の強い、ちょっとギラギラした演奏ですが、Abbeyの方は、なにかのんびりしていてソフトな印象が与えられます。ゴールウェイはベルリン・フィルのメンバーだった時は、確かに他のフルーティストとは全く異なるキャラクターを持っていましたが、それがソリストとなった時には、何か吹っ切れたものがあって、ガラリとそのスタイルが変わったのかもしれませんね。 最近は、とても素晴らしい若いフルーティストがたくさん活躍していますが、ゴールウェイほどのゴールに到達した人には、まだ出会えていません。 CD Artwork © Heritage Records |
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アルブレヒトという方は1985年に生まれていますが、最初はファッション業界などで活躍していたようですね。それが、パウル・バドゥラ=スコダなどからの影響で、音楽家としてのキャリアをスタートさせたのだそうです。現在では、前職のユニークな経歴も活かして、音楽作品への学術的なアプローチを行っているピアニスト、指揮者とし活躍しています。 そして、彼が2020年に作ったのが、「アンサンブル・ランシクロペディ」という、ピリオド・オーケストラです。その名前は、英語では「エンサイクロペディア(=百科事典)」のことですが、それがフランス語になると18世紀に百科事典を編纂した執筆者たちの啓蒙主義に結びつくことになり、その時代の音楽を主に演奏する団体としての意味をもつのだそうです。 そのメンバーは、他の有名なピリオド・オーケストラで活躍している人もたくさんいるそうで、かなりのハイレベルな演奏が期待できます。 彼らは、すでに2枚ほどのアルバムをリリースしていますが、今回、晴れてHARMONIA MUNDIレーベルのアーティストとしての初めてのアルバムをリリースすることになりました。 そこで取り上げたのが、レオポルドとヴォルフガングという、モーツァルト親子の作品集です。そしてそこには、「子供の音楽」という、ちょっと意味深な言葉がタイトルとして表示されています。それは、第一義的には、レオポルドの最も有名な作品である「おもちゃの交響曲」が演奏されているからでしょうが、聴き進んでいくと、どうもそれだけではないような気にもなってくる、という、不思議なアルバムに仕上がっています。 まずは、レオポルドの「音楽のそりの旅」という、とても珍しい曲です。これは1755年に作られ、ヴォルフガングが生まれる2週間前の1756年1月14日に、アウグスブルクの「酒場」で初演されたのだそうです。それは、舞踏会へ馬車で向かう伯爵夫人が、途中で寒さに震えたり、酔っ払いが大騒ぎしたりという様子を描写した楽しい音楽で、そこには多くの打楽器や、さらには「叫び声」なども加わっています。 もう一つのレオポルドの作品、「おもちゃの交響曲」では、もちろん、おもちゃの楽器が大活躍ですね。いずれの曲もユーモアたっぷりで、普通に言われている、息子にとても厳しい態度で臨んでいる父親、というイメージとは、ちょっとつながらないような気がしますね。 それに対して、ヴォルフガングの方は、まずは「セレナータ・ノットゥルノ」が演奏されます。このタイトルを決めたのが、レオポルドだ、というのですね。 そして、最後の曲が、こちらはとても有名な、「音楽の冗談」です。ここでは、まず、楽譜にはないフォルテピアノが加わっていましたね。この曲は、ヴォルフガングが作った、文字通り「冗談音楽」なのだ、とされていますが、アルブレヒトは、それとはちょっと異なる見解を、ブックレットで述べていますので、それをかいつまんでご紹介します。 1787年5月28日、レオポルト・モーツァルトはザルツブルクで亡くなりました。そのわずか3週間後の6月14日、ヴォルフガングはこの奇妙で独創的な作品を完成させました。この作品は、委嘱も演奏予定もありませんでした。私の見解では、これは父レオポルトがヴォルフガングに伝えたすべてのものへの、純粋なオマージュであり、類まれな賛辞と言えるでしょう。「音楽の冗談」は、楽譜に潜むあらゆる「間違い」や「ぎこちなさ」を露呈させ、笑いを誘います。しかし、これらの誤りは、幼少期のヴォルフガングが作曲した初期の誤りであり、父親がきっと慈悲深く訂正してくれたであろうと考えると、この作品は生き生きとして味わい深いものとなります。これは、息子が多大な恩恵を受けたレオポルドへ送った、感動的で壮大な音楽的オマージュなのです。 録音も演奏もとびきり上等なアルバムです。今後の彼らからは、目が離せません。 CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s. |
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それでいくと、この3枚目では「39番」が取り上げられているのでは、と、誰しもが思っていたのでしょうが、実際は「35番」と「36番」でした。それに「ヴァイオリン協奏曲第3番」が加わった、というラインナップです。 まあ、音楽で予想を裏切る、というのは、演奏家にとってはなかなかの快感なのでしょうが、それを、こんな形でも「表現」していたのかもしれませんね。 そんな風にして、エメリャニチェフは全交響曲プラスアルファを、2028年までに完成させる予定なのだそうです。まあ、CDだと全部で20枚以上になるはずですから、あと17枚以上を、その3年間でリリースしなければいけません。1年だと6枚以上、まあ、2か月に1枚というペースでしたら、何とかなるでしょうかね。もっとも、その頃にはCD自体がなくなっているかもしれませんけどね。 1曲目は、「ハフナー」というタイトルが付いている「35番」です。ご存じのように、ハフナーさんというお金持ちのために作ったセレナードが元になっているからですね。 そのせいでしょうか、第1楽章は、序奏もなく、本来の交響曲だとまず行っている提示部の繰り返しもありません。というか、今回の演奏を聴いて、初めてそのことに気づきました。ですから、最初から、まるで「俺様はモーツァルトだ」と言わんばかりの2オクターブの上昇という堂々たる音楽で始まります。そして、次の瞬間には、瞬時に「チャッチャッチャラッチャ・チャーチャッ」という可愛らしい音楽に変わります。それが、まるで話をしているように、「・」の部分で休符の長さ以上に隙間をあけているのですよね。 ですから、代理店のインフォを見ると、この曲は「モーツァルトがオペラ作曲家として名を確立したころの作品です」とあるのも、あながち見当外れではないように思えてきます。まさに、幕が開く瞬間だと思っていると、瞬時に次のシーンが現われた、と言ったところでしょうか。 そして、音楽が進んでいくと、時折、普段はあまり目立たないフレーズが聴こえるようになります。これなども、登場人物はもう一人いるのだぞ、と言っているようにも感じられますよ。 さらに、お芝居には「アドリブ」が入って、お客さんが喜ぶ、ということもありますが、この曲ではティンパニがその役目を買って出ていたようです。特に出番が多いのが、第3楽章のメヌエット、繰り返しの時には必ず前とは違うパターンで叩いていましたね。 もう一つの交響曲は、旅先のリンツで作られたということで「リンツ」というタイトルが付いている「36番」です。お風呂に入っている時に作ったわけではありません(それは「パンツ」)。こちらも、やはり同じころの作品ですから、そのような「オペラ的」なシーンが満載、特にすごいのが終楽章で、ティンパニの乱打に引っ張られて、ものすごいことになっていました。 その間には、「ヴァイオリン協奏曲第3番」が、若手のアイレン・プリッチンのソロで演奏されています。1987年生まれで、2014年のロン・ティボー国際音楽コンクールで優勝した方ですね。エメリャニチェフとは何度も共演していて、相性は抜群、ここでも伸びやかな演奏を繰り広げています。基本的にピリオド奏法ですが、その音色はとてもカラフル、そしてゆったりとした第2楽章では、ほんの少しビブラートもかけた上で、ダイナミックスを微妙に変化させて、たっぷり歌いこんでいましたね。特に、急にピアニシモに変わるあたりでは、ぞっとさせられます。このロンドでは、間に様々なエピソードが盛り込まれていますが、それぞれのキャラクターを的確に演じ分けていましたね。それにしても、このエンディングは粋ですね。 CD Artwork © Little Tribeca |
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シンガポールのオーケストラは、世界的なレベルだということは知っていましたが、合唱に関しては全くの未知数、いったいどの程度のものなのか、気になります。 ここで演奏しているのは、3つの合唱団のようです。それぞれに「Voices of Singapore」という名前が付いていて、そのあとに児童合唱団、女声合唱団、男声合唱団という表記があります。つまり、これらは一括して同じ組織に属しているのですね。その頭文字をとって「VOS」と呼ばれているこの組織は、シンガポール最大の合唱団の集合体のようですね。そこは30以上の合唱団が参加しており、合唱団員は1500人を超えるのだそうです。 この組織を創設し、その音楽監督を務めているのが、このアルバムの主人公、リムなのですよ。 ただ、そのスローガンが「音楽と合唱を通して人々の人生を変える」という大それたものだというところで、なんか引いてしまいませんか? 最初の曲を聴いた時に、そんな、ある意味「闘争的」なものが広がっていることを、ひしひしと感じることになりました。歌っているのは児童合唱団。おそらくかなりの大人数のように聴こえます。そして、その、合唱としてのレベルの高さには驚かされます。一人一人がしっかりトレーニングを積んでいて、それを、指導者がしっかりと一つの「型」に押し込む、といったような、なんか体育会系の思想が大きく働いているのではないか、という感触が、ストレートに伝わってくるのですよ。 もちろん、彼女たちはそんなことは全く考えずに、ひたすら「美しい」音楽を作るためのトレーニングを積み、それを公衆の前で、喜びをもって披露する、ということに、何の疑問も持たずに邁進しているに違いありません。 そして、リム自身が作って指揮をしているその曲が、とても安直に、そのような欲望をかなえられるようにできている、というところでも、やはり引いてしまいます。メロディやコード進行は、とことんキャッチーなものですから、だれが聴いても心地よくなるものです。さらに、ここではピアノ伴奏だけではなく、打楽器とコントラバスが加わっています。それらの楽器が醸し出すリズムの強烈さは、まさに人の心を高揚させるには十分なものがあります。歌う方にしても、ノリノリで手拍子や足踏みでその「ノリ」に加わります。もう、こうなってくると、「音楽」を聴いているのではなく、「集会」に参加しているような気になってきますよ。 もちろん、ここで歌われている14曲の中には、もう少し「音楽」らしいものがないわけではありません。ア・カペラで歌われる曲もいくつかあって、それらは、本当に美しいハーモニーに心から癒されるような瞬間もありました。ところが、それらの曲も、聴いているうちにしっかりリズムが乗っていて、知らず知らずのうちになにか「闘争的」な雰囲気に包まれているというような作られ方をしているのですね。もしかしたら、こういうものを「洗脳」と呼ぶのかもしれませんね。感心せんのう。 この中には1曲だけ、リムのオリジナルではなく、「Dayung Sampan(ダヨン・サンパン)」という、伝承歌をリムが編曲したものがありました。この曲はもともとはインドネシアの民謡だったものが、いつしかシンガポールにも伝わって、広く歌われるようになったのだそうです。 それをリムが編曲したものは、まずユニゾンから始まって、次第に複雑になってはいきますが、あくまで民謡の持つ素朴さを壊すようなことはしていないように思われました。一糸乱れぬダイナミクスの変化には、超人的なものを感じます。ところが、最後になって、いきなり手拍子が入って、やはり何か「戦闘的」な雰囲気が漂ってきたのですよ。そういうものに惹かれるというのは、ちょっと怖い気もします。 CD Artwork © Naxos Rights (Europe) Ltd |
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彼女は、リヨンとパリの音楽院でフルートとピッコロを学び、さらにジュネーヴ音楽院で古楽器の演奏も学びました。ですから、レパートリーはバロックから現代音楽までを網羅しています。インプロヴィゼーションなども行っているようですね。2016年からは、あのブーレーズが設立にかかわった現代音楽のメッカ、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)のメンバーになっています。 アルバムのタイトルは「魔法使い」という意味、いったい、どんな「魔法」をかけてくれるのでしょうか。ブックレットの写真では、こんな不気味なタトゥーを入れていますし。 ![]() その楽器は、最初の持ち主は分かりませんが、後にポール・タファネルのものとなり、それが、ガストン・ブランカールという、パリ音楽院を卒業して、コロンヌ管弦楽団やパリのオペラ座のメンバーとなったフルーティストに譲られました。彼は、なんでも、フォーレが作ったばかりの課題曲の「Fantaisie」を、卒業試験で初めて演奏して、それで一等賞を取ったのだそうですね。彼は、数日後に、コンサートでこの曲の「世界初演」を行いました。 さらに、ピアノを弾いているメラニー・ブラカルの「道具」も、1900年に作られたベヒシュタインを修復したものなのだそうです。 そんな、歴史的な楽器によって最初に演奏されたのが、ドビュッシーの「Prélude à l'après-midi d'un faune」です。最初のフルートだけの部分では、ルイ・ロットのとても存在感のある音が響き渡ります。それは、とても魅惑的なサウンドでした。ただ、彼女の演奏では、半音階の進行などがちょっとスマートではないような気がします。 そこに、ピアノが入ってくると、そんな些末なことは吹っ飛んでしまいます。その音色は何とも軽やかで、ドビュッシーにはぴったりの響きを持っており、ピアニストのタッチもとてもソフトで、まるでオリジナルのオーケストラを聴いているようにすら感じられるものでした。 このピアノに助けられて、シマンスキの演奏は続きます。ヴァレーズの「Density 21.5」を初演したジョルジュ・バレールの「Nocturne」、ゴーベールの「Sicilienne」、ルーセルの「Joueurs de flûte」といった「定番」のあとに、先ほどのフォーレの「Fantaisie」の登場です。ところが、これが、なんとも一本調子の演奏なんですね。歌ってほしいところがことごとくスルーされていってますよ。そして、この頃になって気が付いたのが、彼女のちょっと変わったビブラートです。それは、まるでシャロン・ベザリーのような、音を出してしばらくしてからビブラートがかかる、という、なんだか「演歌」っぽいものです。こういうのは苦手かも。 終わり近くに、アーンの「2 Pieces」が演奏されていました。その2曲目のタイトルが「L' Enchanteur」、アルバムのタイトルでした。確かに、この曲は魔法使いのお婆さんが箒に乗って飛び回っているような、楽しいものでした。というか、この曲はブランカールに献呈されているのだとか。 そのほかに、メゾ・ソプラノのルシール・リシャードが加わっての歌曲が取り上げられています。それは、ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドという人が作った「6 Chansons du XVe siècle」という、とても珍しい曲と、そこにヴィオラが加わっての、ラヴェルの、こちらは有名な「Chansons madécasses」です。これは「マダガスカル先住民の歌」が定訳ですが、Google翻訳だと「狂人の歌」になってしまいましたよ。確かに、リシャードの歌は、そんな感じのエモーションがたっぷりでしたけどね。 CD Artwork © Paraty Productions |
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とりあえず、ロリン・マゼールが1967年にPHILIPSからリリースしたものがサブスクで聴けるようになったので、それを聴いてみました。なにしろ、4人のソリストがヘレン・ドーナト、アンナ・レイノルズ、エルンスト・ヘフリガー、それにマルッチ・タルヴェラという、懐かしい人ばかりですからね。 BWV248の「クリスマス・オラトリオ」の方は、たくさんのカンタータをつなげた、という形で、演奏するのには6日間必要ですが、その次の番号、BWV249が付けられたこちらも、「オラトリオ」ではなく、最初は「カンタータ」として作られていました。ですから、演奏時間は40分ちょっとです。それは、1725年2月23日に、お偉いさんの誕生日のために作られた「Entfliehet, verschwindet, entweichet, ihr Sorgen BWV249a」という世俗カンタータです。 そして、それに少し手を加えて同じ年の4月1日にカンタータとして演奏されたのがこの「クリスマス・オラトリオ」です。 しかも、次の年の8月25日には、もう1曲、同じネタで「Verjagat, zerstreuet, zerrüttet Sterne BWV249b」という世俗カンタータも作っているのですね。 そして、オラトリオの方も、その後何度も再演を行うたびに細かい改訂を行っています。まあ、とりあえずは、このマゼールの演奏を新全集の楽譜を見ながら聴いてみましょう。 まずは、シンフォニアの前半は、こういうおめでたい曲では定番の3本のトランペットが大活躍する、華々しい音楽でした。ただ、やはりこの時代のテンポは少し遅いような気がします。 そして後半はゆっくりしたテンポになって、弦楽器をバックにオーボエのソロが始まります。吹いているのは、ベルリン放送交響楽団の首席のギュンター・ツォルンのようですが、ビブラートがとてもすごいですね。ちょっと明るすぎかも。新全集では、このソロは「フルートまたはオーボエ」となっていました。 そして3曲目は、「デュエットとコーラス」という案内のある曲です。ところが、楽譜を見ながら聴いていると、混声合唱の4声の部分で、テノールとバスのソリストのデュエットが始まりました。バスのタルヴェラは、例えば「トリスタン」のマルケ王などでは、とても深刻な歌いぶりが涙を誘う歌手でしたが、ここでもその片鱗が感じられますね。 それが、後半になると、この2人だけの楽譜に変わります。ところが、ダ・カーポして頭に戻ると、さっきはデュエットだったところが、楽譜通りの合唱に変わりました。これは一体どういうことなのでしょう。 念のため、旧全集の楽譜を見てみたら、その謎が解けました。そこには、マゼールがやっていたのと同じ楽譜がありました。おそらく、改訂のどの過程のものを盛り込むか、というところで、新全集との違いが出てきていたのでしょう。 他の演奏、例えば、同じ時代のミュンヒンガーの録音を聴いてみたら、このマゼールと全く同じことをやっていました。当時は旧全集しかなかったので、普通はそのようにしていたのでしょうね。 もちろん、最近の録音では、前半は1回目も繰り返し後も合唱になっていますし、後半のテノールとバスだけの部分は、合唱でやっているものと、ソリでやっているものの2種類がありましたね。 ただ、今回の合唱は、なんか、雑ですね。特に合唱はテープの経年劣化に敏感で、おそらく、録音当時は素晴らしい音だったものが、かなり劣化していますから、なおさらです。 7曲目のテノールのアリアは、弱音器を付けたヴァイオリンと2本のリコーダーという指定なのですが、これもこの時代ですから、フルートが使われていましたね。 その後の9曲目のテノールのアリアでは、茂木大輔さんの先生のギュンター・パッシンのオーボエ・ダモーレのオブリガートを聴くことが出来ますよ。 最後の合唱、最初の曲のようににぎやかに始まりますが、最後にコラールが入っているのが、素敵ですね。 この録音の時のコンサートマスターは、豊田耕児さんなのだそうです。ソロはありませんでしたが。 Album Artwork © Universal Classics |
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「クリスマス・アルバム」ということですが、ここでは、いわゆる「クリスマス・キャロル」のようなものは登場しません。ただ、1曲だけ、「いざ歌え、いざ祝え、うれしきこの宵」という歌いだしでよく知られている讃美歌「O sanctissima」が歌われていますが、これはアーマンによって、よく聴かれるバージョンとはかなり異なる形に編曲されています。それは、男声だけで歌われ、最初はユニゾンでとても暗いイメージ、その後、ハーモニーが付けられますが、やはり暗さはなくならないというものでした。確かに、この曲のラテン語の歌詞は、日本語の讃美歌の歌詞とはかなり異なっていますね。 ということで、ここでメインとなっているのは、「ローマ三部作」で有名なオットリーノ・レスピーギが1930年ごろに作った「降誕祭のためのラウダLauda per la nativité del Signore」というとてもレアな合唱曲です。全く初めて聴きましたが、出だしはとてもおっとりとしてましたね。 歌詞は13世紀のイタリアの宗教詩人、ヤコポーネ・ダ・トーディによって作られたものです。そこでは、合唱の他に、ソリストとして、天使(ソプラノ)、羊飼い(テノール)、聖母マリア(アルト)が登場して、物語を進めていきます。 そして、バックは楽器のアンサンブルですが、その編成がとてもユニークです。それは、フルートが2本(2番はピッコロ持ち替え)、オーボエが1本、コールアングレが1本、ファゴット2本という6人の木管楽器に、2人の奏者が1台のピアノを弾く連弾、そしてトライアングルというものです。管楽器はミュンヘン放送管弦楽団のメンバーですね。 ピアノとトライアングルは、曲の後半になって登場します。それまでは、木管、特にコールアングレが、牧歌的な情景を演奏しています。というか、トライアングルはいかにもイエスの生誕という祝祭的な情景を表現しているようですが、ピアノ連弾は、細かい音をとても静かに演奏する、という粋なことをやっているので、ほとんど聴こえてこないような、まるで背景としての存在に徹しているようでした。 3人のソリストは、とても立派な声で、それぞれの役割を果たしていますし、合唱も素晴らしい演奏で、初めて聴いても存分にこの曲の魅力を味わえるものでした。しっとりとしたサウンドで厳かさを感じさせてくれました。 もう1曲、レスピーギが生まれる20年近く前に、シチリア島のカターニアに生まれたフランチェスコ・パオロ・フロンティーニが作った民謡集が、やはりアーマンによる編曲で演奏されています。 この人はオペラや宗教曲(レクイエムも)、さらにピアノ曲やオーケストラの作品などの本格的な曲も作っていますが、なんと言ってもシチリア民謡の収集で有名です。1890年に出版した「シチリアの歌」という、50曲のシチリア民謡を集めて編曲した「シチリアの歌」を皮切りに、多くの曲集が作られています。ここでは、1938年に出版された「シチリアの人々の宗教歌Canti religiosi del popolo siciliano」という22曲から成る声楽とピアノのための曲集から、8曲がアーマンの編曲によって演奏されています。曲自体は、まさにイタリア民謡ですね。 その編曲のプランは、先ほどのレスピーギと全く同じ楽器編成ですが、ソリストはなく合唱だけ、オリジナルのピアノが主導権を握っているようですね。最後の曲では、ピッコロと小さなドラムが活躍していました。 そして「おまけ」として、2016年に録音されていた、プッチーニの「金色の夢」という歌曲を、やはりアーマンがオーケストラ伴奏に編曲したものが、ソプラノ・ソロで歌われています。 CD Artwork © BRmedia Service GmbH |
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そして、これは、モーツァルトのレクイエム(ジュスマイヤー版)と一緒に、ピアニストとしてもとても有名なトルコ人の作曲家、ファジル・サイがこのオーケストラから委嘱されて作った「モーツァルトとメヴラーナ」という作品の世界初演が行われたときに、一緒に録音されたものなのでした。正確には、世界初演はルツェルンのカルチャー・コングレス・センターで2024年11月6日と7日だったのですが、その前後のリハーサルや、録り直しの音源を編集して作られたのが、このアルバムです。 このサイの曲は、モーツァルトの「レクイエム」とほとんど同じ楽器編成になっています。 ![]() ![]() おそらく、この曲は、モーツァルトの「レクイエム」と一緒に演奏することが想定されているのではないでしょうか。というか、曲自体のコンセプトも、なにか「レクイエム」に通じるものがあるようですね。 この「モーツァルトとメヴラーナ」の後半の言葉は、13世紀のトルコの詩人の地位(「師」という意味)を表すものです。彼の名前は「ルーミー」なのだそうです。ムーミンみたいでかわいいですね。 この曲は、「また来なさい」と「7つの原則」というタイトルの2つの部分から出来ています。それぞれのテキストは1曲目では「あなたが異教徒であろうと、神秘主義者であろうと、偶像崇拝者であろうと、また来なさい」というテキスト、2曲目は、「同情と慈悲においては、太陽のようであれ」と言ったような「教訓」が7つ続いている歌詞です。 そのようなテキストを元に、サイは、「レクイエム」からの、例えば「Lacrimosa」のようなよく知られたメロディを引用しつつ、オリエンタルな雰囲気の音楽を作っています。とは言っても、ソリストたちが歌うメロディは、まるでミュージカル・ナンバーのようなキャッチーなものですから、存分に楽しめます。 「前座」の「レクイエム」は、弦楽器の人数はかなり多いものの、奏法はかなりピリオド的、特にティンパニの乾いた音は、なかなかの推進力をもって迫ってきます。トロンボーンは、「Tuba mirum」のソロだけではなく、随所で合唱とユニゾンの部分がありますから、合唱団の中に入っているのはおそらくお互いが聴きやすくなっていることでしょう。 ザンデルリンクの指揮ぶりも、かなりすっきりしたものでした。時折、他の指揮者は絶対にやらないようなところもあって、ちょっとびっくりしてしまいます。具体的には、「Introitus」、では合唱のこの赤枠部分が「複付点八分音符+三十二分音符」になっていて、うしろの音符が短くなっています。 ![]() ![]() CD Artwork © Parlophone Records Limited |
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1978年に、オランダのローデンで生まれたダイクストラは、やがて、オランダの最高の少年合唱団の一つとして知られていた、ローデン少年合唱に入りました。そこにはロージン(老人)はいません。 そして、1999年に、その合唱団の16人の仲間と独立して、新しいア・カペラの男声合唱団「ザ・ジェンツ」を創設します。彼らは、オランダのレーベルCHANNELから、2002年から2004年にかけて4枚のアルバム(すべてSACD!)をリリースします。 さらに、2005年と2006年には、来日コンサートも開催されました。その2005年のコンサートは、NHKで放送されていますから、ダイクストラが指揮者をしながら自らも歌っている、というシーンを実際に「見る」ことも出来ました。 その間、ダイクストラは指揮者としての勉強に励んでいました。ケルン音楽大学では、マーカス・クリードの指導を受け、トヌ・カリユステ、エリック・エリクソンなどの合唱指揮者のマスタークラスも受講しています。並行して、フィンランドの大指揮者、ヨルマ・パヌラからも、オーケストラの指揮を学んでいます。 そして、2005年には、なんと、ミュンヘンのバイエルン放送合唱団というトップクラスの合唱団の芸術監督に就任したのです。これを知った時には、本当に驚きましたね。 同じ年には、オランダ室内合唱団の首席客演指揮者に就任、2015年には、首席指揮者に「出世」します。さらに、2007年から2018年までは、スウェーデン放送合唱団の首席指揮者のポストにもありました。それぞれの合唱団とは、4枚ずつのアルバムを作っています。 バイエルン放送合唱団とは、20枚以上のアルバムを作っていましたが、他の団体との共演が忙しくなったのでしょうか、2016年には芸術監督を辞任します。そして、その後任にはハワード・アーマンが就任したのですね。 しかし、2022年には、アーマンは退任してしまい、そこにダイクストラが復帰したのですよ。 そして、その復帰後に初めてリリースされたのが、このシングルです。録音されたのは2024年の10月です。ここで演奏されているのは、フォーレの「ラシーヌ雅歌(賛歌)Cantique de Jean Racine」です。フォーレが9歳の時に入学し、そこで11年の寄宿生活を送ったニデルメイエール音楽学校での卒業作品として作られたものですね。いまでは、全世界の合唱団のレパートリーとなっている名曲です。 オリジナルはオルガンまたはピアノの伴奏による混声4部合唱ですが、ここでダイクストラが演奏しているのは、ジョン・ラッターが1980年代に編曲を行ったオーケストラ版です。ダイクストラは2010年にフォーレの「レクイエム」をバイエルン放送合唱団とSONYに録音していますが、その時に選んだのが第2稿のラッター版だったので、おそらくその流れでこのラッターの編曲を選んだのでしょう。 「レクイエム」の第2稿というのは、ちょっと変わったオーケストレーションで、弦楽器はソロ以外のヴァイオリンがありません。そこにハープとごく限られた管楽器が加わるという編成なので、とても地味なサウンドになっていますが、この「ラシーヌ賛歌」でも、弦楽器はヴァイオリンが入っておらず、そこにハープが加わっているだけです。 一応、フォーレ自身が編曲したという楽譜もあるようで、まだ「レクイエム」は編成の大きい第3稿しか知られていなかった時代の録音、例えばルイ・フレモーのものあたりはそれで演奏されていますから、かなり色彩的なサウンドが聴けます。 今回の演奏は、まず、このいぶし銀のようなヴィオラ以下の弦楽器とハープによって始まる前奏から、とても落ち着いた雰囲気が伝わってきます。テンポは少し早めですが、それも颯爽感を誘います。そして、ベース、テナー、アルト、ソプラノと重なっていく合唱が、なんとも包容力があって素敵です。そのまますべてのメンバーが同じ方向で向いているという奇跡的な歌声での、深みのある合唱が続きます。オーケストラも、静謐な響きでそれにぴったり寄り添います。 ほとんど奇跡に近い名演。これからのダイクストラとこの合唱団の活動には、目が離せません。 Single Artwork © BRmedia Service GmbH |
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ただ、そのホグウッドが亡くなってからは、他の指揮者によって活動は再開されていたようですが、その頃になると同じようなコンセプトの団体がどんどん登場してきて、この「AAM」の名前もあまり聴くことがなくなったような気がします。 ですから、もう解散してしまったのか、とも思っていたのですが、またこのように再会できて、なんだかホッとしています。ただ、指揮者は、ここで合唱を担当している合唱団の指揮者で、「AAM」は単なる「伴奏」というスタンスなのが、なんだか寂しいですね。 そう、これは、あくまで、声楽をメインにした宗教曲のアルバムだったのですよ。作曲家はミヒャエル・ハイドン。有名なフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの5歳半下の弟です。兄の名声にはとてもかないませんが、特に宗教曲に関しては兄をもしのぐものがある(見映える)、と言われています。 そのハイドンが作った2つの宗教曲が、ここでは聴くことが出来ます。まずは、1771年に作られた、「大司教ジギスムントの死のためのミサ」、つまり「レクイエム」です。このジギスムント・グラフ・シュラッテンバッハという方は、ザルツブルクの大司教で、ハイドンは宮廷楽団でその庇護下にあったのですね。もう少しすると、あのモーツァルトも同じ「職場」に「赴任」することになります。 つまり、タイトルとしてはハイドンにとっては恩人となる人物のための「レクイエム」なのですが、彼自身にとっては、そこにはもう一つの「死」を悼むといった思いもありました。この1年前に、彼は、生まれてまだ1年も経っていない娘を見送っていたのです。この「レクイエム」は、ハイドンの中ではその2人を悼むための曲だったのですね。 この曲の最初、「Introitus et Kyrie」は短調で始まりますが、最後の和音は長調に変わっています。そこには、悲しみの中にも、一筋の希望を感じることはできないでしょうか。 ただ、作品を味わう前に、ここで歌っている「ケンブリッジ・ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジ合唱団」という初めて聴いた合唱団の、あまりの存在感のなさに、ちょっと驚いてしまいました。全員大人のメンバーで、24人ぐらいの編成(しかもケンブリッジ)ですから、普通ならかなりのレベルの演奏が期待できるはずなのですが、なんか、極論すれば合唱の体をなしていないのですね。それぞれの声はバラバラで、パートでまとまることはなく、個人の荒っぽい声が直接聴こえてくるだけです。 オーケストラも、この合唱団の指揮をほとんど無視して、勝手に演奏しているような感じまでしてきます。一体どうしたことでしょう。 カップリングは、「聖ヒエロニムスのミサ」という曲です。この「ヒエロニムス」というのは、先ほどのジギスムント・グラフ・シュラッテンバッハの後任者としてザルツブルクの大司教となったヒエロニムス・コロレドのことなのです。この人は、モーツァルトと敵対関係にあったことで有名ですね。 このミサ曲は1777年に作られていますが、その編成がちょっと変わっています。オーケストラの楽器は、オーボエ、ファゴット、トロンボーン、そして通奏低音しかないのですよ。つまり、ヴァイオリンなどが一切使われていないのです。その代わりに大活躍しているのが2本のオーボエです。そして、ちょっとテンションの高いシーンでは3本のトロンボーンが厳かに鳴り響きます。 音楽自体も、先ほどの「レクイエム」に比べるととてもハッピーな感じがします。あのへたくそな合唱でさえ、ここでは楽しそうに歌っていましたよ。 CD Artwork © Linn Records |
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おとといのおやぢに会える、か。
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