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発狂食品。
そんなユーグさんはアマチュアの作曲家、そして、フルーティストでした。なんでも、その作品の中には、フルートのための曲だけではなく、宗教曲まであるというのですから、かなり本格的に作曲にも取り組んでいたのでしょうね。 フルートは、19世紀後半のロマンティックな時代には、それまでのシンプルな楽器から、多くのキーを備えて、すべての半音をきちんと出せるようになった楽器が発明されます。 そのような時代では、そんな「新しい」楽器の性能をいかんなくデモンストレーションできるような、きわめて技巧的な作品が数多く作られました。有名なのは、あのドップラー兄弟でしょうね。そのほかにも、多くの作曲家が、まさに「フルートの黄金時代」を作っていたのでした。 そして、このユーグさんも、まさにそのような作曲家、そしてフルーティストの一人でした。基本的に、その作品の多くは、オペラの中のアリアなどをモティーフにした華麗な変奏曲や、様々な曲をつなげた「ポプリ」でした。そこでは、よく知られていたテーマを、いかに複雑に作り直して、観客に驚きと喜びを与えるかが問われたのでしょうね。 ただ、彼の場合は、そのような既存のテーマを使ったもののほかに、テーマそのものを自分で作った作品も数多く残していました。このアルバムでは、そのような曲、たとえば「フルート・ソナタ」といったようなタイトルを持つフルートとピアノのための作品が取り上げられています。 ここで演奏しているのは、フルートがパオロ・ダルモーロ、ピアノがマウリツィオ・フォルネーロです。それぞれ、その作品が作られた時代の楽器を使って演奏しています。フルートは1880年頃に作られた、8つのキーを持つクエノンの楽器、ピアノは、1890年に作られたプレイエルの楽器です。このようなヒストリカルな楽器による録音は、これが世界で初めてなのだそうです。 いずれの楽器も、会場の音響のせいでしょうか、残響がたっぷり乗っているので、どちらも現代の楽器とは全く別物のサウンドで聴こえてきます。ピアノの方は、その前身の「フォルテピアノ」のような、ちょっと刺激的な打鍵の音が聴こえます。さらに、そのフォルテピアノで使われていた、音をソフトにするストップも備わっているのでは、と思えるような音色の変化が、曲によって付けられています。 フルートの方は、楽器のせいなのか、あるいはフルーティストのせいなのかは分かりませんが、なんとも刺激的な音に聴こえました。特に、息の音がかなり鋭く聴こえますし、音域による音色も、まるで別の楽器のように変わっています。 ここでは、全部で7つの作品が演奏されています。その中でタイトルに「ソナタ」と付くものが、4曲あります。とは言っても、それらは単一楽章の曲で、いわゆる「ソナタ形式」で作られたものではなく、形式的には変奏曲に近いもののように聴こえます。ただ、最初のあたりに出てきたテーマが最後にも再現されるあたりが、「ソナタ」なのでしょうか。 いずれも、テーマはとてもキャッチーなものですから、すぐに引き込まれてしまいます。まさにイタリア人ならではの「歌心」が、この人にはしっかり備わっているようですね。そして、それに続く技巧的な部分では、とてつもなく細かく動き回る音符で、クラクラしそうになるほどです。 それは、おそらく、これらの曲が作られた時には、作曲したユーグも含めて、それらを完璧に吹きこなせるフルーティストがいたからなのでしょうが、あいにく、ここでのダルモーロはその域には達しておらず、そんな音符の波にうずもれてしまって、完全に正気を失っているように思えます。「もっときちんとさらってよ」と言いたくなるような演奏でしたね。 CD Artwork © Tactus s.a.s. di Gian Enzo Rossi & C. |
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ですから、登場する作曲家も、なかなかコアなものがあります。これまでのラインナップは、ベートーヴェン、ヴァレーズ、ドイッチュ、プロコフィエフ、リヒャルト・シュトラウス、シュタウト、シューベルト、クシェネク、シュニトケ、ウォーカー、ベルク、チャイコフスキー、バルトーク、ブルックナー、ベルリオーズ、イーストマンなどですからね。しかも、ベートーヴェンは交響曲ではなく弦楽四重奏曲ですし。 ですから、ベートーヴェンの交響曲やブラームス、シューマン、メンデルスゾーン、そしてマーラーの作品が全くないのですよ。 ということで、今回のモーツァルトも、初登場となっています。ピアノにギャリック・オールソンを迎えてのピアノ協奏曲第27番(録音は2024年3月)と、交響曲第29番(録音は2023年10月)というカップリングです。指揮者は当然、音楽監督のウェルザー=メストですよね。 この2曲、クリーヴランド管弦楽団が初めて演奏したのは、ピアノ協奏曲はロベール・カサドシュのソロで1948年4月、交響曲は1956年11月でした。いずれも、当時の音楽監督ジョージ・セルの指揮です。 セルの時代からもはや70年以上経って、音楽の様式や趣味も変わってきましたが、今回のアルバムを聴くと、なにか、そんな時代のなつかしさがよみがえってくるような気がしました。このオーケストラは、しっかり「伝統」を守っていたのだな、と、しみじみ思ってしまいます。 モーツァルトが作った最後のピアノ協奏曲は、彼が亡くなる年、1791年に作られました。そして、その初演の時にはモーツァルト自身がソロを弾いたのですが、それが、彼が聴衆の前で演奏した最後の機会だったのだそうです。その演奏会の時には、ソプラノのソロの曲も演奏されていたのですが、それを歌ったのが、かつてのモーツァルトの恋人で、結局振られてしまったアロイジア・ウェーバー、つまり、彼の奥さん、コンスタンツェのお姉さんでした。その頃は、モーツァルトの肖像画で有名なヨーゼフ・ランゲの奥さんでしたね。 そのコンサートは、宮廷料理人のお屋敷で開催されたのですから、ピアノ協奏曲でのオーケストラは、それほどのプルトはなかったでしょうね。ですから、最近ではそれぐらいのサイズでの演奏も行われていますが、今回はなんたってクリーヴランド交響楽団ですから、おそらく10型ぐらいのサイズで演奏していたのではないでしょうか。 それはもう、オープニングからゴージャスな響きが聴こえてきました。テンポも少し落として、重厚さを演出しているようでした。そこに入って来たギャリック・オールソンのピアノは、そんなオーケストラをたしなめるかのような、とてもシンプルなピアノを演奏していましたね。香辛料は控えめに(それは「ガーリック」)。なんたって、1970年のショパン・コンクールで、内田光子を破って1位になった人ですから、さぞや華麗な技を披露してくれるのでは、という予想に反して、まるでピアノを習い始めた子供のような、1つ1つの音符を慈しみながら弾いているのには、ちょっと驚きました。 そんなピアノのフレーズを、オーケストラの中のフルートが受け止める、というような場面が何度かあるのですが、そのフルートは全力で吹いているように聴こえました。そんなに力む必要はないのにな、と思いましたね。 それが、第1楽章のカデンツァになると、やはりすごいな、と思えるような確かなテクニックを見せてくれましたね。 交響曲の方は、まだ若い頃の作品ですから、また別の面が見えて来るようでした。とは言っても、やはり重苦しいところは残っていて、ちょっと居住まいを正さないといけないような圧迫感はありました。モーツァルトはもっと楽しい方が好きです。 Album Artwork © The Cleveland Orchestra and Musical Arts Association |
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演奏しているのは、ピエタリ・インキネン指揮の、「ドイツ放送フィル」のメンバーです。モーツァルトの「グラン・パルティータ」ですから、12人の管楽器(オーボエ、クラリネット、バセット・ホルン、ファゴットが2人ずつ、ホルンが4人)とコントラバスが1人という編成のはずです。 でも、インキネンはともかく(陰気な人ではありません)、「ドイツ放送フィル」、ドイツ語では「Deutsche Radio Philharmonie」という名前のオーケストラは、あまり聞いたことがありませんね。このレーベルはSWRという放送局のレーベル(実態は、NAXOSの傘下)なので、その「南西ドイツ放送局」専属のオーケストラなのでしょうか。でも、そこでは別の「南西ドイツ放送交響楽団(SWR Sinfonieorchester)」というのがありますけどね。 それに関しての説明は、なかなか複雑なので、かなり混乱するのではないでしょうか。そもそも、かつてのSWRには、オーケストラが3つ存在していました。それは、「SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg(バーデン・バーデン&フライブルクSWR交響楽団)」、「Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR(シュトゥットガルト放送交響楽団)」、そして「SWR Rundfunkorchester Kaiserslautern(SWR放送管弦楽団)」という、SWR管内のそれぞれ別々の場所に本拠地を持つオーケストラです。 そのうちの、SWR放送管弦楽団と、お隣のザールラント放送局(SR)管内にあった「ザールブリュッケン放送交響楽団」(Rundfunk-Sinfonieorchester Saarbrücken)という、首席客演指揮者のスクロヴァチェフスキの指揮でARTE NOVAというバジェット・レーベル(今はもうありません)に録音したブルックナー全集が大ヒットしたオーケストラが2007年に合併して、新しいオーケストラが出来ました。それがこの「ドイツ放送フィル」なのです。フルネームは「Deutsche Radio Philharmonie Saarbrücken Kaiserslautern」。なんでも、SWRとBRが共同で管理しているのだそうです。 さらに、2012年には、SWRの中の残りのバーデン・バーデンとシュトゥットガルトの2つのオーケストラが放送局の財政上の理由で合併してしまい「南西ドイツ放送交響楽団(SWR Sinfonieorchester)」と名前を変えています。この時点で、4つあったオーケストラが2つになってしまったのですね。このオーケストラの首席指揮者には、今年からこれまでのテオドール・クレンツィスに代わって、あのセクハラおやじのフランソワ=グザヴィエ・ロトにが就任しています。 「ドイツ放送フィル」に話を戻します。ここで演奏しているかどうかは分かりませんが、クラリネットとファゴットには日本人のメンバーもいるようですね。そのあたりは、ブックレットが付いていないので、分かりません。 ただ、1曲目が始まった時には、なにか、全員が同じところに向かって進んでいるな、という感じを受けました。この曲は、ギリギリ指揮者がいなくても演奏できるサイズなので、あえて指揮者を立てずに合奏を楽しんでいる、という機会も多いのでしょうが、やはり指揮者がきちんと全員の意志をまとめていると、このような演奏になるのだ、と感じましたね。 もちろん、指揮者はあくまで方向性を示すだけで、実際の演奏はプレーヤーのやりたいようにやらせている、というようなところもたくさん見られましたから、最終的にはとてもまとまっていて、時には重厚さも聴こえる中で、ある部分ではきちんとそれぞれの個性が生かされて、自主的な閃きを感じられるとこともあったのではないでしょうか。 フィナーレなどでは、そんな個性がストレートに発揮されていました。始まった時から全員がやる気満々で、とても楽しみながら演奏しているのが手に取るように分かります。時には、即興的な装飾まで付けていましたね。 それと、ここにきて、コントラバスがとてもパワフルに聴こえてくるようになりました。もしかしたら2人ぐらいで演奏していたのでは、と思ってしまうほどの、ものすごいベースでしたよ。 Album Artwork © Naxos Deutschland Musik & Video Vertriebs-GmbH |
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おとといのおやぢに会える、か。
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