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発狂食品。
そして、今回リリースされたのは、なんとチャイコフスキーとストラヴィンスキーというベタなロシアの作曲家でした。しかし、それらは全てオーケストラによるバレエ作品をピアノに編曲した楽譜を使って演奏されているというのですから、やはりマニアックには違いありません。 「編曲」とは言っても、オーケストラとピアノ・ソロとでは、出す音の数が全く違っていますから、基本的にピアノで演奏するためには「音を減らす」という作業が入ってくるはずです。しかし、ググニンが目指したのは、そのような後ろ向きの編曲ではなく、逆に、オーケストラではできないことをピアノで見せつける、というベクトルでした。はたして、そんなことが出来るのでしょうか。 ここでのメインの作曲家はチャイコフスキー。彼の「くるみ割り人形」と「眠りの森の美女」という2つのバレエ音楽からのナンバーを、いくつか取り上げていますが、その編曲を行ったのが、彼の大先輩のミハイル・プレトニョフなのです。彼自身は、現在は指揮者としても活躍していて、他の人とは一味違った演奏を聴かせてくれていますが、これらの編曲は、彼が1987年のチャイコフスキー・コンクールで優勝した時に演奏したものなのだそうです。 まず、その「くるみ割り人形」ですが、ブックレットに「The Nutcracker Suite Op 71a」とあったので、この作品番号は、有名なオーケストラのための組曲なのだな、と思いました。ところが、聴いてみると曲目がそれとは全然違っていました。全部で7曲あるのですが、「組曲」に入っていた曲は4曲しかありません。それ以外は全曲版から持ってきたものなんですね。このレーベルがこんなミスを犯すなんて、不思議です。 ですから、曲は「行進曲」から始まります。これは、「元ネタ」ではまずトランペットでファンファーレが吹かれて、そのあと弦楽器のフレーズが始まりますが、その時には普通は同じテンポで演奏されています。もちろん、楽譜には何の指定もありませんから。しかし、ここでのググニンの演奏では、ファンファーレを堂々としたテンポで演奏した後は、いとも軽やかなテンポに瞬時に変わっているのですよ。このあたりが、おそらくは「ピアノにしかできないこと」なのでしょうね。オーケストラは小回りが利きませんから、こういうことは苦手です。 そのうちに、このピアニストは、とても繊細な表現が出来ていることに気づきます。「金平糖の踊り」のチェレスタが、本当にチェレスタのようなタッチで聴こえてきましたよ。これは、彼がベヒシュタインのピアノを使っていることと関係があるのでしょうか。 次に演奏されているのが、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3つの楽章」です。これは、作曲家自身が行った編曲なのですから、最初からピアノのために作られています。この曲は、以前はマウリツィオ・ポリーニが録音したものを散々聴いていましたから、よく知っています。 それと今回のググニンのものを比べてみると、そこには、ポリーニを聴いていた時には「すごいなあ」と思っていたものが、なんとも乱暴で力に任せたもののように感じられました。ポリーニの場合はスタインウェイを弾いているはずですから、その影響もあるのでしょうね。何よりも、ググニンのピアニシモの美しさが、とても心に響きます。 もう1曲のチャイコフスキーの「眠りの森の美女」は、最初の曲以外は全く聴き覚えのないものでした。そういえば、この曲の全曲なんて、聴いたことがありませんでした。 最後の「火の鳥」は、イタリアのピアニスト、グイド・アゴスティによる編曲。オーケストラ版にはないフレーズがふんだんに使われて、とてもピアノが立っていました。でも、模型は付いてません(それは「デ・アゴスティーニ」)。 CD Artwork © Hyperion Records Ltd |
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それから20年以上経った今でも、彼らはメンバー・チェンジを重ねながら、コンスタントにアルバムをリリースし続けていますし、それだけではなく、「ヴォーチェス8」という、いわば「ブランド」を作って、演奏活動だけではなく、楽譜の出版や、合唱の教育といった分野での多くのプロジェクトを敢行しているようですね。 そのような活動をプロデュースしているのが、このグループの創設時のメンバーで、現在では作曲家、あるいは指導者として活躍しているポール・スミスです。彼は、「現役」時代はバリトンのパートを歌っていましたね。 彼らは自分たちの演奏だけではなく、他のアーティストなどのプロデュースも行っていて、そのためのレーベルも作っていました。その「Voces8 Records」で、ポール・スミスはこれまでに2枚のアルバムを作ってきました。それは、2019年にリリースされた「Reflections」、そして2022年にリリースされた「Renewal?」です。この2枚は、音楽評論家たちに絶賛されたと言われています。 そして、それに続いて作られたのは、その「三部作」を完成させるという意味を持った、この「Revolutions」というアルバムです。 このアルバムのアーティストとして、ここではヴォーチェス8以外に5人の名前がクレジットされています。スミス自身はピアノ、そして、ヴィオラ、フルート、パーカッションというのは分かりますが、もう一人が「コンティニュアム・フィンガーボード」という楽器の担当となっていますね。これって、どんな楽器なのでしょう。 この、クリストフ・デュケーヌという人が演奏している楽器に関しては、NMLではなぜか「オンド・マルトノ」と表記されていましたが、どうやらそれは真っ赤なウソのようですね。実際は、こんな楽器です。 ![]() ただ、この楽器が登場するのは、少し経ってからです。まずは、最初のトラックで、サプライズが待っていました。ここでは、コーラスのドローンに乗って、ソプラノがプレーン・チャントのようなものを歌うのですが、そこには、「フルートをフィーチャー」という案内がありました。ところが、そこから聴こえてきたのは、なんともおどろおどろしい、唸っているような低い音でした。いつまで経ってもフルートの音は聴こえてこなくて、そのままエンディングとなります。そんなはずはない、と、もう1度聴いてみたら、その唸っているような音が、もしかしたらフルートでもとても低い音の出せる「コントラバス・フルート」なのではないか、と思えてきました。 ![]() その後には、ヴォーチェス8だけの演奏が、1曲ごとに間に「即興演奏」を挟んで歌われています。それらは、全てポール・スミスが作った曲なのですが、1曲目のプレーン・チャントのようなシンプルな、それこそ中世あたりの音楽によく似たシンプルなテーマを、やはりシンプルな三和音のハーモニーで歌うという、ほとんど冗談のようなものでした。というか、こんなことをやっていていいのかな、という疑問が激しく湧いてきましたね。 「即興演奏」の方も、今さらこんなのあり? と言いたくなるような、正直陳腐なものだったのには、心底がっかりしました。 そして、とどめを刺されたのが録音のひどさです。ア・カペラの響きが、歪みたっぷりの人工的なものになっていて、人間味が全く感じられませんでした。 Album Artwork © Voces8 Records |
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今回のクリスマス・アルバムは、去年の11月に録音されています。ただ、一応「アルバム」と言えば、普通は40分以上の音源が入っているものを指し示すものですが、これにはその半分ぐらいしか入っていません。ですから、そのようなアイテムに対して最近よく使われる言葉「EP」を、最後のクレジットに付けておきましたよ。 ご存じでしょうが、最近では、このように、「アルバム」と呼ぶにはちょっと時間が短すぎるものに対して、「EP」という言葉がよく使われているようです。かつて「ミニアルバム」という言葉で呼ばれていたものと、基本的には同じものなんですけどね。 つまり、この「EP」というのは、CDが出来る前のフォーマットである、直径が12インチのディスク「LP」に対して競争相手のメーカーが提供した、もっとコンパクトな直径7インチの「シングル盤」を改良して、表と裏で16分ほどの音源を収録できるようにしたものの名前なのですよ。この3者は、原料がポリ塩化ヴィニル(polyvinyl chloride)などなので、「vinyl(ヴァイナル)」とも呼ばれます 詳しくはこちらを見て頂ければ、その概要は分かりますが、収録曲が「アルバム」と呼ぶには短すぎても、「シングル盤」よりは長いものを指す言葉として、そんな、70年以上前に作られた言葉が、現代に蘇ったのですね。 ここで演奏しているのは、ミュンヘンのバイエルン放送局に所属しているミュンヘン放送管弦楽団です。このオーケストラは、同じ放送局のバイエルン放送交響楽団という、重厚な音楽を演奏する団体とは違って、そもそもはもっと軽いレパートリーを専門に演奏・録音するために作られています。一時は解散させられそうになって、メンバーもかなり少なくなっていますが、最近ではバイエルン放送交響楽団とは一味違った、なかなかのフットワークを見せているようです。 そして、指揮者が、ピアニスト、オルガニストとしても有名なウェイン・マーシャルです。 ということで、このEPには、クリスマスのための音楽が5曲しか入っていませんが、まずは、録音がとびきり素晴らしいものになっているので、聴き馴れた曲でも新たにその魅力を感じられるようになっているのではないでしょうか。 1曲目は、ルロイ・アンダーソンの「A Christmas Festival」という、有名なクリスマス・キャロルをメドレーで聴かせる曲です。「もろびとこぞりて」、「もみの木まなかに」、から始まって、8曲以上が使われています。 2曲目は、「ポーラー・エクスプレス組曲」です。「ポーラー・エクスプレス」というのは、アメリカの絵本作家クリス・ヴァン・オールズバーグが1985年に出版した絵本のタイトルです。そして、それを元にロバート・ゼメキスが監督となって2004年に作られたCGアニメーションの音楽を書いたのが、アラン・シルヴェストリです。このアニメは3Dで公開され、そのダイナミックな映像に彼の音楽はとてもマッチして、豊かな没入感が味わえたことを記憶しています。 その音楽を聴いただけで、そのスペクタクルな画面が連想されるほどの華やかさが、この録音にはありました。特に、最初の曲で加わっているグロッケンの響きは、なんともエキサイティング。 その後「ホワイト・クリスマス」と「赤鼻のトナカイ」という定番が、的確なオーケストレーションを軽やかに演奏されているトラックを聴いたのち、最後に再度ルロイ・アンダーソンの曲が始まります。 それは「そり滑り」という有名な曲ですが、ここでの演奏は早めのテンポで軽快に進みます。エンディングの前に、一旦ディミヌエンドがかかってそりが遠くに行きますが、またクレッシェンドで近づいてくる、というちゃんと楽譜にある演出が、きっちりと音になっていましたね。 EP Artwork © BRmedia Service GmbH |
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ラッターは、自身が結成した「ケンブリッジ・シンガーズ」という合唱団を指揮して、やはり自分のレーベルの「COLLEGIUM」に多くの録音を行っていましたが、最近はこのレーベルをあまり見かけないようになっていました。今回も、レーベルはDECCAになっているので、ついにCOLLEGIUMもなくなったのか、と思ったら、ブックレットのクレジットでは「ユニバーサル・ミュージックへの独占的なライセンスによってCOLLEGIUMが製作」とありました。レーベル自体はまだ残っていたのですね。 ラッターと言えば、「合唱音楽の作曲家」として、広く知られているのではないでしょうか。もちろん野球とは無縁です(それはバッター」)。彼は、これまでに夥しい数の合唱曲を作っていますから、きっとどこかで聴いたことがあるかもしれませんね。ただ、普通の「合唱曲作曲家」は、ほとんど合唱だけ、あるいはそれにピアノ伴奏を付けたものを作っているようですが、ラッターの場合は、もっと幅広い楽器の伴奏や、オーケストラとの共演で合唱が歌うようなものもたくさん作っています。 これまでにも彼は、そんな、オーケストラをバックにした作品は、例えば「レクイエム」のような大規模なものから、王室の典礼などで使われる、短いアンセムのようなものまで、たくさん作っていますし、それらは録音もされています。そういうものを聴いてみると、彼が作ったオーケストラのパートは、とても複雑で手が込んでいることが分かります。ですから、彼のオーケストレーションのスキルは、かなりのものであることは、以前からよく分かっていました。 そして今回、「80周年」ということで登場したアルバムは、「合唱音楽の作曲家」にはあるまじき、全曲オーケストラ(と、ピアノ)だけで演奏される、全く合唱が登場していないものだったのです。実際、そのようなものは、これが初めてなんですってね。 この中では、全部で5つの作品が演奏されています。その中で最初の曲は彼が初めて合唱曲以外に作った作品です。その「Cityscaps」という作品が出来たのは1974年のことでした。ここには、新しい次元を開こうとしている作曲家の意気込みのようなものが強く感じられます。1曲目は、変拍子なども多用して、意気込みを見せているよう。その結果、なにかガーシュウィンのような雰囲気が漂ってきます。2曲目は、ガラリと雰囲気を変えて、不気味な世界が広がります。そして、3曲目は、ファンファーレに続いて軽やかなダンスが広がります。それは、金管だけのアンサンブルや、木管だけのアンサンブルが華やかさを見せつけ、最後には全員が揃って盛り上げるという、とても贅沢な音楽になっています。 その次、1979年に作られたのが、ピアノ協奏曲の形をとったタイトル・チューン「Reflections」です。これは4つの部分から出来ています。1曲目は前奏曲で、まるでラヴェルの「ダフニスとクロエ」のような夜明けのシーンが登場します。そして、そこにピアノも加わります。2曲目のトッカータは、ピアノが中心になったとても元気な音楽、ここにもガーシュウィンの陰が。3曲目の間奏曲は、とてもミステリアスな曲で、映画音楽のような雰囲気です。そして最後はとても明るいディキシーランド・ジャズが始まり、とても楽しいものに仕上がっています。ここでのピアノは、スティーヴン・オズボーン。 その他の曲も、とても楽しいものばかり、2021年に作られた「4つの小品」の中の「悲しい歌」という部分は、どこかで聴いたことがあるようなベタなコード進行ですが、ラッターはミシェル・ルグランやフランシス・レイの雰囲気を持ち込んだのだそうですね。 そして、最後に聴けるのが、このアルバムのための書下ろしで、ピアノと弦楽器のための「エレジー」です。これは、それまでのものとは一線を画した、とてもシリアスな音楽です。自身も「ダークでメランコリー」と言っているぐらいで、なんとも神秘的、これまでのエンタメ性は全く感じられません。こんな音楽も作れるんだぞ、ということなのでしょう。 CD Artwork © Universal Music Operations Limited |
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後に、いくつかの経緯を経て、彼はその音楽劇をもとにした大規模なオペラを作ります。彼の音楽は、師匠のワーグナーを正当に継承するものでしたから、そこには確かにすぐ耳になじむドイツの子どもの歌のようなメロディは頻繁に登場しますが、それらはワーグナー風のライトモティーフと分厚いオーケストレーションで彩られ、無限旋律の中に埋め込まれているのです。 ですから、今回のデジタル・アルバムでは、そのフル編成のオーケストラのパートを、たった10人(ピアノ、ヴァイオリン3、ヴィオラ2、チェロ、ホルン、クラリネット、フルート各1)で演奏している、というところで、全く期待はしていませんでした。 さらに、ここには「短縮版」という表記もあります。ただ、このオペラはきちんと演奏しても1時間45分ぐらいしかかからない、オペラとしては短い部類に入りますが、今回の編曲版の演奏時間は1時間25分ですから、それほどのカットはありません。 まず、予想通り、オーケストラだけの序曲は全てカットされていました。ただ、一応、スコアを見ながら聴いていたのですが、そのほかは、細かいところが数カ所カットされているだけで、ストーリーの展開に支障をきたすようなものではありませんでした。 ただ、オーケストラのリダクションはかなりひどいものでしたね。覚悟はしていましたが、当然のことながら、フンパーディンクの分厚い具沢山なオーケストレーションの片鱗すらも、そこからは感じることが出来なかったのですからね。まず、このような安直な編曲でよく使われるピアノを聴いただけで、がっかりしてしまいます。いっそのこと、ピアノだけで演奏した方がよっぽどましなのですが、ここでのピアノは、ティンパニのロールまでこの楽器でやろうとしているのですから、かなり悲惨です。まあ、他の楽器を演奏しているのは、きちんとそれぞれのパートを表現できる人たちのようでしたが、かなり目立つフルートを吹いている人だけが、ほとんどシロートとしか思えないようなものすごいピッチで吹いているものですから、ハーモニーがグジャグジャになっていますしね。さらに、スコアではちゃんと書かれているフルートのパートまでも、カットされています。何のためにこの楽器を入れたのか、と思ってしまいますね。 ただ、そんなでたらめな編曲なのに、歌っている人たちはかなりの実力者たちだったと見えて、歌手たちのパートはとても楽しめました。このオペラは、それこそ、ピアノだけの伴奏で、お子様向けに演奏するというような機会もかなりあるようなのですが、それぞれの歌手の人たちが歌うパートは、今回スコアを見ているとかなり高度な技術を必要としていることに気づきました。つまり、そんな安直な機会で歌うようなものではないのではないか、と思ってしまったのですね。かなり高い音も出さなければいけませんし、聴いていた以上にリズムも複雑でした。 でも、ここで歌っている人たちは、それぞれ、普通のオペラハウスやミュージカルでの経験の豊かな人たちばかりのようで、その声はこのオペラのロールを安心して聴いていられるものでした。 主役のヘンゼルとグレーテルを歌っているカロリーナ・ヴォイテツコとジェニファー・カラルッツィはもちろん、特にソロの場所が多い、魔女を歌っているマーガレット・アストラップは、とてもキャラクターがはっきり表れている、素晴らしい歌手だと思いましたね。 英語(タイトルは「ハンセルとグレテル」)で歌われていたのも、それほど奇異には感じられませんでした。というか、こんなハチャメチャなアンサンブルをバックにドイツ語で歌われていたりしたら、かえって鼻持ちならないものになっていたことでしょう。 Album Artwork © Centaur Records, Inc. |
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そして、前回の「デジャニール」を演奏していたのが、今回と同じ山田和樹指揮のモンテカルロ・フィルです。このオーケストラは、モンテカルロ歌劇場のピットにも入っていますが、この「祖先」は、この歌劇場で1906年2月24日に初演されているのです。今回はコンサート形式で上演され、それに続いて録音が行われていますが、もちろんオペラですので合唱団も必要です。それを、山田和樹が音楽監督を務めている、日本のプロの合唱団である「東京混声合唱団」が歌っているのですよ。このコンサートとレコーディングのために、わざわざモナコまで行ったのでしょうね。「デジャニール」では、モナコ歌劇場の合唱団が歌っていたのですが、何か理由があったのでしょうか。 いずれにしても、これは、オペラのセッション録音としては、世界で初めてのものなのだそうです。 オペラは3幕から出来ていて、台本はルシアン・オジェ・ド・ラシュ。演奏時間はトータルで1時間半ほどですから、オペラとしては短め、30年前に作られた「サムソンとデリラ」のような、派手なバレエなども入らない、ほとんどヴェリズモのような深刻な内容のオペラです。 舞台は、田園風景が広がるコルシカ島、ファビアーニ家とピエトラ・ネーラ家という旧家同士が昔から対立しているという、まるで「ロメオとジュリエット」のような設定です。両家の娘と息子が愛し合っているというのも、同じ設定。その両家を仲良くさせようと働きかけるのが、隠者のラファエルですが、ファビアーニ家の老婆ヌンチャータは、断固それを拒みます。なんちゃって。彼女は、孫のレアンドリ、その妹ヴァニーナ、その義理の妹のマルガリータ、そして豚飼いのブルシカと住んでいます。 一方のピエトラ・ネーラ家は、ナポレオン軍の若き将校テバルドが率いています。そして、ヴァニーナとマルガリータは共に彼に思いを寄せていますが、テバルトはマルガリータがお気に入り。しかし、テバルトは、あろうことかヴァニーナの兄のレアンドリを殺してしまうのです。彼女は悲しみに暮れ、愛する男テバルドを殺さなければいけなくなります。 そして、テバルドとマルガリータの逢引の場で、ブルシカから渡されたライフル銃を持って、テバルドを撃とうとしますが、彼女はできません。ライフルを置いて、テバルドを守ろうとすると、そこに居合わせたヌンチャータが銃を拾い上げて、テバルトに向かって発射します。でも、撃たれたのはヴァニーナの方でした。 という、なんともやりきれないお話なのですが、そこに付けられたサン=サーンスの音楽は、とてもセンスの良さが光るものでした。時折登場する合唱が、オペラ専門の合唱団とは一味違う、ある意味クールで、落ち着いた合唱を提供していたのも、素敵でしたね。 ソリストたちも、それぞれに聴きごたえがありましたね。特に、ヴァニーナ役のガエレ・アルケスが、一応メゾとなっていますが、ほとんどアルトの底力のある声で、圧倒されました。ラファエル役のマイケル・アリボニーという人も、落ち着いた良い声でしたね。マダガスカルで生まれて、ロンドンで勉強したという方ですが、フランス語の発音がちょっと苦手のようでしたけど。 CD Artwork © Palazzetto Bru Zane |
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そして、1998年に、若干20歳で、ここで演奏しているディヴェルトメント交響楽団というオーケストラを創設します。そのメンバーはフランスのコンセルヴァトワールの学生や、様々なアンサンブルで活躍している演奏家の中から選抜された、70人ほどのプレーヤーです。彼らは、フランス各地で年間40回ほどのコンサートを行っています。 彼らのレパートリーは、バロック時代から現代までのクラシック音楽だけではなく、世界中の民族音楽や伝承音楽、さらにはポピュラー音楽までの幅広いジャンルをカバーしています。そして、そのような姿勢に共感した現代の作曲家たちに、新しい作品の委嘱も行っています。 彼女らは2023年には、このHARMONIA MUNDIレーベルからファースト・アルバムをリリースしました。今回のアルバムはそれに続くもので、2024年に開催されたパリ・オリンピックでの、世界中の人たちが一つになった感動的な体験に触発されて2024年の9月4日にパリのフィラルモニーで開催された、5つの大陸の伝統的な音楽の影響を受けた新しい作品から、有名なクラシック音楽までを集めた、アルバムタイトルの「新しい世界たち」というコンサートのライブ録音になっています。 まず、最初に、とても静かな弦楽器の不協和音の中から聴こえて来たのは、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」です。六花亭ではありません(それは「マルセイバターサンド)。そのメロディはフルートのソロで始まるのですが、それがとても品の良い、爽やかな音色と歌い方でした。この曲は、よく演奏されるのは行進曲風の勇壮な編曲ですが、ここでは、もっと優しい、それこそ全人類の平和を願うような雰囲気が漂っている素敵な編曲でした。このような使い方をされても、しっかりそのメッセージが伝わってくる曲だと、気づかされました。日本の、いわゆる「国歌」では、たとえそれがリトグリのア・カペラで歌われたとしても、決してこのような雰囲気を出すことはできず、その醜さだけが聴こえてくることでしょう。 その後には、もっと華やかな、ビゼーの「アルルの女」の「ファランドール」などが演奏されて、会場はいやがうえにも盛り上がってくるようです。 そして、何曲か続いた後に出てきたのが、作曲家の名前が付けれられていない、いわゆる「伝承曲」です。まずは、おそらくアフリカあたりの音楽で、ここではこのオーケストラに併設されている「ディヴェルティメント合唱団」の合唱が加わります。かなりの大人数のようですが、それぞれに本当にこの、まるで「ライオン・キング」のような音楽を楽しんでいるようでした。 オーケストラのノリの良さは、例えばアメリカ代表の、コープランドの有名な「ホー・ダンス」でも表れています。この曲を聴くときには、いつも、その「西部劇」っぽい音楽に、なにか無理をして作っているな、というような気持になるのですが、ここではそれが全く感じられない、いかにもアメリカ音楽らしいノリが感じられました。 日本人の作品も取り上げられています。久石譲の「World Dreams」は、まさに「歌謡曲」みたいな音楽ですね。ここでも、ホルストの「惑星」みたいなテーマが聴こえてきました。 もう一人は外山雄三。「幽玄」というバレエ曲の中の2曲ですが、前半にフルート・ソロ、後半に打楽器の応酬というのは、あの「ラプソディ」と同じパターンですね。 ライブ録音のはずなのに、曲が終わっての拍手が全く聴こえてこなかったのが、不思議です。 Album Artwork © harmonia mundi musique s.a.s. |
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そんなユーグさんはアマチュアの作曲家、そして、フルーティストでした。なんでも、その作品の中には、フルートのための曲だけではなく、宗教曲まであるというのですから、かなり本格的に作曲にも取り組んでいたのでしょうね。 フルートは、19世紀後半のロマンティックな時代には、それまでのシンプルな楽器から、多くのキーを備えて、すべての半音をきちんと出せるようになった楽器が発明されます。 そのような時代では、そんな「新しい」楽器の性能をいかんなくデモンストレーションできるような、きわめて技巧的な作品が数多く作られました。有名なのは、あのドップラー兄弟でしょうね。そのほかにも、多くの作曲家が、まさに「フルートの黄金時代」を作っていたのでした。 そして、このユーグさんも、まさにそのような作曲家、そしてフルーティストの一人でした。基本的に、その作品の多くは、オペラの中のアリアなどをモティーフにした華麗な変奏曲や、様々な曲をつなげた「ポプリ」でした。そこでは、よく知られていたテーマを、いかに複雑に作り直して、観客に驚きと喜びを与えるかが問われたのでしょうね。 ただ、彼の場合は、そのような既存のテーマを使ったもののほかに、テーマそのものを自分で作った作品も数多く残していました。このアルバムでは、そのような曲、たとえば「フルート・ソナタ」といったようなタイトルを持つフルートとピアノのための作品が取り上げられています。 ここで演奏しているのは、フルートがパオロ・ダルモーロ、ピアノがマウリツィオ・フォルネーロです。それぞれ、その作品が作られた時代の楽器を使って演奏しています。フルートは1880年頃に作られた、8つのキーを持つクエノンの楽器、ピアノは、1890年に作られたプレイエルの楽器です。このようなヒストリカルな楽器による録音は、これが世界で初めてなのだそうです。 いずれの楽器も、会場の音響のせいでしょうか、残響がたっぷり乗っているので、どちらも現代の楽器とは全く別物のサウンドで聴こえてきます。ピアノの方は、その前身の「フォルテピアノ」のような、ちょっと刺激的な打鍵の音が聴こえます。さらに、そのフォルテピアノで使われていた、音をソフトにするストップも備わっているのでは、と思えるような音色の変化が、曲によって付けられています。 フルートの方は、楽器のせいなのか、あるいはフルーティストのせいなのかは分かりませんが、なんとも刺激的な音に聴こえました。特に、息の音がかなり鋭く聴こえますし、音域による音色も、まるで別の楽器のように変わっています。 ここでは、全部で7つの作品が演奏されています。その中でタイトルに「ソナタ」と付くものが、4曲あります。とは言っても、それらは単一楽章の曲で、いわゆる「ソナタ形式」で作られたものではなく、形式的には変奏曲に近いもののように聴こえます。ただ、最初のあたりに出てきたテーマが最後にも再現されるあたりが、「ソナタ」なのでしょうか。 いずれも、テーマはとてもキャッチーなものですから、すぐに引き込まれてしまいます。まさにイタリア人ならではの「歌心」が、この人にはしっかり備わっているようですね。そして、それに続く技巧的な部分では、とてつもなく細かく動き回る音符で、クラクラしそうになるほどです。 それは、おそらく、これらの曲が作られた時には、作曲したユーグも含めて、それらを完璧に吹きこなせるフルーティストがいたからなのでしょうが、あいにく、ここでのダルモーロはその域には達しておらず、そんな音符の波にうずもれてしまって、完全に正気を失っているように思えます。「もっときちんとさらってよ」と言いたくなるような演奏でしたね。 CD Artwork © Tactus s.a.s. di Gian Enzo Rossi & C. |
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ですから、登場する作曲家も、なかなかコアなものがあります。これまでのラインナップは、ベートーヴェン、ヴァレーズ、ドイッチュ、プロコフィエフ、リヒャルト・シュトラウス、シュタウト、シューベルト、クシェネク、シュニトケ、ウォーカー、ベルク、チャイコフスキー、バルトーク、ブルックナー、ベルリオーズ、イーストマンなどですからね。しかも、ベートーヴェンは交響曲ではなく弦楽四重奏曲ですし。 ですから、ベートーヴェンの交響曲やブラームス、シューマン、メンデルスゾーン、そしてマーラーの作品が全くないのですよ。 ということで、今回のモーツァルトも、初登場となっています。ピアノにギャリック・オールソンを迎えてのピアノ協奏曲第27番(録音は2024年3月)と、交響曲第29番(録音は2023年10月)というカップリングです。指揮者は当然、音楽監督のウェルザー=メストですよね。 この2曲、クリーヴランド管弦楽団が初めて演奏したのは、ピアノ協奏曲はロベール・カサドシュのソロで1948年4月、交響曲は1956年11月でした。いずれも、当時の音楽監督ジョージ・セルの指揮です。 セルの時代からもはや70年以上経って、音楽の様式や趣味も変わってきましたが、今回のアルバムを聴くと、なにか、そんな時代のなつかしさがよみがえってくるような気がしました。このオーケストラは、しっかり「伝統」を守っていたのだな、と、しみじみ思ってしまいます。 モーツァルトが作った最後のピアノ協奏曲は、彼が亡くなる年、1791年に作られました。そして、その初演の時にはモーツァルト自身がソロを弾いたのですが、それが、彼が聴衆の前で演奏した最後の機会だったのだそうです。その演奏会の時には、ソプラノのソロの曲も演奏されていたのですが、それを歌ったのが、かつてのモーツァルトの恋人で、結局振られてしまったアロイジア・ウェーバー、つまり、彼の奥さん、コンスタンツェのお姉さんでした。その頃は、モーツァルトの肖像画で有名なヨーゼフ・ランゲの奥さんでしたね。 そのコンサートは、宮廷料理人のお屋敷で開催されたのですから、ピアノ協奏曲でのオーケストラは、それほどのプルトはなかったでしょうね。ですから、最近ではそれぐらいのサイズでの演奏も行われていますが、今回はなんたってクリーヴランド交響楽団ですから、おそらく10型ぐらいのサイズで演奏していたのではないでしょうか。 それはもう、オープニングからゴージャスな響きが聴こえてきました。テンポも少し落として、重厚さを演出しているようでした。そこに入って来たギャリック・オールソンのピアノは、そんなオーケストラをたしなめるかのような、とてもシンプルなピアノを演奏していましたね。香辛料は控えめに(それは「ガーリック」)。なんたって、1970年のショパン・コンクールで、内田光子を破って1位になった人ですから、さぞや華麗な技を披露してくれるのでは、という予想に反して、まるでピアノを習い始めた子供のような、1つ1つの音符を慈しみながら弾いているのには、ちょっと驚きました。 そんなピアノのフレーズを、オーケストラの中のフルートが受け止める、というような場面が何度かあるのですが、そのフルートは全力で吹いているように聴こえました。そんなに力む必要はないのにな、と思いましたね。 それが、第1楽章のカデンツァになると、やはりすごいな、と思えるような確かなテクニックを見せてくれましたね。 交響曲の方は、まだ若い頃の作品ですから、また別の面が見えて来るようでした。とは言っても、やはり重苦しいところは残っていて、ちょっと居住まいを正さないといけないような圧迫感はありました。モーツァルトはもっと楽しい方が好きです。 Album Artwork © The Cleveland Orchestra and Musical Arts Association |
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演奏しているのは、ピエタリ・インキネン指揮の、「ドイツ放送フィル」のメンバーです。モーツァルトの「グラン・パルティータ」ですから、12人の管楽器(オーボエ、クラリネット、バセット・ホルン、ファゴットが2人ずつ、ホルンが4人)とコントラバスが1人という編成のはずです。 でも、インキネンはともかく(陰気な人ではありません)、「ドイツ放送フィル」、ドイツ語では「Deutsche Radio Philharmonie」という名前のオーケストラは、あまり聞いたことがありませんね。このレーベルはSWRという放送局のレーベル(実態は、NAXOSの傘下)なので、その「南西ドイツ放送局」専属のオーケストラなのでしょうか。でも、そこでは別の「南西ドイツ放送交響楽団(SWR Sinfonieorchester)」というのがありますけどね。 それに関しての説明は、なかなか複雑なので、かなり混乱するのではないでしょうか。そもそも、かつてのSWRには、オーケストラが3つ存在していました。それは、「SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg(バーデン・バーデン&フライブルクSWR交響楽団)」、「Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR(シュトゥットガルト放送交響楽団)」、そして「SWR Rundfunkorchester Kaiserslautern(SWR放送管弦楽団)」という、SWR管内のそれぞれ別々の場所に本拠地を持つオーケストラです。 そのうちの、SWR放送管弦楽団と、お隣のザールラント放送局(SR)管内にあった「ザールブリュッケン放送交響楽団」(Rundfunk-Sinfonieorchester Saarbrücken)という、首席客演指揮者のスクロヴァチェフスキの指揮でARTE NOVAというバジェット・レーベル(今はもうありません)に録音したブルックナー全集が大ヒットしたオーケストラが2007年に合併して、新しいオーケストラが出来ました。それがこの「ドイツ放送フィル」なのです。フルネームは「Deutsche Radio Philharmonie Saarbrücken Kaiserslautern」。なんでも、SWRとBRが共同で管理しているのだそうです。 さらに、2012年には、SWRの中の残りのバーデン・バーデンとシュトゥットガルトの2つのオーケストラが放送局の財政上の理由で合併してしまい「南西ドイツ放送交響楽団(SWR Sinfonieorchester)」と名前を変えています。この時点で、4つあったオーケストラが2つになってしまったのですね。このオーケストラの首席指揮者には、今年からこれまでのテオドール・クレンツィスに代わって、あのセクハラおやじのフランソワ=グザヴィエ・ロトにが就任しています。 「ドイツ放送フィル」に話を戻します。ここで演奏しているかどうかは分かりませんが、クラリネットとファゴットには日本人のメンバーもいるようですね。そのあたりは、ブックレットが付いていないので、分かりません。 ただ、1曲目が始まった時には、なにか、全員が同じところに向かって進んでいるな、という感じを受けました。この曲は、ギリギリ指揮者がいなくても演奏できるサイズなので、あえて指揮者を立てずに合奏を楽しんでいる、という機会も多いのでしょうが、やはり指揮者がきちんと全員の意志をまとめていると、このような演奏になるのだ、と感じましたね。 もちろん、指揮者はあくまで方向性を示すだけで、実際の演奏はプレーヤーのやりたいようにやらせている、というようなところもたくさん見られましたから、最終的にはとてもまとまっていて、時には重厚さも聴こえる中で、ある部分ではきちんとそれぞれの個性が生かされて、自主的な閃きを感じられるとこともあったのではないでしょうか。 フィナーレなどでは、そんな個性がストレートに発揮されていました。始まった時から全員がやる気満々で、とても楽しみながら演奏しているのが手に取るように分かります。時には、即興的な装飾まで付けていましたね。 それと、ここにきて、コントラバスがとてもパワフルに聴こえてくるようになりました。もしかしたら2人ぐらいで演奏していたのでは、と思ってしまうほどの、ものすごいベースでしたよ。 Album Artwork © Naxos Deutschland Musik & Video Vertriebs-GmbH |
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おとといのおやぢに会える、か。
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