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リムスキー=バルサミコス。
演奏しているのは、ルーカス・ゲニューシャスとアンナ・ゲニューシェネという夫婦によるデュオ・チームです。いずれもロシアで生まれていますが、現在はリトアニアを本拠地として活躍しているのだそうです。それぞれに、ショパン・コンクール、チャイコフスキー・コンクール、ヴァン・クライバーン・コンクールなど、世界的なピアノのコンクールで上位入賞をしているという、素晴らしい経歴の持ち主たちです。 まず、彼らが録音会場に選んだのが、旧東ベルリンにある「フンクハウス」だというのに注目です。ここで録音されたアルバムをたくさん聴いていますが、それらは間違いなくとても素晴らしい音に仕上がっていましたからね。特に、ピアノに関しては、楽器の性能を余るところなく引き出してくれる場所のような気がします。 そして、そこで使われていたのが、普通のスタインウェイではなく、「ベヒシュタイン」というピアノなのです。ほとんど聴いたことのない楽器なので、その音色を味わうのも楽しみです。 まずは、ガーシュウィンの「キューバ序曲」、もちろんオーケストラのための作品ですが、それを2台ピアノで演奏していると、この曲の特徴的なキューバのリズムが、とても軽やかに感じられます。なにしろ、この二人の息はぴったり合っているので、そのウキウキするようなグルーヴはとことん楽しめます。 その後に続くのが、ストラヴィンスキーの「ダンバートン・オークス」です。これも編曲ものですが、この時代のストラヴィンスキーの、ちょっと斜に構えたスタンスがより際立って聴こえます。 そして、コープランドの「エル・サロン・メヒコ」という、やはり軽やかなリズムが特徴的な曲では、そのリズミカルな部分も存分に楽しめるうえに、中間部のとても繊細な音楽も、この二人の神経の行き届いた演奏で際立ってきます。 そして、なんと言っても「不屈の民」が突出して有名なジェフスキの「ウィンスボロ綿工場のブルース」です。これはピアノ・ソロのための曲ですが、ここでは作曲家によって台ピアノのために編曲されたバージョンが演奏されています。なんと言っても、この作曲家ならではの厚ぼったい響きが、2人で演奏されることでさらにとてつもないヴォリュームになって迫ってくるのは圧巻です。そして彼らは、それをさらに厚ぼったいタッチで演奏していますから、もう信じられないほどの音圧には、押しつぶされそうになります。 それに続いて、なんとも脱力感のある「ブルース」が披露されるのですから、たまりません。それまでの疲労も、すっかりなくなって、ダラダラと楽しめます。 その次は、コリン・マクフィーという全く知らない名前、1900年に生まれたカナダ人なのだそうですが、彼はバリ島の音楽を研究していたそうなのです。少し前にはかなり流行した「ガムラン」とか「ケチャ」というやつですね。オムレツにかけます(それは「ケチャップ」)。ここでは「バリ島の儀式音楽」というのが3曲演奏されています。その時のピアノの音色が、なにか独特のものに変わりました。もしかしたら、プリペアを行ったのではないか、と思えるほどの変化でしたが、どうなのでしょう。 いずれにしても、この音楽には魅せられます。あのスティーヴ・ライヒもこれに触発されて、あの「ミニマル・ミュージック」を始めたのですからね。 そのライヒの進化形のようなスタンスのジョン・アダムズが、最後に登場です。「ハレルヤ・ジャンクション」という3つの部分から成る曲ですが、様々なモティーフの断片を、ピアニストたちはしっかり音色を変えて登場させていますから、退屈とは無縁です。 CD Artwork © ALPHA CLASSICS / OUTHERE MUSIC |
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そんなショハキモフの現在のポストは、フランスのストラスブール・フィルの音楽監督です。それは、2021年に就任したのですが、それ以前、2014年にこのオーケストラにマーラーとショスタコーヴィチのプログラムで客演した時に、その演奏が非常に好評だったので、それがこの契約となったのでしょう。しかも、それは最初は3年間というものだったのですが、後にさらに2年間延長されています。 このオーケストラは、ストラスブールにあるラン国立オペラで、ミュルーズ国立管弦楽団と持ち回りでピットに入っています。「ラン」というのはキャンディーズではなく(それは「ランちゃん」)、この市内を流れるライン川のフランス語読みですね。ですから、今回の「ダフニスとクロエ」全曲の演奏にあたって必要な合唱は、このオペラハウスの合唱団が務めています。同じ「ライン」でも、ショハキモフの前任地のデュッセルドルフの歌劇場とは、なんの関係もありません。ややこしいですね。 そう、この曲は、3つの部分の最後だけを演奏する「第2組曲」が、なんと言っても演奏頻度が高くなっていて、本来ならそこにも合唱が入っているのですが、普通のオーケストラのコンサートではこの部分は合唱があるに越したことはない、という程度の出番しかないので、多くの場合は合唱なしで演奏されているようなのですが、全曲を演奏する時には、これを外すことは絶対に出来ないのですよ。なんたって、第1部と第2部の間には、合唱だけで演奏されるかなり長い部分がありますからね。一応、ここはスコアの最後に「おまけ」として、合唱の代わりに管楽器で演奏するバージョンの楽譜も入っていますが、今ではそんなことをしたら笑われてしまいます。 このアルバムでは、その「ラン国立歌劇場合唱団」というのが、とても素晴らしいのですよ。それは、これまでに何度も聴いてきた合唱とは、根本的に違っていました。これまでの合唱では、確かにきれいな合唱が聴こえては来るのですが、その合唱自体の存在感が殆どないのですよ。ですから、まあ、ラヴェルだしフランス音楽ですから、そもそもそのようなふわふわしたものなのだろうなあ、と思っていたのです。 ところが、今回は、最初に出てくるところからすでに、その存在感というか、意志の力というようなものがビシビシ感じられたのです。 ですから、先ほどの長大なア・カペラの部分なども、全てのフレーズに命が宿っている、という、信じがたいほどの合唱になっていましたね。まず、おそらく人数がかなり多くなっているのではないか、という感じがします。それと、この合唱団がオペラハウスの専属ですから、普通に歌っても「劇的」な表現が出てきているのかもしれませんね。 でも、この曲は、本来はきちんとした物語のバックを務める役目を持つバレエ音楽なのですから、本当はそのような表現は必要だったはずです。確かに、これを聴いていると、自然に何か情景のようなものが眼前に広がってくるような錯覚に陥ってしまうことが頻繁にありましたね。 それは、オーケストラ全く同じ方向で音楽を作っているようにも感じられました。それは、やはりオペラの経験がある指揮者の的確な指示のせいなのでしょう。 ただ、名前までクレジットされているソロ・フルートが、ちょっと冴えなかったのが、残念です。ピッコロやアルトフルートは素晴らしかったのに。 CD Artwork © Parlophone Records Limited |
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その間に、彼らの所属レーベルも、SIGNUMからDECCAに変わりましたし、さらに彼ら自身のレーベルVCMまで立ち上げて、他のアーティストのプロデュースなどでも幅広く活動しているようですね。 もちろん、その間に、メンバーも変わって行ったことでしょう。SIGNUM時代の初期のアルバムと今回のメンバーを比較してみると、同じ人はソプラノのアンドレア・ヘインズと、カウンターテナーのバーナビー・スミスの2人だけでした。ソリストとしても活躍しているスミスの方は、いつの間にか「芸術監督」という肩書がついていましたね。 メンバーは、名前の通り8人、ソプラノ、アルト、テナー、ベースがそれぞれ2人ずつというダブルカルテットなのですが、今回はソプラノのパートだけ3人の名前がクレジットされています。そのうちの、ヘインズ以外の2人はそれぞれ別の曲を歌っているので、このアルバムが録音されていた2023年6月から2024年3月までの間にメンバーが交代していたのでしょうね。 そのような、頻繁なメンバーチェンジが行われていたせいでしょうか、彼らのライブ録音のCDを聴いた時には、それ以前に聴いたものからは考えられないような低次元の演奏だったので、とてもがっかりしたことがありました。でも、しばらくしてこちらを聴いたら、とても高水準で見違えるようだったので驚いたことがあります。ですから、メンバーの入れ替わりで、かなり演奏のクオリティが変わるというのが、このグループなのでしょう。 そんな感じなので、正直このアルバムを聴くにあたっては、ちょっと心配でしたが、どうやら今回は、演奏面に関してはとりあえず「あたり」のようでした。なんと言っても、ソプラノがきっちりノン・ビブラートで歌ってくれているので、ハーモニーが決して崩れないところが、聴いていて安心していられます。ベースなども安定感がありましたね。 ですから、コーラスとしての魅力には何の問題もないのですが、残念なことに録音があまり良くないのですね。ここでのエンジニアは合唱に関しては定評のあるデイヴィッド・ヒニットなのですが、皮肉にも録音会場の響きを計算できなかったのか、とても歪の多い音に仕上がっているのですよ。 そうなってくると、ここで演奏されている曲が、ほとんどは、まずはとても美しい響きを要求されるものなのでしょうが、そのあるべき魅力が半減してしまっています。というより、もしかしたら、これはエンジニアがこのようなサウンドが、これらの、言ってみれば「ヒーリング・ピース」にはふさわしい音だと、勘違いしてしまった結果なのかもしれない、などという邪推まで湧いてきます。 そうなってくると、ここでは、名前を知らないような作曲家たちの、ほとんど毒にも薬にもならないような曲が並んでいるのではないか、という気持ちになってきました。ですから、そんな中では、例えばマックス・レーガーとかフーゴー・アルヴェーンといった「シリアス」な作曲家の曲は、なにか肩身の狭い思いをしているような気がしてしまいます。 そんな、「使い捨て」の音楽をもっぱら作っているマックス・リヒターの名前を見た時に、そのことに気づくべきでした。日本発の「ゼルダの子守唄」などは、笑うしかありません。 とは言っても、確かに手ごたえが感じられる曲がなかったわけではありません。アルバムの最初と最後に歌われているチョン・ジェイルという人の詩編をテキストにした作品などは、間違いなくすぐれた情感を与えてくれましたし、フランク・ティケリという人の「There Will Be Rest」でも、伝わってくるものが感じられました。あとはルドヴィコ・エイナウディという人が作った、合唱以外に弦楽器やハープが入っている「Experience」という曲は、4つの音をモティーフにしたパッサカリア風の楽しいものでした。 CD Artwork © Universal Music Operations Limited, A Decca Classics Release |
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それとほぼ同じころにドイツで作られた、同じようなコンセプトの電子楽器が、こちらはフリードリヒ・トラウトヴァインという人が発明した「トラウトニウム」です。それについては、以前こちらでご紹介していました。 そこで使われていたのは、トラウトニウムの進化形の「ミクストゥーアトラウトニウム」という、鍵盤に相当するものが2つ付いていて、同時に2つの声部を演奏できるだけでなく、倍音を加えてハーモニーも演奏できるという優れものでした。 そこで演奏していた、この楽器の唯一のプレーヤー、ペーター・ピヒラーが、今回新しいアルバムを作りました。前作はPALADINOレーベルだったのですが、今回はNEOSレーベルに変わっていましたね。NMLにはPALADINOは参加していないので、これがこのサブスクでのトラウトニウムの初登場ということになります。 前作では、この楽器のために多くの曲を作ったハラルド・ゲンツマーの作品が取り上げられていましたが、今回は、その楽器とソプラノ歌手が共演しているものがあります。さらに、今回は、ゲンツマーの曲とともに、彼の師であるヒンデミットと、そのヒンデミットともにこの楽器を愛したパウル・デッサウ、そしてピヒラー自身の作品も演奏されています。 まずは、アルバムタイトルがちょっと気になりました。「彼とともに『無』の中へ」という意味でしょうか。さらにサブタイトルには「ミクストゥーアトラウトニウムと声のための独裁者に対する音楽」とあります。これは、おそらくデッサウの「ルクルスの審問」のことを指しているのでしょう。その曲は、かなりアヴァン・ギャルドなテイストを持っていました。この楽器のハーモニー機能もフルに使って、なんともおどろおどろしい音楽が聴こえます。そこでのソプラノ歌手は、ほとんどメロディのない「シュプレッヒゲザンク」を「語って」います。最後の曲などは、彼女と一緒に、おそらくピヒラー自身も歌手として参加して、不気味なコーラスを披露しています。 その前に演奏されている、ゲンツマーの「ソプラノと電子音のためのカンタータ」では、最初からソプラノをダビングさせて、2声部、あるいは3声部のコーラスまで聴こえてきます。これなどは、結構キャッチーなメロディも登場しますね。 そして、最後には、ピヒラー自身の作品が演奏されています。それは、「7つ大罪」という、あのクルト・ヴァイルのオペラに触発されて作られた7つの曲と、もうあと7つ、こちらは「7つの美徳」という、ちょっとパロディっぽい曲がセットになったものです。ここでも、ピヒラーはトラウトニウムだけではなく、声を変調させたものとか、オルガンの音などを加えて、不思議な世界を出現させています。「大罪」はかなり過激ですが、「美徳」はダンサブル。この2曲の間には、かなりの段差があります。 このアルバムのブックレットには、興味深い写真が満載でした。まずはこれ、 ![]() それともう1枚、ピヒラーのスタジオの写真ですが、 ![]() ![]() ![]() CD Artwork © NEOS Music GmbH |
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それが開催されたのは2024年の8月22日と24日。その時は、お客さんを入れてのコンサートでしたが、その前と後の20日と25日にも、同じ場所でお客さんを入れないで録音が行われています。最初のセッションはゲネラル・プローベ、そして最後のセッションは、「念のため」のものだったのでしょう。その4回の録音を編集して、このアルバムは作られています。 指揮をしているのは、この時がこのオペラハウスの音楽監督としての初めてのコンサートとなるエドワード・ガードナーです。彼は、現在は2021年にユロフスキの後任として就任したロンドン・フィルの首席指揮者のポストにもあります。彼の録音は、合唱の入った大規模な作品をよく聴いていましたが、それぞれに素晴らしいものが多かったので、ここでも期待は高まります。 その期待は、序曲を聴いた時に現実のものとなりました。まずは、録音がとびきり素晴らしいので、このオペラハウスのオーケストラの渋めの音色なのになにか華やかさもあるというサウンドが、きっちりと伝わってきます。そしてガードナーは、そんなオーケストラをごく自然にドライブして、とても爽やかがグルーヴを持たせています。言い換えれば、「現代的」なサウンドでしょうか。 その後に出てきた男声合唱も、とてもキャラの立った存在感満載の合唱でした。まさに北欧のヴァイキングのような荒々しささえも聴こえる中で、ハーモニーは完璧というありえないようなことを実現させているのですからね。 それは、「第2幕」の部分での女声合唱でも同じような印象を与えてくれました。こちらも、都会的な洗練さなどは全くない漁村のおばちゃんという風情なのに、音楽的には完璧、という不思議な魅力です。 ただ、このオペラの主人公であるオランダ人役のジェラルド・フィンリーには、ちょっとした失望感が残ります。確かに、この役にはふさわしい厳かさには満ちた声ではあるのですが、モノローグでの音程があまりにもアバウトなのですよ。ワーグナーがここで求めたとても繊細な音程によるメロディは、完璧なピッチで歌わない限り、その深い味は決して出ることはありません。 そのような歌い方が許されるのは、ノーテンキなキャラのダーラントだけです。その意味で、ここでのブリンドリー・シェラットは、完璧でした。 そして、セールス的な主人公のダヴィドセンは、その役のゼンタを超えた、まさにダヴィドセンそのものとして君臨していました。先ほどのシェラットなどは、明らかにガードナーの速めのテンポに乗り遅れていましたが、彼女は「バラード」では堂々たる彼女自身のテンポで歌いきっていましたからね。何よりも、その声は別格です。 エリック役のスタニスラス・ド・バルベイラクは、とても芯のある声で聴きごたえがありました。ただ、「ヘルデン」としては、ちょっと甘すぎるような気はします。 同じくテノールのロール、かじ取り役のアイリーク・グリュートヴェットは、このオペラハウスの専属テノール。澄み切った声が魅力的ですね。サラッとしたアイスクリームみたい。 そして、マリー役のアンナ・キスユディットも、将来が楽しみな素晴らしいアルトでした。 「第3幕」の部分での水夫の合唱などは、あまりにテンポが速すぎるのでちょっと驚きますが、それはこのオペラ全体でガードナーが設定したものなのでしょう。それが、幕間を入れず一気に最後まで続けて演奏されますから、まるで、ちょっと長めの交響曲を聴いているような気がしましたね。 CD Artwork © Universal Music Operations Limited. A Decca Classics Release. |
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おとといのおやぢに会える、か。
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