寄生虫は帰省中。

(25/2/20-25/3/10)

Blog Version

3月10日

MOZART
Die Zauberflöte
Manuel Walser(Papageno)
Angelo Pollak(Tamino)
Ruth Williams(Pamina)
Pauline Texier(Königin der Nacht)
Bastian Kohl(Sarastro)
Solveig Bergersen(Papagena)
Olivier Trommenschlager(Monostatos)
Martin Wåhlberg/
Vox Nidrosiensis
Orkester Nord
APARTE/AP367


モーツァルトの「魔笛」の最新録音ですが、この録音の特徴は、可能な限り初演の時の状況と同じものに迫った、ということのようです。オーケストラは、ノルウェー生まれの指揮者、マルティン・ヴォールバイによって2009年に創設され、かつては「トロンハイム・バロッキ」と呼ばれていたピリオド・アンサンブル「オルケスター・ノーイ」です。
もちろん、ピリオド楽器による「魔笛」などは、これまでにもたくさんありましたが、それらは編成的には弦楽器の人数などはちょっと少なめ、ぐらいの感じでしたね。でも、ここでは、「魔笛」の台本を書き、初演も行ったシカネーダーが率いる一座のオーケストラは、もっと少ない人数だったはず、という主張が込められていて、ヴァイオリンはファーストが3人とセカンドが3人、他の弦楽器は2人ずつという、かなりの少なさになっています(しかたねーなー)。ただ、管楽器はちゃんとパートの数だけ揃っていますし、トロンボーンのパートには、その前身である「サックバット」がきちんと3本用いられています。
さらに、これは、例えばクレンツィスなども行っていましたが、通奏低音としてフォルテピアノが入っています。その上、なんとギターまでも。もちろん、パパゲーノの歌のバックに流れるのはチェレスタではなくキーボード・グロッケンシュピール、通称「パパゲーノ・ベルズ」です。
これは、こちらでご紹介したロビン・ジェニングスによる復元モデルです。これを、ピアニストが演奏していたのでしょうね。
ところが、ヴォックス・ニドロシエンシスという名前の混声合唱団は、1パート2人ずつで8人しかいません。
キャストに関しては、知らない人ばかりでした。その中で、ヴォールバイたちがこだわったのが、パミーナ役の人選です。初演の時にこのロールを歌ったのは、当時17歳だったアンナ・ゴットリープでした。彼女は、12歳の時に、同じモーツァルトの「フィガロの結婚」の初演で庭師の娘バルバリーナを歌っていましたが、その後、シカネーダー一座の歌手として活躍していたのですね。ですから、今回は、オーディションの上で選ばれたルース・ウィリアムズという、やはり17歳の人が抜擢されています。写真を見ると、そばかすだらけの、まさに「少女」ですね。
それだけ期待されていた彼女なのですが、その歌を聴いてみるとそれはもう完全なシロートとしか思えないような拙さでした。以前、こちらで、やはりパミーナ役は歌手ではなく俳優が歌っていたものを聴いてがっかりしたことがありますが、それと全く同じことが、ここでは起きていたのですよ。これは、なにかのジョークだったのでしょうか。
他の歌手たちは、ちょっと危なげな人もいないではありませんが、まずは商品としてのアルバムで歌うという最低のラインはクリアしている人ばかりです。パパゲーノ役の人などは、それこそシカネーダーがやっていただろうという想定の下に、「Ein Mädchen oder Weibchen」のナンバーでは、コーラスごとに派手に装飾を加えて歌っていましたからね。
そして、3人の童子を歌っていたのがテルツ少年合唱団のメンバーですが、これが上手なんですよね。フィナーレのアンサンブルでは、もう完全にパミーナを食ってしまっていましたね。
あと、ひどかったのが、合唱です。いくらなんでもオーケストラ相手に8人ではどうにもなりません。第2幕の後半にある「O Isis und Osiris」は男声だけですからたったの4人、この曲にはトロンボーン(サックバット)が入りますから、その音に隠れて全然聴こえてきませんよ。
ですから、エンディングでは合唱で盛り上がるところが、もうなんというしょぼさ、聴いていて力が抜けてしまいます。
そもそも、序曲の段階で、弦楽器の少なさは致命的でした。コーダの入りは聴こえないし、トロンボーンが入ってくると、全くバランスが狂ってしまって、とんでもないことになっていましたからね。この指揮者は、なんという勘違いをしていたのでしょう。
おまけに、サブスクでは夜の女王のアリアが途中で消えていますし(これは先方に報告済み)。

CD Artwork © Aparté, a label of Little Tribeca


3月8日

SHEEHAN
Ukrainian War Requiem
Yuliia Zasimova(Sop)
John Tessier(Ten)
Michael Zaugg/
Axios Men's Ensemble
the tenors and basses of Pro Coro Canada
CAPPELLA/CR-432(hybrid SACD)


今回のアルバムは「カペラ」という、全く聴いたことのないレーベルからリリースされたものです(はてな?)。このレーベルは、アメリカのポートランドで1991年に設立された声楽アンサンブル「カペラ・ロマーナ」が運営していて、主にこのアンサンブルの録音をリリースしているのだそうです。その最初のアルバムは1999年にリリースされ、これまでに30枚以上のアルバムが送り出されています。
興味深いことに、このレーベルのサイトを見てみると、2019年8月にリリースされたアルバムまでは普通のCDのフォーマットだったのですが、同じ年の10月と11月にリリースされたものは、なんとCDとBD-Aの2枚が収納されたパッケージに代わっていたのです。
BD-A(ブルーレイ・オーディオ)というフォーマットは、現在製品化されている音楽パッケージの中では最も解像度の高いフォーマットを採用しているだけではなく、サラウンド再生も可能なもので、一時はメジャー・レーベルでも採用していて、多くのアルバムが市場に出ていたのですが、この頃には、ノルウェーの「2L」レーベル以外はほぼ完全にこの媒体からは撤退していました。ですから、そんな中でこのフォーマットをあえて取り上げていたのは、驚きでした。
ところが、その後、2021年の4月にリリースされた次のアルバムからは、今度はハイブリッドSACDに代わっていたのですよ。ですから、今回も、そのフォーマットで、サラウンド再生が可能になっています。これも、かなりの驚き。もはや、SACDだけでなく、CDでさえも販売数は下降の一途をたどっていて、もはや音楽パッケージはインターネットで聴く時代となり、サラウンドも「ドルビー・アトモス」で聴けるようになっているというのに、いまさらハイブリッドSACDというのですからね。
そんな、確固たる信念を持つレーベルだからこそ出来たのでしょう、この最新アルバムは「ウクライナ戦争レクイエム」というタイトルで、真っ向から、このロシアの政権による許しがたい暴挙に対する抗議のメッセージが込められた音楽を提供するものでした。それは、この暴挙が始まってからきっちり丸3年となる今年の2月にリリースされていたのですからね。
曲を作ったのは、アメリカ人の作曲家、ベネディクト・シーハンです。彼は、これまでに何度かグラミー賞にもノミネートされているという、売れっ子の作曲家で、おもに合唱曲を作っているようですね。そして彼のもとに、カナダのエドモントンで活躍しているアクシオス・メンズ・アンサンブルという男声合唱団から、ウクライナの 自由のための闘争で亡くなった人々を称える新しい曲の委嘱がありました。この合唱団のメンバーは、ほとんどがウクライナ人だったのですね。彼らがこの作曲家に求めたのは、宗教を超えて平和のメッセージを伝えることができる、彼のスキルだったのでしょう。
それに応えて完成されたのが、この12の部分から成り1時間を超える演奏時間の「レクイエム」です。それは、純粋にメッセージを伝える手段として最適な、ア・カペラの男声合唱に、ウクライナ人のソプラノ・ソロが加わるという編成で出来ています。そこでは、ウクライナ語、英語、ラテン語の3つの言語が使われ、ウクライナの聖歌、グレゴリオ聖歌、ウクライナのユダヤ人の賛美歌、そして一連の 独自のメロディなど、さまざまな音楽的な要素が組み合わされています。さらに、それぞれの部分をつなぐ要素として、ウクライナの国歌も挿入されます。それは、このようなメロディです。長調で始まったものが短調で終わるという、なにか暗示的なメロディですね。
何より印象的なのは、男声合唱団の重みのあるハーモニーです。この澄み切った響きは、とてつもない力となって迫ってきます。そして、最後の第12曲「In Paradisum」には、このテキストのグレゴリオ聖歌のメロディ(それは、デュリュフレの「レクイエム」で使われています)で歌われた後、先ほどの国歌が登場するという感動的なシーンが待っています。
最近では、守銭奴トランプの横槍で、この暴挙の本質が見失われかけている中で、この音楽は圧倒的な力で確かなメッセージを送ってくれるはずです。

SACD Artwork © Cappella Records, a division of Cappella Romana, Inc.


3月6日

WEILL
Die Sieben Todsünden
Magdalena Koženà(MS)
Andrew Staples, Alessandro Fisher(Ten)
Florian Boesch, Ross Ramgobin(Bar)
Simon Rattle/
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO0880(hybrid SACD)


こちらでマルヴィッツの指揮で聴いていた、クルト・ヴァイルのバレエ音楽「7つの大罪」がメインとなっている新しいアルバムです。録音はこちらのラトル盤の方が先、2022年4月のコンサートのライブです。
それは、全部ヴァイルの作品で構成されたコンサートのようですね。ここでカップリングされているのは、「大罪」での男声ソリストたちによる声楽曲と、有名な「三文オペラ」が上演された直後に、そのナンバーを集めて作られた組曲、「Kleine Dreigroshenmusik(小さな三文音楽)」です。
「7つの大罪」は、1933年にヴァイルがナチスの手を逃れるために最初に滞在したパリで作られました。台本はヴァイルの盟友のベルトルト・ブレヒト。一応、バレエということで、ダンサーがパントマイムのようなことをやっているバックで、大都会に行ってお金持ちになろうという娘と、そのもう一人の人格、そして、その家族たちとの葛藤が歌われます。その娘は、ソプラノのソロで二役、家族は、男声だけの四重唱で父親、母親、兄弟の役を歌うという編成ですね。
そして、ここではその主人公である娘のアナを歌っているのがラトルの奥様であらせられるメゾ・ソプラノのマグダレーナ・コジェナーです。もちろん、初演の時にはヴァイルのパートナー、ロッテ・レーニャがこの役を歌っています。彼女は、ミュージカル畑の歌手で、俳優などもやっていましたから、先ほどのマルヴィッツ盤のカタリーネ・メーリンクように、レーニャ色の強い歌い方の人に馴染みがありました。ただ、でこれまでの録音でも、普通のオペラ歌手でこれに挑戦している人もいるようで、今回のコジェナーもその一人なのでしょう。ただ、やはりこれにはかなりの違和感を抱いてしまいました。なにしろ彼女は、もろ、オペラ歌手としての存在感を誇示していたのですからね。もう、ヴァイル、あるいはブレヒトの世界とはちょっと違うものを聴かされているな、という気がして仕方がありませんでした。その歌があまりに立派過ぎて、この作品に込められたアイロニーが、全く伝わってこないのですよ。はっきり言って、ミスキャストでしたね。
その後に、ドイツ時代の1927年に作られた「Vom Tod im Wald(森に死す)」という、やはりブレヒトのテキストによる「カンタータ」です。最初は、後に作られる「ベルリン・レクイエム」の中に加える構想があったようですが、それは実現されませんでした。これは、なじみ深い「ブレヒト・ソング」とは全く別の音楽で、シェーンベルクなどの「無調」の雰囲気が漂う中に、バリトンのソロ(フローリアン・ベッシュ)がほとんど抑揚のない「シュプレッヒ・ゲザンク」風の歌い方で物語を進めます。バックの楽器はクラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーンという管楽器のみで、幻想的な世界が広がります。ヴァイルの歌としては、かなり新鮮な印象があります。
その後は、アメリカ時代の作品が3曲続きます。最初の「 Lonely House(Street Scene, Act I)」は、イントロが、それこそロッテ・レーニャも出演していた「007」シリーズのオープニング・テーマとそっくりなのには驚きました。そこでの伸びやかなテノール(アンドルー・ステイプルス)は素敵でしたね。その後の、「ウォルト・ホイットマンの詩による4つの歌」の中からの2曲では、1曲目の「Beat! Beat! Drums!」という曲がバリトン(ロス・ランゴビン)によって元気よく、そして4曲目の「Dirge for Two Veterans(2人の退役軍人のための哀悼歌)」がテノール(ステイプルス)によってしっとりと歌われます。
そして、最後はドイツ時代に戻って、「小さな三文音楽」。これは、弦楽器が全く入っていない編成で演奏されています。内訳はサキソフォーンも加わった木管セクションと金管セクションと打楽器、そしてアコーディオンとギター(バンジョー持ち替え)、ピアノが入ります。「マック・ザ・ナイフ」を始めとする親しみやすい曲のオンパレードには、和みます。
こんなに編成の違う曲が一晩のコンサートで演奏されたのですから、ステマネは大変だったでしょうね。

SACD Artwork © London Symphony Orchestra


3月4日

DEBUSSY/
Prélude à l'après-midi d'un faune
Sonatas 'pour divers instruments', String Quartet
The Nash Ensemble
 Jonathan Stone, Stephanie Gonley, Benjamin Nabarro(Vn)
 Lawrence Power, Lars Anders Tomter(Va)
 Adrian Brendel(Vc), Graham Mitchell(Cb)
 Philippa Davies(Fl), Gareth Hulse(Ob), Richard Hosford(Cl)
 John McDougall(Fg), Richard Watkins(Hr)
 Alasdair Beatson, Simon Crawford-Phillips(Pf)
 Lucy Wakeford(Hp), Richard Benjafield(Perc)
HYPERION/CDA68463


イギリスの「ナッシュ・アンサンブル」という有名なアンサンブルは、1964年に創設されていたのだそうです。歯ごたえがありますね(それは「ナッツ・アンサンブル」)。つまり、昨年は、それから60年経ったという記念すべき年だったのですね。それで、彼らによるアルバムをたくさん作って来たHYPERIONレーベルから、こんな贅沢なアルバムが出ました。
それは、ドビュッシーの室内楽作品を集めたものでした。ここに参加したアーティストは全部で16人、そして、最も編成の大きなものは、「牧神の午後への前奏曲」という、あまりにも有名なオーケストラ曲を、12人のメンバーだけで演奏するように編曲したものです。その内訳は、弦楽五重奏、木管五重奏、そしてハープと打楽器(サンバル・アンティーク)です。これは、デヴッド・ワルターというフランス生まれのオーボエ奏者(彼は、1000曲以上の編曲を作っているそうです)の手になるもので、オリジナルのサウンドを、見事にこの小編成のアンサンブルで表現させています。おそらく、必要な楽器の音は、すべてここでは再現されているのでしょう。さらに、ホルンなどは、オリジナルでは気が付かないようなフレーズが与えられていることにも気づかされます。
ここでの主役は、フルートのフィリッパ・デイヴィスでしょう。彼女の音はとてもまろやかで、冒頭のソロから、まるで夢の中のようなふんわりした雰囲気を醸し出していましたね。
そして、彼女の演奏は、「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」でも聴くことが出来ます。これも、見事にアンサンブルに溶け込んだ演奏でした。この曲ではフルートの低音が頻繁に使われますが、それがありがちなパワフルな音ではなく、もっとほっこりするような響きですから、フルートだけが必要以上に目立つ、ということは決してありません。
この曲は、ドビュッシーが晩年に計画した、「様々な楽器による6つのソナタ」の中の2番目の曲にあたる、というのは、よく知られています。そして、このアルバムでも演奏されている、この前に作られた「チェロ・ソナタ(チェロとピアノ)」と、この後に作られる「ヴァイオリン・ソナタ(ヴァイオリンとピアノ)」の後に続くはずだった、残りの3つ、つまり、「オーボエ、ホルン、チェンバロのためのソナタ」、「トランペット、クラリネット、ファゴット、ピアノのためのソナタ」、そして、それらの楽器全部にコントラバスを加えた「フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット、トランペット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノ、チェンバロ、ハープのためのソナタ」は、ついに完成されることはありませんでした。ヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタでは、それぞれの楽器の特徴を生かしながらも、時には思いがけないサプライズを与える部分が与えられていましたから、特に最後のソナタなどはいったいどんなものになっていたのか、ぜひ聴いてみたかったですね。
そして、最後には、「牧神」と同じころに作られた「弦楽四重奏曲」が演奏されています。これも、魅力満載の曲ですが、第3楽章で弱音器を付けたファースト・ヴァイオリンが奏でる甘美なメロディには、なにかドビュッシーの飾らない本質を見る思いがして、震えあがります。
ところで、ブックレットのトラックリストには、曲名の最後に「L〇〇」という見慣れない番号が付けられていました。これは、フランソワ・ルシュールという人が作った作曲順の作品リストの番号なのだそうです。普通はまず見かけないものですが、これからは広まっていくのでしょうか。ただ、この番号は、1997年に発表されたのですが、その後2003年までに改訂が行われて、微妙に異なる番号に変わっています。その差異は、こちらで見ることが出来るのですが、そこでは、その違いを明確にするために、改訂前の番号は「L」、改定後の番号には「CD(Claude Debussy)」という文字が頭に付けられています。しかし、このブックレットでは、Lはじまりで改定後の番号なんですよね。そして、WIKIでは改訂前。混乱しますね。

CD Artwork © Hyperion Records Ltd


3月2日

笑顔の場所
望海 風斗
PONY CANYON/PCCA-06314


望海風斗(のぞみふうと)という名前のアーティストを知ったのは、ラジオからでした。絹ごしでしょうか(「とうふ」ではありません)。それはNHKFMで放送されている「望海風斗のサウンドイマジン」という番組です。毎週日曜日の夜にオンエアなのですが、その再放送を土曜日のお昼前に放送していて、たまたまその時間に車を運転していて、いつも聴いている民放FMがあまりにもつまらないのでNHKに変えたら、この番組が聴こえてきたのでした。なんか脱力感のあるパーソナリティのトークが気に入って、それ以来ずっと聴くようになってしまいました。
この方は、以前は宝塚歌劇団のトップをなさっていたのですね。そこを2021年に退団した後は、ミュージカルで大活躍をされているということでした。
ある時、その番組を途中から聴き始めたら、竹内まりやの「人生の扉」が聴こえてきました。いつも、他のアーティストの曲もかけていたのですが、殆どがミュージカル関係だったようなので、それはちょっと意外な選曲でした。ただ、最初のうちは、それは普通に聴き慣れたまりやだと思って聴いていました。同乗していた女性も、「これ、まりやでしょう?」と言ってましたからね。でも、聴き進んでいくと、なにか微妙に違っているように思われてきました。実を言うと、この曲はまりやの曲の中では大嫌いな歌でした。でも、ここで聴こえてきたトラックでは、そんな嫌いさの要因だったお仕着せがましい歌い方が全くなく、もっとあっさりした歌い方だったのですよ。
もしや、と思ってSHAZAMに聴かせてみたら、そこには「望海風斗『人生の扉』」と表示されたではありませんか。それは彼女自身が歌っていたのですね。どうやら、彼女は昨年の8月に、ファーストアルバムをリリースしていたようで、これはその中のトラックだったのですね。驚きました。
次の週には、同じアルバムから、今度は荒井由実の「翳りゆく部屋」をかけてくれていました。こちらも、イントロはオリジナル通りオルガンのソロで始まるというアレンジで、素直なカバーのようでしたが、ここではヴォーカルのクオリティがオリジナルとは全くの別物でした。というか、常々思っているのですが、この荒井(松任谷)由美という人は、こんな素晴らしい曲を作っていながら、その素晴らしさが完全に否定されてしまうような歌い方しか出来ないのですよ。この曲の場合、サビの頭「どんな運命が」の「が」の高音が、もう「ギャ」という感じでとても醜い声になっていますからね。今回、この「が」の本来の音を聴けて本当に幸せな気になれました。
どうやら、このアルバムには、こんなカバーがたくさん入っているようなのです。そうなってくると、俄然他の曲も聴きたくなってきて、ついにそのアルバムを買ってしまいました。
そこで、改めて、先ほどの「人生の扉」をじっくり聴き比べてみると、キーもテンポも全く一緒でしたね。ただ、バックのアレンジが結構変わっていました。オリジナルではセンチメンタル・シティ・ロマンスが演奏していて、彼らのちょっと田舎(カントリー)じみたセンスが前面に出ていましたね。スチール・ギターを多用していますし、ソロはなんとマンドリンですからね。でも、このカバーの方は、もっとロック・バラード風で、垢抜けています。
そしてヴォーカルは、なんたってオリジナルは自分自身の年齢を想定して歌っていますから、なんとも「重く」感じられてしまいますが、望海さんの場合はもっと先のこととして歌っている分、余裕が感じられ、共感することはあっても「重さ」を感じることは決してありません。
このアルバムでは、女性だけでなく、男性が歌っている曲もカバーしています。それが桑田佳祐と玉置浩二なんですよ。それが、全く違和感がないのですね。玉置の場合は「田園」なので、聴く前はどうなることかと思っていたのですが、見事にこの曲の疾走感を出していましたよ。
そして、その声が、とても男性っぽいのですよ。確かに、彼女は宝塚の男役でしたね。そして、宝塚出身の人には、なにか必ず身についている宝塚っぽい発声が、彼女の歌声からはほとんど感じられないのですよ。それでいて男らしい「田園」、素敵です。

CD Artwork © Pony Canyon Inc.


2月28日

RAVEL
Daphnis et Chloé
Antonio Pappno/
Tenebrae(by Nigel Short)
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO 0899(hybrid SACD)


昨年、サイモン・ラトルの後を受けてアントニオ・パッパーノがパッパーっとロンドン交響楽団のシェフに就任しましたね。ラトルのポストは「音楽監督」だったので、パッパーノも同じだと思っていたのですが、彼の場合は「首席指揮者」という肩書のようでした。というか、ロンドン交響楽団の場合、これまでに音楽監督という称号を貰った人は、クラウディオ・アバドとラトルしかいないようですね。ただ、アバドの場合は首席指揮者だったものが音楽監督に「昇格」していたのですが、ラトルは最初から音楽監督、それほどの待遇だったのに、ラトルはあっさりこのオーケストラを見限って、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者になってしまっていました。
いずれにしても、世界のオーケストラの指揮者の顔ぶれは、ちょっと油断しているといつの間にか変わっていたりしますから、油断はできませんね。
パッパーノが首席指揮者に就任したのは2024年の9月でしたが、その前にもすでに共演は行っていて、その年の1月に行われたメンデルスゾーンの「エリア」のライブ録音はすでにリリースされていました。今回はそれに続く、4月のコンサートの録音で、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」全曲です。
ただ、このSACDは、すでに2月にリリースされているのですが、日本のショップではその案内が見当たらないんですよね。普通は2か月ぐらい先までの予定が公開されているのですが、現時点では1月までのものしかありません。レーベルのウェブサイトでは「physical product shipments to EU countries remain on hold.(CDやSACDのEU諸国への配送は、保留されています)」という案内があるので、もしかしたら日本にももうフィジカル・プロダクトは入ってこないようになっているのでしょうか。今はそういう時代ですからね。もちろん、ダウンロードやストリーミングは行っていますから、これもサブスクで聴きました。
ところが、そのサブスクのNMLでは、この曲のトラック表示がこんなことになっていました。
まずは、タイトルが「ダフニスとクロエ(抜粋)」となっています。でも、演奏時間が54:27ですから、これは普通の全曲版の長さです。もしかしたら、どこかをカットしているのかもしれないと思い、スコアを見ながら聴いていたのですが、そんなところは見つかりませんでした。なにより、ブックレットには「complete ballet」とあるのですから、全曲に間違いないはずなのに。
それと、このトラックの案内も間違っています。ここではトラック8はまだ「第2部」のようになっていますが、これは「夜明け」から始まっているので、当然「第3部」のはずです。困ったものですね。
スコアを見ながら聴いたら、改めてこの曲の凄さに圧倒されました。なんせ、楽器の種類が多いのと、弦楽器がディヴィジで細かくパートが分かれているために、スコアの段数がものすごいことになっています。打楽器がたくさん出てくるところなどはほぼ40段になっているのですからね。さらに、どんな曲でも、常に全部の楽器が鳴っているわけではなく、どこかではずっと編成が小さくなって、その分ページの中に何段か入れることが出来るのですが、この曲では、308ページある中で、そんな風に段が分かれているのはたった2ページしかありません。正確には、デュラン版のスコアの96ページと97ページです。そこは、第1部と第2部との橋渡しで、ア・カペラの合唱だけが聴こえる箇所です。それだったら、4段しか必要ありませんからね。
ここで、合唱を担当しているのが、あのキングズ・シンガーズのOB、ナイジェル・ショートが指揮をしている「テネブレ」という合唱団です。さっきのトラック表には、その名前もないですね。
この録音では、メンバーが40人ほどで、通常の倍ぐらいの人数になっています。そのせいなのか、そのア・カペラの部分も、ちょっと荒っぽいところが感じられます。録音は全体をまとまって聴かせるというポリシーのようで、第3部のフルート・ソロなどは、あまり目立ちません。全体的にそれなりに華やかな響きで、リズムもしっかりしているのですが、細かいミスも目立っていて、ちょっとがっかりでした。

SACD Artwork © London Symphony Orchestra


2月26日

Und in Jene lebt sich's bene
Die schönsten Melodien aus dem Saaletal
Octavians
GENUIN/GEN 25895


ドイツのヴォーカル・アンサンブル「オクタヴィアンズ」の最新アルバムです。このアンサンブルは、2006年に、イェーナ・フィルハーモニック少年合唱団のメンバーが8人集まって作ったものなのだそうです。8人だから「オクタヴィアンズ」なんですね。婚約者が変り者というわけではありません(それは「オタクフィアンセ」)。これは、彼らの、GENUINレーベルからの3枚目のアルバムになるのでしょうか。
そんな名前のアンサンブルは、これまでに全く聴いたことがありませんでした。バイオではレパートリーはルネサンスから現代まで、さらにポップスまで手掛けているとありました。そういう団体は、イギリスで半世紀以上に渡って活躍している、あの「キングズ・シンガーズ」とよく似ていますね。いずれも男声だけのメンバーで、カウンターテナーも含まれる、という点も共通しています。
そこで、まずは、そんなポップス、ビートルズやサイモン&ガーファンクルなども歌っているひとつ前のアルバムで、その「お手並み」を拝聴してみようと思いました。そういう時は、サブスクは便利ですね。
これが、2020年に録音されていた「Minuten aus Jahrhunderten(数世紀の中からの数分間)」という粋なタイトルと持つアルバムのジャケットです。その名の通りに、大昔の伝承歌から、最近のヒット・ソングまで、幅広い曲が網羅されていた楽しいアルバムでした。そして、なによりも驚いたのが、彼らのハーモニーの素晴らしさでした。キングズ・シンガーズの場合はメンバーが6人ですが、こちらは8人で、男声合唱の4パートをバランスよくきちんと歌っている、ということもありますが、あちらは、メンバーそれぞれの声が結構バラバラに聴こえることがあったりするのですが、こちらではそのようなことは全くなく、常に全員の声がとてもきれいに溶け合って、均質な響きがもたらされているのですね。
ですから、ビートルズあたりでも、それほど凝ったアレンジではなく、とてもシンプルなものになっていて、そのすばらしい本来のメロディをきっちりと味わうことが出来るようになっています。まあ、その代わり、ソロを歌う時には、キングズ・シンガーズほどの存在感はありませんから、ちょっと淡白すぎるような気はしますが、それは別に大したことではありません。
2024年に今回のアルバムを録音した時には、8人のメンバーのうちの3人が入れ替わっていました。さらに、そのパートの内訳も、変わっていました。前作はカウンターテナー3人、テナー2人、バリトン2人、ベース1人だったものが、ここではカウンターテナー1人、テナー3人、バリトン2人、ベース2人となっていたのです。
それは、かなり大規模なメンバーチェンジとなっていたのですが、その結果、低音が充実して、男声合唱としての重さが増していましたから、これは良い結果を生んでいたのではないでしょうか。さらに、ソロを担当している人たちも、前より素晴らしいのですから、これはもうワンランク上がったアンサンブルです。特に、以前はベースのパートがほとんど表に出てくることはなかったものが、今回はもうビンビン響いてきます。なんせ、「倍増」していますからね。そして、その中の一人がソロを取っている曲があるのですが、それは素晴らしいものでした。
そんなアルバムは「そして、イェーナでの生活は素晴らしい」というタイトルでした。さらに、サブタイトルは「ザーレ渓谷が産んだ、最も美しいメロディたち」というものです。この地方で昔から歌われていた学生歌や、あるいはハイキングの時に歌われた歌といった、おそらくここにゆかりのある人たちならだれでも知っていて、自らも口ずさめるような曲がてんこ盛りです。
ただ、日本人ゆえの悲しさ、この中で歌われている全部で21曲の中で、きちんと聴いたことがあったのは、歌ったこともある最後の曲、メンデルスゾーンの「Der Jager Abschied(狩人の別れ)」だけでした。でも、その他のどんな曲も、何か心の深いところから「懐かしさ」のようなものがあふれてくるものばかりでしたよ。
それは、歌っている8人がしっかりそれらの曲の魂を自らのものとして歌っていたからなのでしょう。

CD Artwork © GENUIN classics


2月24日

MOZART
Symphonies IV
Johannes Klumpp/
Folkwang Kammerorchester Essen
GENUIN/GEN25909


モーツァルトの交響曲全集というものは、これまでに何人かの指揮者によって作られてきました。ただ、そもそもモーツァルトは交響曲を何曲作っていたか、という基本的な情報自体が、かなり曖昧でしたから、その内容には様々なバリエーションが生まれることになります。今回、ヨハネス・クルンプという指揮者が、2013年から首席指揮者となっているエッセンのフォルクヴァンク室内管弦楽団と2017年から始めた全曲を目指すレコーディングでは、一体何曲になるのでしょう。
クルンプは、2007年に、多くの世界的な指揮者を輩出しているブザンソンのコンクールで第2位を獲得し、現在はハイデルベルク交響楽団の芸術監督も務めていて、そことのハイドンの交響曲の全曲録音というプロジェクトがHÄNSSLERレーベルで進行中です。ドイツ国内だけではなく、スペインやタイのオーケストラとの共演も果たしています。さらに、ヘッセン国立歌劇場でのオペラの指揮も行っています。かつてNHK交響楽団の指揮者にアレクサンダー・ルンプフという名前の人がいましたが、もちろん、彼とは全く関係はないでしょうね。
一方の、このヘッセンの室内管弦楽団は「旺盛な好奇心による、革新的、そして最高レベルの音楽パフォーマンスの披露」というモットーの元に、これまでの67年間の活動を行ってきたという団体です。現在では、若くてとても優秀なメンバーが揃っているようですね。
このチームによって、これまでにすでに3枚のアルバムがリリースされています。1枚目と2枚目には、最も有名な「40番」と「41番」が入っていたのは、とりあえずこの全集を聴いてもらうためのサービスだったのでしょうか。3枚目からは、後期の交響曲は全く入らないようになっていました。そして、今回の4枚目では、彼が9歳から14歳までの間に作った初期の交響曲が6曲演奏されています。それらは、全集でなければ聴くことのできない、完璧にレアなものばかりですね。
まずは、「4番」と呼ばれているK.19。ロンドンに滞在中の1765年に作られたものです。この地では、バッハの息子のヨハン・クリスティアン・バッハの曲を聴いていますから、その影響もこの中には表れているのでしょう。そして、同じ時期に作られた、番号は付けられていないK.19aが続きます。この曲は、1980年代に発見されています。
そして、同じ年のデン・ハーグ滞在中、なんと病気に罹っていた時に作られたという「5番」K.22です。ここまでは、すべて3楽章で出来ています。
1967年にウィーンで作られた「6番」K.43では、初めてメヌエットが入った4楽章形式になります。これは、その地でのハイドンなどの影響があったのでしょう。さらに、第2楽章では、オーボエのパートがフルートに代わっています。もちろん、これは、同じ人たちが「持ち替え」で演奏したのでしょうね。
さらに、おそらく1770年に作られたであろう「10番」では、第1楽章と第2楽章が、楽譜上は繋がっていて、その後にフィナーレが来るという2つの楽章になっています。
最後の「12番」は、1771年にザルツブルクで作られました。これは4楽章形式、第2楽章では、オーボエとホルンのパートが、フルートとファゴットに持ち替えられます。当時はホルンもファゴットも吹ける人がいたのですね。もちろん、この録音では、専門の奏者がここだけのために参加しているはずです。
演奏は、いずれもとてもエキサイティング。なんと言っても、細かいクレッシェンドとディミヌエンドによって、曲がとても生き生きとしています。それは、最初から楽譜に指定されているものもありますが、ほとんどは指揮者と演奏家による自発的な表現です。
そして、彼らはもちろんモダン楽器のアンサンブルですが、今回のモーツァルトのツィクルスに挑むにあたっては、徹底的なピリオド・アプローチを目指していたようですね。弦楽器は、完全にノン・ビブラートで演奏、録音だと、ガット弦のようにも聴こえます。さらに、管楽器もピリオド楽器ではなくモダン楽器のようですね。それで、フルートなどは完璧にビブラートをなくして演奏しているので、最初はトラヴェルソだと思ってしまいましたよ。

CD Artrwork © GENUIN classics


2月22日

DEBUSSY/Ibéria, RAVEL/Pavane pour une infante défunte
FALLA/Nights in the Gardens of Spain, The Three-Cornered Hat Suites
Sylvie Mercier(Pf)
Constantin Silvestri/
Bournemouth Symphony Orchestra
ICA/ICAC5182


コンスタンティン・シルヴェストリというアクション俳優のような名前(それは、シルヴェスター・スタローン)の指揮者のことを覚えている方は、もはや少なくなってしまったのではないでしょうか。1913年にルーマニアのブカレストで生まれ、1945年にはジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、1953年からはルーマニア国立放送管弦楽団の音楽監督、そして、イギリスに渡り、1961年にはボーンマス交響楽団の音楽監督に就任します。そして、1969年に55歳の若さで亡くなるまで、そのポストにありました。
録音としては、パリ音楽院管弦楽団を指揮したベルリオーズの「幻想交響曲」が有名でしょうか。その、1961年にリリースされたEMI盤は、ステレオで録音されていましたね。
個人的には、1964年に来日して、NHK交響楽団を指揮した映像が、かなり強烈に記憶に残っています。というか、このジャケットのオーケストラのメンバーたちは、どう見ても日本人のようですから、おそらく、その時に撮られたものなのでしょうね。
おぼろげな記憶では、彼は何度もN響を振るために来日していたような気がしていたのですが、どうやら来日はその時だけだったようですね。そして、NHKでは、おそらくその演奏会の映像を、何度もオンエアしていたのではないでしょうか。今でも、その迫力たっぷりの指揮ぶりを思い出すことができるぐらいですからね。その時は、まだ50歳になったばかりだったということなので、とてもきびきびとした動きだったような。
確か、その時に見た中には「幻想」もあったような気がしたので調べてみたら、それはちゃんとCDになっていましたね。
当時の放送音源ですから、まだモノラルでしたけどね。
そして、今回、こちらはイギリスのBBC音源からのライブ演奏の復刻CDが出ました。録音されたのは1966年から1968年までですが、やはりラジオの世界ではいずれもまだモノラル録音だった時代のものでした。
ただ、そこで演奏されていたのが、これまでの録音ではほとんど聴くことが出来なかったドビュッシーやラヴェル、そしてファリャで、しかも、ファリャはそのままのスペイン色満載の曲ですが、他の2人のフランスの作曲家のものも、同じようにフランス趣味が勝った作品ばかりが集められているのです。それだけでも、なかなかレアなアルバムですね。
まずは、ドビュッシーの「管弦楽のための『映像』」から、2曲目の「イベリア」の部分だけが演奏されています。モノラルだというハンディはあまり感じられませんが、やはりテープの劣化はどうしようもないようで、一応リマスタリングが施されてはいますが、かなり厳しいものがあります。演奏は、やはり「ドビュッシー」よりは「スペイン」を強調したような感じで、管楽器などはかなり荒っぽいように聴こえます。録音のせいかもしれませんが。
次は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」です。これは、そもそもあまり「スペイン」という感じはしない曲なので、その流麗さがきちんと再現されているようで、心地よい演奏に仕上がっていましたね。途中で出てくるフルートのソロは、とても華やかな音色で、素晴らしかったですね。
そして、ファリャです。まずは、ピアノが入った「スペインの庭の夜」ですが、これはそもそも録音のピアノの音があまりにもひどいので、正直、聴き通すのは辛いものがありました。
最後は、有名な「三角帽子」です。本来のバレエ音楽では歌が入りますが、ここではその部分をカットして作られた「第1組曲」と「第2組曲」が演奏されています。まあ、オーケストラのコンサートでは、これが定番ですね。
この曲でもフルートは活躍しますが、「パヴァーヌ」の時とは違う人なのでしょうか、ちょっと物足りない、というか、ビブラートがかなり古くさいタイプのようで、いまいちでしたね。でも、全体としては、ちょっと杓子定規のようなところもありますが、まずはスペイン特有のリズムのノリも良いですし、盛り上がった時のグルーヴもなかなかのものですから、シルヴェストリの思いは存分に堪能できるのではないでしょうか。

CD Artwork © ICA Classics Ltd


2月20日

DVOŘÁK
Symphonie Nr. 7
Bernard Haitink/
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR/900877


2021年に92歳でお亡くなりになったオランダの指揮者ベルナルト・ハイティンクは、90歳まで現役として活躍されていましたね。長寿の秘訣はハイキングでしょうか。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を・長年務めるなど、世界中のオーケストラとの共演でファンも多かったことでしょう。ボストン交響楽団やシカゴ交響楽団といったアメリカのオーケストラでも指揮者を務めていたのですね。そして、彼の最後のコンサートがウィーン・フィルとのものだったというのも、幸せなことでしたね。その時の映像を見たことがありますが、フルートが、そのウィーン・フィルをクビになったはずのシルヴィア・カレッドゥ(急に本来の奏者が出演できなくなったので、エキストラとして出演)だったのが、ちょっとかわいそうでしたね。彼女は、見事に委縮していました。
1949年に出来たばかりの、ドイツのバイエルン放送交響楽団とも、1958年から、長年にわたって頻繁に共演しいてましたね。最近、そのライブ録音を集めたボックスセットが2セット発売になっていて、その中からの分売もいくつか出ていたようです。そんな中の、最新のリリースが、この、ドヴォルジャークの交響曲第7番のアルバムです。CDでは、カップリングに同じ作曲家の「スケルツォ・カプリチオーソ」が入っていますが、サブスクの場合は交響曲だけの単体です。演奏時間は38分。
この演奏が行われたのは、1981年です。会場は、ミュンヘンのヘルクレスザール。
まずは、その響きの良いホールのサウンドが心地よく感じられる録音に、うれしくなります。豊かな残響でライブ感がしっかり伝わってきます。
第1楽章は、その序奏の深い響きで、これからいったい何が始まるのだろう、という期待を膨らませてくれます。最初のテーマは、低音がブーストされて、とてつもない重量感があります。いかにもドイツのオーケストラという、渋さですね。
そこに、フルートによるブリッジが入って、次のテーマに変わるのですが、そのフルートがもう絶品の塩梅でその橋渡しの役を務めていました。この時期のソロフルートはアドリアンとグラフェナウアーのはずですが、これは間違いなくグラフェナウアーの音でしょう。先日も彼女のフルートを聴いたばかりなのに、こんなところでも会えるとは、ラッキーですね。
ですから、そのテーマを装飾する小鳥の鳴き声のようなトリルからは、まるで夢見るような情感が漂ってきます。
ということで、勝手にこれはグラフェナウアーだと決めつけて聴き進みます。となると、フルートが活躍する第2楽章は、もう、聴きどころ満載でしたね。ちょっとのどかなクラリネットソロの後に出て来た彼女のフルートは、たちまちそこを煌めく明るい世界に変えていましたよ。その後に出てくる、まさに夢見るようなホルンも、いいですねえ。
もちろん、その先に出てくる、高音のG#から始まるホ長調の中の下降スケールなどは、完璧でした。うっとりするほどの音色は、その場の空気を完全に変えていましたね。そんな風に変化に富んだ演奏で、この楽章での短調と長調との対比が、とてもクリアになっていました。
第3楽章では、ハイティンクはとても粘っこい、というか、かなり「臭い」表情を付けていましたね。それは、「民族的」というものからはちょっと離れた、ちょっとやり過ぎのようなところもあったような気がします。それが、トリオに入ると、ここでもフルートののどかなトリルで、世界が変わります。
終楽章は、冒頭から何やら波乱の予感が漂います。案の定、その後はイケイケの音楽に終始します。ライブならではの高揚感が、熱いですね。もちろんそれだけでは終わらず、しばらくして、それこそ「民族色」たっぷりのフレーズが出てきた時などは、とことん、懐かしさを演出してくれています。その役目を担っていたのも、やはりフルートでしたね。
そして、イケイケのモードが高まり、ニ短調で始まった交響曲は、最後のニ長調を目指してのクライマックスを目指します。とても楽しめました。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH


おとといのおやぢに会える、か。



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