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見ろよビーナス。
最初に演奏されている、マーラーの歌曲を5曲編曲したものは、正直それほどの感慨はありませんでした。これは、あのエマニュエル・パユが編集して、ウィーンの出版社UNIVERSALから出版されている楽譜が使われていますが、その編曲を担当したロナルド・コルンファイルという、おそらくこの出版社の専属の編曲者によるアレンジが、ちょっと気に入らなかったものですから。つまり、普通に歌手のパートをフルートに置き換えただけなのかな、と思っていたら、オーケストラのパートなどもフルートに吹かせたりしてあって、ちょっと違うな、と思ってしまったのですよ。 それと、録音会場はアメリカのシカゴにあるルーズベルト大学の小さなホールなのですが、ピアノとフルートのバランスがあまり良くなくて、ピアノばかりが目立ってしまっていたのですね。 ところが、次のシューベルトになったら、そんなモヤモヤ感が一掃されてしまいました。これは、多くの人が演奏しているテオバルト・ベームの編曲が使われていました。ですから、これまでに何度となく聴いたことがあるのですが、そのたびになんかダサい編曲だな、と思ってしまっていました。たとえば、「冬の旅」の最初の曲「Gute Nacht」では、ピアノ前奏の途中からフルートが入っています。 ![]() そうなると、それまで、劣悪な録音のせいであまり分からなかった彼女のフルートの素晴らしさにも気づくようになりました。まずは、音色の美しさ、特に、低音をピアニシモで吹く時のゾクゾク感はたまりません。そこに、的確なビブラート、さらに卓越したテクニックが加わります。このベームの編曲では、後半にテーマの変奏が出てくるのですが、それはもう軽々とクリアしています。まさに、ベームの編曲の神髄を聴かせてもらったような気がします。 そして、最後に控えているのが、このアルバムのタイトルでもある「月に寄せる歌」です。これは、ドヴォルジャークのオペラ「ルサルカ」の中で、人魚のルサルカが歌う美しいアリアですが、とてもメロディアスが部分の後に、ちょっと神秘的なフレーズが出てきますね。 ここでは、その両方のモティーフを使って、アラン・トーマスという、アメリカで生まれてイギリスで活躍しているギタリストが作った「変奏曲」が演奏されています。この人は、ギタリストとしては世界的に有名な方ですが、作曲や編曲も行っていて、なんでも、ルネサンスのポリフォニーから、リゲティのような現代の作曲家の手法までを網羅して、その作風で曲を作るというスキルを持っているのだそうです。そして、ここでは、そのドヴォルジャークを、あたかも19世紀後半に花開いたフルートのヴィルトゥオーゾたちの黄金時代を模したかのような作風で、変奏曲を作ったのです。まさに「変装曲」ですね。 ですから、ここでは、まるで先ほどのベームとか、タファネル、ドゥメルスマンといった人たちの様式を見事に現代に置き換えた、とてつもなく難度の高い、それでいて心に沁みる曲が出来上がっています。 もちろん、モリネーは、そんな難曲をいとも軽々と制覇していましたよ。 Album Artwork © Azica Recoeds |
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ザンデルリンク以降は、様々な指揮者がこのオーケストラの首席指揮者となっていて、最近まではクリストフ・エッシェンバッハがそのポストにありました。そして、その後任者が、1986年生まれの女性指揮者、ヨアナ・マルヴィッツでした。彼女は、ベルリンのメジャー・オーケストラでは初めて首席指揮者に就任した女性指揮者ということで、話題になっていましたね。 その、就任記念コンサートが2023年8月31日に行われたのですが、その模様が11月末にはNHK-BSで放送されていました。 そのコンサートでは、「始まり」ということでしょうか、3人の作曲家の「交響曲第1番」が演奏されていました。その作曲家とは、プロコフィエフ、マーラー、そして、クルト・ヴァイルだったのです。おそらく、その3人は彼女にとって大きな意味を持つ作曲家たちだったのでしょうね。 ですから、彼女がDGのアーティストとして最初のアルバムを作った時に、このヴァイルの作品を集めたのも、当然のことだったのでしょう。それにしても、そのアルバムのタイトルが「The Kurt Weill Album」というのですから、なんともユニークですね。 正直、クルト・ヴァイル、あるいは「クルト・ワイル」という名前を聞いて最初に思い浮かべるのは、「三文オペラ」のような作品なのではないでしょうか。その中で歌われる「マック・ザ・ナイフ」を始めとした、ベルトルト・ブレヒトの歌詞による、いわゆる「ブレヒト・ソング」と言われるナンバーは、妻であるロッテ・レーニャの退廃感あふれる歌によって広く知られています。 最初に演奏されている交響曲第1番は、1900年生まれのヴァイルが1921年に作りました。いかにも若者らしい、有り余る情熱がそのまま整理されずに曲になったような、正直「痛い」作品のように思えます。冒頭の不協和音のアコードの連続で、まず聴くものはそのテンションの高さにひるんでしまうことでしょう。そして、現れる無調感たっぷりのテーマなどは、なにか背伸びして、その時代の最新の音楽に合わせようとしている意欲がミエミエです。 そんな中で、時折唐突に聴こえてくるメロディアスなテーマが、ある種の救いを感じさせてくれます。 彼の「交響曲」は、これと、その13年後の1934年に作られた「第2番」しかありません。こちらも、このアルバムで聴くことができます。これは、前作とは打って変わって、もう余裕感たっぷりの、自信に満ちたもののように感じられます。曲全体の冒頭で、まるでベートーヴェンの交響曲第5番のパロディのような、短いモティーフを繰り返すうちに、形が変わって行くというあたりは、まさに、これから始まる曲がとても楽しいものになることを予言しているようです。 その予言通り、この中には、「ブレヒト・ソング」などで垣間見られるヴァイルの豊かなサービス精神のようなものがあふれていて、最後まできっちり楽しむことが出来ました。 その間には、1933年に作られたバレエ曲「7つの大罪」が演奏されています。「バレエ」とは言っていますが、登場するのは1人のソプラノと、4人の男声によるカルテットなので、ほとんど「オペラ」、あるいは「ミュージカル」といった感じの曲です。これも歌詞はブレヒトが書いたもの、ソプラノはまさにブレヒト・ソングそのもの、彼女は2人の役を歌うという設定ですが、それは同じ人物の二面性なのでしょう。それを歌っているカタリーネ・メーリンクが素敵です。 マルヴィッツは、いかにもヴァイルが大好きだと分かるような、充実した演奏、これで、きっとヴァイルの熱いファンが増えることでしょう(ファンヒーター)。 CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH |
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ただ、しばらくしてピリオド楽器による演奏が広まってくると、ミュンヒンガーの名前はばったりと聞かれることはなくなってしまいました。ブームは去ってしまったのです。 とは言っても、それまでに彼らの演奏はDECCAレーベルから多くのタイトルがリリースされていましたから、その録音は今でもしっかり聴くことが出来ます。今回、サブスクで1975年に録音された「ヨハネ受難曲」が紹介されていたので、彼らはこんな宗教曲のレパートリーもしっかり録音していたことを初めて知りました。実際には、「マタイ」も「ロ短調」も、「クリスマス・オラトリオ」も、そして、いくつかのカンタータまでも録音していたのですね。 その中で、「マタイ」と「ヨハネ」では、合唱に児童合唱が使われていました。それは、1900年に創設されたという由緒ある「シュトゥットガルト聖歌少年合唱団」という、6歳から15歳までの少年と、15歳から25歳までの青年がメンバーとなっている合唱団です。 今回の「ヨハネ」では、この合唱が、なかなかの演奏を聴かせてくれていました。冒頭の合唱などは、ミュンヒンガーは最初のオーケストラの部分は聴こえるか聴こえないほどのピアニッシモで始めたのですが、それが徐々にクレッシェンドをしていって、合唱が始まるところでピークを迎えるという、とてもダイナミックな演出を行っていましたね。そして、聴こえてきた合唱は、DECCAによる華麗な録音とも相まって、とても存在感のある響きが魅力的で、そこからはとても豊かなパッションが感じられました。ですから、合唱が出てくるナンバーは存分に楽しむことが出来ました。 ただ、その後に登場するエヴァンゲリストは、そんなパッションを全く引き継いでいない、とてものんびりとした穏やかな歌い方の人でした。とても美しい声でうっとりするほどなのですが、物語としての緊迫感が全く伝わってきません。イエスのワルター・ベリーはとてもドラマティックだというのに。 その後の、アルトのアリアのユリア・ハマリと、ソプラノのアリアのエリー・アメリンクは、さすがでしたね。そのアメリンクのアリア、「Ich folge dir gleichfalls」でのフルートのオブリガートで、ここで使われている楽譜が旧全集であることが分かります。 ![]() ![]() ![]() つまり、このミュンヒンガーの録音では、そんな、ちょっといい加減な旧全集の楽譜を「忠実」に演奏しているのですよ。新全集の「ヨハネ」は1974年に刊行されていますから、その気になればそれを参照することも可能だったはず、もっと言えば、自筆稿にアクセスすることだってできたのに、そのようなアップデートを怠ったためにミュンヒンガーは世の中から取り残されてしまったのかもしれませんね。 アリアを歌っているテノールのヴェルナー・ホルヴェークは、およそバッハとは相容れない華麗なビブラートですし、バスのアリアのヘルマン・プライも、「Eilt, ihr angefochtnen Seelen」は聴くのがつらいですね。 Album Artwork © Decca Music Group Limited |
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作曲家ということでは、かつてポルトガルの植民地であったブラジルの方が、たとえばヴィラ=ロボスなどという、かなり有名な人も存在していますよね。さらに、なんと言っても「ボサ・ノヴァ」を生んだアントニオ・カルロス・ジョビンなどは、国際空港の名前にまで使われるほどの人気を誇っていますからね。お茶を一杯いただきましょう(それは「土瓶」)。 ロペス=グラサの場合は、時の政権に反発して何度も投獄されているそうですから、そのような栄誉とは無関係なのかもしれません。リスボンの音楽大学で学んだのち、パリに渡ってシャルル・ケックランから、作曲法やオーケストレーションなどを学んでいますから、作曲のスキルとしてはその時代の最先端のものを身に着けているのでしょう。 ここで演奏されている無伴奏の合唱曲は、彼がパリ時代から始めていた、祖国の民族的なメロディの収集作業の成果として作られたものです。それらのメロディには、不協和音なども含まれる複雑な和声で彩られ、合唱曲としてはとても聴きごたえのあるものになっています。 そんな、初めて聴くポルトガルの伝承曲は、時折ハンガリーやボヘミアの伝承曲ととてもよく似たメロディであることに気づかされます。直接の関係はないのでしょうが、東と西に離れた、同じ「辺境」同士の間には、何か共通するものがあるのでしょうか。このあたりを突き詰めて探求している人はいないでしょうかね。 そのような作品のほかに、ここでは「クリスマス・カンタータ」という曲も演奏されています。なんでも、ロペス=グラサはそのようなタイトルの曲を2つ作っているそうですが、ここではその「1番」のほうからの8曲の抜粋が演奏されています。その最初の曲は、なんと、あのクリスマスキャロルの定番「荒野の果てに」ととてもよく似たメロディでした。後半の「Gloria in excelsis Deo」のメリスマも全く同じものです。さらに、その次の次の曲が、「青葉もゆる、このみちのく」という、ごく一部の人しか知らないさる大学の学生歌にそっくりのメロディなんですよね。もっとも、これは「ソドレミ」という、とてもありふれた音列ですから、単なる偶然なのでしょうけどね。 そんな、親しみのあるメロディがあちこちで聴こえてくる、とてもかわいい曲でした。 ここで、それらを演奏しているのが、ポール・ヒリアー指揮のコーロ・カーサ・ダ・ムジカです。この合唱団は、2009年にヒリアーによって設立されています。そして、彼は2019年まで、この合唱団の首席指揮者を務めていました。ヒリアーと言えば、かつては「ヒリヤード・アンサンブル」のメンバーとして多方面で活躍していた方ですが、そこを離れてからは、まさに世界中の合唱団と共演していましたね。アルヴォ・ペルトなどからも信頼されていて、彼の曲も頻繁に演奏していました。 この録音は、彼が退任した翌年、2020年に行われています。きちんとこの合唱団を聴いたのは初めてですが、ヒリアーがこれまで関わってきたエストニアやコペンハーゲンの合唱団とはちょっと毛色が異なっているような気がします。こちらは、民族的な発声を積極的に使っているようで、あまり洗練されていないテイストを敢えて前面に出しているように思えます。 CD Artwork © Naxos Rights (Europe) Ltd |
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![]() そんな中で、昔買ってあったこんなアルバムが新しくサブスクのアイテムとして紹介されていました。イギリスのフルーティストのウィリアム・ベネットが、友人たちと録音したヴィラ=ロボスの作品集です。録音されたのは1987年なのですが、CDとしてリイシューされたのは2000年のことでした。つまり、その前に一度リリースされていたのでね。それが1989年、そして、その時にはなんと「カセット」で発売されていたのです。 ![]() ![]() 最近では、竹内まりやの10年ぶりのアルバムが発売されるときに、LPの他にカセットでも販売されるのだそうです。「なんでカセット?」と思ってしまいましたね。おそらく、ポップスのフィールドでは、かつてはしっかり需要があったのでしょうね。 今回のサブスクの音源では、ジャケットのアートワークがCDのものとは若干変わっていましたね。 HYPERIONとして出たCDのジャケットはこういうものでした。ルソーの「ライオンの食事」ですね。 ![]() ![]() 同時に、ブックレットのPDFも、元のものをただ安直にスキャンしたのではなく、きちんと新たに編集したものが使われていましたね。そこでは、ライナーノーツが英語だけではなくフランス語とドイツ語でも読めるようになっていました。 そのように新装なったこのアルバムでは、もちろん最初からデジタル録音でしたから音質の劣化もなく、かなりハイスペックな音を聴くことが出来ました。実際にサブスクとCDとを比較してみたのですが、スピーカーで聴く限りではその違いは全く感じられませんでした。 そんな素晴らしい音で、録音当時は51歳と、まさに脂の乗り切ったベネットのフルートを聴くことができます。なんたって、演奏しているのはヴィラ・ロボスですから、そのテクニカルな難度はハンパではありませんが、それをものともせず、圧倒的なスキルで吹ききっているのはさすがです。最初の木管クインテット「ショーロの形式によるクインテット」は、普通のフルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットという編成ではなく、ホルンの代わりにコール・アングレが入っている、「純粋な」木管楽器の五重奏です。もう、それぞれの楽器のトリッキーなフレーズのやり取りには、クラクラさせられてしまいます。最後にベネットのフルートが、普通はスカスカになってしまうハイDの連打とロングトーンを、見事に決めていましたね。 彼独特の、常に同じ波形のビブラートにちょっと嫌気がさしてきたころには、フルートが入らないオーボエ、クラリネット、ファゴットのためのトリオも控えているという親切な心遣いもありますし。 Album Artwork © Hyperion Records Limited |
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このDGレーベルでは、過去にカール・ベームの指揮によるモーツァルトのオペラ選集(セミ・ツィクルス)を作っていました。そして、21世紀に、それと同じ選集をネゼ=セガンの指揮によって作るという計画を立てていました。その舞台が、このバーデン・バーデンの音楽祭だったのですね。ですから、彼は2011年の「ドン・ジョヴァンニ」を皮切りに、2018年までの間に、モーツァルトの6つのオペラをコンサート形式で上演し、その録音をリリースしてきました。オーケストラは最初の年はマーラー室内管弦楽団でしたが、それ以降はヨーロッパ室内管弦楽団です。ただ、ベームが残した録音は7つのオペラだったのですが、どういう事情だったのか、こちらでは「イドメネオ」の録音が行われることはありませんでした。 その後、このチームは2021年にはベートーヴェンの交響曲の「ツィクルス」を、この音楽祭でのライブ録音によって完成させます。この時には、1995年から始まったものの、全曲の出版が終わったのは2020年だった「ヘンレ版」の楽譜が、初めてすべての曲で使われていましたね。そして、さらにその翌年の2022年(1番と2番)と2023年(3番と4番)の2年に渡って、このブラームスの交響曲ツィクルスが作られたのです。 ここでの弦楽器のメンバーは、いずれの年もヴァイオリンは18人、ヴィオラは7人、チェロは6人、コントラバスは4人という、フル・オーケストラのほぼ半分の人数ですね。そのせいなのか、あるいは録音のせいなのか、なにか余裕のないギスギスとしたサウンドに聴こえてきましたね。特にヴァイオリンの音色に艶っぽさが全く感じられないのは、ブラームスの曲にとっては致命的なことでした。 そんなサウンドで、1番の第1楽章などは信じられないほどの速いテンポでしたから、なにかその演奏にすっかり置いていかれてしまったような錯覚に陥ってしまいました。終楽章も、最初の部分ではぜひ聴こえてほしい、格調の高い音楽は、その部分を締めくくるトロンボーンのコラールも含めて、結局味わうことはできませんでした。 とても、そんな演奏を続けて聴く気にはなれなかったので、2番と3番は飛ばして、4番を聴くことにしました。これは、テンポ感などはそれほどの違和感はなく、すんなりと聴くことが出来ました。 ここで初めて気が付いたのですが、1番から3番までは、それまでの交響曲のしきたり通りに提示部のリピートが行われていたのですが、4番ではブラームスはそれをやめて、すぐに展開部に入るようになっているのですね。古典派の交響曲が後生大事に維持してきた約束事に、ブラームスはここできっぱりと縁を切っていたのでした。そんな、一味違うテイストが、ここではよい方に働いていたのかもしれません。 ところが、第3楽章になったら、フルートの2番がピッコロに持ち替えるようになっているのですが、それがかなりアバウトなピッチなんですよね。まあ、ライブなので仕方がなかったのかもしれませんが、これは残念でした。ですから、終楽章では、例のフルートの大ソロに頑張ってもらいたかったのですが、なんか平凡で当たり前すぎるような気がしてしまいました。 結局、この2年目のサウンドも、満足のいくものではありませんでした。ブラームスが1番と2番の交響曲を作っていたバーデン・バーデンですが、そこの駅舎を改修したという、録音会場の祝祭劇場は、写真で見る限り、あまり音のよさそうなホールには思えませんね。 CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH |
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この録音は、2022年3月のコンサートのライブで、アルバムではブルックナーの7番の他に、同じ日に録音された11分ほどの委嘱作品が入っていますが、それがおそらくメインのブルックナーの前に演奏されていたのでしょう。 ホーネックは、このオーケストラとすでにブルックナーの「4番」と「9番」を録音していました。ですから、今回の「7番」も、リリースは今年ですが、特に「ブルックナー生誕200年」を意識して作られたアルバムではないのでしょうね。ホーネックの場合は、かつてウィーン・フィルでのコンサートマスターだったころから、この作曲家には親しく接していましたし、その素晴らしさにも精通していたので、もはやレパートリーとして定着しているのでしょう。 その「200年祭」は、予想通りかなり盛り上がっていたようですね。なんせ、ブルックナーの交響曲のすべてのバージョンを録音するというプロジェクトが、2つも完成してしまうのですからね。そんな中で、その年を待たずにお亡くなりになった方が、ベンヤミン=グンナー・コールスです。なんでも、昨年の11月21日に、58歳の若さにして、心臓発作でお亡くなりになったのだそうです。ブルックナー研究の第一人者でしたが、あえて国際ブルックナー協会からは袂を分かって、彼独自のとてもユニークな全集を作ろうとしていましたね。ただ、鳴り物入りで始まったその新全集の刊行も、実際はそれほど順調なものではなかったような気もします。なんたって、現時点で普通の人が購入できるのは4番の第2稿だけなのですからね。 ホーネックの場合は、もちろん普通に手に入るノヴァーク版で演奏しています。彼のブルックナーは、とってもドラマティック、もう確信を持った表現で、ぐいぐい聴くものを引っ張っていきます。そんな芸風に、第2楽章の終わり近くに加えられたこのバージョンならではのティンパニと打楽器はぴったりです。他の楽章でも、ティンパニはまるで2人で叩いているかのように迫力満点でした。 それと、この曲は、おそらく彼の交響曲の中では最もフルート・ソロが活躍する曲なのではないか、と思っているのですが、ここでの首席奏者のローナ・マギーのソロは、どんな時でも他の楽器に埋もれないでくっきりと聴こえてきました。 録音も、1楽章あたりではちょっとヴァイオリンなどの音が伸び切っていないような印象がありましたが、フィナーレに入ったところで、気のせいかもしれませんが、音のクリアさが一段と上がっていたような気がして、もうノリノリの金管のパワフルさには圧倒されてしまいましたね。 カップリングの「Resurrexit」という曲は、2018年にホーネックの還暦祝いに委嘱されたのだそうです。タイトルはラテン語で「復活」ですね。作曲家のメイソン・ベイツという人は、クラシックの作曲家であるのと同時に、クラブDJとしても活躍しているそうで、オーケストラとDJが共演するような企画などにも関わっているようですね。 その曲は、ちょっとエキゾティックなスケールが使われた混沌としたシーンから始まりますが、ほどなくして、中世の有名なセクエンツィアである「Victimae Paschali Laudes(復活のいけにえを賛美せよ)」のメロディが登場します。後半はリズミカルな変拍子の嵐となり、盛り上がったところで、そのセクエンツィアが堂々と現れて曲を閉じるという、カッコよさです。ここでのオーケストラは、木管がブルックナーの2管編成から、3管編成に拡大されています。バスクラやアングレが参加するんですね。 SACD Artwork © Reference Recordings |
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調べてみると、彼は1978年生まれなのだそうです。パリのコンセルヴァトワールを卒業していますが、その前にはロンドンのギルドホール音楽院でも2年間学んでいるというのがユニークですね。 さらに、彼はまだコンセルヴァトワールに在籍中の22歳の時に、リヨン国立歌劇場のオーケストラの首席フルート奏者に就任したのでした。彼は、現在もそのポストにありますが、2005年から2006年にかけて、BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団の首席を務めていたこともありました。なんでも、イギリスのメジャー・オーケストラでそのポストを獲得したフランス人は、彼以外にはいないのだそうです。彼は日本のSANKYOの楽器を使っています。 そんなフルーティストが、普通はまずハープと共演することはないようなレパートリーを取り上げている、というのが、このアルバムの最大の特色です。まあ、プーランクのソナタぐらいだったら分かりますが、オリジナルはギターとの共演のピアソラの「タンゴの歴史」まで、ハープと一緒に演奏しているのには、かなりの興味がわきました。 まずは、オリジナルはフルートとピアノのために作られたプーランクの唯一のフルート・ソナタです。最初の楽章は、何の違和感もなく聴けました。ハープが奏でるソロパートなども、ピアノほどのタッチの鋭さがない分、なにか柔らかなテイストが感じられて、素敵でしたね。この曲自体が、やはりフランス人ならではの瀟洒な味わいが特徴ですから、ハープのタッチと音色が無理なく溶け合っているのでしょう。フルートも、伴奏楽器に対峙するといったスタンスではなく、そんなハープのある意味ユルい流れの中で、とてものびのびと演奏していました。 ゆっくりした第2楽章では、冒頭の長いフレーズを一息で吹いていて、ハープともどもゆったりとした流れを演出しているようでした。 終楽章では、ハープのリズミカルなタッチが際立って聴こえてきて、ピアノよりももっと躍動的なリズムが湧き出ていたように感じられました。このあたり、この聴き慣れた作品の別の面も聴かせてもらったような気がします。 アルバムのタイトルにもなっている「バディネリ―」は、バッハの組曲第2番の最後の曲ですね。それこそアンコールピースのように、テクニックを誇示する、というような演奏が多い中で、この2人は遅めのテンポで、この曲から「ダンス」としてのギャラントさを引き出していたようでした。「タンタカ・タンタカ」という冒頭のリズムを、繰り返したときに「タカタン・タカタン」というリズムで装飾していたのには、ちょっと驚きましたけどね。 バルトークの「ハンガリー農民組曲」というピアノ曲をポール・アルマという人が、全部で15曲ある中から1曲だけを省いて、ピアノとフルートのために編曲したものは、かつてはランパルなどがレパートリーにしていてよく耳にしていましたが、それを久しぶりに聴くことが出来ました。もちろん、ハープのバージョンは初めてです。最初のあたりは素朴なハンガリー民謡がそのままの形でフルートによって演奏されていたものが、終わりに近づくにつれて、技巧的なパッセージに変わるというアルマのプランが、ここでは胸がすくような軽やかな演奏で楽しませてもらえます。 その他の小品が何曲かあり、最後に演奏されているのがピアソラです。そもそも、これは「アルゼンチン・タンゴ」ですから、楽譜をそのまま真面目に「クラシック」として演奏されたものはあまり面白くありません。ところが、ここでは相棒がギターからハープに替わったということで、すでに「タンゴ」という単語が持つキャラクターを放棄していることになりますから、全く新しいアプローチでピアソラに挑むというスタンスになったのでしょう。そこでは、「タンゴ」にはこだわらない爽やかさが、光っていました。 CD Artwork © Orchid Music Limited |
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このアルバムのタイトルはラテン語で「神と機械」そしてサブタイトルとして「合唱とエレクトロニクスのための宗教音楽」とあります。ここでは6人の作曲家による、7つの作品が演奏されています。 演奏者はブレット・スコットという、シンシナティ大学音楽院(CCM)の教授の指揮による、CCM合唱団です。この合唱団はこの大学院の学生によって結成されているようですね。 演奏されている曲目には、アルバムのタイトルに沿った、合唱の他にエレクトロニクスが加わっている宗教的な作品が選ばれています。それらは特にこのために委嘱されたものではないようで、この中で最も新しい作品でも2015年に作られたものですし、最も「古い」ものは1969年に作られていますからね。 ですから、それぞれの曲の作風も、それぞれの時代が反映されていて、なかなか興味深いものがあります。たとえば、1970年に作られた、ダニエル・ピンカム(Daniel Pinkham/ 1923-2006)の「In the Beginning of Creation」という、旧約聖書の「創世記」の最初の部分をテキストにした曲などは、まさにその時代に作曲界をリードしていたあのペンデレツキを彷彿とさせる、「混沌」を前面に出した作風になっています。 そして、この中では唯一2曲を提供しているレイモンド・マレイ・シェーファー(Raymond Murray Schafer/1933-2021)も、先ほどの1969年の「イザヤ書」をテキストにした作品「Two Anthems (Yeow/Pax)」では、いきなり、まるで特撮映画の劇伴のようなチープな電子音に続いて、あの頃の「現代音楽」のような刺激的な世界が繰り広げられます。ここではオルガンの演奏も、エキサイティングですね。ただ、後半の「Pax」の部分は、まるでグレゴリア聖歌のようなシンプルな音楽になるのが素敵です。 もう1曲の「From the Tibetan Book of the Dead」という1986年の作品も、とても神秘的な雰囲気がむんむんの曲です。クラリネットとフルートが、その中で現世感を味わわせてくれています。 ジュリア・シーホルザー(Julia Seeholzer)という、アメリカ人で現在はポーランドで活躍している女性作曲家の2015年の作品「The Blessings of Aaron」は、旧約聖書の「民数記」のヘブライ語のテキストが使われています。このアルバムの中では唯一普通のア・カペラ曲として楽しめます。ここでは、アルバムのコンセプトに沿ってオリジナルにスクラッチノイズのような電子音を加えたバージョンが演奏されています。 新約聖書の中の有名なエピソード、「Seven Last Words of Jesus Christ from the Cross」をアラム語のテキストで音楽にしたダグラス・ネーハンス(Douglas Knehans/1957-)は、ソプラノ・ソロをループするという手法で、ドラマティックな作品に仕上げていました。 2012年に「Heart Sutra(般若心経)」というタイトルの曲を作ったマラ・ヘルムート(Mara Helmuth)もやはり女性作曲家。彼女は、学生時代に実際にシカゴの禅寺で座禅を体験していたのだそうです。タイトルに惹かれてもしかしたら、と思いつつ聴き始めたら、まずは、磬子(けいす)という、仏教寺院で「お経」を詠む前に叩かれる、大きなお椀状のスティールドラム(↓)そのものが聴こえてきたのには驚いてしまいました。 ![]() それは曲の前半だけ、その後は、同じテキストの英訳が、かなり様相の変わった、瞑想的な音楽で歌われます。般若心経の「表」と「裏」を両面一度に楽しめるという、なかなか得難い体験でした。 キリスト教、仏教と続いて、イスラム教のテキストに曲を付けたのがダニエル・ハリソン(Daniel Harrison/1987-)が2015年に作った「Shavad」です。これは、まさに現代のテイスト、ヒーリング系ミニマル、でしょうか。 CD Artwork © Ablaze Records, Pty Ltd |
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まあ、結論としては、テンポの設定などは、到底今の時代には考えられないものですが、それでも確かにこれからもこの演奏は残ることになるのでは、という思いにかられるものでしたね。そして驚いたのが、この録音ではクレンペラーが「新全集」の楽譜を使って演奏していたことでした。この世代の指揮者では、まず間違いなく「旧全集」を使っているのでは、と思っていましたから、これは衝撃的でした。考えてみれば、新全集の嚆矢としてフリードリヒ・スメントの校訂による「ロ短調」が出版されたのは、1955年でしたから、楽譜自体は既に存在していたので、それを使ったのには何の不思議もないのですけどね。 ただ、例えば、もっと時代が進んだ1973年から1974年にかけてヘルベルト・フォン・カラヤンによって録音された「ロ短調」では、しっかり「旧全集」が使われていましたから、こういうものが浸透するにはかなりの年数が必要なのでしょう。ですから、このカラヤン盤では当時のベルリン・フィルの首席フルート奏者、ジェイムズ・ゴールウェイが参加しているのですが、新全集では彼が吹くはずの「Benedictus」のフルートによるオブリガートは、「旧全集」の指示に従って、コンサートマスターのトマス・ブランディスが演奏しています。不満です。 さらに、学究的なことで知られるARCHIVというレーベルでさえも、1961年に録音された、カール・リヒターの演奏では「旧全集」が使われていました。そのくせ、こちらで紹介したように、ジャケットだけは「新全集」に即したものになっていましたね。 クレンペラーは、この「ロ短調」では、そのように楽譜に関しては先進的なことを行っていましたし、オーケストラや合唱のサイズについても、今では常識となっている「小人数」ということにこだわっていたのだそうですね。ここで歌っているのは、ウォルター・レッグがウィルヘルム・ピッツを招いて作ったフィルハーモニア合唱団(レッグが去った後も、オーケストラとともに「ニュー・フィルハーモニア合唱団」と名前を変えて、活躍していました)ではなく、BBC合唱団という、もう少し人数が少ないプロフェッショナルな合唱団でした。この合唱が、とても素晴らしいのですよ。まずは、1曲目の「Kyrie」では、冒頭のファンファーレで、とても若々しい声が聴こえて来たので、「これは!」と思ってしまいました。その後の長〜いオーケストラの間奏がやっと終わってテナーのパート・ソロが始まると、今度はそのピュアなサウンドに驚かされます。人数は少なくても一人一人のスキルはかなり高いものがあるようで、ちょっとアマチュアの合唱団などではまねのできないような完璧さでした。 そんなメンバーが集まった合唱団ですから、クレンペラーのとても遅いテンポに全くひるむこともなく、その一画一画をしっかり歌って、意地でも彼のやりたいことに貢献してやろう、というような思いまでも感じることが出来るほどでした。 「Credo」の最後近くの「Crucifixus(十字架に架けられた)」では、そのエンディングでものすごいことをやってくれました。次第にディミヌエンドを行って、行きついた先は聴こえるか聴こえないほどの超ピアニッシモですからね。そして、次の「Et resurrexit(そして、蘇った)」では、一瞬にして世界は全開、それは遅めのテンポとも相まって、ほとんど神々しいほどのたたずまいでした。 オーケストラも、なめらかなストリングスや、オーボエ・ダモーレの美しさには引き込まれました。ただ、ソロ・フルートが完全なイモ。こんな人の演奏では、「Benedictus」は聴きたくありません。 歌手たちはそれぞれに個性的でしたね。ニコライ・ゲッダがこんな歌い方ができる人だったなんて、意外。 Album Artwork © Parlophone Records Limited |
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おとといのおやぢに会える、か。
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