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裏地見る、黒子三つ。....渋谷塔一

(01/9/29-01/10/12)


10月12日

MOZART Linzer Sinfonie
STRAUSS Metamorphosen
Thomas Hengelbrock/
Deutsche Kammerphilharmonie Bremen
IPPNW/CD-11
重苦しいテロ関係の話題が続くこのところのニュースですが、そんな緊迫感のなか、久し振りに明るい話題を提供してくれたのが、日本人10人目のノーベル賞受賞の報道でしょうか?今回の業績も、人類の発展に大きく貢献するものだそうで、なんとも喜ばしい限りです。さて、ノーベル賞といえば、1985年、平和賞を受賞した団体をご存知ですか?「International Physicians for the Prevention of Nuclear War」略してIPPNW、日本語では核戦争防止国際医師会議という団体で、字の如く、核兵器を根絶すべく、残業などは平気で、日夜活動している国際的な組織です。
この団体は、音楽活動にも力を入れていて、趣旨に賛同する音楽家たちの協力で、数多くのコンサートを開き、その収益金も平和活動のために使用されているそうです。これはこのコンサートのライブ録音、もちろん、このCDの売上も活動の一環として使われるそうです。
さて、前置きが長くなりましたね。今回はとりあえず、私の好きなシュトラウスを取り上げてみましたが、何しろこのシリーズ、他にも興味深いアイテムがたくさん。例えば、メストの室内楽版「大地の歌」とか、アフラートゥスSQの現代作品とか、メジャーなレーベルでは絶対出ないようなものばかり。出回るアイテム数も限られているとかで、見かけたら、即おうちに連れて帰ることをオススメします。
今回のシュトラウスも、指揮をしているのが、なんとヘンゲルブロック。この指揮者、最近DHMからバロック物を立て続けにリリース。そのどれもが高い評価を得たドイツの新進指揮者ですが、よもやシュトラウスを振るとは!まったくうれしい1枚です。
まず、モーツァルトの交響曲36番「リンツ」。こちらは、最初のうちはオケのコンディションが良くないのか、少しばかりアンサンブルに乱れがあるように感じましたが、1楽章の後半からみるみる元気になってきて、精彩溢れる音を楽しむことができました。とくに終楽章が良くて、そう、まさに「チャーミングなモーツァルト」と言う表現がぴったり。
で、お目当てのシュトラウス。自称マニアの私、この曲はすでに何度聴いたことでしょうか。すっかり頭に入っているはずなのに、今回のヘンゲルブロックの演奏は、全く違った様相を呈しているとでもいうのでしょうか?大抵の指揮者、アンサンブルはこの曲にねっとりとした響きを与えます。その代表格があのカラヤン。これでもか。というくらいの厚みのある響きにはもう圧倒されるほかありません。
しかし、この演奏は、余分な響きを削ぎ落とした全く禁欲的なもの。悲しみも追悼も、全てが浄化された後のような静かなものなのです。最近聞いた彼のバッハと共通した響き。メタモルフォーゼンの音楽にすら祈りを見出す事、これがヘンゲルブロックの本質なのでしょうか。
深まる秋にふさわしい1枚です。

10月10日

TYLKO CHOPIN
Lora Szafran(Vo)
PNE/ECD 056
夏から秋への移り変わりは、本当に早いものです。2週間ほど前には、まだまだ半袖で十分だったのに、もはや夜など肌寒いくらい。ジャケット無しでは歩けないほどです。
今回は、そんな秋の訪れにふさわしい、素敵な1枚をご紹介しましょうか。題名は「ティルコ・ショパン」というポーランド製作のCDです。何しろ、ここのマスターは、これからの時期、練習前に、かのコンビニで「おでん」と「缶入りしるこ」を買うのが唯一の楽しみであるということですからね。
この「ティルコ」とはポーランド語で「ただ、〜のために」の意。収録されている12曲全てが、この言葉のついたタイトルを持ってます。「愛のために」「世界のために」「二人のために」なんだか昔流行った曲を彷彿とさせますが、ここでヴォーカルを担当している、ローラ・シャフランというポーランドのジャズ歌手もまさに、かつてその「世界は二人のために」という歌をヒットさせた相良直美(今は、どこでどうしているのでしょう)ばりの歌声。パワフルで、なおかつ、繊細さを持ち合わせている、一度聴いたら忘れられないくらいの存在感のある声の持ち主です。もちろん歌詞は全てポーランド語。字で見ると、なんだか良くわからない東欧圏の言葉ですが、実際耳にしてみると、驚く程明快で、力強く、美しい響きを持っていることを知りました。確かに、フランス語の柔らかい響きとは全く異なる言葉。ショパンが終生、祖国に憧れた気持ちの一端が窺い知れるような気がします。
最近でた、ヤゴンスキートリオのアレンジしたジャズもそうでしたが、ポーランドの人々は、やはりショパンに対して並々ならぬ愛情をもっているようです。1999年のショパン没後150年記念の年を契機にして、こういったアルバムが次々と発表されるのも、そういった理由からでしょう。このCDも元ネタは全てショパンですが、絶妙のアレンジのため、私の友人の「音大ピアノ科卒」の女の子も、最初ショパンのどの曲を使っているのかすらわからなかったのです。しかしよく聴くと、まぎれもなく彼の作品です。美しく変貌を遂げたこの12曲を、もしショパン本人が聴いたら、きっと大喜びしたに違いありません。
アルバムの最後に置かれた「私のために」。これが秀逸です。第2番の協奏曲からモティーフが取られていますが、もともとこの曲はショパンの初恋から生まれたもの。その切ない気持ちが、存分に生かされた、珠玉のような作品に仕上がっているのはさすがです。
しっとりとした風情に溢れた音を聴きたいときには、こういうのをオススメ。もちろん、彼女を口説くときにも効果的に使えることでしょう。私は試していませんが。

10月8日

ITALIAN OPERA ARIAS
Jane Eaglen(Sop)
Carlo Rizzi/Philharmonia
SONY/SK 89443
ニューヨークの秋のオペラシーズンは9月に始まります。しかし、シアトルのオペラ・ハウスでは、他の劇場に先駆け、1ヶ月早く、シーズンの幕が切って落とされます。今年のオープニングは、「ニーベルングの指輪」。人々は15億円かけて製作されたという、この宇宙へ向けてのプロダクション(スペース・シアトルって)に酔いしれたそうです。今年の8月、そう、まだニューヨークが平和だった頃の事です。誰が1ヶ月先の、まさに「神々の黄昏」を地で行くような惨劇を想像しえたでしょうか。
さて、それはさておき、その公演でブリュンヒルデを歌い大好評だったという、ジェーン・イーグレンの最新アルバムです。現在最高のワーグナー歌手として、アレッサンドラ・マーク、デボラ・ヴォイト、そして、ヴァウトラウト・マイヤーと共に並び賞される彼女、選んだ曲は意外なことに(失礼!)、イタリア・オペラ・アリア集。前作のシュトラウス、ワーグナーなどの、いかにもドイツそのものといった選曲とは、また違った彼女の魅力満載の1枚です。
第1曲目の、プッチーニの「ある晴れた日に」。前奏なしで、まっすぐに飛び込んでくる「Un Bel di,vedremo〜」これが、あまりにも繊細で美しい声なのには、びっくりしました。ちょっとニルソンにも似た、硬質の張り詰めた声をフルに生かし、細やかな感情を紡いでいくのです。彼女といえば(前作でもそうでしたが、)どちらかと言うと、力でぐいぐい押しまくるタイプの歌手である、(これはジャケ写のイメージも大きいですな)と認識していた私にとって、まさにうれしい驚きでした。
ほかのプッチーニのオペラのヒロイン達、トスカや、トゥーランドット、アンジェリカ、そして、フィデリア。イーグレンが歌うと、その誰もが、高貴で清らかで強い女になります。そんなところも、ニルソンを彷彿とさせるところですが。
カタラーニの「ワリー」、このオペラは、折り合いの悪い家同士の争いに巻き込まれる恋人たちの悲劇、まあ、「ロメオとジュリエット」みたいな筋ですが、このなかで、ワリーの歌う、「さようなら、故郷の家よ」だけが特に有名。切ない気持ちを歌い上げる名アリアで、あのフレミングも得意としています。この曲、そのフレミングとはまるきり違うアプローチなのも面白いところ。
カルロ・リッチの悠々としたオケの歌わせ方も聴き所。フィルハーモニアの弦の響きを全面に出しながら、歌にぴったりと寄り添い、引き立て、盛り上げます。何しろ、プッチーニやマスカーニは、オケが貧弱だとちょっと寂しいですからね。その点でも申し分なし。
さて、こうなると、次はやっぱりヴェルデイを出して欲しいですね。

10月7日

VIRTUAL MOZART
Experiments in Musical Intelligence
David Cope(Programmer)
Linda Burmann-Hall(Fortepiano)
Nicole A.Paiement(Conductor)
CENTAUR/CRC 2452
今日は、「いつもの行きつけのCD屋さん」ではないCD屋さんで面白いCDを見つけましたので、これをご紹介しましょうか。
いまどき新譜の売れ筋のセールなどは、どの店でも当たり前。普段なら2300円前後のCDが1800円ほどになるのは、だいたいどこでも同じ。それならば、ポイントカード狙いで、行きつけのお店で買いたくなるのが人情です。
私が狙うのはそういうアイテムでなく、どうもそのお店が仕入れに失敗したと思える商品。売れることを見込んで大量に仕入れたは良いが、だれも買っていかないために発生した売れ残り、私の「行きつけでないほうのお店」では、そういうバイヤーの不手際の産物を頻繁に格安で奉仕してくれます。今日も、そんなCDを4枚ほど買いこんで、にこにこしながら帰途についたというわけです。
そんな1枚。このタイトルからして怪しいではありませんか。ヴァーチャルモーツァルトとは、要するに性転換して年をとったモーツァルト(ばあちゃんモーツァルトかい?)、ではなくて、モーツァルトの全作品をデータベース化して、コンピュータに新たな作品を創造させるというものでした。1曲目がシンフォニー、2曲目がピアノ協奏曲、というもの。さあ、この試み、成功するのでしょうか。
コンピュータの限界を考えるまでもないことですが、出来上がった作品は、既存のモーツァルトの作品のフレーズが至る所に見え隠れするというもの。残念ながら、彼(コンピュータ)は新しい物を作り出せるだけの能力は持ち合わせていなかったようです。
だから、このCDは「モーツァルトもどき」として聴くのが正しい聴き方。「絶対彼(モーツァルト)ならば、こんな転調はしないだろう」とか、「こんな陳腐なフレーズの使いまわしはしないだろう」と一人にやにやするにはもってこいのアルバムかも知れません。そうですね、昔流行った弾厚作のピアノ協奏曲を彷彿とさせる曲、とでも言えば、想像がつくでしょうか?
これに輪をかけて、腰砕けなのが、演奏を担当しているオーケストラ(団体名の表示なし)。一応オリジナル楽器を使用、その上、ピッチもa=430と、凝りに凝ってます。もちろんソロもフォルテピアノ。しかしながら、なんともへなへなした演奏で、まるで活気が感じられません。最初、演奏もコンピュータかと思ったくらいですから。
曲自体は、素材が全てモーツァルトだけあって、組み立て方や発展の仕方に文句さえつけなければ、楽しく聞けるのですから、これを例えばアーノンクールに指揮をさせて、ピアノがレヴィンか何かなら、かなりいい線行ってたのかもしれませんが。
500円の暇つぶしでした。確かに定価ではあまり買いたくはないかもしれませんな。

10月5日

AROUND THE WORLD
José Carreras(Ten)
WARNER/CLASSICS 8573-85798-2
(輸入盤)
ワーナーミュジック・ジャパン
/WPCS-11061(国内盤)
以前は、「並ぶべく者もない最高のテノール」たちだったはずなのに、いつのまにか、出がらしのような存在になってしまった、「三大テノール」というユニットがあります。彼らが揶揄の対象と成り果てたのは、いつの頃からでしたっけ。
記憶を辿ると、そう、あの来日公演あたりが頭に浮かびますね。(それ以前の活動についてはマスターのファイルをご覧下さい)法外なチケット代、PAの乱用、もちろん野外。それにもかかわらず、公演に居合わせた方(年配のご婦人多数!)は感動しまくり。神宮で行われたコンサート、帰り道はみんなハンカチを握り締めていたとか。
その時アンコールで歌われたのが、今回のアルバムにも収録されている、「川の流れのように。」そう、あの大歌手カラス・・・・でなく美空ひばりの名唱でおなじみのあれです。
一部の感動の嵐をよそに、冷静なクラシックファン(そんなのいるのか?)は「もう3テナは終わり」と、早々に次期3大テノールを探し始める始末。
しかしながら、それ以降の彼らの活躍を見ると、あながち「終わった」とは言えないところが面白いのです。確かにパヴァロッティはちょっと衰えましたが、例えばドミンゴセンセイは、いまや最高の「ヘルデンテノール」。現役歌手のなかで、一番かっこいいワーグナー歌いかもしれません。
そして、このカレーラス。来年、彼のお気に入りの演目「スライ」を日本初演します。すでに、オペラ好きのご婦人方に大評判とかで、このCDも飛ぶように売れているそうです。人間が蝿に変わっていくというところは、どのような演出なのでしょう。気になりますね(それは「フライ」)。そんなわけで、まだまだ目が離せない存在なのです。
さて、今回のアルバムですが、世界を旅するカレーラスが、ツアー先などで、心に残った曲を集めたというもの。フランスからは、あの「愛の賛歌」、そして日本からは「川の流れのように」。他にも様々な国の曲が選ばれています。ただし、曲調がみんな同じ感じなので、あまり国ごとの特色は出ていません。あくまでも、カレーラスの美声を聴くためのアルバムといえましょう。
で、問題の「川の流れのように」です。いやぁ、いいですよ。日本語って、英語やドイツ語と違って、「1音1語」ではないですか。例えば、英語なら、3つの音で「I LOVE YOU」が歌えるのに、日本語では「あなた」しか歌えませんからね。1曲で伝えられる歌詞の内容は、ほんとうに少ないのです。それゆえ、1つの音を大切に歌えるという利点もありますが。
カレーラスは、正統派ベルカントでこの歌を歌うものですから、最初聴いたときは、かなり違和感がありました。しかし、「こぶし」をきかせているんだ。と思ったら、すんなり心に染みたのは、自分でもびっくり。日本語もなかなかのものです。
あと、笑えた・・いえいえ楽しかったのが、「愛の賛歌」。これからの忘年会に向けて、密かに練習する際のお手本にいかがでしょう?職場のおばちゃんに大うけ間違いなしです。

10月4日

LUMINOSA
Robert Prizeman/
Libera
WARNER/0927 40117-2
(輸入盤)
ワーナーミュージック・ジャパン
/WPCS-11100(国内盤)
オクスフォード・ニュー・カレッジ聖歌隊の「アニュス・デイ」とか、カンタムスの「アウロラ」とか、ワーナー系のレーベルには質の高い合唱団による「癒し系」のアルバムがたくさん有ります。ここで取り上げるのは、やはりワーナーのアルバムで、演奏者は「リベラ」。前述の2団体と違うのは、これは常設の合唱団ではなく、ロバート・プライズマンという作曲家/プロデューサーがレコーディングのために立ち上げたプロジェクトだということです。南ロンドンの教会の聖歌隊に所属している少年達から選りすぐられたメンバーによって録音されたファーストアルバムは、1昨年の末にリリース、国内盤も去年になってから発売されました。この中の曲がNHKのドラマのエンディングテーマに採用されたこともあって、一躍名声を博すことになります。
今回ご紹介するのは、彼らのセカンドアルバム。前作もそうでしたが、アルバムの構成としては、クラシックの名曲をベースにプライズマンが自由にアレンジした物と、プライズマンのオリジナル作品とから成っています。
アルバムの冒頭、少年の声だけでまるでグレゴリオ聖歌のように始まったのは、オリジナルの「Vespera」。なんと澄んだ響きでしょう。ホールトーンではない人工的なディレイであるにもかかわらず、とてもやわらかい仕上がりの音になっています。途中から入ってくる伴奏は、シンセ主体の控え目なもの、決してコーラスを邪魔したりしない、センスのよいものです。ここでソロをとっているスティーヴン・ジェラーティ君は、まさに天上から聴こえてくるような張りのある伸びやかな声、2曲目の「カッチーニのアヴェ・マリア」でも、素晴らしい歌声を聴かせてくれています。あのスラヴァで一躍有名になったこの癒しの定番に、また新たな魅力が加わりました。
Sacris Solemnis」(曲のタイトルはすべてラテン語)という曲は、もう一人のソリスト、ベン・クローリー君の、ちょっと内にこもった声で、同じ音の繰り返しのプレーン・チャント風に始まります。10秒ほど聴いたところで、やっとその正体が分かりました。これはベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章、なかなか鋭い着眼点です。同じように、サン・サーンスの「動物の謝肉祭」の「水族館」をベースにした「Lacrimosa」も、いいところを突いています。アルバムタイトルの「Luminosa」は、ドビュッシーの「月の光」、自由な構成が聴きものです。
普段一緒に活動していないにもかかわらず、この少年合唱のハーモニー、イントネーションは完璧です。イギリスの合唱界の基礎をなしている幼少の頃からの聖歌隊での訓練の成果を、またしても見せ付けられた思いです。
最後に入っているパッヒェルベルの「カノン」をベースにした「Sanctus」は、ファーストアルバムにも収められていました。だから、ここでは「SanctusII」。曲の最初からリズムを強調したバックで、いかにもキャッチーなつくりは、まるでエンヤのよう。そういえば、エンヤのアルバムも、ワーナーから出てましたね。

10月3日

MESSIAEN
Vingt Regards sur l'Enfant Jésus
Roger Muraro(Pf)
ACCORD/465 334-2
私の行きつけのCD屋さんは一日中新譜を掛けっぱなし(あたりまえですが)。このところは、なぜかメシアンがブームになっています。以前はLP6枚組で、10,000円以上もした「オルガン自作自演集」が安くCD化されたとかで、それがかかったり、「幼子イエス」はベロフとエマールがとっかえひっかえ(もちろん全部はきついので、各々30分ほどですが)。それにしても、毎日メシアンを聴きながら仕事ができるのですから、店員さんが羨ましくなります。
さて、今回の「幼子」は、現在リヨン国立音楽院の教授であるピアニスト、ロジェ・ムラロの演奏です。録音時期は、1999年ですから、あのエマールと殆ど同時期のもの。しかしながら日本では話題にならなかったのは、まったくマイナーレーベルの悲しさでしょうか。
なぜ今更この演奏が・・・というと、これもまったくメーカーの都合でして、一時期極端に入手困難だったフランスの良質のマイナーレーベル、アコールACCORDワコールではありません)、アダADDA、でもありません)、アデADÈS(もちろん派手でもないっと)などのかなりの種類のCDが、このたびまとめてムヂディスクMUSIDISCムチムチダイスキ・・・)から発売になったとかで、このCD屋さんでも大々的に展開してたというわけです。このCDもカタログで見たことがあっただけで、実物を見るのは初めて。「さあ、おうちに行こうね」とやさしくかごに入れたのは言うまでもありません。
さて、この演奏です。このピアニスト、ロリオの弟子で、過去のメシアンコンクールでも優勝。まさにメシアン弾きとして、名高い人なのです。フランス国内では、この「幼子」の全曲無料演奏会を開き、居合わせた日本人が大感激して、感想をHPにのせていたり。とにかくフランス国内では、とても名高い人のようです。
彼の演奏は、ベロフのような宗教がかった妖しい演奏ではありませんし、エマールのような、とことんテクニックを追求したものでもありません。もちろん、超絶技巧がないと弾きこなせない曲ではあるのですが、それを超えた、もっと深い祈りのようなものを感じました。もちろんメシアン特有の水晶のような光の煌きは、随所に見られますし、複雑に交錯するリズムの処理なんかもとても上手い。しかし、そんな中に一瞬見せる、戸惑いとも逡巡ともつかないなんとも形容しがたい「間」が、この演奏を独特なものにしているように思います。
私の好きな第15曲、こちらの静かな美しさにも感激。しかし、この曲って、ピアノの黒鍵の響きを堪能するためにあるんだな。そんなことまで考えてしまうほど、ごくごく自然な演奏でしたね。
フランスの鳥は、やはりフランス語で鳴くのでしょうね。そんな柔らかいニュアンスに富んだメシアンでした。

10月1日

AIR BLUE
高木綾子(Fl)
DENON/COCQ-83553
すごいジャケですね。男をそそる物憂げなまなざしからは、これがフルーティストのソロアルバムであることを認識するのは非常に困難です。もちろん、こんなことは、たぐい稀な美貌を兼ね備えたフルーティストである高木さんだからこそ可能なこと。トータルなイメージで付加価値を高め、販売促進の力にしようという商法、「J−クラシックス」の数少ない成功例と言えるでしょう。
今までの彼女のディスコグラフィー(といえるほど、たくさん出している!)を見てみると、ユーミンやカーペンターズといった、まっとうなクラシックファンにはちょっと馴染めないレパートリーが多いことに気付きます。しかし、きちんとした「フルーティスト」としての仕事も、していなかった訳ではありません。そういうものとしてはおそらく2枚目になるこのCDで、彼女は、全曲フルート1本だけで吹かれるソロピースを集めるという大胆な道を選びました。しかも、作曲されたのは17世紀から現代までという、様式的には全く異なる曲が集められているのです。まっとうなレパートリーでまっとうなフルーティストとしての存在をアピールしたい、そんな強い意志を、このアルバムからは感じ取ることが出来ます。
多くの人にはポップス系のCDが違和感なく受け入れられていることからも分かるように、高木さんのフルートは、不特定多数の人を捕らえて放さない、とても魅力にあふれたものです。穢れのない滑らかで伸びのある音には、一切を浄化する「癒し」の力すら感じられようというもの、時折聴こえるブレス音までもが、まるで天使の溜息のように思えてしまいます。だから、彼女の手にかかれば、ドビュッシーの「シランクス」や武満徹の「エア」でさえ、緊張感からすっかり解放されたメロウな曲に生まれ変わるのです。
録音場所である福島市音楽堂のアコースティックスも、その音の魅力を増す要因になっています。このページのマスターも、かつてここで演奏したことがあるそうですが、まるでお風呂場の中のような残響は、とても心地よい物だったそうですから。
もちろん、テクニック的にも感心させられっぱなしです。ユン・イサンの超難曲「エチュード第5番」を、この曲の初演者である、師、金昌国の教えを忠実に守って一生懸命演奏している姿には、頭が下がります。
ところで、高木さんは、現在開催中の「日本音楽コンクール」に出場されています。ちょうどタイミングよく、たった今3次予選を通過したという情報が入ってきたところです。10月の24日に行われる本選では、他の4人の予選通過者とともに、優勝をかけて演奏することになりました。このコンクールのフルート部門といえば、あの萩原貴子さんや藤井香織さんを輩出したところ、ここで栄冠を勝ち取れば、高木さんの演奏家としての将来は保証されたようなものです。このコンクールの格式から言うと、活躍の場はあくまで日本国内にあらかた限られてしまうと思われがちですが、高木さんのことですから、すでに世界へ向けて目は開かれていることでしょう。

9月30日

KLASSIZISTISCHE MODERNE Vol.1
Martinu,Stravinsky,Honegger
Christopher Hogwood/
Kammerorchester Basel
ARTE NOVA/74321-86236-2
(輸入盤)
BMG
ファンハウス/BVCE-38066(国内盤)
古楽界の大御所と言えば、そうですね。ピノック、ゲーベル、ガーディナー、アーノンクール、それにホグウッド・・・と言ったところでしょうか?
しかしながら、ガーディナーは先ごろ、ついにヴェルディに挑戦しましたし、アーノンクールに至っては、もう何でもあり。ブルックナー、ヴェルディ、果てはフランツ・シュミットなどなど。「えっ?アーノンクールって古楽の人だったの」なんて思ってる人も、推定5350人はいるはずです(うそです)。
さて、ホグウッド。オリジナル楽器によるクラシカルなスタイルで名高い指揮者です。彼の手によって初めて録音されたオリジナル楽器によるモーツァルトの交響曲全集(66曲!)は、その後の古楽の隆盛を導いた金字塔でした。ちなみに趣味はオーディオ(ケンウッドですね。はいはい。)、好きな女優はナタリーウッドだそうです。
その彼の新譜がARTE NOVAから出ると聞いた時は、あのレーベルなら、バッハ以前のレクイエムなんかに、かなり力を入れているから、そこら辺を強化するのかな、と考えたものです。しかし、曲目を見てびっくり。「えっ?ホグウッドってこんな曲が振れるの」なんて思った人も、推定5350人はいるはずです(これもうそです)。
実は、このCD、彼自身が首席客演指揮者を務めるバーゼル室内管弦楽団との共同プロジェクトとなるもの。このオーケストラは、現代音楽作曲家研究家、パウル・ザッハーによって1926年に設立されたもの。古典から現代までの幅広いレパートリーをカバー、特に設立当時活躍していた作曲家に作品を委嘱、多くの新作を世に送り出しました。ここに収録されている作品も全てこのオケのために書かれたもの、1930年前後の作品です。
ほんとにホグウッドにこんな曲が演奏できるのかしら・・・。しかし、こんな心配は、すぐに喜びに変わりますよ。バーゼル室内Oの設立20周年のために書かれたマルティヌーの「トッカータと2つのカンツォーナ」は、驚くような躍動感です。ちょっと背中が痒くなるような独特の音形を、ホグウッドは鮮やかに処理するのです。「おっ、凄い凄い」とにかくそんな曲なのですが、とても面白い。まあ、モーツァルトの得意な彼のこと、こういう歯切れの良い曲はかえってやりやすいのかも知れません。
ストラヴィンスキーの「ニ調の協奏曲」もなかなか。ブーレーズのような、崩壊一歩手前の音楽でなく、しっかり中身が詰まった演奏です。特に面白かったのが、オネゲルの「交響曲第4番」。第3番「典礼風」のような緊張感漲る作品から一転、実に叙情的な音楽(田舎の風景といったらいいのかも)をホグウッドは、哀切感を漂わせつつ、朗々を歌い上げます。何しろここは管が上手い。オネゲルの要求する音のアラベスクをものの見事にとらえ、完全に手中に収めている様は、見事としかいいようがありません。
「こんな現代曲が振れるの」なんて失礼なこと考えてしまって申し訳ありませんでした。

9月29日

HOMMAGE À HOROWITZ
Valery Kuleshov(Pf)
BIS/CD-1188
(輸入盤)
キングインターナショナル
/KKCC-2324(国内盤)
ホロヴィッツといえば、まさに真のヴィルトゥオーゾ。1904年ロシア生まれ、後にアメリカに帰化しました。一時、病気のため引退するも、65年カーネギー・ホールで復活コンサートを開くまでに回復。リスト、ラフマニノフの演奏に定評があったピアニストです。日本に初来日した時は、技巧的に少々衰えがきてて、「ひびの入った骨董品」なんて言われてしまいましたが、再来日の際は、さすがホロヴィッツ!きちんとした演奏をして帰っていきました。その一連の騒動は今でも語り継がれていますね。
そのホロヴィッツ、若い頃から、自分の超絶技巧をひけらかすのが好きで(まあ、当時のピアニストはみんな、そういった傾向はあったのですが)、アンコールでは、自作を弾いたり、編曲物を弾いたり(まあ、今のピアニストでいうとアムランやヴォロドスやサイみたいな人ですね)、とにかく人を唖然とさせるのがダイスキだった人なのです。
実際にその演奏を聴いた人の話では、「あまりにも凄すぎて何が何だかわからなかった」とか。録音には残っているのですが、どの曲もまるでゴドフスキーのショパンのように、元の旋律に過度な装飾を施した、きらびやかなもの。ピアニストなら一度は手がけてみたいと思う事は間違いありません。しかし、残念ながら、ホロヴィッツは自作の楽譜を遺さなかったのです。自分の編曲は誰にも弾かれたくなかったのでしょうか。それとも「弾きたかったら自分で聴きとってくれ」?しょふがないですね。
そう、ロシアのピアニスト、ヴァレリー・クレショフは、収録曲全てが、ホロヴィッツによって弾かれた超絶技巧曲の耳コピという力仕事のCD(だって楽譜が出版されてないのですからね)を発表しました。彼は、いわばホロヴィッツおたく、学生時代に聴いたホロヴィッツの自作自演に感動して、すぐさまそれを楽譜に書き下ろし、1987年のブゾーニピアノコンクールで演奏します。そこで金賞を獲得した彼は、その演奏のテープをホロヴィッツ本人に送ったのです。程なくして、ホロヴィッツから賞賛の手紙をもらい、その2年後にはクレショフはニューヨークでこの巨匠に合うことが出来たのです。ジャケットの写真はその時のもの、その時クレショフは「私の生徒にならないか?」との誘いを受けますが、それは巨匠の死によって実現はされませんでした。
このCDは、そんなクレショフのホロヴィッツへの思いでいっぱいのアルバムです。例えば、ホロヴィッツの自作の「カルメンのテーマによる変奏曲」などは、まるで3本の手で弾かれているかのように技巧的な曲ですが、 それを一音も漏らさず聴き取った上、平気で弾きこなしてしまっています。「どうだ、すごいだろう」とにやにやするホロヴィッツの姿がまるで目に浮かぶよう。最後に収録されてる、スーザの「星条旗よ、永遠なれ」では、ホロヴィッツの遊び心までもが最高に表現されていますよ。
(※このレビューは、1228日に一部改訂しました。)

きのうのおやぢに会える、か。


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