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音楽展望
吉田ヒレカツ

2002年7月7日  仙台市青年文化センター

2002/7/7記)

 グリーン・ウッド・ハーモニーというのは、1958年に仙台市に創立された合唱団だそうだ。今回めでたく50回目の定期演奏会を迎えるということで、バッハの大作「マタイ受難曲」を取り上げることになったと聞く。この合唱団、現在の指揮者の今井邦男のもとで合唱コンクールの全国大会に優勝した(「金賞」というのだそうだが)こともあるという実力の持ち主、ご存知のように日本のアマチュア合唱団のレベルは非常に高いものがあり、ある面ではプロをしのぐものもあるといわれているから、そこで最高位の評価を得たというのは、なまじのレベルではないはずだ。何でも、ソリストには外国からわざわざ高名な歌手を呼ぶということ、「マタイ」を実演で全曲聴く機会などそうそうあるものではない。久しぶりに合唱団の演奏会に出かけるのも、悪くはないだろう。
 会場は青年文化センターのコンサートホール、私がここを訪れるのは、おそらく初めてのことだろう。収容人員は800人程度の、以前エミリー・バイノンのリサイタルを聴いた横浜の「みなとみらいホール」と同じシューボックスタイプの、いかにも音がよさそうなホールである。かなり残響が多そうで、このようなバッハの教会音楽を聴くのには適しているのではないだろうか。何でも、合唱団だけでも90人近くの人数になるそうで、ステージの上は足の踏み場もないほど、多くの椅子が並べられていた。

 演奏は2時から始まるということであったが、その30分前から「プレトーク」と称して、地元のバッハ研究家らしき人物が作品解説をする時間が設けられていた。ただ曲を聴くだけでも3時間以上かかるというのに、その前にさらにこのような余計なものにまで付きあわされるとは、いささか腹が立ったが、主催者にしてみれば一世一代の大曲をよりよく理解した上で聴いてもらいたいという親切な配慮なのだろうから、まあ我慢することにしよう。話自体は、新約聖書の成り立ちから受難曲を説き起こすという高尚なもの、音楽面での言及がほとんどなかったのが好ましかった。それよりも、この時間が、少し遅れてきた観客が席に着くざわめきを解消していたのだから、結果的には親切な配慮だったのではないか。しかし、そのうちに、その遅れて入ってきた人たちが、座るところがなくなってしまうという事態が起ってしまったのには、驚かされた。結局、開演時間には、客席の両端と後ろは、座りきれなかった観客で埋め尽くされてしまったのである。これほどの客が集まるとは、おそらく主催者は予想していなかったに違いない。

 オーケストラは地元の仙台フィルが担当していた。ご存知のように、この曲は2つのオーケストラを必要とするもの、もっとも、バッハの時代であるから弦楽器はそんなに多くはないのだが、木管楽器はそれぞれ2本、合計で4本使うようになっている。仙台フィルの場合、メンバーは4人ずついるはずなので、全員で演奏するのかと思っていたら、フルートのパートなどは第2オーケストラにエキストラを2人入れていた。そのうちの一人が、なんと、先日コンサートを聴きに行ったばかりの立花千春さんではないか。このような立派なソリストをわざわざエキストラに呼ぶとは、この合唱団の演奏を少しでも良い形で支えたいという、このオーケストラの意気込みが伝わってくるようではないか。事実、この日の仙台フィルの演奏は、とても力の入った高水準のものであった。何よりも、弦楽器のアンサンブルが素晴らしい。イエスのレチタティーヴォを支える柔らかい響きは特筆すべきものであったし、第2部の後半、新全集の52番にあたるアルトのアリアにおける第2オーケストラによるヴァイオリンのトゥッティのオブリガートは、私がこれまで実演や録音で聴いたものの中でも最高の部類に入るものであった。もちろん、管楽器のソリストたちも確かな演奏を聴かせたくれていた。チェンバロやオルガンの通奏低音もなかなかセンスのよいものであった。ところで、このオルガンであるが、最初のうちは楽器が見当たらなく、しかし、確かにオルガンの音が聴こえているので不思議に思ってよく見ていると、どうやら小さなポータブル・キーボードらしきものを使っているようだ。しかし、聴こえているのは紛れもないポジティヴ・オルガンの音、あのような小さなキーボードからこんな本もののような音が出るわけはないと思い、休憩時間にステージのそばまで行って見たら、それはまさしくポータブル・キーボード、スピーカーも、足元に15cm程度の大きさのものが置いてあるだけである。これだけのもので、あのリアルなオルガンの音が出せるなんて!「AHLBORN」というこの楽器、どうやらこれが一番小さな製品だそうで、最高のグレードのものは、ホール備え付けのパイプオルガンにも引けを取らない音を出すようである。何かの機会に、またお目にかかることがあるかもしれない。

 さて、前置きが大変長くなってしまったが、今井邦男指揮する本日の主役、グリーン・ウッド・ハーモニーの演奏は、期待にたがわぬ充実したものであった。人数が多い上に、おそらく個人個人のレベルがかなり高いのであろう、実に余裕のある深い響きを聴くことが出来た。合唱のパートはまさに非のうちどころがない程の立派な演奏であったが、その中でもっとも素晴らしかったのはコラールであろう。4つのパートが完璧に溶け合って、理想的なハーモニーを形成していたのである。そこに加えて、今井の指揮はパッションあふれるロマンティックなもの、その表現に忠実に応えていた合唱団は、いくら誉めても、誉めたりないほどだ。
 反面、ソリストたちにはやや不満が残った。特にお粗末だったのが、エヴァンゲリストとしてわざわざドイツからやってきたディーター・ワグナー。まず、立ち居振舞いからして落ち着きがない。歌うときは前かがみに譜面にかじりついて、身体を左右に揺らしていかにも自信なさげ。事実、出てきた声といえば、張りのない弱弱しいもの、「繊細」といえば聞こえはいいかも知れないが、実態はファルセットを多用した、およそエヴァンゲリストにはふさわしくないものである。彼が歌い始めると、その場の緊張感が見る見る失われてしまう瞬間を幾度味わったことだろう。おまけに、歌っていない時の格好がまたひどいのである。楽譜をあちこちめくってみたり、眼鏡を頻繁に直したり、それだけならまだ我慢のしようはあるのかもしれないが、足を組んで座っているのを見るにいたって、怒りは頂点に達してしまった。いったいなぜ、こんな音楽家の風上にも置けないような輩が、この記念すべき演奏会に参加するようになってしまったのであろうか。
 これに対して、もう一人のテノール佐藤淳一は、比べようもなく素晴らしいものだった。彼が歌うレシタティーヴォの最初、「O Schmerz!」が聴こえてきた瞬間、まわりの空気がパッと変わってしまったのが良くわかったものだ。彼がエヴァンゲリストを歌っていれば、今夜のような緊張の乏しい時間を味わうことはなかったことだろう。
 実は私は、昔ヘルムート・リリンクが指揮をした「マタイ」を聴いたことがあるのだが、そのときエヴァンゲリストを歌っていたのが、この佐藤の師であるアダルベルト・クラウスであった。クラウスは、実に端正なエヴァンゲリストを演奏していたが、最後近くの「キリストは息を引き取られた」という歌詞を歌い終わったあと、深深と首を垂れ、続くコラールの間じゅうずっと下を向いたままでいて、とてつもない緊張感をかもし出していたことは今でも忘れられない。同じ場所、出番が終わるやいなや椅子に座り込んで落ち着きなく動き回っていた今夜のワグナーにそのような高次元の演奏を求めるのはもちろん無理な話だが、佐藤だったらあるいはそのような体験を味わわせてもらえるかもしれない。いつか、彼のエヴァンゲリストを聴いてみたいものである。
 もう一人の外国からの参加者、クルト・ヴィトマーは、最盛期の声こそ失われていたものの、豊かなキャリアに裏付けられた深みのある歌唱は、感銘深いものであった。

 ところで、ここで私が非常に残念に思ったことを書かせていただくのには、多少のためらいがある。今夜のコンサート、実はソプラノソロのパートはプロの演奏家ではなく、合唱団の団員が分担して歌っていたのだ。試みとしては悪くはない。団員のレベルの高さを誇示するのに、これほど効果的なやり方はないであろう。事実、充分プロ並みの実力を持っている人もいることはいた。しかし私には、彼女達が歌い始めると、確かな水準を持ったコンサートであったものが瞬時に仲間内にしか通用しないおさらい会に変貌してしまったと感じられたことの方が多かったのである。せっかく、合唱があれほどの完成度を示していたというのに、わざわざこのような全体の水準を下げてしまうような措置を取ったことは、理解に苦しんでしまう。良い演奏を届けたいという熱意があったのなら、ここはどうでもプロの歌手を呼んでほしかったものだ。そうすれば、たとえその歌手の出来が悪くても、合唱団の非にはならないのだから。

 つまらないことも書いてしまったが、全体として見れば、今夜の「マタイ」が極めて感銘深い演奏であったことは、紛れもない事実である。バッハの美しい音楽に酔いしれて、涙さえ流しそうになったことが何度あったことだろう。今井の指揮する合唱団は、バッハがイエスに寄せた「愛」を、見事に聴衆に伝えきっていたのだ。最後の合唱が終わったあと、しばしの沈黙のあとに割れるような拍手が巻き起こったことが、その事実を如実にあらわしていたのではないだろうか。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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