当時のパリは、フランス革命前のかなり物騒な状態だった。
軍隊にいた彼は、頻発する暴動に対応する日々が続いていたらしい。
そして、とうとう暴動に巻き込まれ命を落とすことになった。
さぞや無念だったろうと思ったが・・・・そうではなさそうなので驚いた。
どうして?

『オスカルは守れたから』
アンドレはぽつりと言った。
ぼくは、言葉に詰まった。
自分の命と引き換えに彼女を助けた?
彼は笑って、
『これでよかったんだよ』
とぼくを見て言った。 
『失明するのは時間の問題だった。それに・・・・』
片方の目が事故で見えなくなっていたのは聞いていたが・・・そんな・・・・
『じゃあ・・・ほとんど・・見えてなかったのかい?その目で護衛をしてたのか?』
『もうすぐ終わりだったから。おれの役目も・・・・』

終わりって・・・ああ、そういうことなんだ。オスカルは結婚するんだ。
ぼくは察した。
聞かなきゃよかった・・・悪いことをした。
『だからね。これでよかったんだよ。』
彼の笑い顔は泣いているように見えた。

「ほら、ここにサインが入ってる、デュランて。判りにくいけどね。」
神崎さんはそう言って絵を指差しながら続けた。
「見開きの皮表紙の下の所、この文も彼が書いたんだな。同じ筆跡のようだ。えーと、 “思い出だけは奪う事は出来ない” 意味ありげだな?」
「そうするとこの絵を描いたのはデュランという人ですか?」
おれがそう尋ねると神崎さんは頷いた。
「間違いなくベルナール・デュランだ。18世紀末の画家だよ。彼についてはフランス美術史を調べればすぐに分かる。沢山は載っていないだろうけれどね。彼は人気のある画家でないからね、昔も今も。逆を返せばこの絵が贋作というのは考えられないともいえる。それにしても・・・」
神崎さんはじっと絵を見つめながら 「これは彼の作品の中でもかなり出来が良い部類だ。そこそこの値段で売れるよ。勇君。」
と断言した。
「売る気はないです。父の形見ですから。ところで神崎さん、つかぬ事を聞いてもいいですか?この絵はその・・・母が見てもデュランて判るんですか?」

おれはずっと気になっていたことを聞いてみた。
「勿論。冴子さんなら判らないはずがないよ。彼の絵は良くも悪くも個性が強いからね。それがどうかしたのかな?」
神崎さんは怪訝そうな顔をした。
「実は、父の遺言で絵のことを調べるようにと母に言われて・・・それで調べているんです。母は、どうしても解らない様なら、助けてあげると言っているんですが・・・・どう思います?」

神崎さんは、少し考え込んで・・・どうやら思い当たることがあるらしく話し始めた。
「実はね、デュボーという有名なコレクターが今年亡くなってね。残された家族は、相続税の関係でコレクションの大半を処分することにしたんだ。デュボーのコレクションはどれもすばらしいものばかりだが・・・・・彼は曰く有りの物が・・・何か取り付いているとか、その・・・呪われているとかいう噂のある物が特にお気に入りでね。僕が思うに君のお母さんは・・・・」

神崎さんは気の毒そうにおれを見た。
彼はおれが見えることを知っていたし、彼自身も霊感の強い方だ。
古美術を扱っていて霊感のある人は意外と多い。
母のように、きれいさっぱり無いという方が珍しいのだ。
やっぱりそうなんだ!
色々知っていておれに黙ってたんだ!あのくそばばあ!

「解りました、見返りにチェックさせる気ですね、母は。デュボーのコレクションのどれが本当に危険かどうか。」
「多分ね。まあそれはともかく、ベルナール・デュランに関してはいい情報がある。今ジャックマール・アンドレ美術館で特別展が開催されてるんだが、かなりの数のデュランの作品が今回出品されているんだ。
ジャルジェ家から、かなり借り出せたそうだから。」
「ジャルジェ家!」
おれは思わず叫んだ。
「そうだよ、知っているのかい?ジャルジェ家というのはベルナール・デュランの一大コレクターでね。彼の絵の大半がここの所蔵なんだ。というのは、当時ジャルジェ家の当主が、彼のパトロンをしていてね。その関係もあるんだが、一番の理由は1789年以降ジャルジェ家ではデュランの絵を片っ端から集め始めたからだ。」
神崎さんはここで言葉を切り、意味ありげな目をおれに向けた。

「1789年の7月、デュランは”黒い髪の男”という絵を描いた。彼の日記によると、絵の依頼主はジャルジェ将軍の6番目の娘でフランス衛兵隊の部隊長だったオスカル・フランソワとなっているんだが・・・・記録ではジャルジェ将軍には、5人の娘しかいない。それに女性が軍人なんておかしいだろう。ジャルジェ家では、今もオスカル・フランソワの存在そのものを否定しているしね。」
オスカルが・・・いない?
「デュランの日記によると彼女はフランス革命の発端とされるバスティーユ陥落の際に死亡している。そして・・・彼女の死んだ1789年以降、ジャルジェ家の直系には女性はいなくなるんだ。」
「それって・・・どういう意味ですか!」
「女の子が産まれない訳じゃないんだ。女性は必ず早死にする。好事家の間では有名な話さ。」
「それって・・・絵が呪われてるとか・・・」
「噂だよ、噂! とにかくアンドレ美術館へ一度行って見るといいよ。特別展では図録も売られるだろうし、これは仏文・英文両方あるはずだ。ただし!」
「な、何かあるんですか?」
「実は、今回初めて”黒い髪の男”が一般公開されているんだ。僕も見に行こうとは思っているんだが・・・・・」
「お、脅かさないでくださいよ!神崎さん。」
「そんなつもりはないよ。でも知らないで行くよりは心構えがあったほうが良いだろう?」
「確かにそうですけれど・・・・・・・」

ジャックマール・アンドレ美術館へ向かう為、地下鉄に乗りながら今まで解った事をまとめて見る。
7月14日に死んだのは、やはりオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェだ。
そうすると、結婚はしなかったんだオスカルは。
だって衛兵隊も辞めてないし・・・
どうして結婚しなかったんだろう?なぜ?
ジャルジェ家はどうして彼女の存在を隠すんだろう?
それに女性は、必ず早死する?