日本に来てからの暫くの間、アンドレにとって落ち着かない日々が続いたようだ。
やはりカルチャーショックは大きかったようだ。
しかし、季節が巡って春になると、日本に住まうのも悪くないと思うようになったらしい。 彼は、桜の花がいたく気に入ったのだ。
家の前は公園で桜の木がたくさん植えてあり、淡いピンクのその煙るような花は、彼をいたく感動させたらしい。

理由は、”色が同じだ”ということらしい。
吐息まじりに
『桜は、オスカルの色だ・・・・オスカルの肌に似ていて・・・繊細で儚げでとても綺麗だ』
と言われた時は、ぼくの方が恥ずかしかったよ。
そういえば絵を見て君も同じようなことを言ったね。
覚えているかい?

 彼はぼくに自分のことをいろいろ話してくれた。
1754年8月26日生まれであること。
相次いで両親を亡くし、8歳のとき母方の祖母であるマロン・グラッセの働いていた貴族の屋敷に引き取られたこと。
そして、1788年10月28日にパリの町で暴動に巻き込まれて死んだことも。

「このノートに書いてある通り、叔父は君のお父さんに知っていることは全て話したからと言っているよ。」
ボリス・ヴィアン(元骨董屋の主ジャン・ヴィアンの甥)はそういうと肩をすくめた。
折角言葉が通じたのに・・・やはり進展なしか。
「そうですか・・・じゃあこの絵は1788年の11月ごろ男が売りに来たことしかわからないのですね。」
「そういうこと。だけどそれが絵の本当の持ち主だったのかどうかはわからないよ。」
「ただ叔父が言うには、もし1788年10月にパリで死んでいるならカタコンプかペール・ラシェーズ墓地のどちらかじゃないかって。」
「カタコンプ?」
「地下墓地のことさ。」

「で、カタコンプを見て来た訳?」
母は驚いたように言った。
「そうだよ、行ったことある?すごいよな。入り口に ”ここより死者の国” て書いてあるし、中を見た時、本当にびっくりしたよ!だって人骨がパーツ別に分かれて積んであるんだぜ。それもすごい数!それから・・・・・」
「そんなこと知ってるわよ。それより勇、あんた怖くなかったの?」
「だってお墓だよ。お墓ってめったにいないからさ。それにしてもあの中から探すのなんてまず無理だね。
どれが誰のだか訳わかんないよ。それとペール・ラシェーズ墓地の方、これは20区にあったよ。面積が43.2haもあって、だだっ広いのなんのって!一応事務所へ行って聞いて見たけれど、案の定肩すくめられたけだったよ。
なんでこっちの人って訳わかんなくなると肩すくめるんだろう?なんかさ、それで全て解決するみたいに思ってるぞ。いい加減すぎるよ、まったく。」
「文化の違いよ。 ”郷に入れば郷に従え” ・・・結局何も判らなかった訳ね」
「かあさん、墓標を一つずつ読んで来いていったって無理だよ。会話だってほとんど通じないのに、読むのなんてお手上げだよ!」
「そこまでは言わないわよ。そうしたら次の手を打たないとね、どうするつもりなの?」

母は “助けてやってもいいわよ ただし、頼みを聞いてくれるなら” という顔をした。
絶対頼りになんかするものか!
おれはすまして言った。
「明日カルナヴァレ博物館へ行って、それから日にちは決まっていないんだけれど国立図書館に行くつもりなんだ。オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェだよ母さん、最後のキーワード。」
「それはわかってるけれど、何故カルナヴァレ博物館と国立図書館なの?
第一フランス語が読めないって・・・」
「日本大使館で聞いたんだ、調べるならここがいいって。大使館は日本語が通じるし、肩をすくめられないし、やっぱ聞くなら日本人だよ。それに、国立図書館には助っ人が来るのさ!」