その絵がすっかり気に入ってしまったぼくは、滞在中の大部分をこの店で過ごすことになった。
店の主人ともすっかり顔見知りになったしね。
彼によるとあの絵は売り物ではないそうだ。
なんでも200年くらい前から、代々引き継がれているものらしい。
いわばこの店の権利書みたいな物だといっていた。

だから第二次大戦のときも、ドイツ軍に接収されないように大事に守られたということだ。
そして、不思議なことに誰もが皆絵の美しさに見とれて買う様子を見せるらしいのだけれど、誰も欲しいという人間はいなかったそうだ。
(そりゃそうだろう、彼が取り憑いているんだからね)

ではなぜこの絵が手に入ったか?
それは店の主人(名前をジャン・ヴィアンという背の高い初老の紳士だよ)が店を閉めるつもりでいたからなんだよ。
(後をついでくれる人がいないからだそうだ。)
もしぼくに買う気があるのなら喜んで売ろうといってくれた。
店主は多少霊感があるらしく、その絵が代々受け継がれていたにもかかわらず気味悪がってたんだ。

ぼくは絵を買うことに決めた。
それには絵の真の主である彼を口説かなければならない。
絵のそばにいる彼に向かってぼくは話しかけた。

『ねえ君、ぼくはこの絵をとても気に入ってしまったんだ。どうだろう?いっしょに日本へきてもらうことは出来ないだろうか?』
ぼくがそういうと、彼は少し考え込んで
『絵を大切にしてくれるなら』 といった。
ぼくは絵を買い取る旨を店主に伝えた。 店主は心底ほっとした様子を見せた。

元骨董屋店主ジャン・ヴィアンは今、パリ郊外のヴィリエ・ル・バクルに住んでいるはずだ。
メランテーズ渓谷を見下ろすとても美しい所だよ。

ヴィリエ・ル・バクルはパリから少ししか離れていないとは思えないほど静かな所だった。
ここにたどり着くまでは色々嫌な目にあった。
まったく!どうしてみんなあんなに不機嫌なんだろう?
それはともかく、問題は言葉が通じるかということだ。
ずいぶん昔からフランス語を習わされていたが(その理由は今回わかった)、おれはフランス語が苦手だ。
数の数え方は難しいし、物の名前に性別はあるわ、まだ英語の方が話せる。
うちの学校は中高一環校で、特に英語に力を入れていてその賜物ともいえるんだが。
あとはこのノートだけが頼りだ。

これは母から渡されたノートの2冊のうちの1冊で
(もう1冊は、父の書いた別の記録のコピーを貼って、調べたことのメモを書くという厄介なノート)父の覚え書きみたいなものだ。
そして墓探しの参考になることが、日本語とフランス語で判り易く書かれていた。
しかし、その参考ノートの情報も底をつきかけていた。
最初に書かれていたお墓の場所は跡形もなく消え失せていたし、骨董屋のあった場所は再開発で壊されてやはり跡形もなかった。
ここで情報が得られないと、残る手がかりはほとんどないのだ。

渡仏10日目、いまだ何一つわかっていないのだ!
溜息をつく。
英語わからないだろうか?無理だろうな・・・・・・

「ジュヌ・コンプランパ ムッシュー (わかりません)」
おれがそういうと、呆れ顔でおれを見て仕方がないといった様子で肩をすくめた。

英語で話して見る。
やはりだめだ。
ジャン・ヴィアンは悲しそうに肩をすくめただけだった。
やはり母に助けてもらうしかないか。

しかし、あの人がただで手伝うことなどあり得ない。
するとどんな取引が待っているのだろう・・・・人形だけは勘弁して欲しい。
しょうがない出直しだ・・・・・

「メルシー ムッシュー オーヴォア」
そういってその場を離れようとした時、背後から

「May I help you?」

振り向くと、そこには20歳ぐらいの若い男が立っていた。