『アンドレ、ベルナール・デュランは日記魔だって知っていたかい?』
家の前の桜が満開になった日、ぼくは切り出した。
『デュランが?いや俺には分からない。』
それからアンドレは、怪訝そうにぼくを見た。
『ぼくの友人がね、絵の関係の仕事をしてて教えてくれたんだ。日記はジャックマール・アンドレ美術館で保管されているそうだ。』
『何の為に?』
『彼の絵の研究の為じゃないかな。美術館には2冊、1784年から1791年の7年近くの日記があるらしいよ。デュランは毎日欠かさず書き続けて、その日買った品物の値段まで書いていたみたいだね。』
『惣・・・・・』

不審そうな彼のまなざし、ぼくは続けた。
『君のことも書いてあるよ。デュランは君の事を自分の子供のように思ってたんだね。』
『惣、もういい。』
『それから・・』
『いい!聞きたくない!』
『聞いて!アンドレ!』
『もういい!止せ!』
『アンドレ!オスカルがどうなったか知りたくないのか!』

止めろ!!!!!

拒絶と怒り、ぼくの頭の中に凄まじい衝撃。
こんなに強い力・・・ぼくは甘く見すぎてた。
周りの空気が変わる。重い・・・・
『もういい!もういいんだ!わかってるよ、ジェローデルと結婚して幸せに暮らしたんだ。
幸せに・・・・・毎日ドレスを着て・・・自分の夫のために装う。ドレス姿はすばらしく綺麗だ。子供が生まれて・・・一人?二人?オスカルに似てる?女の子?男の子?
幸せな毎日、辛いことなんか何もない・・・・おれのことなんか忘れて・・・・違うのか!そうだろう!』

(アンドレ・・・・君は・・・・そんな風に・・・)

彼の感情―頭の中に直接体当たりされるような―を遮断する、辛うじて・・・・
『考えなかったと思うのか!毎日毎日オスカルのことだけを考えてきたんだぞ!
絵なんか欲しかったんじゃない!オスカルが、オスカルが欲しかった・・・他に欲しいものなんか何もなかった!オスカルが欲しかったんだ!
煙るような黄金の髪も、サファイヤの瞳も、白い顔もばら色の指も何もかも総て!
抱きしめて、キスして、愛していると、お前だけを愛していると!そう言いたかったのに!』

彼に話を聞いてもらわないと!
―遮断を解く―凄まじいプレッシャー
耐えられる?

『アンドレ。どうかお願いだから・・・ぼくの・・』

(だめだ!拒否)
ぼくの声が聞こえてない

『誰にも渡したくなかった・・・他の男になぞ指1本だって触れさせたくなかった・・・』
頭をハンマーで殴られ続けているような感覚
続けないと!
このままでは、ぼくの呼びかけに2度と答えてくれなくなる。
(なんとかしなければ、なんとかしないと・・・・)

『アンドレ聞いて聞いて!お願いだ』

『傍にいたかった・・だけど・・・だけど・・・そんなことをしたらどうなるか解るだろう?
オスカルが他の男の腕の中にいるのを、幸せそうに微笑む姿を見なければならないんだ。おれには決して得ることができないものを・・・・・。
きっと!きっと全部ずたずたに引き裂いて・・・めちゃくちゃにして・・・そして・・・・
そうして・・オスカルを、不幸にする・・・
だから・・・考えた。オスカルの幸せな姿を・・・必死で・・考えた・・・オスカルの所へ行かないように・・・必死で・・おれは必要のない人間だと、何度も言い聞かせて・・・・・絵を見てた。絵だけ見ていた・・・・』
(だめだ!ああ!どうしたら・・・・)
空気が重い・・・神経がつぶされてしまいそうだ・・・重い
ふと見ると、目線の先には絵があった。ぼくは思わず叫んだ。

『オスカル、オスカルどうかアンドレを助けてあげて!』

『どんな気持ちで 耐え忍んだか解るか?生きてる間も耐えることしか出来なかったのに、死んでからも耐えて耐えて!オスカルがもう間違いなく生きていないとわかる年月が過ぎるまで・・・・・・・どんな気持ちだったか!お前に何がわかる!!』
(怒り!怒り!怒り! ああだめだ・・・ここで倒れたら・・・・)

『オスカル、オスカルお願いだ!アンドレを助けてオスカル、オスカル』

ぼくは何度も彼女の名を叫んだ

『・・・・・お前に何がわかる・・・・・』

突然強い風が吹き、公園に咲く桜の花弁がまだ散る時期でもないのに部屋の中へ入り込んだ。まるで吹雪のように・・・・アンドレは一瞬その光景に心を移した・・
(チャンスだ!)

『オスカルの色だアンドレ。オスカルの色だよアンドレ!』

アンドレがぼくを見た!
声が届くかどうかわからない。ぼくは呼びかける。

『オスカルは幸せになったと思うか!アンドレ?』

(もう一度!)

『オスカルは本当に幸せになったと思うのか?

『オスカルはどんな人だった?真直ぐで、純粋で、正義感が強くて信念を貫く、そういう人なんだろう?そんな人が簡単に仕事を辞めてしまうと思うのか』

(お願いだ!ぼくの声を聞いて!)

『自分の仕事に責務と誇りを持っていたのだろう? それに!君たちはそれまでどうやって生きてきた? ずっと二人でやってきたんじゃないのか! 片時も離れず、共に生きてきたんじゃないのか!』

(お願いだ!)

『 君が死んで彼女が幸せになれると思ったのか!幸せになれると思ったのか!』

(届いた!!!)

『君が死んで・・・幸せになれたと本当に思っているのか?アンドレ?
オスカルはね、結婚なんかしなかったんだよ。一生どこへも嫁がなかったんだよ。』

「私はまったく見えないから、惣さんから聞いた事と、自分の調べた事しか知らないのよ。 “黒い髪の男” も10日前に見に行って・・・私だってね、思ってもみなかったわよ。」
母は図録の “黒い髪の男” とおれを見比べながら言った。

「結局何もかも全部知ってたんだね。話してくれれば済む事じゃないか。どうしてこんな手間のかかることを・・・」
「これが、惣さんの遺言。つまりお墓探しは全部嘘。勇にアンドレとオスカルの事について調べてもらのが本当の目的。」
「どういうこと?なんでそんなことを・・・・」
「理由はあなたよ。オスカルの絵はずっとしまってあったの。それをあんたが見つけ出して・・・」
母は大きな溜息をついた。

「6歳の時よ。どこに行けば会えるのか?とか、結婚するとか、そのうち何処へ行くにも絵を離さなくなって・・・・挙句の果てに、探しに行くって家出を3回ほど。どう?思い出したでしょう。」
「嘘だろう?・・・・いや、そういえば・・・・・・・そんなこともあったような。」

母は呆れた様子でおれを見た。
「やれやれ!あの時は本当に大変だったのよ!結局、惣さんが ”天使は16歳だから君が17歳になったら探しに行かないと見つからない。彼女はフランス人だからフランス語も勉強しなきゃ会ってもお話できないよ。” って、根拠のない理由で強引に説得をして・・・そして、あんたは8歳からフランス語を習いに行ったという訳よ。その甲斐もなく録でもない会話以外は全然喋れないけどね。」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「だんだん落ち着いてきたけど・・・・勇、解るでしょ?自分の事なんだから。あんたは今でも絵に関しては挙動不審よ。」
「挙動不審?なんだよ!おれがいつそんな風に・・・」

「お黙り!」

おれは仕方なく口をつぐんだ。
「惣さんは ”オスカルのことを忘れたくない想いが強いんだよ” っていってね。オスカルのことを調べさせてきちんと整理させた方がいいって事になったの。」
「母さん・・・それってつまり・・・・・・・・」
「私もね、絵を見るまでは信じてなかったんだけど・・・・」

母は再び図録の“黒い髪の男”を見た。
おれもいっしょに覗き込んだ。
同じ顔のやつが笑いかけてる。
ああ、やっぱおれだ。だけどそれって・・・・おれがアンドレの生まれ変わりって・・・ことだよな??
じゃあ、じゃあ・・・・
「オスカルは?いるの?」