「いたたたたたた・・・・あたしゃ腰の具合が悪くてね・・・・おー痛い!」
アンドレは、寝台に横になる祖母を見つめて言った。
「つまり、おれが一人で行って来い・・・と?おばあちゃん。」

マロンはむくっと起き上がると寝台の横に置いてあった箱を取り上げてアンドレに手渡して言った。
「これが祝いの品。マルトに渡しておくれ。おまえの嫁はあたしの看病で行かれないからと、そう言うんだよ!鋭い追及があるだろうけど・・・絶対ばれるんじゃないよ!うまくかわすんだよ。頼んだからね。イタタタった。まったく年は取りたくないね。」
必要なことだけ言うと、取って付けた様に痛みを訴えながらマロンは急いで横になって布団を被った。
その露骨に仮病だと分かる下手な演技を見てアンドレは苦笑した。
「はいはい!分かりました。マルトにはくれぐれもよろしく伝えておくよ。」

結局、災いの種を蒔くのはおばあちゃんで・・・刈り取るのはおれか。
アンドレはジレのボタンを掛け終えると溜息をついた。
マルトばあさんが少しでも丸くなってくれてると助かるんだが・・・・
アンドレは考えた。
おばあちゃんがなっていないのに、マルトばあさんが丸くなっている?
アンドレは頭を振って、それから上着を着ると祝いの品を持って扉を開けた。

廊下へ出るとカトリーヌが慌しくこちらへ走って来るのが見えた。
彼女はアンドレを見つけるなり声を上げた。
「ああ、アンドレ!探したのよ。・・・その服で行くの?」
カトリーヌはアンドレの服装を品定めするように眺めた。
「何か・・・問題でも?」
アンドレは怪訝そうに聞いた。
「ううん、良かったわ・・・その色、合っているから。それより!貸し馬車呼んでおいたから。」
カトリーヌは言った。
「ああ、ありがとう。おばあちゃんに・・・頼まれたのか?」
「そうじゃないけど・・・ばあやさんは?」
「持病の腰痛が出たらしくて・・・結局おれだけ。」
アンドレは困ったように笑った。
「えー!そうなの。残念だわ、折角・・・まあいいわ。とにかく急いで!」
彼女はせき立てるようにして、アンドレを裏口まで連れて行った。
そこには馬車がいて・・・扉の前にはオスカル付きの侍女が三人立っていた。
「もうアンドレ!遅いわよ!ばあやさんは?」
アンドレは説明した。
「そうなの!それは残念ね。きっと喜ぶと思ったのに・・・」
侍女達は言った。
「どうかしたのか?」
彼女らの何か訳有りの様子が気になってアンドレは尋ねた。
「お嫁さん役を見つけたのよ、アンドレ。」
それを聞いて彼はたじろいだ。
彼女らはとんでもない事をしてくれたんじゃないだろうか?
「それって・・・まさか、ポリーヌやリリアンヌじゃ・・・ない・・・よな?」
「まさか!そんなの目じゃないわ。」
侍女のナタリーは平然と言った。
「目じゃない?」
「そうよ!詳しくは中にいるオスカル様に聞いて頂戴。」
「オスカル!オスカルがついて来るのか?」
アンドレは驚いて叫んだ。
「それは・・・オスカル様が説得してくださったからよ!」
「お礼は中でね。」侍女達は言った。
「行き先は?パリの何処までなの?」
カトリーヌはアンドレに聞いた。
「××××通りだが・・・・」
「それじゃパリの××××通りまでお願いね。」
彼女は御者に声をかけた。
その間に他の侍女達はまだ何か聞きたげに自分達の方を向いているアンドレをそのまま馬車に押し込んで急いで扉を閉めた。
扉が閉まると同時に馬車は動き出した。

馬車の中に押し込まれたアンドレは少しの間成す術もなく扉を見つめていたが、仕方なく中にいるオスカルの方に身体の向きを変えた。
馬車は分厚いカーテンが引かれていたので薄暗くてよく分からなかったが、オスカル以外誰の人影も見当たらない。 多分途中その娘を拾って行くのだろう、アンドレは考えた。
「ばあやは?」
オスカルの声が尋ねた。
「持病の腰痛が出たから・・・結局おれだけ。」
「そうか・・・それは残念だな。」
オスカルは言った。
「オスカル、カーテンを開けるぞ。」
アンドレはカーテンを開けようとした。
「だめだ!ベルサイユを離れるまでは。」
「何故?」
アンドレはその理由が分からずオスカルに尋ねた。
「ベルサイユを離れれば分かる。」
薄暗闇の中、オスカルは答えた。

馬車の中は分厚いカーテンが引かれていたこともあって・・・気詰まりだった。
それでなくともこの4・5日色々あったので尚更だった。
オスカルもあれから一言も喋らず黙ったままだった。
アンドレは考えてみたが・・・オスカルが、ロザリーの代わりに誰を見つけ出したのか見当もつかなかった。
わざわざ見つけてくれたのは、あの件が・・・自分が悪かったと思ってくれたからだろうか?
自分の方から礼を言うべきなのだろう。
しかし・・・・・
オスカルに言い出したら引かない所があるのは、誰よりもアンドレが一番よく知っていた。
何か裏がありそうで、アンドレは素直に礼を言う気にはなれなかった。
アンドレが思わず溜息を付きそうになった時、オスカルが彼の名を呼んだ。
「アンドレ・・・」
「なんだ?」
「済まなかった。わたしはおまえの気持ちを考えてなかった。許してくれ。」
オスカルはぽつりぽつりと言った。
それを聞いてアンドレは、聞こえないほど小さく溜息を付いた。
「ロザリーの為を思ったのだろう?もういいさ。おれも意固地になって・・・・悪かった。」
沈黙が訪れた。
暫くしてオスカルが口を開いた。

「最初・・・カトリーヌ達におまえの結婚話を聞いた時、無性に腹が立った。何故わたしに一言もないのかと。」
「だからあれは・・・・」
アンドレの言葉を制してオスカルは続けた。
「分かってる。だが・・・分かったのだ。そういう話があっても少しもおかしくない事に。それどころか過去にもそういう出来事があって・・・」
オスカルは溜息を付いた。
「わたしが知らなかっただけなのかもしれないな。」
「そういう話は一切ない。」
アンドレは言い切った。
「それでもいつかはおまえも誰か好きな娘と結婚して・・・」
「結婚なぞしない。」
「いつかだ、いますぐではなくて。」
困ったようにオスカルは言った。
「だから!しないといったろう!」
いくら望んでも・・・・出来ないのだ。
「では、このまま一生独身か?わたしに付き合うとでも?」
「ああ。」
「馬鹿な事を!」
「おれの勝手だ。」
「では・・・・結婚したい娘が現れたらどうする?」
目の前にいる!
「そんな女・・・絶対に現れない。」
「わたしはもしも?の話をしているのだ!」

「おまえはそんなにおれを他の女と結婚させたいのか!」

アンドレは叫んだ。
叫んでしまってから・・・アンドレはカーテンが引かれているのを感謝した。
今自分がどんなに惨めな有様か分かったから・・・
気まずい雰囲気が二人を包んだ。
暗い馬車の中、オスカルの溜息が一つ聞こえた。

「他の女と結婚させたくなかったから・・・ロザリーと結婚させたかったのだ。」

オスカルは不機嫌に言った。
アンドレは呆気に取られて・・・そのまま、その言葉を繰り返した。
「結婚させたくなかったから・・・・・ロザリーと・・・させたかった?」
「ロザリーならおまえを渡さなくてすむと思った。」
「渡さなくて・・・すむって・・・・」
オスカルは苛立たしげに言った。
「だからそう思った。そうすればずっとこのまま一緒にいられると!今までのように変わらずにずっと・・・・それだけだ。」
「このまま一緒に・・・・いられると思った?」
「もしおまえが結婚したら・・・今までのようにいつも一緒にいられない。だからそれは・・・・困る。」
「困るって・・・・」
「困るのだ!もう聞くな。わたしにも分かっている。これが子供じみた独占欲だということぐらい!分かっている・・・」
再び沈黙が訪れた。
暫くしてからやっとアンドレは口を開いた。

「おれならロザリーを安心して任せられるから・・・・ではなく?」
「・・・・後で考えたらそういう利点もある事に気づいた。」
「・・・・一石二鳥だな。ついでにロザリーを手元へ置いておける・・・か?」
「・・・・それも後で考えた利点だ。」
アンドレは溜息を付いた。
「おれとロザリーが結婚すればずっとこのまま何も変わらないと?本当にガキの発想だな!」
「いい考えだと思ったのだ!」
オスカルはふて腐れたように言った。
「・・・・今でもそう思っているのか?」
アンドレの言葉にオスカルは答えた。
「・・・・だから謝ったろう?アンドレ。」

「ベルサイユを出ましたよ!」
外から御者が大声で怒鳴った。
オスカルはそれを聞くとアンドレに言った。
「悪かったな暗くて。ベルサイユでこの姿を見られるのは・・・・悪いがそちらのカーテンを開けてくれ。」
それからオスカルは自分側のカーテンを引いた。
急に入った光にアンドレは目を細めた。
そして、明るさに慣れた目に映し出されたオスカルの姿から・・・目を離すことが出来なくなった。
サファイアの瞳と透き通るような白い肌はいつもと変わらず同じだった。
しかし唇は、いつもよりもっと鮮やかな色で・・・暫くしてそれは口紅を差しているからだとアンドレは気づいた。
見慣れたはずの髪もいつものように好き勝手な方は向いておらず、耳元の髪は編込んでほつれない様にされていて後の髪と一緒にすっきりとまとめられていた。
服もいつもの軍服ではなく、青地に花柄のよく見かける婦人服だった。
それには白い大きなレース地の付け襟がショールのように掛かっていた。
服は少々くすんだ様な地味な色だったが、その為に透けるような白い肌が一層際立って見えた。
「何をしてる。そちらのカーテンもだ。」
オスカルはアンドレに命じた。
しかしアンドレはオスカルから目を離せず、多分言葉も耳に届いてはいないであろう、ぽかんと口を開けてオスカルを見つめたままだった。
オスカルは苛立たしげに舌打ちすると、彼を押しのけるようにして彼の横にあるカーテンを開けた。
「オスカル・・・なのか?」
アンドレはやっとの思いで口を開いた。
オスカルはアンドレに顔を近づけると答えた。
「そうだ!わ・た・し・だ!今まで話していたのは誰だと思った?」
「い、いや・・・・あっ・・・その・・・」
「わたしがロザリーの代わりだ。今日1日わたしがおまえの妻だ。分かったか?返事は!」
「ウィ!」
オスカルはアンドレの返事を聞くと、“ふん!” というような素振りをして、それから窓の方を向いて外の景色を見つめた。
アンドレは先程と変わらず呆然とオスカルを見つめたままだった。