1789年 7月3日 パリ デュランのアトリエ

 「いったいどうなさったのです?まさか期限が早まったとおっしゃられるのではないでしょうな。」
突然のオスカルの来訪にデュランは驚いて叫んだ。
オスカルは少し照れくさそうに笑い ― それは一瞬のことだったが ― すぐにいつものシニカルな笑いに変わると 、
 「たまたま近くまで来たのでね、進み具合はどうだ?」
と、ついでに立ち寄ったのだといわんばかりにさらりと言った。

 「順調でございますよ。わざわざ進み具合を見においでなら少しお見せしてもよろしいのですが、たまたまでしたらお時間を取らせても申し訳ありませんのでお見せするのは止めておきましょう。」
デュランがそう返答したので、オスカルは呆れたように彼を見た。しかしすぐに苦笑すると言い直した。

 「相変わらず人が悪いな。ああそうだよ、わざわざ進み具合を見にきたのだよ。」
 「初めから 素直にそうおっしゃればよろしいのです。」
彼は済まして答えた。それを聞いてオスカルは苦笑した。
 「ああ、そうだな。で?進み具合は・・・」

彼は 「少しお待ちください。」と言うと、散らばった紙のの中から何枚かを選びオスカルの元へ戻った。
そして 少し考え込んでからその中の一枚をオスカルに手渡した。
オスカルは彼からそれを受け取ると、暫くの間、じっとそれを見つめていた。
随分時間が経ってようやくオスカルは口を開いた。

 「こんな顔だったか・・・・」
 「これではお気に召されませんか?」
それには答えず、オスカルは淡々と言葉を続けた。

 「顔が・・・思い出せないのだよ。少しも・・・・・・・・・顔だけでない、背格好は?話し方は?癖は?それから好きなものは?それから・・・・・・・それから・・・・どんな風に笑ったのか?・・・・・それから・・・・・」
 「オスカルさま。」

彼女は絵を見つめたまま続けた。
 「おかしいだろう?私が殺したのに・・・・私の不注意で・・・あんな馬車で行けばどうなるかもわかっていたのに・・・・私が殺したのに・・・思い出せない・・・・・どうして?どうして?」

 「もうお止めなさいませ!」

デュランは慌てて叫んでオスカルが話すのを遮った。
オスカルは話すのを止めたが、デュランへ向けた顔にはなんの表情も浮かんでいなかった。
その様子が、9ヶ月前のこと −アンドレの死を− 彼女の心の中で少しも整理できていないことを彼に分からせた。

 「あなたさまの所為ではありませぬぞ。」
 「では誰の?一体誰の所為だ!」

デュランは小さくため息をつくと言った。
 「それでもアンドレは幸せでしたでしょうに。あなたを守ってあなたの為に死ねたのですから。」
 「私の為?私は望んでいない!」
オスカルは叫んだ。
 「そんな事誰が望むか!わたしは、わたしこそが死ぬべきだった・・・わたしが・・・・わたしが・・・・」
彼女の唇が震えるのが分かった。
 「そうではございません!」
デュランは叫んで、それから心底困ったような顔を見せると 「オスカルさま。そうではないのです。そうではなく・・・・申し訳ございません。いい方が悪うございましたな。」と言って黙った。
そしてデュランは、少し考え込むと、その考えをまとめるようにゆっくりと話し出した。

 「オスカルさま、アンドレはあの馬鹿者は・・・あなたの死ぬのなぞ、絶対に見たくなかったのですよ。 だからこそ身を挺して暴徒からあなたを守った。それが自分の命とひきかえであったとしても。確かにこれはあなた様の望んだことではないし、言い換えればアンドレの無謀で身勝手なわがままとも言えない事もない。しかし、」
デュランは言葉を切った。そして小さな子供を諭すような優しい口調で
 「一度きりの、アンドレの最初で最後のわがままです。許しておあげなさいませ。」
と付け加えた。

 「・・・・・・・・あまりにも・・・ひどい・・・・わがままだぞ・・・・・」
それ以上オスカルは続けることが出来なかった。
デュランは初めて彼女が泣くのを見た。