1789年 7月2日 パリ デュランのアトリエ

茶色の床はデュランのまわりだけ一面真っ白になっていた。
そして今描きあげた絵も同様に床に捨てられる運命か否かの瀬戸際だった。

絵の中の男は床に捨てられた絵に比べるとかなり穏やかな瞳になっていた。
デュランがいつも彼の瞳の中に見ていた、激情と諦観、そして切なさは抑えられていたから。
そう、そういったものを抑えなければならない。今回の場合は!

いつもの彼なら、隠された感情を強調して絵として表す。
それが肖像画の本人の本当に姿を示す為の本分であると確信しているからだ。
しかし、彼は迷っていた。絵の依頼主であるオスカルのことを考えたからだ。
出来は悪くない。問題は・・・・・・

“この絵は残酷です。他の男に心を奪われた姿が永遠に残るから”

突然アンドレの昔の言葉を思い出し ― それは思い出したくないことだったので ― デュランは不機嫌になって毒づいた。
 「この世に女など腐るほどおるのに、よりにもよってあの大ばか者は・・・・・」

彼は立ち上がると部屋にある棚の方へ向かった。
そして、そこに山のように積まれたスケッチブックの中から一冊を引き抜いて取り出した。彼はページを捲っていき、目当てのものを探し出した。
デュランはその絵をぼんやりと見つめた。

アンドレに描いてやったように描く?装丁も同じようにして?
あまりにもばかばかしい考えに
 「恋人同士でもあるまいに!あの方は一番の親友の面影を求めておられるだけなのだぞ!」
そう言うと、デュランはスケッチブックに力を入れて閉じた。
彼はそれを棚にしまうと、再び先ほど描き上げた絵を見つめた。

ありのままに描いたところで何もお気づきになられぬだろう。
だが、もしアンドレの想いを知っておられたのなら?
彼は溜息をついた。

 「“この絵は残酷です”か・・・・・」