―黒い髪の男の絵(ベルナール・デュランの日記より)―
01
1789年 7月1日 ベルサイユ フランス衛兵隊本部
「呼びつけて済まなかったデュラン。相変わらず元気そうだな」
オスカルは、彼を案内して来た兵士を下がらせるとデュランに椅子を勧めながら言った。
デュランは彼女に勧められた椅子に腰掛けると開口一番、「肖像画を描かせておいでだそうで?ボナームならギリシャ神話に喩えてさぞや凛々しく描くことでしょうな。」 と答えた。
苦笑いしながらオスカルは弁解した。
「絵のことは済まないと思っている。けれどあなたが描く私は必要以上に女性らしくて、私にとっては気恥ずかしいのだよ。」
その言葉はまさしく火に油を注ぐようなものだった。
彼はオスカルを睨みつけると 「なにが気恥ずかしいですか!」 と叫んだ。
「このような機会はなかなかないので言わせていたたきますが、あなたはご自分のことがまったくお判りになられておりませぬ!あなたさまは!正真正銘!間違いなく!女性でございますぞ!」
「ああ。だがデュラン・・・」
「ようございますか!わたくしは見たとおりそのままのあなたを写しているだけですぞ!何が必要以上ですか!大体あなたは・・・」
「ああ分かった。その話は・・・」
「いいえ!お判りになってはおられませぬ!今日こそは!」
「デュラン!」
彼女が厳しい口調で名前を呼んだのでデュランはようやく口を閉じた。それから徐に 「・・・・・お忙しいからこそ、職場になぞ私をお呼びになったのでしたな。」とつけ加えた。
「ああ。だからその話はまたの機会だ。」
オスカルが答えたので、デュランは渋々頷いた。
「あなたの絵を描けということではないのは分かりました。ではどのようなご用件で?」
オスカルが話そうとするのを遮ってまたしてもデュランはまたしても叫んだ。
「オスカルさま!まさか私に政治犯の似顔絵でも描かせるおつもりではないでしょうな!仕事が減ったとはいえそんなことは絶対に・・・・」
「デュラン。」
オスカルはまたしても彼の名を呼び、呆れた様子で見つめた。
彼は決まり悪そうに口を閉ざした。
その様子にオスカルはくすくす笑いながら 「デュラン、まず人の話を終わりまで聞くものだ。私が頼みたいものは政治犯の似顔絵ではないのだよ。」 と言うと言葉を続けた。
「アンドレの絵が欲しい。持ち歩ける大きさで、期限は7月10日。」
部屋にお茶が運ばれてきた。
ティーカップを口に運ぶオスカルの顔をじっと見つめるデュランに気づき、彼女はフッと笑った。
「顔色が悪いか?最近、人に会うと必ず言われる。」
それを聞いてデュランは彼女を睨んだ。
「生活態度を改めるようなら言わせていただきますが、そんな気がさらさら無いお方に何を言っても無駄ですからな。」
それを聞いてオスカルは苦笑した。
「相変わらず手厳しいな。酒はやめたよ。」
「酒よりもっと悪いものがありますぞ、仕事です。さっさとおやめになって、あなたを妻にしたいという物好きな近衛連隊長の元へ嫁いでおしまいなさいませ。」
「・・・・昨日、本人にも言われたところだ。」
「それは、それは!では善は急げです。すぐに退役して・・・」
「それが幸せか?」
デュランはオスカルの顔を見つめた。
「結婚された方がよかったと申し上げているのではありませぬ。私は仕事を・・・」
オスカルは冷ややかなまなざしで彼を一瞥して、それからカップに口をつけた。
「あなたなら・・・いや、あなたは真っ先に仕事を辞めろという口だな。」
デュランは暫くオスカルを見つめていたが、自分もカップを持つとお茶を一口に飲んた。
オスカルは彼に微笑んだ。
「すまなかった。こんなご時世だ。私の身を案じてくれているのは分かるのだが、誰も彼も皆、判を押したように同じで少々食傷気味でな。」
「皆でございますか。」
「ああ。」
「アンドレなら?」
オスカルは飲むのをやめ、デュランを見た。デュランも彼女を見つめた。
「彼ならどうすると思いますか?」
オスカルはすぐに答えなかった。そのかわり、目を伏せると手に持ったままのカップの中身をじっと見つめた。
「アンドレなら言わない。」
暫くしてオスカルはポツリと呟いた。
その様子をデュランは悲しげに見つめた。
それから、仕方ないといった風に大げさに肩をすぼめた。
「まったく!はなはだ不本意ではありますが、仕方ありませぬな!」
その言葉にオスカルは顔を上げた。デュランは続けた。
「絵の件でございます。引き受けさせていただきましょう。どうせ他にあてなどないのでしょう?」
「・・・すまない。デュラン」
「礼には及びませんぞ、これが私の仕事ですからな。絵の大きさは?持ち歩ける大きさといわれましたが・・・」
「これの内ポケットにしまえるように。」
オスカルは答えた。
それを聞くと、デュランは立ち上がった。
「もう・・・行くのか?」
「時間がありませんからな。」
「無理を言ってすまない。」
「お気になさる必要などございませんぞ。これが私の仕事でございますからな。ああ、それから部下の方に伝えていただいきたい事が一つ。」
オスカルは怪訝そうに彼の顔を見た。彼は笑って答えた。
「今度出してくれるのならお茶ではなく、コーヒーにするよう言っておいていただけますかな。最近コーヒーに凝っておりましてな。」
それだけ言うと、デュランはそそくさと部屋を後にした。
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