ソファに身を沈めるとオスカル・フランソワは空を睨み付けたまま一言も発しなかった。クレマンは暫くの間その様子を見つめていたが 「何か問題でもありましたか?」 と尋ねた。

 「何もあるものか。」
 「その割にはご不満そうですが?」
オスカルはちらりとクレマンを見てそれからまた空を睨んだ。クレマンは黙ったままオスカルを見つめた。

 「私はあそこの従業員がしくじるのを初めて見たぞ。」
暫くして、オスカル・フランソワは言った。

 「案内係は棒立ちになって口が聞けなかったし、給仕は芝居のように大げさにグラスを床に落とした。皆、ポカンと口をあけて見ているだけだった。女優やモデルとさんざ遊んでいるカルノーですらだ。奴は勿論、気を取り直して説きにかかったがな。」
 「まあ、そんなものでございましょう。」
オスカルは何も言わず話を続けた。

 「進学先が話題になってクレッソンが・・・息子がフランと同い年でなくて助かったと言い出した。」
 「名門グラン・ゼコールへの入学は至難を極めますからねえ。ライバルは一人でも少なくですか。」
 「違う!もし同じリセにでもなったら勉強に手がつかなくなって試験に失敗するからだ。」
 「おやおや、それはそれは。」
 「そしたらジャックが、『男だけじゃない、きっと女の子もさ。だから教師達が全員頭を抱えるだろう。』と言いだして・・・」
オスカルは不愉快そうに黙りこんだ。しかし少しすると話を続けた。

 「皆、フランに手を出さないのはヴァーノンぐらいだと口々に言った。そしたらヴァーノンのヤツが、二人きりにされたら30分しか持たないと断言したので・・・」
クレマンが爆笑した。

 「クレマン!」
 「彼がですか!愛人の一人すらいない政治家の風上にも置けない、あの恐妻家の堅物が!彼にそこまで言わせましたか!流石ですね、素晴らしい!」
オスカルはもう何も言わず、クレマンを睨んだ。クレマンはひとしきり笑った後ようやく言った。

 「あなた方はフランの前でそんな話をされたのですか?」
 「するわけないだろう!エデッィトとヴァレリーが相手をしてくれていた時だ。」
 「それでは学生時代のあなたがどれだけ遊んでいたかお二人から伺ったことでしょう。」
 「そんな可愛らしい話ならいいさ。したのは政治情勢と経済動向だ。」
 「フランがお二方にお話を合わせたのですね。」
 「他の奴らにもそうだった、あの馬鹿者が!」
 「ですが、お話から察するに皆様には好い印象を与えたようではありませんか、あなたの目論見通りに?」

オスカルはクレマンを見た。クレマンは厳しい表情でオスカルを見つめている。
 「ああそうだ、その通りだ。」
  オスカルは答えると体を起こし、膝に肘を置いて手を組んだ。

 「誰もが皆、娘を賞賛し、褒めそやした。“ありとあらゆるもの持っている。完璧だ。素晴らしい!前途洋洋。君も鼻が高いだろう。”それから・・・」
オスカルは小さく息をついた。
 「帰り際、エデッィトに言われたぞ。“私はすぐにジャルジェの名を捨てるよう忠告しようと思ったけれど杞憂だったわね。”とな。」

 「お立場に相応しいように完璧に演じ上げた。いつものことです。」
クレマンが答えた。
 「皆、あれが素だと思う。」
 「全部とは申しませんがそれもフランの一側面でもあります。」
 「あれは一側面でもない!大体私の娘だぞ!それなのになんだ、あの様は!!エデッィトもそうだ!彼女には娘の相談相手になってもらうつもりだったのだぞ!それなのに!あれでは・・・」
 「うっとりと恋する少女のよう、ですか。」
その言葉にオスカルはクレマンを睨みつけた。
 「何が”少女”だ。」
 「でも遠からずと言ったところでしょう?」
クレマンはオスカルに向かって微笑んだ。オスカルは何も言わず彼から視線を逸らすと空を睨んだ。

 「何故あんな態度を取る?」
 「身を護る為です。」
 「だが、あれでは逆効果だ!!」
 「好奇や哀れみの視線は誇り高いあの方にとって屈辱以外の何者でもない。」
 「分かっている、だが!」
 「あの方は脆いのです。」
オスカルはクレマンを見た。

 「脆くなどない。フランは強い子だ。」
 「そう、強い。だが脆いのです。それとも繊細と言った方がよろしいかもしれませんね。」
クレマンは言い直した。
 「そう、フランは・・・あの方は、触れただけで壊れるほど繊細です。それを隠す為に、知られないようにする為に繊細さから無縁であるのを装われる。」
オスカルはクレマンを睨んだ。

 「何が言いたい?」
 「花婿選びは難航します。」
 「ああ、そうだな。クレマン。だからこそ」
オスカルはクレマンを見た。
 「あれを護れる夫が必要だ。違うか、クレマン。」
 「ええ、それはもう。」
クレマンは答えるとにっこり微笑んだ。

 「ところでシャレット氏は花婿候補役について何か言っておられましたか?」
するとオスカルは不自然に視線を逸らした。それを見てクレマンは眉をひそめた。
 「辞退したいと言われた。」
オスカルはクレマンを見ずに答えた。

 「・・・厄介なことになりましたね。あの方ならゲメネ様でも渋々認めるでしょうに。」
 「そうではない。」
 「と、申しますと?」
 「想定外の展開だ。」
オスカルは答えた。クレマンは少し考え込むと 「ああ、成程。分かりました。」と、納得した様子で頷いたので、オスカルは不可解そうにクレマンの顔を見た。

 「私はまだ何も言ってはいないぞ?」
 「花婿候補役ではなく、候補をしたいと仰ったのでしょう?」
クレマンはにっこりと笑った。それを見てオスカルは不愉快そうにクレマンを睨んだ。

 「ヴァレリーの奴の忌まわしい申し出は、お前の中では想定の範囲内の出来事か?」
 「ええ、それはもう。」
 「素晴らしいな。それはカードによる占いか?それとも予知か?」
 「誰でも思いつく単純な推測ですよ。」
 「ほう?誰でもか?私は塵ほども想像すらしなかったぞ!」
 「おやおや、そうですか。まあそれはいいとして・・・承諾なさったのですか?」
 「誰がするか!」
 「あの方なら少しは望みあると思うのですが・・・」
 「一体どこがだ?」
 「見た目が少し勇に似ています。だから・・・」

 「クレマン!」
 「何か?」
クレマンはニコニコ笑った。オスカルは 「中身がまるで違う。」 とだけ答えて彼を睨んだ。

 「それはそうでしょう。ですがあの方なら何とかなるかもしれません。」
 「何ともならん。ヴァレリーは娘のことなど何も分かりはしない。」
 「あの方ならすぐに気づかれるでしょう。そうすれば尚更フランに惹かれるかと。」
 「年が22も違うのだぞ!!私と同い年だ! 」
 「そのくらいの差があった方がよろしいかもしれませんよ?」
 「あいつだけには父親と呼ばれたくない!」
 「ですがフランが気に入られたら?」

オスカルは苦虫を噛み潰したような顔をして黙り込んだ。
クレマンはニッコリと笑った。

 「強力な花婿候補は一人増えたおかげで親族会は楽になりますね。」
 「それよりお前の方はどうなっているのだ?」
 「何がでございますか?」
 「占い師候補だ!親族からの候補は5名だぞ?」
オスカルはクレマンを睨み付けた。クレマンは驚いたようにジャルジェ家の当主を見つめた。

 「3代先まで用意出来ておりますが・・・何かご不満でも?」
 「誰も了承はしていないだろう!ステファンは本人から断ったと聞いた。アランも断固拒否だとな。」
 「ル・ルーもおりますよ?」
 「まだ9歳だろう!それに!彼女はローランシー家からの候補者だ!」
 「ル・ルーはともかく二人からは何も聞いてはいないのですが?おかしいですね?」
クレマンは考え込んだ。

 「・・・お前に聞く気がないのだろう?」
 「わたくしが!まさか!」
クレマンは驚いた様子で声を上げて否定した。それから疑い深そうな目で自分を見つめる主に微笑んで見せた。
 「では、アランにさせましょう。」
 「いいかクレマン。先ほど言ったようにだな、アランは絶対に・・・」
 「ご心配なく。快く引き受けてくれますよ、アランは。」
そう言うとクレマンは嬉しそうに 「うふふ。」 と笑った。オスカルは彼を横目で見た。

 「・・・どんな弱みを握ったのか知らんが、私の所からはアランを推していいのだな?」
 「はい。」
それを聞いて、オスカルはふうと息をついた。

 「何もかも順調に進んでいる。」
 「そうですね。“一応”、順調に進んでいます。」
クレマンは“一応”を強調して答えた。
オスカルは何か言おうとして口を開きかけたが何も言わなかった。

 「クレマン。」
暫くしてオスカルは彼の名前を呼んだ。
 「何か?」
 「勇はどうしている?」
 「帰国の準備をしていますが・・・ああ心配はありません。帰国後暫くは護衛を付けさせますが、必要はないでしょう。これで彼は二度とフランに関わる事はありませんからね。」
クレマンはそう答えるとニッコリと笑った。
それを聞くとオスカルは苦虫を噛み潰したような顔をしてクレマンを見つめた。

 「おや、どうかなさいましたか?」
 「別に、何もしていない。」
 「仰りたい事がないのなら、フランの様子を見てまいりますが・・・よろしいでしょうか?」
オスカルは何も言わなかった。クレマンは 「それでは私はこれで。」 と挨拶をすると部屋を出た。

クレマンが部屋に入ると、優李は丁度バスルームから出てきたところだった。
クレマンは彼女の姿を見ると残念そうな顔をした。
 「どうかしたのか?」
優李は不思議そうに尋ねた。
 「折角の美女振りでしたのに・・・」
 「もう12時だぞ。それに、あのドレスは着心地が今一つよくない。」
優李は不機嫌な声で答えた。それから何か思い出したのか、考え込むような仕草をするとクレマンを見た。

 「どうかなさいましたか?」
 「クレマン、お前はヴァレリー・シャレットを知っているか?」
 「ええ存じておりますよ。投資会社をお持ちになられておいでです、あなたもご存じかと思いますが?」
 「ああ。勿論知っているよ。それでクレマン、やはりそれが本業なのか?」
優李の問いにクレマンは不思議そうに首をかしげた。
 「いや、今日の話振りからするとバングラデッシュ企業が本業のように思えてな。」
優李はそれだけ言うと苦笑した。
 「確かに・・・あれも投資には違いないが・・・」
 「違いますよ。あれは慈善事業です。」
クレマンはきっぱりと答えた。それを聞いて優李は一瞬驚いた顔をしたが納得した様子で頷くと苦笑した。

 「確かに、あれは慈善事業に近い感じだ。それにしても・・・一体どちらが本当の彼なのだろう?」
 「慈善事業はあの方のライフワークです。」
 「だが、本業ではハゲタカかハイエナ呼ばわりされている。」
 「つかみどころのない楽しいお方でしょう?」
 「お前ほどではないよ。ところでクレマン・・・」
優李は一瞬躊躇うような素振りを見せた。
 「どうかなさいましたか?」
 「いや、いい。何でもない。」
 「彼はただの候補役です。」
クレマンは答えた。優李は驚いた様子でクレマンを見返した。クレマンはにっこり笑った。

 「5月の親族会の際は、親族の方々があなたの花婿候補を準備しておられるのはお話しましたね。ですからムシューはシャレット氏にお願いを。」
優李は目を伏せるとクスリと笑った。

 「あれくらいでないと、わたしの夫は務まらない、か。」
 「お気に召したのならば役ではなく・・・」
 「役でいい!」
優李はあわてて叫んだ。
 「役でいいからな。」
クレマンに念押しすると、優李は話題を変える為か「ところで、父と彼には何かあったのか?」と尋ねた。

 「何か、といいますと?」
 「父は彼に対しあまりいい感情を持っていないように思えたのだ。」
優李の問いにクレマンは楽しそうに頷いた。
 「ええ。それはもう!昔色々ありましたからねえ。」
クレマンは懐かしそうにつぶやいた。
 「成績はいつもデットヒート。ガールフレンドは取ったり取られたり・・・他にも色々。永遠のライバルですか。輝かしい青春の一コマですよ。」
 「そんな過去の話を今も引きずっているのか?」
 「いえいえ現在進行形ですよ。」
クレマンは楽しげに答えた。
 「最近のビジネスではシャレット氏の連戦連勝か?」
 「プライベートもですよ。ムシューの分はきわめてよろしくありません。」
それを聞いて優李は苦笑して頷いた。

 「それにしても高校のクラス会だと聞いていたが、政治家と官僚だらけだったぞ。選挙の話。雇用と移民問題。そういえば・・・エデッィトという女性が産業大臣に就任するようだ感じだった。今の大臣は辞任させられるのか?」
 「さあ、わたしは政治には興味ありませんから。それよりそんな話しかなさらなかったのですか?」
 「ああ。他に共通の話題などなさそうだし、わたしはフランスの情報に疎いからな。」
 「そんな話よりシャレット氏からムシューの学生時代の話でも伺えばよろしかったのに。」
残念そうにクレマンは言った。

 「父を皆が英語読みで “オスカー” と呼ぶ理由だけは聞いた。他は・・・特にないな。久しぶりのクラス会という感じではなかったし。」
 「ほとんどがパリ在住の方々です。政治家と官僚だらけなのは、ムシューのクラスからはサイエンスポからエナへ進まれる方が多いからですよ。」
 「エナ?ああ。フランス国立行政学院か、エリート官僚養成校とかいう。」
 「政治家になるのもエナを卒業するのが一番の近道です。」
 「父は私にもそれを望んでいるのか?」
優李は横目でクレマンを見ながら尋ねた。

 「政治家になるかは別として、あなたが社交界へデビューして、ゴシップや艶聞の中を優雅に泳ぎ回れるなどとは思っておられませんよ。」
 「当たり前だ。」

優李は心底不愉快げに言い捨てた。それを見てクレマンは顔を曇らせた。優李はクレマンの様子に気が付いて 「何だ?」 と尋ねた。

 「今日の集りは内輪の集まりというより、ムシューが信頼されておられる方々です。」
 「知っている。今晩はわたしの顔見せの為にわたしを連れて行ったのだろう?」
 「それだけではありません。」
 「彼らは父のブレインの一部でもある。違うかクレマン?」
優李は冷ややかに答えた。

 「それもありますが、その前に大切な友人です。その友人達に愛娘のあなたを会わせたかった、それだけですよ。」
 「・・・そうには思えなかった。」
 「いいえ、それが一番の目的です。ですが、もしあるとしたら・・・学生時代の友人の特別さを見せたかったのかもしれませんね。気心の知れた友は社会に出てからではなかなか得られませんからね。」
 「つまり、わたしにもそういうものが必要だということか。」
 「ええ。勿論そうです。」
 「だが、それが何になる?せいぜいビジネスで役に立つぐらいだろう?」
 「そういう方もおられます。ですがそればかりではない。」
 「そうかな?」
 「ではあなたは勇をどう思っておいでなのですか?」
クレマンは尋ねた。優李はクレマンを見ると睨み付けた。

 「親友だ。かけがえのないな。ただの友人ではない。」
それを聞いてクレマンは優しく尋ねた。
 「そう思っているのなら、大切にしなければなりません。」
 「わたしがしていないとでも?」
 「遠ざけて置くだけでは大切にしている事にはなりませんよ?」
 「で?わたしに何をしろと?」
優李は話を打ち切ろうとするがごとく投げやりに尋ねた。

 「あなたは一度勇と話さねばなりませんよ。」
 「いつも話している。」
 「会ってです。電話やメールではありません。」
 「そんな時間はない。追試で失敗するとあいつは本当に留年するぞ。」
 「あなたが教えて上げればいい。昨年臨時のガードをしていた時のように。」
 「わたしに時間がないのだ。親族会までしなければならない事だらけだろう?」
 「あなたにとっては大したことではないでしょう?」
 「そうでもないさ。色々勝手の違う事ばかりだ。考えるだけ頭が痛い。」
 「気を使い過ぎるからですよ。」
 「まさか。」
 「使いすぎです。少なくとも今日はすべきではありませんでした。」
クレマンは残念そうに言った。その様子に優李は苦笑した。

 「特別使った訳ではない。いつもと同じだよ。」
 「明日は午前中が空いておりますよ。勇に会えます。時間を作りましょう。」

 「必要ない!」

優李は声を上げた。しかしすぐに気づくと決まり悪そうにぎこちなく笑った。
 「明日はいい。少しゆっくりしたい。それに昂と早めの昼食を取る約束をした。時間はない。」
それだけいうと優李は目を伏せた。

 「そうですか。それでは仕方ありませんね。」
 「・・・アンドレが帰国するまでには会う。」
 「4日後には帰国します。」
 「・・・知っている。飛行機は夕方の便だ。その日は一日空ける。」 優李は顔を上げると微笑んだ。
 「そうですか。分かりました。」
クレマンは言った。

 「それよりもう休ませてくれないか。今日は疲れたよ。昨夜は遅くまで起きていたから。」
 「それは気が利きませんでした。」
優李は微笑んだ。
 「悪いな、クレマン。」

優李は寝室のドアへ歩いた。そしてドアを開け、クレマンを見た。
クレマンは 「お休みなさい。よい夢を。」と声をかけた。
優李は少しの間クレマンを見つめた。しかしすぐに目を伏せるとそのまま 「おやすみ」 と声をかけ、ドアを閉めた。
クレマンは部屋にいたガードに 「頼みましたよ。」 と声をかけると部屋を出た。

グラン・ゼコール
フランス独自の教育システムで大学とは別系統の高等教育機関の総称。クレマンの言ったのは、フランス国立行政学院(エナ)や理工科学校、高等師範学校、パリ政治学院(サイエンスポ) などのエリート養成学校を指す。これらはほんの一握りの人間しか入学できないので競争は熾烈を極めるらしい。