日は沈み、鐘は鳴り終えた。銀龍はリオンに言った。
 『絶対の約束。我はそなたに服従を誓おう。』
(ジャルジェ家覚書ヨリ)

こうして兄は銀の龍を、そして後に黒の龍をも従えた。
彼らは兄があの魔導師ギィネルを倒しながらもレビデルの矢で命を落としたその最後の時まで兄に忠誠を尽くした。それはネラも同じである。
兄の従者と同じ、ネラと名付けられたプランタ・ゲニシダの野生馬は、兄の元を片時も離れず添い続けた。そして兄の死を看取り、ネラは後を追うように死んだ。
私は兄の遺言通り、ネラを兄の墓に埋めた。(アンリ・フランソワ記ス)

 「難しい顔をなされて・・・何かあったのですか?」
クレマンが不思議そうに尋ねたのでジャルジェ家の当主は睨みつけた。
 「分からないのか?」
クレマンは彼をじっと見つめると答えた。
 「会社で不具合が起こったのですか?」
 「馬鹿者が!娘が大怪我することが解っていて!それなのに私に連絡もせず!銀龍と戦わせたお前に対して怒っているのだ!」

オスカルはとうとう怒りを爆発させた。しかしクレマンは平然と答えた。
 「でも、お教えしたら許可などされませんでしょう?」
 「当たり前だ!」
 「では仕方ありませんねえ。」
 「何が仕方ありませんねえだ!死ぬところだったのだぞ!!!」
 「この通り大丈夫でしたが?」
しれっとしてクレマンは言った。

 「馬鹿かお前は!!!それに何だこれは!何故一緒の病室なのだ!それもベッドをぴたりと並べて!」
 「いけませんか?」
 「クレマン!」

当主はクレマンを怒鳴りつけた。クレマンは肩をすくめて見せると二人のベットの境の辺りの布団をめくって見せた。
二人の手は互いにしっかりと握り締められていた。

 「何だ、これは・・・」
あっけにとられてオスカルは言った。
 「ご覧の通りです。」
占い師は答えた。

 「・・・離せ。」
 「無理です。」
 「私が離せと命じているのだ!」
クレマンは困りはてたといった様子で考え込んだ。
 「医師達も何とか離そうとしたのですよ。ですが、それはもうしっかりと握られていて解こうにもどうにもならなくて・・・」
 「今すぐ離せ!」
当主は叫んだ。しかしクレマン首を振って見せただけだった。

 「私の言葉が分からなかったのか!私は!今すぐ離せといったのだ!」
 「でも・・・そうすると指を一本一本切り落とすくらいしか方法が・・・」
いいかけてクレマンはびっくりしたようにジャルジェ家の当主を見た。
 「私としたことが何と言う迂闊!そうです!その手がありました!」
彼はそう言うと空に向かって何かを囁いた。すると突然短剣が現れ、彼はそれを掴むと二人の握られた手を取ろうとした。

 「もういい!」

オスカルは慌てて叫んだ。クレマンは振り返って不思議そうな顔つきで主を見つめた。
 「でも、このままでよろしいのですか?切り落とせば確実に・・・」
 「人でなしめ!無謀で非常識の恥知らず!!」
オスカルは怒鳴った。それを聞いてクレマンは嬉しそうに笑った。

 「我が真名と称号に相応しい賛辞。光栄にございます。」
 「お前という奴は・・・」
オスカルは怒りの余り震えた。しかしクレマンはそんなことなど一行に介さずニコニコと笑った。

 「黒のお方は、フランをジャルジェ家最強の女性だと、それはもう嬉しそうに仰いました。これはもう最高の賛辞だと思われませぬか?」
 「ほう?嬉しそうだったか。それがどうした!」
 「きっと心の中では、誰かが167年前の約束を反故にしてくれる事を願っておられたのかも知れませぬ。それが初代の血と力を受け継ぐ者であった。これほどの喜び他にあろうか!でございましょう?」

クレマンはまるで自分の事のように嬉しそうに言ったのでオスカルは思わず怒りを忘れて呆れた様子で彼を見つめた。
 「やはりお前は、人外のものの心しか分からないようになっていたか。」
 「人の心ほど分からぬものはございませぬからね。違いますか?」
オスカルはクレマンを睨んだ。クレマンはニッコリと笑って見せると真顔になった。
 「それよりもこれからが大変です。」
オスカルは冷ややかにクレマンを見つめた。

 「お前になど言われなくとも分かっている。まず娘を親族に正式に披露し、手が出せぬのを知らしめる。」
 「おや、それだけではないでしょう?」
オスカルはクレマンを睨んだ。
 「そうだ、あれに相応しい夫が必要だ。」
それを聞いてクレマンはにっこり笑った。

 「ジャルジェ家継ぐ為に必要な知力、体力、品格に能力と才能があるお方。そしてゲメネ様すら当主として渋々でも認められるような相手でございますね。ですが一番は、フランにふさわしい、彼女が受け入れるお相手。お忘れにならぬように。」
オスカルはむっとして返事を返した。
 「当たり前だ。それが一番重要だ。」

ジャルジェ家の当主は、病室のベッドで眠る傷だらけの娘の額にそっとキスをした。
そして、すぐ隣のベッドで眠っている、彼女の倍以上怪我を負った全身傷だらけの少年を見つめた。

 「勇には感謝している。言葉には尽くせないくらい。」
彼はクレマンをちらりと見た。
 「だが先の約束も破棄された今、フランがこれから背負わねばならぬものを、彼が代わりに背負う力はない。彼は上に立てる器でない。」
オスカルは溜息混じりに言った。
 「その通り。彼には上に立つ為に必要な、一番大切なものが欠けておりますゆえ。というか、そんなものになられては困りますが。」
クレマンの言葉を聞いてオスカルは彼に冷やかなまなざしを向けた。

 「どうかなさいましたか?」
 「お前は、時々惨い事を平気で言う。」
 「私が!それはまたいかなる理由で?」
クレマンは驚いた様子で声を上げた。
オスカルは声を低くしてクレマンに尋ねた。

 「お前は勇にガードをさせるつもりだな?」
 「それは多分無理かと思われます。」
オスカルはクレマンを見た。
 「フランに過去の話をなされるのでしょう?」
クレマンは答えた。

 「お前は私にどうしろと? 大叔父達が惨い話を更に惨く作り上げて話すのを黙っていろとでも言うのか!」
 「まさか。話して過去を清算させねばなりません。得体の知れぬ恐怖ほど都合の悪いものはございません。ですが惨い話です。」
クレマンは厳しい表情をした。
 「私ですら何処まで話すべきか苦慮する程。お分かりですか?」
オスカルはクレマンから視線を外すと、傷だらけの少年とその横に眠る娘に視線を移した。

 「それでも話さぬ訳にはいかない。総てをだ。」
 「二度と勇を手元に置かないように、会わぬ様にさせる為にですか?」
 「だから夫をつけるのだ!」
ジャルジェ家の当主は声を荒げた。そしてすぐにそれを恥じるように口を閉ざした。しかし、クレマンは何も言わずオスカルを見つめたままだった。

 「・・・・心配する必要はない。必ず娘に相応しい男を見つける。」
 「ここにおります。」
オスカルは、勇をちらりと見るとすぐにクレマンに視線を移して苦く笑った。

 「私はレニエ・フランソワの二の舞はしない。」
オスカルは言った。
 「二の舞、ですか。芳しくない響きですね。まるでレニエ・フランソワが間違っていたように聞こえる。」
 「間違っていたのだ。彼の日記に書かれておったろう!本人も認めている。」
 「それはオスカル・フランソワを男性として育てた件でございましょう?」
クレマンの答えにオスカルは冷ややかなまなざしを彼に向けた。

 「ならばクレマン、もしアンドレ・グランディエが死なずにいたら、どうなったのだ?二人して家を捨て、国すら捨ててひっそりと暮らせたと思うのか?」
 「家を捨てるのは簡単でしょうね。」
 「クレマン!」
 「おやどうかなさいましたか?」
 「どうやら私の言わんとすることが、お前には少しも・・・」
 「よう理解しておりますよ。オスカル・フランソワは自分の選んだ道をまっすぐに進みます。その先に何が待っていようともです。そして彼女の傍らにはアンドレ・グランディエがいます。」
クレマンはベッドに眠る少年を見た。

 「どのような目に遭おうとも、彼女は自分の人生を一片の後悔もなく最後の時を迎えられたでしょう。」
 「それが幸せか?」
 「ではあなたはどう思われるのですか?」
クレマンは尋ねてすぐにニッコリと笑った。
 「失礼。愚問でしたね。」
オスカルはクレマンを睨んだ。

 「最初が間違っていたのだ。出会うべきではなかった。出会いさえしなければ、それぞれが相応しい見合った人生を送れたのだ!」
オスカルは答えた。クレマンは何も言わなかった。暫くしてオスカルが口を開いた。

 「過去の話は総て私がする。勇についてはお前に任せる。」
 「かしこまりました。」
 「それから日本から昂を呼べ。」
 「それはもうとっくに。ご家族全員でおいでになられます。」

クレマンは“当然でしょう”というようにオスカルを見た。
オスカルはもう一度クレマンを睨むと何も言わずに部屋を出た。