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其は異形。馬にして馬あらざるもの。普通の馬のゆうに倍はあろう漆黒の身体はまるで鉄の鎧で作られたよう。目は血走るどころか血の色そのもの。眼光に現る気性の激しさはやはり馬のものではなく、その姿を見た者は形相に慄つく。馬は駆ける。異形の馬はひたすら走る。
そしてその頭上を飛ぶは黒き龍。銀の龍に勝るとも劣らぬ力を持つ者。プランタ・ゲニシダにある深き森、その奥の奥に住まう者。
彼らの向かう先は何処。
(ジャルジェ家覚書ヨリ)
さわさわと音がする。さっきも風が吹いて鳴ったな。
おれは思い出して、それから気づいた。
ああそうだ、これは草の鳴る音だ。
おれは外に目を向けた。回廊には薄暗く明かりが灯っているだけ、真っ暗で何も見えない。
一体どの位時間が経ったんだろう?30分?1時間?もっと?
腕時計を見ようとして左腕を動かした。
おれは目を凝らした。
しかし、暗くてよく分からない。懸命に時計の針を見つめて・・・多分、6時を過ぎているくらいだろう。
だけどはっきりとは分からなかった。もう、とても辛くておれはそれ以上確かめるのを止めた。
その時、右手にある“オスカル”が目に入った。
おれは、オスカルをじっと見つめた。
これが・・・オスカルが助けてくれた。もし、オスカルがなければ、おれはどうなっていただろう?
その時、アランの苛々した様子が浮かんだ。
アラン、嘘ばっかりじゃないか!弾に込めた気、何が大したことじゃないだよ!こんなの・・・
思わず涙がこぼれそうになっておれは必死で我慢した。
馬鹿だよ、アラン。無茶苦茶だよ、アラン・・・
いつもおれを馬鹿だって言うけど、アランの方が馬鹿だよ!大馬鹿だ!
おれなんかの為に・・・
また風が吹いてさわさわと音がした。
おれはぼんやりと考えた。
ここから出ないといけない。
ここを出たら・・・
そうだ。戻ったら一番にアランに言おう。助かったって、本当にありがとうって。
だって今日はいつもと違ってたんだ。
今日の銀龍は・・・・
おれはため息を付いた。
銀龍はすごい。
まだあれだけ力を隠してたんだ。最初から全力出して来い!だよな。
でも、焦ってた。
クレマンの言う通り奴も焦ってる。今日は奴も必死だった。
もう少しだ、あともう少し・・・・
早くここを出よう。扉の外へ。
今日は・・・ホント疲れた。眠りたい。
明日もあるんだ。
扉まで、あと・・・50メートル位。
たいした距離じゃない。あと少し。
だけど・・・・
重い。
何故こんなに重いのだろう?
さっき撃った時はそうでもなかったのに・・・・
地面が磁石になっていて、ぴったりと張り付いているみたいだ。
離れない、重くて・・・動かせない。
腕も足も・・・
どうして?
おれは足を見た。
両足とも・・・・向きが変だ。
おれは黙って足を見つめて・・・
ああ、そうだった。
折れたんだ。
ここまで這って来て・・・とうとう動けなくなったのだ。
おれは笑った。
なんで・・・忘れてたんだろう?
ホントにすっかり忘れてた。
どうかしてる。
扉に目をやる。
あと50メートル。
もう少し・・・
あともう少しなのに!
早くここから出ないと。
そうしないと・・・・
そうしないと!!!
悲鳴が出そうになる。
駄目だ!こんなことでどうするんだ!
落ち着け!
落ち着いて・・・
大丈夫、大丈夫。
ここは石畳の上だ、ここまで戻れば明日も続けられるんだ。
決闘の最初の日、龍はそう言った。
そうだ。
あと7日、このままやればいい。
あと7日。
そうすればオスカルは大丈夫だ。
もうあんな顔しなくていい、いっぱい笑う、幸せになれる。
だからあと7日。
それでいいんだ。それだけでいい。
あと7日でいいんだ。
7日だ。7日なのに・・・
もう少しなのに・・・・
どうして?
どうして!どうして・・・・
声は出なかった。
肺に溜まってるのが邪魔してる。さっき吐き出したばかりなのに・・・まただ。
何度も吐いたのに・・・すぐ溜まる。
目の前がかすんで涙がこぼれる
涙がこぼれたのが分かる。だけど拭けない。
拭けない・・・
おれ・・・・
もう、だめだ。
その時不意に気配を感じた。
城のある方に目だけ向けた。
いつも少し離れた所で見ているもう1頭の奴だ、いつも見てるだけの奴。
最初から見てるだけ、何もしない。
黒い龍は、ゆっくりおれに近づいて、おれから少し離れた・・・3メートルぐらいの所で止まるとおれを見下ろした。
おれを見つめる目は、青いビー玉の、
青い・・・
ああそうだ。
青はオスカルの瞳の色。
こいつとは全然違う、サファイアのきれいな青。
煙るような黄金の髪、白い顔、ばら色の指・・・・・
オスカル、オスカル。
もう一度だけ会いたかった。
もう一回だけ声聞きたかった。
ごめんね。
ごめん、オスカル。
おれさ、おまえの為に何もしてやれなかったね。
おれね、おれはね
今度こそ、おまえをちゃんと・・・
『分かっていなかったのか?』
黒い龍が初めて喋った。
『分かっていなかったのか?』
黒龍はもう一度おれに繰り返すと一歩足を踏み出した。 おれは手の中にある“オスカル”を見た。 ああ、そうだ。そうだった
『はじめから決闘なんておれには無理だってこと?おれ馬鹿だからさあ、はっきり言ってくれないとわかんないよ?』
おれは心の中で言うと、銃を持った右手を左腕で包むと銃を持ち上げようとした。
だが持ち上がらない。くそっ!
お願いだから!
『そなたなら分かる筈!』
震える手に必死で力を入れる。
もう少し、もう少しだ。
『アンドレ、そなたなら分かる筈!』
持ち上がれ!
『おれはアンドレじゃない。』
もう少しなんだ!
『アンドレ、何故分からぬ!』
『おれはアンドレじゃない!』
何がアンドレだ!くそっ!何で持ち上がらない!
『アンドレ、そなたの役目は何ぞ!』
『おれはアンドレじゃないっていってるだろう!』
『アンドレ、そなたの役目は何ぞ!』
龍は・・・クレマンと一緒だ。くそ!頭ん中に・・・
銃が膝の上にあるのが目に入った。
おれは、持ち上げられなかった銃を見ながら答えた。
『怒りを・・・勝手に・・・人の頭に、叩き込まないで欲しいよな。』
『そなたの役目は何ぞ!』
再び頭に容赦なく響く。
『・・・護衛・・・だよ。・・・オスカル・・・の。』
おれがようやく答えると、黒龍はゆっくりと近づいてくる。
黒龍は目の前で立ち止まるとおれを見下ろした。
『ならば分かる筈。長年沿い続けたそなたしか分からぬ事よ。』
龍はおれに問いかけた。残酷な質問。
おれは苦痛に顔を歪めた。
最悪だ。
『娘の望みは何ぞ!』
『おれに分かると思うの?おれに分かるのは、アンドレの気持ちだけだよ。』
『ならば分かるはず!』
サイテーだ。サイテー。
『答えよ!』
『いくら愛しても何の役にも立たないんだぞ!それじゃ何の役にも!いつも、いつも、いつも!何一つ、オスカルの苦しみを取り除いてやれなかったんだ!見てるだけ!何の助けにもならなかった!見てるしか出来なかったんだぞ!何一つオスカルにしてあげられなかったんだぞ!何もなかったから!持ってなかったから!挙句に先に死んで!いなくなってさえアンドレの出来たのは、オスカルを苦しめただけで・・・』
そんな事したかったんじゃない。
本当は!本当は・・・・
『・・・覚えておらぬのか?』
『覚えてるさ!だから今度こそちゃんと!ちゃんと・・・』
オスカルの支えになれるように、必要とされるように。今度こそ・・・
オスカルがずっと笑っていられるように
昔みたいに、苦しむのを見つめているんじゃなくて!苦しまないようできるように、今度こそ
おまえにふさわしい男になりたかったよ
おれ、そうなりたかった。ホントになりたかった。
そうすれば・・・分かってくれたかもしれないのに!
愛して・・・欲しかった
だけど昔と一緒。
駄目だ。
おれじゃ、駄目なんだ・・・・
おれなんか見てくれない
好きになんか・・・なってくれないんだ!
『何故思い出さぬ!!』
おれは、もう一度左腕に力を入れて銃を持ち上げようとした。
だけど先程と同じ、銃は持ち上がらない。おれは必死で右腕に力を込めて、ようやく銃口は黒龍に向けた。
だけど、銃口は定まらない。
『アンドレ!!』
『言ったろう?オスカルにはおれは必要ないんだ。』
右目から涙がこぼれる。
『いらないんだよ、おれなんか。』
何にもないから、何もして上げられないから。おれ・・・ 役立たずで能無しだから・・・
『お前なんかに言われなくても・・・そんなの、ちゃんと・・・分かってるよ。』
タン!
黒龍は彼の背後に現れた者に気づくと青いビー玉の目だけを動かしてその者を見た。 そしてその相手も色違いの黒い目で見つめ返した。銀の龍は黒い龍に言った。
『先の約束は破棄された。もはや167年前の約束の範疇よ。』
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