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「フレッセルが見つかりました!レンツで高速道路を降りて北上中です。」
ディアンヌの報告を聞いてクレマンは顔を曇らせた。
「思ったより動きが早かったですね。ステファンは?」
「アラスです。今フレッセルを追跡中です。」
「間に合ったのですね。」
「はい、ギリギリでしたが何とか。それでクレマン、そろそろ皆を表立って動かしてもよろしいでしょうか?」
しかし彼女上司は承諾しなかった。
「ゲメネ様がまだ動いていませんよ?」
「それが、1時間程前からベルギーからの入国者を対象に大規模な検問が・・・・」
「おやおや、ゲメネ様も無茶をなさる。あの方にかかってはシェンゲン協定など無いも同じですね。下手をすればベルギーとの外交問題に発展しますよ。」
「ですからクレマン、一刻も早く・・・」
「いいえ、尚更動けません。それに総ての列車のチェックなどそもそも不可能です。」
クレマンは言った。
「ですが・・・」
「列車で検問など行えば列車の時刻は大幅に遅れます。当然その情報はベルギー側にも届いています。フランが駅に行けば、検問がされているのを知りますよ?」
「でも・・・優李はまさか自分の為だとは思っていないはずです。」
「ええ、検問はテロリストの潜伏辺りが名目でしょう。ならばどうします?私なら最も遅れの少ない列車を選びます。フランは一刻も早く勇の下へ行きたいのですからね。」
その言葉にディアンヌは考え込んだ。
「ならタリスですね。タリスならパリまで・・・」
「いいえ、タリスには乗りません。」
クレマンは言い切った。ディアンヌはクレマンの顔を見た。
「パリまで直通で1時間半。ですがベルサイユの屋敷に単独で潜入など不可能です。フランは必ず井戸を使いますよ。それともう一つ。ユーロスターは乗車前にパスポートを提示しなければなりません。これが検問代わりになる。その為に時間が取られる事もない。」
「では、ゲメネ様の狙いは・・・・」
「フランをユーロスターに乗せる為でしょうね。そしてフレッセルが動いている。」
「では最初の停車駅のリールで・・・」
「今回はいつもと違います。あの方は本気ですよ、ディアンヌ。」
クレマンは厳しい表情で言った。その言葉にディアンヌも表情を引き締めて頷いた。
「パスポートが使われれば、私にも連絡が入ります。公式に動くのはそれからです。それと同時にこちらも一気に事を進めねばなりませんよ。」
「分りました。」
彼女は返事をして、それから何か思い出したのか、遠慮がちにクレマンを見た。
「どうかしましたか?」
クレマンも気づいて不思議そうに尋ねた。
「ご存知だとは思うのですが、同じ便でした。その・・・」
それを聞いてクレマンは何か思い出したのか、声を上げた。
「そうでした!すっかり忘れていました。先約があるからと断られたのですよ、酷いでしょう。」
「先約・・・ですか?」
「ええ。でも大丈夫です。先程、先約とやらは破棄して頂きましたからね。」
クレマンは答えた。
「でも、それは契約不履行ではありませんか。後々問題になるのではありませんか?」
「何の問題もありません。」
クレマンは言い切った。ディアンヌは不安げに上司を見た。彼は大丈夫ですよ、という様に笑った。しかしディアンヌは不安げな様子のままだった。
「それより、フランに泊っていただく場所はどうなっていますか?」
「ラ・メゾン・アンジュに決定しました。こちらはジュールに指揮を。」
「よろしい。」
「あと日本への連絡ですが・・・」
「日本への連絡は結構、私からします。」
ディアンヌは不思議そうにクレマンを見た。彼は微笑んだ。
「千秋に話したいことがあるのでね。」
クレマンはそれだけ言うと、不意に机の上の電話を見た。
すると電話が鳴った。彼はすぐにそれを取ると話した。
「アロー。ええ勿論元気ですよ。君は?ああ、そうですか、いやいや。ええ、ええ。いや結構。・・・ほう?それで・・・なるほど。ええ、分かりましたよ。いつもありがとう。君の情報はいつも早くて助かりますよ。ええ、勿論。ムシューにもお伝えしておきますよ。では。」
彼は電話を切るとディアンヌを見てニッコリと笑った。
「フランのパスポートが使われました。場所はブリュッセル駅、18:20発ロンドン行きのユーロスターです。リールで下車、乗車券はアラスまでです。日本へは私が連絡します。手配をなさい。」
「分かりました。」
ディアンヌは急いで部屋を出た。
クレマンは再び電話を見て受話器を取ろうとして手を伸ばしたが取らなかった。
彼は少しの間思案すると立ち上がった。
「だから!さっきは坂道の・・南の・・・そうだ!あそこで間違いなく・・・何だって!同じ時間に北烏山駅で・・・ちょっと待ってくれ!」
「別の方向です!北烏山駅。」
「そちらへ人を向かわせろ!」
坂本は手に持った受話器に叫んだ。
「北烏山駅だ、急げ。」
それから携帯に向かって 「今応援が行った。逃がすなよ!」 と叫んだ。
「家よ!もう間違いない。パスポートはここにあるんだもの!大体偽造パスポートなんて手に入る訳がないのよ!新宿は囮だった。」 ジャンヌが叫んだ。
「秋田!斉藤!屋敷の警備を解け。監視カメラも切れ!ただし人を集めろ。」
板倉は命じた。
「分かりました。」
「高橋、加藤と田口を呼び戻せ!それから坂本お前は・・・」
板倉はいいかけて止めると、部屋の中央を見た。
「そろそろ2時を回ろうとしているのに、深夜にこの騒ぎは一体何事ですか?」
皆驚いて、突然部屋の中央に現れた声の主に目を向けた。
「クレマン!」
ジャンヌが叫んだ。
「ジャンヌ、ごきげんよう。」
ジャンヌは腕を組んでクレマンを横目で睨んだ。
「わざわざ幻影を使ってのお出ましとは、一体何があったのかしら?」
「幻影ってなんだ?」
部屋にいたガードの1人がこそっと呟いた。
坂本がぼそりと答えた。
「瞬間移動とかいうヤツだろう。」
クレマンはそれを聞きつけて彼らに近づくとにっこりと笑った。
「違いますよ。瞬間移動はとても大変なのですよ。それこそもう、この私ですらね。これはイメージだけこちらへ投影して心話を応用して話をする方法です。ええ、私の本体はデファンスのオフィスです。いうなればTV電話ですね。」
「ならTV電話のほうがましね。」
ジャンヌは冷やかに言った。クレマンは反論した。
「でもTV電話には直接話している感覚がありませんからね、その点これはいいですよ、ジャンヌ。」
「そんなのどうでもいいわ。悪いけれど取り込み中なの。分るクレマン?」
彼女はけんもほろほろに言った。クレマンは部屋を見回すと、眉を顰めた。
「そうでした。この時間にこの有様でしたね。」
「もういいわ!気づいたから来たのでしょう?ええその通り、優李は家を飛び出したのよ!」
彼女は板倉を横目で見ながら言った。板倉は何も言わなかった。
「ほう、やはりそうでしたか。」 クレマンは頷いた。
「家の周辺にいるのは間違いない。まもなく捕まるわ。だから・・・」
「ここにはいませんよ。」
ジャンヌは口を閉ざした。クレマンはにっこりと笑った。
「フランのパスポートがブリュッセルで使われました。確認も取れました。あとはこちらで処理します。」
ジャンヌも部屋の全員があっけに取られて彼を見つめた。
「それは・・どういうこと?」
ジャンヌが躊躇いながら尋ねた。
「話した通りですよ。フランはベルギーです。ああ、ジャンヌ。大丈夫ですよ。フランはすぐに日本へ連れ戻しますからね。」
クレマンはそれから板倉を見た。
「千秋。」
クレマンは名前を呼ぶと楽しそうに笑った。
「今回は少々やり過ぎましたねえ。」
板倉は緊張した面持ちで返事をした。
「申し訳ありません。パスポートはこちらで押さえていました。まさか日本を離れるとは・・・」
「違いますよ。勇です。いえ私は怒ってはいませんよ。あれは嵌められる方にも問題がある、だが。」
クレマンはにっこりと笑った。しかし目は笑っていなかった。クレマンは冷めた目で板倉を見た。
「月並みですが女性を泣かせてはいけません。特にフランのような女性に対しては許しがたい。」
その途端部屋の空気がすうと冷えた。クレマンを中心に、部屋の暖気が突然外気と入れ替わったようだった。
彼の近くにいた人間が思わず後ずさった。
「ぼくに仰りたいことがあるのでしょう、クレマン。」
板倉が声を発すると、その空気はすぐに消えた。
代わりにクレマン悲しげな顔を作った。
「千秋!私は君の捻じ曲がった性格と臆病で嫉妬深いところがとても、とても、とても、好きでしたよ。」
「ありがとうございます。それで、用件はなんでしょう?」
板倉は無表情のまま尋ねた。クレマンは頷いた。
「お父上に伝言を。至急君の後任の手配をお願いしたいと。」
「分りました。」
クレマンはゆっくり板倉に近づいた。クレマンは板倉の目の前に立つと耳元に囁いた。
「Adieu」
幻影はそれを告げると姿を消した。
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