「昔、昔。すごーく昔、ノールとピカルディ、それからイル・ド・フランスは、とってもわがままで!いじわるで!悪い王様グロヴィスのものだったの。そしてグロヴィスはねえ、自分の土地に住んでる2頭の龍、特に銀の龍がとても嫌いだったの。だけど銀龍は初めからそこに住んでいてあとで王様がやってきたのよ。それなのに王様は、勝手に住んで許せないって言って、沢山の兵隊を連れて銀龍を襲ったの。だけど銀龍はとても強くて王様の兵隊は全員倒されちゃったのよ。でも龍は王様を助けてあげたの。それなのに王様は・・・」
少女は膨れ面をした。

 「ひどいのよ、おねえちゃま。王様は自分が悪いのに、龍が自分の城にやって来て襲ったと言ったの。龍は悪い龍だとみんなに言ったの。だから龍はとても悪い龍にされちゃったのよ。かわいそうでしょう?だけどホントは皆王様がきっと龍に意地悪したと分かってた。だって王様は誰にも意地悪だったから。でもみんな何も言えなかった。だって王様には、恐ろしい魔法使いギィネルと仲良しだったから。王様はノールを守ってる自分の家来の一人に言ったの。龍を倒しなさいって。アラスのりょう・・・」
少女は老女を見上げた。

 「何だったっけ、ばあや?」
 「領主でございますよお嬢さま。」
少女は頷いた。

 「アラスの領主に命令したの。アラスの領主はとても強かった。5人の息子がいて、下の2人はまだ小さかったけど、上の3人の息子は、お父さんと同じでとても強くてかっこいい騎士だった。王様に逆らえば、どんな酷い事されるか分からないから、アラスの領主はベルサイユまで龍と戦いに行ったのよ。だけど帰って来なかった。だから王様は命令した。次は1番上の息子が行ったの。だけど帰って来なかった。王様は命令した。2番目の息子が龍を倒しに行ったの。でも帰って来なかった。王様はまた命令したの。今度は3番目の息子が龍を倒しに行かされたけどやはり帰って来なかったの。もうアラスには、12歳になったばかりの4番目の息子リオンと、もっともっと小さな7才の5番目の息子のアンリしかしなかった。これはねえ、王様のわるだくみだった。王様はアラスの領主の土地が欲しかったの。それとねえ、リオンには2人の妹がいて一人はもう信じられないくらいきれいだったの、天使みたいに。王様はこの子が愛人に欲しかったのよ。ロリコンだったのね。」

 「お嬢さま!」

ばあやは少女を睨んだ。少女は、ばあやにニカッと笑ってみせると優李を見た。
優李も微笑んだ。それは自分のが子どもの頃父親から聞かされた話を思い出させた。悪逆非道の銀龍は、父からそうでないと聞かされても彼女には少しも信じられなかった。しかしこの少女の口から無邪気に語られるとやはりそうではなかったのだと、素直な気持ちで聞くことが出来た。

 「だから王様は4番目の息子のリオンにも命令したの。銀龍を倒しなさいって。おねえちゃま、どうなったと思う?」
少女は楽しそうに尋ねた。
 「どうなったのだろう?やはり龍に倒されたのかな?」
知っていたが優李は尋ねた。

 「違うわ!リオンは龍を倒しちゃったのよ!黒い龍からもらった黒い馬のネラと一緒に!すごいでしょう!それでね、銀の龍を家来にしたの。それから黒い龍もよ!そうしてノールのほかの人たちと一緒に、ピカルディ、それからル・ド・フランスの人たちと協力して悪い王様グロヴィスをやっつけたのよ!そして最後には魔法使いギィネルもよ!すごいでしょう!あのギィネルをよ!龍達だって恐ろしくて手が出せなかったのよ!」
 「それはすごいな。」
しかし、少女はは悲しげな顔をした。
 「だけど、その時の怪我で死んじゃったの。みんなとても悲しんだの。お馬さんも。」
 「黒い馬?」
優李が問いかけると、少女は表情を変えると元気よく叫んだ!

 「違うわ!かわいいお馬さんよ!リオンのお友達だったの!ル・ルーはね!飛行機がブリュッセルについたら、そこからユーロスターに乗るの。でね、リールでお泊りするの。でね、でねル・ルーでねえ!」
 「ル・ルーさま、奥様がお待ちでございます。リールからすぐにパリですよ。」
 「帰りたくないもん。」
少女は口を尖らせた。しかしばあやは気づかない振りをした。少女は少しの間、彼女を見ていたがすぐに優李を見て嬉しそうな顔で話を続けた。

 「あのね、おねえちゃま、リールにはね、お馬さんが住んでいるの。」
少女は、声を小さくして優李に囁いた。
 「今もいるのよ。すっごく!かわいいの。羽根の生えたお馬さんは・・・」
 「羽根?」
少女は頷いた。
 「そうなのよ!羽根があるの!羽根の生えたお馬さんよ!」

 「ル・ルーさま!駄目でございますよ、またそのようなお話をされて!」
ばあやは少女をたしなめた。少女はふくれっつらをした。
 「だっているんだもん!!絶対いるんだから!ほんとなんだから!」
 「おりません!」
ばあやはル・ルーに言うと優李を見た。

 「申し訳ございません。ノール地方にはこの手の伝承が多ございまして、ル・ルーさまは、そういう話がお好きでして・・・」
 「違うもん!ほんとの事だもん!リールの南の大きな森の奥の奥に・・・」
 「そんなものはございません!!いい加減になさいませ!」
ばあやは強い口調で言った。ばあやに叱られてル・ルーは俯いた。
 「いいですよ、わたしもきらいじゃない。」
優李は笑った。それからしょぼくれた少女に言った。

 「ル・ルー、わたしもリオンと黒い馬の話を一つ知っているよ。この話はル・ルーも知っているかな?」
ル・ルーは顔を上げると 「どんなの?」 と尋ねた。
 「聞きたいかい?」
 「話して!」
ル・ルーは叫んだ。
優李は頷くと話し始めた。

 「リオンと黒い馬はいつも一緒だった。一番の仲良し、親友だった。二人はアラスの丘から夕日が沈むのを見るのがそれはそれは大好きだったんだよ。だがリオンと馬はグロヴィスを倒す為にアラスを離れなければならなかった。そしてそれはとても困難で長い長い戦いになるのは最初から分かっていた。グロヴィスにはあの魔法使いギィネルがいたからね。」
優李はル・ルーを見た。ル・ルーは真剣な顔で耳を澄ませている。

 「銀の龍は黒の龍に相談して・・・彼らの住処のすぐ側に井戸を一つ作ってあげたんだよ。」
 「どうして井戸なの?」
 「普通の井戸じゃない、特別な井戸なのだよ。」
 「特別な・・・井戸?」
 「飛び込むとアラスまで一瞬で辿り着ける井戸。」
 「一瞬で!ほんと!本当に!すごい!すごい!」

ル・ルーは大喜びではしゃいだ。優李はル・ルーが落ち着くのを待って話を続けた。
 「そして井戸のおかげで、リオンとネラはいつでも行きたい時にアラスへ行けるようになった。」
 「今でも井戸はあるの?」
 「・・・あるかもしれないね。」
優李は微笑んだ。

 「お嬢さまは、アラスのご出身でございますか?」
その時、ばあやが優李に尋ねた。
 「いえ、家はベルサイユにあります。ですが、先祖はアラスに住んでいたと聞いています。」
ばあやは納得した様子で頷いた。
 「ノール地方にはドラゴンにまつわる伝承が多ございます。ですが、悪魔の使いではなくて良き者として登場するのはアラスだけなのですよ。」
 「ではあなたも?」
 「はい、私もアラスの出なのでございますよ。もう長い事帰ってはおりませんが・・・・」
ばあやはそう言うと懐かしむような顔をして口を開いた。

 龍は在らざる者
 遠き場所より迷いし異邦の者

 正しき道は失われ
 古里の行方は知れず

 人に法を教え、その力に縋りしも
 古里へ戻る術はあらず

 友は耐え切れず  次々と狂い または 死を選び
 残るは、銀と黒の龍

 その身が朽ち果てる 永遠と等しい長き時を
 深き森の奥の奥 草原で待つ

 深き森は 見えざる森
 幽寂なるプランタ・ゲニシダの

 「ばあや!それは長いからいや。」
ばあやはル・ルーのふくれ面を見ると苦笑した。
 「左様でございますね。」
ばあやは答えた。するとル・ルーは待ち構えていたのがすぐに優李に尋ねた。

 「ねえねえ!おねえちゃまのお父様は他にも色々知ってるの?大きな大きな井戸の他にも。」
優李は不思議そうにル・ルーを見た。
 「大きな大きな井戸?」
 「だって黒い馬はすごくすごく大きな馬なのよ!普通の馬よりずっとずっと!そしたら大きな井戸じゃないと入れないわ!」
 「ル・ルーさま。」
 「なあに、ばあや?」
 「そんな井戸はございませんよ。」
 「ちゃんとあるもん、ね?おねえちゃま。おねえ・・・ちゃま?」
ばあやはじっと考え込んでいる優李に気づいて声をかけた。
 「お嬢さま、どうかなさいましたか?」
優李は気づいて慌てて返事をした。

 「あ、いや失礼。確かにそんな巨大な井戸はありえない。」
 「でも!」
 「ル・ルーさま、伝承や伝説というのはそういうものでございますよ。」
そう言うとばあやは優李に同意を求めるように微笑んで見せた。
 「そうですね。辻褄が合わないから伝説なのだから。」 優李は答えた。
ばあやは頷いて、それから手に持った箱を優李に差し出した。

 「それよりお嬢さま、マロングラッセもう一ついかがですか?」
彼女はばあやに微笑んだ。
 「いや、もう十分いただいたから、ばあやさん。それからあの・・・お嬢さまというのは・・・」
 「あなた様はお嬢さまでございましょう?それから私の名は、ばあやさんではなくて!ばあやでございますよ。皆ばあやと呼びますから。では、お嬢さま。マロングラッセもう一ついかがですか?」
 「いや、ばあや。もう十分いただいたから。」

優李は思わず言い直して苦笑した。
中部国際空港からずっと一緒のこの老人と少女のペースだ。
だが、おかげで色々考えなくてすむ。

 「でも、おねえちゃま!食べないとお体によくないのよ?飛行機の中でも少ししか食べていなくて、ご本ばかり見てたでしょう!ル・ルーはちゃんと知ってるのよ。ル・ルーだけじゃなくて、ル・ルーちゃんも見たよね?」
少女はそういって手に持っていた自分とそっくりの人形に話しかけたので、優李は思わず微笑んだ。

 「それにしてもル・ルーさまの仰る通りです。お嬢さまはもう少し食べなければ駄目ですよ。ここが飛行機の中でなければ、ばあや特製のショコラを作って差し上げるのですけどねえ・・・ショコラはお好きですか?」
 「ああ、ショコラは好きだ。アンドレがよくいれてくれた。」
優李は思い出しながら答えた。

 「アンドレ?それはオスカルさまの召使いですか?」
 「違う!アンドレはわたしの・・・」

 「ばあやったらもう!」
優李が言いかけたのを遮って少女は言った。
 「ごめんなさい、おねえちゃま。アンドレという人はおねえちゃまの・・・」
少女は口元に手を当てて、うふふと嬉しそうに笑った。

 「恋人よね!おねえちゃま。」

 「こ・・・いや、そうではなくて・・・」
 「彼どんな人?髪は目は?背は高い?」
 「黒い髪に黒い目だ。背は高い。だが、恋人とかではなくて・・・」
 「彼、優しい?」
少女は尋ねた。優李は少女を見つめた。
 「・・・ああ。優しい。とても優しい・・・」

 「おねえ・・・ちゃま?」
心配そうに自分を見つめる少女に気づいて優李は慌てて微笑んでみせた。
 「ああ、すまない。なんでもないよ。それとね、ル・ルー。わたしたちは恋人ではなくて・・・」
優李はぽつりと答えた。
 「友達だ。一番大切な・・・」

 「分かったわ!おねえちゃま、ともだちから恋人になりたいのね!それで彼に会って告白するつもりなのね!」
少女の言葉に優李は驚いて顔を上げると苦笑した。
 「ル・ルー、そうではないのだよ。」

 「あのね!あのね!ル・ルーが教えてあげる! 夜にね、彼の部屋へ行ってこう言うのよ。えーと・・・」
ル・ルーは何か思い出そうとするかのように考え込んだ。
 「えーとね。えーと・・・“何も言わないで。言葉などいいの!わたしはあなたが欲しいだけ。”」
 「ル・ルー?」
優李は不思議そうにル・ルーを見た。
 「それからねえ・・・“お願い、私を抱いて。あなたならかまわない。どんな・・・”」

 「ル・ルーさま!!!」

ばあやが真っ青になって叫んだ。
 「どうしたの?ばあや。」
 「な、何ですかそれは!!ど、どこからそんな言葉を・・・」
 「ママンのご本よ。」
少女は澄まして答えた。

 「ど・・・どこにおいてあったのです!!」
 「ママンの本棚一番奥。ママンはいつもル・ルーにご本を読みなさいって!」
 「それは!ル・ルーさまのお部屋にある本でございます!この前奥様が渡された本はどうなさいました!」
 「だって、シマウマとライオンが仲良くなるなんて変だもん。ママンの本棚の奥にしまってある方がずっと楽しいもん。恋する女の気持ちが・・・」
 「何が恋する女の気持ちですか!絶対駄目です!そういうものをお読みになるのは5年、いえとんでもない、10年は早ようございます!!!!」
 「つまんない!」
ばあやはルルーを睨むと、優李を見てすまなそうな顔をした。

 「も、申し訳ございません、お嬢さま。」
 「いえ、別にいいですよ。わたしにはル・ルーと同じくらいの弟がいる。」
優李は微笑んだ。
 「弟も時々不思議な事をいいますから。」
ばあやは優李の顔を見つめた。

 「あの、お嬢さま。ひょっとして・・・」
 「何か?」
 「いえ、なんでもございません。」
それからばあやは小さくため息をついた。

 「どうしたの?ばあや。」
 「いえ、逆だと思いまして。」
 「何が?」
ばあやはル・ルーを睨んだ。
 「ル・ルーさま、普通あなたさまのお年の方は!そちらのお嬢さまのような反応をなさるものでございます。」
それを聞いてル・ルーは、それから優李も不思議そうにばあやを見た。
その様子にばあやは二人に聞こえるように大きくため息を突くと 「もうよろしゅうございます。」 と言った。 ル・ルーは少しの間だけばあやを見ていたが、優李を見ると嬉しそうに笑った。

 「それよりおねえちゃま、もうすぐブリュッセル空港へ到着よ。」