「優李さんは何も知りませんが、優李さんのファンクラブです。名称は、【オスカルさまを見守る会】 です。ちなみに“さま”はひらがなだそうです。」
 「そんなのは、どうでもいい。」 
板倉が冷たく言ったので、秋田は手帳を見ると急いで続けた。

 「優李さんが健やかな学校生活を過ごせるよう、彼女を陰ながら見守り、こっそり助けて彼女の役に立ちたい。というのがこの会の主旨だそうです。で、今回は・・・」
 「その主旨の元に動いた。素晴らしいわ!」
秋田の報告に、ジャンヌが半ば呆れたような口調で言った。

 「続けろ。」 板倉が言ったので、秋田は報告を続けた。
 「実際動いたのは生徒会の役員20名ほどを中心とした73名です。システムがよく分からないのですが、生徒会役員=見守る会幹部役員のようです。優李さんは何も知らずに、役員の1人に根負けして119番通報を頼んだようです。」
 「それは優李にとってこれ以上ないくらい強力な援助者だった訳ね。」
ジャンヌはどうしようもないという様子で言った。
 「気楽な連中でうらやましい限りだな。」
板倉も頷いた。

 「ファンクラブの構成人数は、正規会員が ――こちらは優李さんの通う学校の生徒で―― OGを含めると 3,663名。そして学校繋がりの他校生、これが準会員で1141名。 あと『母の会』というのがありまして、こちらは会員の母親が中心で、つまり・・・」

 「圧力がかかったのだな。その『母の会』から。」
板倉は苦々しげに言った。
 「はい。ですから厳重注意ということで・・・」
 「警察と同様、易々と引き下がったのか!」
板倉はが声を荒げたので、秋田はむっとした表情で言い返した。

 「表向きはです。警察もそうです。生徒会役員20名については電話とメールのチェックと尾行が付いています。何か連絡があればすぐにこちらへも入るようなっています。」
 「だけどこれだけ会員数じゃ、全部のチェックは不可能ね。」
ジャンヌは冷ややかに答えた。秋田はジャンヌを見た。
 「ええ、無理です。当り前でしょう?」

 「秋田。」

その時、板倉が名前を呼んだ。
 「ご苦労だった。引き続きファンクラブの動向を探れ。」
秋田は何か言いたげに板倉を見たが何も言わず会釈をすると部屋を出て行った。

 「坂本達が絹纏公園で例の組織の内7名を捕らえたが、その時にはもう優李は逃げた後だった。そして4時半頃、新宿で優李らしき子が目撃される。中国系の連中も例の組織も必死で探すが見つからず。8:30の目撃を最後に再び新宿から姿を消した。そしてマクシミリアンはいまだ捕まらず。捕まえた例の組織の連中は黙秘中。中国系マフィア幹部も部下が勝手に動いたとしてトカゲ尻尾は切り落とされた。打つ手なし、これからどうするつもり?」

ジャンヌは板倉に言った。
しかし板倉はジャンヌを無視して高橋に尋ねた。

 「空港への手配は?」
 「空港会社には警察から連絡済みです。エールフランスのカウンターだけは見張っています。優李が来たらすぐに分かります。」
高橋が答えた。
 「入国管理局はどうなっている?」
 「言ったでしょう?ちゃんと警察に優李のパスポートのコピーを送った。今の所連絡はないけどね。ま、当然ね。パスポートはここにあるのだから。」
ジャンヌは口を挟むと横目で板倉を見た。
 「さっきの質問答えてないわよ。」

板倉はジャンヌの言葉に声を荒げた。
 「今あらゆる手を打っているだろう!」
 「あら?まだしてないわよ?公開捜査。」
 「ダメだ!他に営利誘拐などを助長させるだけだ!危険が増す!分からないのか!」
ジャンヌは馬鹿にしたように笑った。

 「昨夜パスポートの再発行の件でフランス大使館に連絡取ったおかげで駐在大使自ら心配して連絡が入って!その大使に連絡されるのが怖くてエールフランスには優李の写真も渡せずに、カウンターに張り付いて見張っている。非効率極まりない。そしてファンクラブ。優李が誰かに匿われていたら・・・見つからないわね、絶対に。どう?」

板倉はキッとジャンヌを睨んだ。
 「公開捜査はまだ早い。」
 「じゃあ、いつになったらいいのかしら?」
ジャンヌは板倉に尋ねた。
しかし板倉は答えなかった。そのかわり、彼は高橋に尋ねた。
 「家部さんから連絡は?」
 「ありません。」
高橋は即答した。

 「夜にはクレマンに連絡するわよ。」 ジャンヌは言った。

 「分っている!」
板倉が叫んだその時、彼の携帯が鳴った。彼は急いで通話ボタンを押した。

 「・・・・はい、はい!分りました。お願いします。」
板倉は通話を切ると同時に叫んだ。
 「用賀まで優李を乗せたタクシーが見つかった。優李は中部国際空港へ向かうつもりだったらしい。今中部国際空港へ手配中だ!」

優李はサングラスと被っていた帽子を取った。
 「どうしたんです!」
優李の髪を見て石塚は驚いて声を上げた。
優李の髪はいつものゆるくウェーブのかかった髪でなく、まっすぐのさらさらのストレートだった。前髪は軽くサイドに流してカラフルな色のピンをいくつも使って止められていた。

 「どうだ、いい感じだろ?」 加藤が威張って答えた。
 「服売ってる店は10時からしか開かないって言ってたろう?だけど美容院やってたから大急ぎでブローだけしてもらった。あとは雑貨屋で帽子とか色々買った。」

 「雰囲気が変わりましたね。高校生ぽくなった。」
強熊も感嘆して言った。それを聞いて優李も頷いた。
 「わたしも驚いた。それにニットの帽子とマフラー。これだけで・・・」
 「田口から借りたジャンバーがまるで別の物に見えるな。帽子とマフラーはあなたが選んだのですか?」
 「だがこんな風にしてくれたのは店員だ。ピン止めとか他にも色々合わせてくれた。」
優李は笑った。

 「それにしてもこれだと写真が役に立たないだろうな。」 石塚は呟いた。
 「だよな。写真はファッション雑誌から切り取ったような感じで、まんま男だし。」
加藤がしみじみと言ったので、優李は苦笑いしながら帽子を被った。

 「よし、服装はこれでいいですね。出国手続き以外が済んだら髪も顔も出来るだけ隠してください。手続きが済んだら魔法で瞳の色と髪の色をくすませると言っていました。」 石塚が言った。
 「ああ。」
 「先程説明した通り、フランクフルトでブリュッセル行きに乗り換える前に入国審査がありますから慌てずに。それから渡した本にブリュッセル空港から北駅まで行き方が詳しく書いてあります。それと・・・ユーロスターは乗る列車の30分前までに手続きです。時刻表で確認を。それからスリに気をつけて。荷物は絶対に離さないで下さい。」
強熊が言った。
 「ありがとう。」
 「両替も済んだし、搭乗券もOK、坂本さんから借りたカードは渡しましたよね。」 石塚が尋ねた。
 「ああ、大丈夫だ。」 優李は答えた。

 「携帯は!」
加藤が叫んだので、石塚は慌ててポケットを探って携帯を取り出すと優李に差し出した。
 「必要な番号は登録しておきましたから。」
 「そうだ、もう一つ追加をお願いできますか?」 その時、強熊が言った。
 「あなたのなら入れましたよ。」 石塚が答えた。
 「妻の携帯番号。リール駅で優李さんを待っているから。」
優李は驚いて強熊を見た。

 「先程電話で話をしました。妻は今、フランスにいるのです。リールからアラスの井戸のある場所まで妻が案内します。」
強熊は答えた。
 「危険だ。」
 「大丈夫ですよ。」
 「だが、もし何かあったら・・・」
優李は心配そうに強熊の顔を見つめた。
 「心配無用。妻はこういうのに慣れっこですからね。汚職事件を追ってた時なんか家に爆弾仕掛けられたし。」
強熊は、はっははと笑った。加藤と石塚、それに優李は顔を見合わせた。

 「最初妻は絶対にブリュッセルまで迎えに行くといって聞かなかったんですよ。妻は・・・」 強熊は苦笑した。
 「かなり世話好きでね。それに俺以上にあなたに興味がある。」 強熊はよりいっそう笑いが深くなった。
 「まあ、妻に会えば分ります。とにかく妻はもう大喜びですよ。だから気にしないでください。」

優李は不思議そうな顔をしたが尋ねなかった。強熊は携帯にアドレスを登録して優李に渡した。優李はアドレスと名前を確かめた。それから強熊は自分の携帯を取り出すと優李に待ち受け画面を見せた。それを見て優李は微笑んだ。

 「春風のような感じの人だ。それに素敵な名前だ。」
強熊は驚いたような顔をしたが、すぐに笑った。
 「妻は、母親譲りの古風な名前が気に入っていない。」
 「わたしはとてもいい名前だと思うぞ。」
 「それを聞いたら妻はとても喜びますよ。」

 「優李、使い魔を使って通信できますから、何かあればすぐに連絡をください。場所が分からないとか、列車の乗り方が分からないとかどんな事でもいい、連絡もらえればすぐに調べますから。」
石塚の言葉に優李は頷いてすぐに苦笑した。

 「どうかしましたか?」
 「いや、今連絡を受けた、使い魔を通してな。私に何かあればすぐに分かるそうだ。“不審者のチェック、乗り継ぎ方法。変装などなど、総てお任せあれ。”そう言っている。」
男3人は顔を見合わせた。
 「まったく便利だよな。」
加藤が感心した様子で言った。

石塚が時計を見た。
 「そろそろ入った方がいいですね。」
優李はリュックを片方の肩に担いだ。
 「最初にセキュリティチェックです。それが済んだら、すぐ奥で出国手続きです。」
強熊が声を掛けた。優李は頷いた。

 「優李、気をつけて。」
優李は微笑むと急に顔を曇らせた。
 「本当にありがとう。本当に感謝してる。わたしは・・・」
俯いた優李に石塚は慌てて言った。
 「いいですよ!そんなことより気をつけてください。フランスはあなたにとって危険な場所です。」
優李は頷いて、もう一度加藤と石塚に礼を言うと、強熊を見た。

 「強熊さん、あなたもだ。本当にありがとう。それから色々迷惑かけた。帰国したらちゃんと礼を・・・」
 「そんなものはいいですよ。」
強熊は苦笑した。
 「それではわたしの気がすまない。」
優李が強く言ったので、強熊は少し考え込んで優李を見た。
 「ではあなたに一つお願いしたことがある。独占インタビューさせて下さい。あなたがジャルジェ家の当主となる時にね。」
強熊は真面目な顔で言った。
 「ジャルジェ家を継ぐ気などない。」 優李は不機嫌に答えた。
 「ならば、継がなかった時にインタビューを。」
優李は呆れたように彼を見た。
 「そんなインタビュー何の役立つ?」
 「勿論。俺は君がジャルジェ家を継がなくても誰もが名前を知るような人物になってる気がするんでね。」

強熊は笑った。
優李は少しだけ顔を赤くしたがすぐにクールに答えた。
 「では、犯罪者にならないように注意しよう。」
 「君ならどう頑張っても捕まえる方だな。」
優李は口元を少し持ち上げると軽く手を上げてセキュリティチェックの入り口に向かった。

 「ゆうり!ゆうり!」

出国審査の手前で背後から名前を呼ぶ大きな声がして、優李は振り返った。
加藤と石塚、二人がこちらを見て手を振っている。

 「お土産は黒い馬ですからね!忘れないでくださいね。」

加藤が叫び、それから二人は敬礼の姿勢を取った。優李は驚いたように見つめ、それから微笑むと叫び返した。

 「必ず黒い馬を連れてくるから!絶対連れてくるから楽しみにしててくれ!!」

 「優李!待っていますよ!」
石塚が叫んだ。
優李は頷いてそれから前を見て出国審査の管理官にパスポートを差し出した。
審査はすぐに終わり、彼女は奥へ入っていった。

 「いっちまったな。」
 「ああ。」
 「・・・帰ってくるよな。」 ポツリと加藤が言った。
 「ああ、勿論だ!」 石塚が答えた。
 「彼女なら大丈夫だ、絶対にね。」
強熊もそう言うと加藤をちらりと見て笑った。

 「優李を連呼しましたね。それも出国審査の手前で。」
 「やりすぎだったかな?」
加藤は少し心配そうに答えた。
 「いや、よかったと思いますよ。あの容姿ですから。やはり普通よりはチェックも厳しいかもしれない。だが“優李”の名前ですぐに振り返った。普通に日本語が話せるのも管理官に分かったろうし。」
 「強熊さん。」
加藤は急に強熊の名前を呼んだ。強熊は加藤を見た。

 「ありがとう、強熊さん。あんたがいてくれて本当に助かった。感謝する。」
彼はそう言って頭を下げたので、強熊は慌てた。
 「よしてくれ、俺は何もしちゃいない。」
 「いや、あなたがいなければ本当に危なかったんだ。」
 「それに乗り継ぎ方法も列車も時刻もそれから・・・とにかく俺らの誰も優李に説明なんかしてやれなかったろう。本当に助かりました。」 石塚も言った。
 「俺がしたかったからしたまでです。それに向こうへは仕事で何度も行ってるし、フランスには3年ほどいたから。それと。」
強熊は照れくさそうに笑うと真面目な顔をして二人に言った。
 「何というか・・・借りが返せたような、そんな気分でね。自分でも説明が出来ないんだが。」
 「でも奥さんにもお世話になりそうだし・・・」

 「ちょいとあんた達!でかい図体で年寄りの行く手を遮らないでおくれでないかい!」

その時彼らの背後で声がした。
驚いて振り返ると、そこにはメガネをかけたまん丸で背の低い老女が二人を睨みつけていた。彼女は外国人で、だが日本語はそれは年季の入ったものだった。そしてその横に孫らしき10歳かそこらの女の子が人形を抱えて立っている。その子供の髪は細かくそれはもう念入りにちぢれており、その上凄まじくボリュームのあるそれは、別の意味で優李よりはるかに目立つものだった。

 「ほれ!さっさとおどき!ジャマなんだから!」
老女は 「まったく日本の若いモンはどうしようもありゃしない!」 と、やはり日本語でぶつぶついいながら彼等を押しのけるようにして進んだ。そして、その後ろを少女が付いて行く。
少女は彼等の前を通り過ぎる時、立ち止まって何かを言った。しかし、それは日本語ではなかったので加藤と石塚には何を言っているのか分らなかった。彼らは顔を見合わせた。
少女は二人にニカッと笑って見せた。それから急いで老女のあとに続いた。

 「なあ、今何て言ったんだ?」 加藤が石塚に尋ねた。
 「俺に分かるわけないだろう?」 石塚は答えた。
 「そうだ!強熊さん、あんた分かる?」加藤は強熊に尋ねた。
 「あ、ああ。フランス語だったから。その・・・“バイバイ!そばかすのおにいちゃんと、髪の毛の跳ねたおにいちゃんと・・・ぜんぜんモテなさそうなおにいちゃん”と。」
それを聞いて石塚と加藤は顔を見合わせた。

 「“髪の毛の跳ねたおにいちゃん”は、多分俺だな。」
強熊は答えた。
 「じゃあ、“ぜんぜんモテなさそうなおにいちゃん”は?」
加藤は尋ねた。
 「そりゃお前、“そばかすのおにいちゃん”は俺だろう?だから・・・」
石塚と、それから強熊も加藤を見た。
加藤は少女を見た。少女は楽しそうにこちらを見て手を振っている。
 「あのガキ・・・」
それから少女は、老女に促されて奥へ入っていった。

 「外国人が少なくて助かりました。出発する前に外国人パスポートのチェックが総て出来たそうです。」
 「では!」
 「乗っていません。エールフランス、10:40発 パリ、ドゴール空港行きは離陸前に機内で確認までしてもらいました。」

 「他の国際便は!ヨーロッパ方面へ向かうのはどうなっている!」
 「本日のヨーロッパ方面便は残り2本です。10:30発ルフトハンザドイツ航空フランクフルト行きには15名ほど外国人が。でもパスポートに不備はありません。FAXで送った優李の写真とも別人でした。あとは11:00発フィンランド航空ヘルシンキ行き。この便は現在搭乗中です。他の方面の便についても調査中です。」
 「関西方面の国際便発着の空港はどうなっている?」

 「あら、全国調べた方がいいんじゃない?国内線で北海道とか九州まで行かれたらどうするの?」
ジャンヌが言った。
板倉はジャンヌを睨んだが何も言わず高橋に命じた。
 「警察に連絡して、入国管理局に連絡を。成田、羽田だけでなく全国、ありとあらゆる空港に照会して欲しいと。」
 「すぐに手配します。」