いきなりドアが開いて、板倉と高橋は部屋に入ってきた優李を驚いて見つめた。
 「どうした優李。何か・・・」
高橋は言いかけて、遅れて部屋にやってきたジャンヌを見て口を閉ざした。
その代わり板倉が顔色一つ変えず、いつもと同じように優李に優しく笑いかけた。

 「一体どうした?君らしくもない、ノックもせずに・・・」
 「アンドレがどうしてフランスにいるのだ?」
優李は板倉に言った。
 「アンドレ?」
 「勇だ。」
 「ああ、すっかり忘れてたよ。君はそう呼んでいたのだったね。勇は・・・彼のお母さんが倒れて入院したのだよ。それでフランスへ1ヶ月ほど前から・・・」

 「板倉、今日で23日目だ。」
 「何のことだ?優李。」
 「龍が来ない。アンドレがフランスへ行ってからと時期が重なる。どういうことだろう?板倉。」
 「単なる偶然だろう。前のガードはあんなだったし、今はぼくがガードを務めている。だから銀龍はお気に召さないのだろうね。でもこれは幸運かもしれないな。今は例の組織の件があるし・・・・」

 「銀龍の影すらないのだぞ!」

優李の様子を気にするでもなく板倉は言った。
 「分かりにくい所為だよ。今、家の周囲には例の組織用に妖魔用のトラップがしっかりと張り巡らされている。だから・・・」
 「だから注意して探した。なのに気配は少しも感じ取れなかった、少しもだ!」
優李の言葉に板倉は不思議そうな様子で答えた。
 「それに何か問題でもあるのか?理由は分からないが、悪くはないだろう?それがたとえ銀龍の気まぐれでもね。違うか?優李。」
 「銀龍は律儀だ。ここに来ないのは理由があるからだ。一番大切な理由、決闘以外何があるのだ。」

それを聞いて板倉は少し考え込んで、ジャンヌを見た。
 「君は何か・・・アランから聞いているか?」
 「いいえ。でも最近多くて困っているというのは聞いているわ。」
 「ああ、そうだな。腕試しに銀龍に勝負を挑む冷やかしや馬鹿な奴らが昔から後を絶たないのだったな。」
 「止められるのは4日目までだ。だが今日で23日目、それが冷やかしか?」
優李はそう言って板倉を睨みつけた。
 「詳しい状況が知りたいなら、アランに確かめてみようか?」

 「フランスへ行く。」

 「優李!何を言っている。馬鹿な事を!君がフランスへ行けば・・・」

 「フランスへ行く!」

 「知りたいのなら今すぐ調べよう。ジャンヌ悪いがアランに連絡を取って・・・」
 「もういい!アンドレだろう?龍と決闘してるのはアンドレなのだろう?答えろ!板倉!」
 「君は何を勘違いしているのだ?勇は母親が倒れてフランスへ行っているだけだよ。」
 「母親はブタペストから明後日帰国する。今は飛行機の中だ!」
優李は怒鳴った。

 「優李、何を言っているのだ?そんなはずはないだろう。」
板倉は笑いながら言って、優李の顔をじっと見つめた。それから少し考え込んで言った。

 「おかしいな、僕が聞いたのとは違う。冴子さんは明後日帰国するのか、それなら僕の方からも・・・」
 「もういい!分かった!」
優李が投げやりに言った言葉に、板倉はほっとしたように優李を見た。

 「とにかく冴子さんには・・・勇の母親だよ、彼女には明後日ぼくのほうから連絡を取ってみるよ。遅くとも明々後日にははっきりするだろう。それから念の為、アランにも連絡を取って今決闘が行われているかも聞いてみよう。」
優李は目を伏せた。

 「・・・アランとは先程電話で話した。」

板倉はジャンヌをちらりと見た。
 「なんだ、優李。それならアランに聞いてみればよかったじゃないか?」
 「決闘は不治の病の娘を救う為、父親が銀龍に戦いを挑んでいると言った。」
 「そうか・・・それでは決闘が行われていたのか。でも優李、それなら分かったのだろう?」
板倉の言葉に優李は言った。

 「その電話の最中に歌が流れた。ジョス・レイスだ。」
 「それが・・・何か。」
板倉は怪訝そうに聞き返した。
 「アンドレの着歌と同じだった。」
優李は板倉を睨んだ。板倉は苦笑した。

 「優李、ジョス・レイスなら世界中どこで流れてもおかしくない。TVにラジオにCD、着歌とは限らないよ。それに・・・電話から聞こえたのだろう?聞き間違えということもある。」
 「ああそうだな。だから聞いた。“ジョス・レイスだな、ラジオか?”と尋ねると、アランは“ああ。側にいた奴が急にボリュームを上げやがった。”と答えた。」
彼女は冷たく笑った。

 「それなら・・・」
 「わたしがかけたのにか?わたしの携帯でかけた、それで鳴ったのに?」
彼女は続けた。
 「切ったら音がやんだのにか!それなのに違うのか!何がラジオだ!間違いない!あれは着歌だ!アンドレのだ!」
優李は叫んだ。
 「誰が決闘について教えた!どうして止めなかった!何故!」

 「優李!何を勘違いしてるのだ!勇が決闘なんてするはずがないじゃないか!どうして・・・」
 「何故止めなかった!今まで生き残ったのはジャルジェ家の初代だけなのだぞ。何故決闘なんて・・・どうなるか分かっているだろう!!」
 「優李、落ち着け!とにかく調べてみるから!確かめないで憶測で話をしても無意味だよ。だから・・・」
 「もう止められない!23日なんて!酷い怪我だ!・・・きっとそうだ!それだけでない!もう何があってもおかしくない!何故?何の為に?どうして!どうして!どうして!」
 「優李!落ち着け!」

 「何故だ!答えろ!」

優李が叫んだ。
 「167年前の約束を反故にする為よ。」
ジャンヌがぽつりと言った。
優李は呆然とジャンヌを見つめた。
板倉はジャンヌを睨みつけた。

 「これではもう・・・隠しようがない。」
ジャンヌはぞっとするような笑みを浮かべ板倉を見た。それから立ちすくむ優李へ向き直って言った。
 「優李聞きなさい。クレマンは、たとえどんな事があっても勇を死なせないと言ったわ。彼は出来ない事を出来るとは言わない、絶対にね。優李、クレマンを信じなさい。」

 「勇は大丈夫だよ。危なくなったら向こうでクレマンが止める。だからフランスなんて絶対行かせないよ。あそこは君にとって鬼門だ。解っているだろう?本体がいるんだぞ!」

 「・・・・フランスへ行く。」

 「駄目だ!」

 「フランスへ行く!」

 「君が行く必要はない!」
 「アンドレを止める!やめさせる!」
 「クレマンが何とかする!」

優李は、信じられないという面持ちで板倉を見た。
 「わたしが・・・何も知らないと思っているのか?4日目を過ぎたら決闘は止められないのだぞ?あとはたった一つの方法しかないのだぞ?」
 「だからクレマンは・・・」

優李は視線を板倉からジャンヌに移した。ジャンヌはまっすぐに優李を見返した。
 「自分の命を賭けて決闘を止めるのだろう?クレマンが死ぬかもしれないのだぞ?それでも決闘を止められないかもしれないのだぞ!もしそうならアンドレも・・・ジャンヌ!分かっているだろう!」
悲鳴を上げるように優李は叫んだ。
ジャンヌは答えなかった。

 「・・・優李、大丈夫だ。クレマンの実力がどれほどのものか!君もよく知っているだろう!」
 「フランスに行く!私が止める。誰も死なせない!私が助ける!!」
 「何を言っているのだ!駄目だ!そんな事は絶対許さない!」
 「例えどんなことをしてでもフランスへ行く!わたしが助ける!わたしが決闘に水を差す!!」
 「駄目だ!」
 「わたしは行く。どんな事があってもだ!」
優李は板倉をそしてジャンヌを睨みつけて言った。

 「・・・無理よ優李。」

ジャンヌは言った。
 「わたしが止められるとでも?」
 「ええ。強行突破なんて考えては駄目よ、無理。だってパスポートはあたしが預かっているのよ、優李。」
ジャンヌの声が冷たく部屋に響いた。

警備室に戻ったジャンヌは板倉に言った。
 「マリアが側に、それから高橋がいるわ。他は部屋から出した。」
 「・・・ようやく落ち着いたか。」
板倉のほっとしたような様子に、ジャンヌは突き放すように言った。

 「ええ。それはそれは無表情で静かになったわ!まるで人形ように!今がこれで、8日後にはどうなるかしら?」
 「・・・明日から優李のガードを4名補充する。」
 「物理的には完璧な防御。精神的には皆無。見事ね、板倉。」
 「勇はただの臨時のガードだ!じきに忘れる!」

板倉は声を荒げた。ジャンヌは目を伏せるとクスリと笑った。それから例の流し目で彼を見て言った。

 「ただの臨時のガード、ね。まあいいわ、今更何を言っても始まらない。では!そのただの臨時のガードが自分の為に死ぬ。若しくはクレマンが。もしかしたら二人とも・・・」
 「時が解決する!」
 「願わくば・・・あたしもそうであれば!と、心の底から祈っているわ。」
ジャンヌは冷ややかに言い放った。

 「ジャンヌ!」
板倉は部屋を出て行こうとしたジャンヌを呼び止めた。
 「パスポートの件だが、麻布のフランス大使館にも一言連絡を入れておいてくれないか?」
 「ジャルジェ家の名を出して再発行などさせないようにかしら?」
 「そうだ、念の為だよ。ジャンヌ。」
ジャンヌは板倉を睨みつけて 「Oui」 とだけいうと部屋を出た。

ジャンヌは優李の部屋に入ると高橋に小声で話しかけた。それからベットに座ってぼんやりと遠くを見ている優李と、そばに心配そうについているマリアに近づいた。彼女はマリアに目で合図して、マリアは頷くと、手に持っていたぬいぐるみを娘の膝に置くと、しっかりと抱きしめて額に口付けすると、高橋が開けたドアから彼と共に部屋を出た。

ジャンヌはそれを見届けてから、優李の隣へ腰掛けた。しかし彼女は何も反応せず相変わらずぼんやりと遠くを見たままだった。

 「優李。」
ジャンヌは優李に優しく言った。
 「・・・・・どうして気づかなかったのだろう。」
優李はジャンヌを見ずに、どこか遠くを見るようなまなざしのままぽつりと言った。

 「勇はきっと・・・ガードを辞めた時点で決めていた。誰にもどうする事もできなかったのよ。」
 「わたしが死ねば・・・アンドレは助かる?」
優李は遠くを見つめたまま言った。
 「ノン!勇は最後のガードじゃない。勇は銀龍に決闘を挑んだのよ。彼個人の問題。だから優李が死のうが生きようが関係ない!」

 「・・・・わたしの所為だ。」
 「優李は悪くない。」
 「では何故?」
優李は初めてジャンヌを見た。
 「何故?」
優李は再びジャンヌに問いかけた。

 「勇は自分の為に銀龍に決闘を挑んだ。それだけよ優李。」
 「自分の為?どうして、どうしてそれが・・・自分の為?」
 「・・・それがあの子の一番の望みだからよ。」

ジャンヌはそう言って目を伏せた。
優李はそれ以上ジャンヌを問い詰める事なく、視線を自分の膝に置かれたくまのぬいぐるみに移した。

 「ジャンヌ。よく夢を見た、アンドレの夢。」
彼女はぬいぐるみを見つめたまま続けた。
 「左目から血を流して苦しんで!なのに・・・笑った。何故?何故笑う?嬉しそうに? “おまえの目でなくてよかった” 何故そんな事を言うのだ!私が負うべきだったのに!何故?」
 「優李!それは・・・夢でしょう、違うの?」 ジャンヌは強く言った。
優李は彼女を見た。

 「ああ、夢だよ。ジャンヌ。」
だがすぐに視線をぬいぐるみに戻すと優李は続けた。
 「こんなのもあった。どんなに呼んでも返事をしないのだよ。 “アンドレ!何している。早く起きろ。” ゆすっても何をしても起きない。 “アンドレ!目を開けて!” って!どんなに叫んでも目を開けてくれない。止まらなかった出血がやっと止まったのに・・・どうして目を覚まさないのだろう?おかしいだろうジャンヌ。」
優李は笑った。

 「やめなさい。」
 「おかしい。何故目を覚まさないのだろう?暖かかった身体が少しずつ冷たくなっていく。肌の色が・・・いつもはこんな色じゃない。」
 「やめなさい!」
 「 手を暖めようとしたら・・・固まったように動かない。これではまるで・・・」
 「もういい、やめなさい!」

彼女はようやく納得したといった様子をジャンヌに見せた。
 「ああそうだ。アンドレはもう二度と目を覚まさない、笑わない。だって、アンドレは死んだ。わたしを護って、わたしの所為で死んだのだ。わたしの側にいなければこんなことにならなかったのに・・・そうだ、わたしが殺した。わたしが傷つけて・・・わたしが殺した!わたしが殺したんだ!わたしが・・・」

 「もういい!夢よ!優李!全部夢よ!!」

ジャンヌは叫んだ。
優李は一瞬黙した。すぐに言葉を継ぐ。

 「ああ、ジャンヌ。全部夢だ。」
優李は膝の上に置かれたぬいぐるみにそっと触れた。指は優しくそれを撫でた。
 「全部夢、本当じゃない。ただの夢。」
不意に指がぬいぐるみから離され、硬く握り締められた。
そして優李は、絞り出すようにして言葉にした。

 「・・・怖かった。」

沈黙が部屋を支配した。
暫くしてようやく優李は口を開いた。

 「あんな思いは絶対に嫌だ!絶対だ!だから・・・・だから・・・・」
 「もういい!分かっている!分かっているから・・・・」
 「わかっていない!誰にも分かるものか!」

優李は叫んだ。
「誰にも分かるものか!わたしがどんな思いで・・・・・」
優李は膝のぬいぐるみを見ると顔を歪めた。硬く握り締められた拳にいっそうの力が入る。

 「・・・酷い事を言った!酷い事を・・・・アンドレは何も言わなかった。理由も分かっていたのに、何も気づかないふりをした。嘘をついた。嘘を・・・嫌だったのに・・・い・・・」

言葉は続かなかった。
優李はなんとか続けようとしたが声は出なかった。彼女は喉に手をあてて声を出そうとした。しかしやはり声は言葉にならず、代わりに青い瞳から涙がこぼれた。
涙はぽろぽろと伝い落ちて、膝の上のぬいぐるみを濡らした。そして、押さえ込んでいた感情が溢れ出した。

 「いて!・・・ずっと・・・いて、そばに・・・ア・・ンドレ・・アンドレ!アンドレ!アンドレ!アンドレ!」

 「もういい!分かっている!勇を護りたかった。分かっている・・・」
名前を呼び続けながら泣きじゃくる優李をきつく抱きしめながらジャンヌは言った。

 「ジャンヌ・・・お願い・・・」
随分時間が経って、ようやく優李は顔を上げて言った
 「お願いだ!ジャンヌ!」
 「クレマンを信じなさい!」
ジャンヌは強く優李を抱きしめた。
 「お願い!フランスへ行かせて!」
 「ダメよ!」
 「誰も死なせはしない!わたしが護る!助ける!」
優李はジャンヌをまっすぐ見た。

 「優李、あなた・・・」
 「誰も死なせるものか!わたしがアンドレを護る!だから・・・お願い!フランスへ行かせて!」
ジャンヌは優李を見つめた。
 「そんなことをしたら・・・勇だけじゃない!あなたも死ぬ。」
 「だから何?」
 「優李!」

 「それがなんだというのだ?置いていかれるくらいならその方がましだ!一人残されて!生きながらえて!耐えられると?我慢できると?どうしてそんな・・・」
彼女の声が震えた。
 「ジャンヌ!お願いだ!パスポートを返して!」

ジャンヌは目を伏せた。
 「ノン!」
 「ジャンヌ!」
 「ノン。麻布の大使館にも連絡を入れてある。再発行は無理。つまり、どうやっても日本から出ることは出来ない。これは・・・あなたの為。それと、あなたが愛してあなたを愛している家族の為。分かって、優李。」

長い沈黙が続いた。
しかし、優李から諾の言葉は聞くことが出来なかった。

 「少し早いけど・・・休みなさい、優李。」
ジャンヌは優しく言った。しかし返事はなかった。
 「薬をあげる。朝まで眠れるから。今すぐ持ってくるから。」
ジャンヌはもう一度優李を抱きしめると部屋を後にした。

程なくジャンヌはトレイを持って部屋へ戻ってきた。
優李はベットに座ったままぼんやりと遠くを見ていた。だが、腕にはしっかりとくまにぬいぐるみがきつく抱えられていた。
ジャンヌは小さく溜息をついて、彼女の前にトレイを差し出すと言った。

 「優李、薬と水よ。」
優李は反応しなかった。
 「優李、見なさい!ちゃんと見て!」
ジャンヌの強い口調でようやく彼女はちらりとトレイを見ただけで視線を外した。

 「見なさい!」

ジャンヌは大声で命令した。
その声にやっと優李は布巾の掛けられたトレイを見た。
 「薬は4錠よ。今すぐ飲む?それとももう少ししたら?」

布巾の端を持ち上げてトレーの上の錠剤を優李に見せながらジャンヌは言った。
優李はすぐに返事をしなかった。

 「優李、どうするの?」
彼女は答えず、そのままトレイを見つめ続けた。
 「優李!」
再度の問いかけにようやく優李はジャンヌを見た。しかしすぐにまたトレイに視線を移すと優李は言った。

 「・・・・4錠では足りない。袋ごとくれればよかったのに・・・」
ジャンヌはその言葉を無視した。
 「どうするの?今飲むの?」
優李は答えなかった。
 「優李!」

 「・・・あとで。」
やっと彼女は返事をし、トレイはベット横のサイドテーブルに置かれた。
彼女は黙ってトレーを見つめ続けた。
ジャンヌはその様子を見て小さく溜息をついた。

 「優李、いい?余計な事は考えない!あなたが愛して、大切に思ってる人の事だけを考えなさい!」
そういうと彼女は優李の手をぎゅっと握りしめた。
優李はジャンヌの顔を見たがすぐにまたトレイに視線を移した。
 「それから・・・明日の朝からあたしの他にガードは4人付くから。理由は分かるわね?」

 「ああ、よく分かっているよ。」
優李は無表情のままトレイを見つめて答えた。
 「わたしを護る為。皆わたしを・・・護る為だ。」