優李は誠がTVゲームをするのをぼんやりと見ながら考えた。
学校はやはり母親の病気で休んだままだった。
それから父の友人である駐日大使。
彼は快く引き受けてくれた。連絡は折り返しすぐに入った。

 “25日前の1月5日、シャルルドゴール空港よりフランスへ入国。”

そして先程の板倉。
 「同業者だからね。動き出すという情報が入った以上、用心するに越した事は無いからね。」
彼はいつもと同じように笑いながら言った。

用心深い彼ならそう判断しても少しもおかしくはない。ジャンヌはいつもと同じ、板倉を例の流し目で見ていただけだった。 こういうケースは初めてではない、今までに何度かあった。理に適った判断だ。不審な点は何もない、少しもおかしく無い。おかしいのは・・・

彼女は眉を顰めた。
もっと慎重に銀龍の気配を探すべきだった。家と学校の周囲に張り巡らされた・・・多分その同業者の為だろう。対魔用の何か仕掛け、あれが邪魔して龍の気配が見つけにくいだけかと思っていた。正確にはいつからかは分からない。だが来なくなった日から影がいないのなら、今日で23日目だ。

優李は時計を見た。19:58。そしてフランスは、11:58。もしそうなら・・・あと1時間もすれば始まるはずだ。

 「・・・フラン、ねえ、フラン!」

その声に彼女はようやく誠が怒った様子でこちらを見ているのに気づいた。
慌てて 「わたしの番か?」 と聞くと誠は 「だからさっきから何回も呼んだのに!」 とふくれた。
 「ああ、悪かった。ちょっと用を思い出したのだ。誠、すぐ戻るから少しだけ一人でやっていてくれるか?」
 「フランの分もやってていいの?」
彼女が頷くと誠は嬉しそうに「うん!分かった!」と元気よく返事をした。
優李は誠に微笑んで、それからジャンヌを見た。
彼女は読んでいる本から目を離し優李を見ていた。

 「明日から暫く学校を休むのだろう?連絡だけ入れておかないと皆に迷惑がかかる。」
 「ええ、そうね。」
 「すぐ戻るからと、板倉が警備室から戻ったら言ってくれ。」
優李はそう言って部屋を出た。

自分の部屋へ戻ると優李は電話の受話器を取るとソファに腰を下ろして膝の上にくまのぬいぐるみを置いた。ボタンを押そうとして、ふとソファの前にあるテーブルに置いてあった零に買って来てもらった携帯に目を止めた。
彼女は暫く携帯を見つめていたが、手を伸ばして手に取った。それからそれを開くと、中にある待ちうけの画像を見つめた。

そうだ、偶然だ。それにアンドレが渡仏したのは25日前だ。だが?
優李は、考えては打ち消してきた事をまたしても考え込んだ。
もし何か理由が・・・アンドレに決闘でもしなければ叶わないような願いがあったら?
そして板倉かジャンヌから、決闘の件を聞いていたとしたら?
彼女は考えて、昼間と同じ答えに行き当たり自嘲した。

命と引き換えにしてもいいほどの悩みなどあるようには少しも見えなかった、考え過ぎだ。
優李は携帯を持ったまま電話の受話器のボタンを押すと相手が出るのを待った。11回目のコールでようやく電話の相手は出た。

 「アロー?」
 「アロー、仕事中悪いが・・・今いいか?アラン。」

優李は最後にアランの名を呼んで思い出した。それから慌ててその考えを打ち消した。
フランスにはアランなどいくらでもいる、いるのだ!

 「今は手が空いているからな。それよりどうした珍しい、何かあったのか?」
 「それはこちらのセリフだ。銀龍が来ないぞ?影すらない。23日目だ。」
 「・・・だろうな。」
電話の声は、少しだけ間を置いて優李に答えた。
 「決闘だろう?アラン。確かこの件はお前が担当だったな。」
 「・・・ああ、俺の担当だ。」

いつになくためらいがちに続く声。
優李は携帯を閉じかけたが思い留まって携帯を見つめた。

 「ジャンヌに連絡しようと思ったが、どうせ長くは持つまいと思ってな。だが・・・」
 「冷やかしではなかったのだな。」
 「ああそうだ。1ヶ月闘い抜く正式な決闘だ。」

彼女は手に持った携帯の、待ちうけ画面を見ながら尋ねた。

 「今は屋敷か?」
 「ああそうだ。」
 「もうそろそろ闘いの時間だろう。その人物もそこにいるのか?」
 「いや、まだ屋敷には戻って来ていない。」
 「闘いまでそれ程の時間はないはずだぞ?」
 「ああ。だが奴は・・・奴はいつもぎりぎりの時間まで娘の側にいる。決闘は・・・娘の命を助ける為だ。」
 「もう少し詳しく聞きたい。」

暫く間があった。
優李は待受け画面をじっと見つめながら待った。

 「まだ12歳だ。元々心臓に奇形があってその上・・・小児ガン、よくもってあと2ヶ月。施す術はない。」
アランは言った。
子供の為、このままだと死を待つだけ。だが!  「アラン、これがどんなに分の悪い賭けか分かっているだろう?」
優李は待受け画面を見つめたまま尋ねた。
アランはすぐには答えなかった。
 「ああ、分かっている。奴にもよく分かっている。」
ようやくアランは答えた。

 「ならば!」
 「最愛の妻が命と引き換えに産んだ忘れ形見の・・・たった一人きりの娘が命を落とそうとしている。奴の頭にあるのはその娘を助ける事だけだ。」
 「だから決闘か?最後の時間が残り少ないなら尚更、娘の側で娘の為に付ききりで看取ってやるべきではないのか?」
 「そして娘は死ぬ。奴は全てを失う。」
 「娘はどうなる?最後までの時間、どんな気持ちで過ごすのだ?最後の時を一人で耐えるのか?どうしてそんな酷い事を・・・」

アンドレが笑う。待ち受け画面の中のアンドレは笑う。優しい笑顔。一番優しい顔。そして隣で笑うわたし。
たとえ死が目の前にあろうとも、いてさえくれれば、そうすれば・・・
優李は顔を歪めた。

 「それで娘の苦しみを取り除けるなら・・・」
アランの言葉を遮って彼女は叫んだ。
 「それが一番娘を苦しめる事になるのにか!」
そうだ。わたしなら・・・耐えられない。
アランの声が沈んだ。
 「ああ・・・その通りだろう。」

優李は携帯の画面を見つめて声を荒げた。
 「アラン、何故止めなかった。足を腕を叩き折っても止めるべきではなかったのか!何故止めなかったのだ!」
 「気づくのが遅すぎた。」
ポツリとアランは答えた。

 「・・・いつ気づいたのだ?」
 「5日目だった。」

18日前。ああそうだ、ジャンヌがあの変態を病院に送り込んだ日。
優李は、携帯に登録されたたった一つの番号を表示すると通話ボタンを押した。

 「いや、違うな。」
 「アラン?」
 「たとえ4日目でも俺には止められなかった。奴はやった、足を腕を叩き折られても・・・アイツはそういう奴だ。」
 「・・・誰にも止められないと?」
 「ああ。」
 「娘でもか?」
 「・・・尚更だ。」

彼女は携帯の通話ボタンを切ると少し明るい口調に切り替えて言った。
 「アラン、仕事中すまなかった。」
優李は電話を切った。それから膝の上のぬいぐるみを抱えると、きつく抱きしめた。