石井家の愛犬の名は “チビ” という。
可愛い名前がついているけど・・・・可愛いくない。
でかい雄のドーベルマン、3歳だ。

 「本当の名は “パスカル” だった。」
オスカルはチビを撫でながらいった。
 「パスカルというと、あれだろ?“人間は考える・・・・” なんだっけ?」
 「L'homme est roseau de pensee.」
 「あの・・・・オスカル、出来れば日本語で・・・」
 「わかる所だけでも言ってみろ。」
 「・・・男は・・・・・なんたらかんたら思い込み・・・だ?」
 「“なんたらかんたら思い込み・・・だ?”なんだそれは!」
 「だからそこの所がちょっとわからない・・・・」
 「ちょっと?」
 「いや・・・ほとんど・・・・え〜全然。」
 「・・・・・・・“人間は考える葦である”」
 「ああ、なるほど! “葦” それだ。」
オスカルはやれやれといった様子でおれを見た。

 「それで・・・・オスカル、どうして “チビ” に?」
おれは聞いた。
 「最初は小さかったから。皆そう呼んでいて、名前が決まった時には、こいつはもう・・・・」
チビは首を傾げてオスカルを見た。
オスカルは、さも可愛いといった様子でチビを見て笑った。
これがちっちゃい奴ならかわいいさ。
だけど、この図体で面構えじゃあとても・・・・

おれは思ったけど、言わない。
だって前に・・・・・

「ほら、この目!ちょっと小さいが、つぶらでキュートだろう?」
  わざわざチビの顔を持っておれの方に向かせなくてもいいって!
  そのちっこい目がおれを睨みつけてるじゃないか!

「それからこの足!いかにも早く走れるって感じだろう。」
  ごっつい足を持って見せてくれなくてもいい・・・・
  初めて会った時、追い掛け回されたからよーく知ってる。

「抱っこして!って、感じで飛びつくんだ。」
  抱っこじゃなくて・・・押し倒すだな、うん。

「人懐っこくて!すぐ手や顔をペロペロ舐めるんだ。」
  怖かったんだぞ!噛み付かれると思った。
  舐められたら・・・舌がざらざらして痛かった。

「かわいいだろう?本当にかわいい奴なんだ。」

チビを抱きしめて、オスカルは言ったんだ。
これじゃ本当の事は言えないよ・・・・・・

オスカルは家族の中でチビを一番かわいがっているようで・・・・よく散歩にも連れて行く。
朝の散歩はほとんどがオスカルだ。
ちなみに朝の散歩にジャンヌは・・・来ない。
 “早起きは肌によくないから” だそうだ。(意味不明だ)

でも代わりはちゃんと付いて来る。
家には警備の為、絶えず複数のガードがいるからだ。(その中で手の空いている人が散歩係になる。)
そして・・・・・
散歩のコースは毎日違う。

これは防犯上、同じコースだと狙われ易くなるからだ。
普段は1時間ぐらい、学校が休みの時は2時間とか・・・すごく遠くまで行く。
その所為か、オスカルはこの周辺の地理にめちゃくちゃ詳しい。

家の周辺は道幅が広くて豪邸ばかりの閑静な住宅地なんだけど南へ下った方はごちゃごちゃと住宅が入り組んて建っていて狭い路地や階段がいたる所にある。
オスカルは、そんな所の・・・・あと100メートルいくと袋小路だとか、ここは階段が何段あるとか・・・そういう細かい事までも全部頭に入ってる。
前も思ったけど、ほんとにオスカルの頭ってどうなってるんだろう?

 「行くぞ!アンドレ。今日は青葉公園までだ。」
リード(犬用の引き綱)を出して、オスカルがおれに言う。
青葉公園は・・・・南の遠くの駅の方だな。
おれは溜息をつく。

ちょっと離れた所で警備の人達が3人ほどジャンケンしてるのが見えた。
青葉公園と聞いたからだろう。
どうやら敗者が決まったらしい、1人がこちらへ来る。

 「加藤さん、また大当たり?」
おれは聞いた。
 「ああ、先週に引き続き!だ。あそこじゃ自転車も使えやしない。片道1時間半、帰りは上りのみの徒歩かよ。まったく青葉公園に限って何で俺だけ毎度毎度・・・」
 「おれなんかいつも徒歩だよ。」
 「若造はそれでいい。」
 「加藤さんだって・・・」
 「俺はもう24なの。年寄りにはきついんだぞ、あの坂と階段は。それに馬鹿犬は走るし・・・・」
チビが吼えてる。

 「聞こえたみたいだよ。」
おれは言った。
 「さすが犬だ、いい耳してやがる。まだ吼えてるぞ?これは・・・“野郎ども!さっさと来んかい!”だな。」
おれたちは急いで外へ出た。

チビは既にリードで繋がれてこちらを睨みつけている。
 「遅い!」
オスカルは言った。
 「ごめん。」
 「さあ行くぞ!」

一緒に歩きながら、おれはふと考える。
おれさ、オスカルみたいに階段の段数までは覚えられないかもしれないけれど・・・・・
この町の地図は書けるようになるな、うん。