オスカルは憤懣やるかたないといった様子で主の出て行った扉を睨みつけた。その時動く気配がした。オスカルは振り返った。すると眠っていたはずのアンドレがオスカルをじっと見つめていた。

 「気分は?」
オスカルは尋ねた。それを聞いてアンドレは考え込んだ。
 「そうだな・・・悪くはないな。」
アンドレは答えた。いつもよりは口調はゆっくりとしていたがおかしな所はなかった。

 「そうか、それならいい。」
オスカルはほっとした様子で言った。
 「いや、やっぱり悪い。どうかしてる。」
アンドレは言った。オスカルはアンドレを見て、それから床に置かれた桶を見た。
 「どうしてだろう? いや、仕方ないんだろうな・・・多分。」
アンドレは視線を扉の方にやるとぼんやりと呟いた。その様子にオスカルは不安げにアンドレを見つめた。

 「・・・水を飲むか?」
オスカルが尋ねるとアンドレは驚いたようにオスカルを見て笑った。
 「水はいいよ。それより酒が欲しいな。ジンじゃない、ラムがいい。」
オスカルは小さく息をついた。

 「酒はない。」
 「そこにあるのは?」
アンドレは脇机を見て尋ねた。それを聞いてオスカルは嫌な顔をした。
 「これはわたしのだ。」
 「分けてくれ。」
 「駄目だ。」
 「少し位いいだろう?」
 「駄目だと言ったろう。」
 「何故?」
オスカルはアンドレに聞えないように小さく息をつくと、どうしようもないという様子でアンドレの顔を見つめた。

 「おまえに深酒させてはいけないという事が分かったからだ。」
 「何だそれは?」
 「とにかく!今日のおまえにはこれ以上飲ませる酒はないからな。」
 「そんなにつれなくしなくてもいいだろう?パルスヴァル。」

アンドレは酒場の主の名前を呼んだ。それを聞いたオスカルは、今度はアンドレに聞えるように深い息をついた。オスカルは脇机の上に置かれた水差しを持ちゴブレットに水を注いだ。彼女は寝台に近づきアンドレにそれを差し出した。アンドレは不服そうな顔をした。しかしオスカルは 「まずこれだ。」と言った。アンドレはゆっくり身体を起こすと仕方なくそれを受け取り一口だけ飲んだ。

 「やっぱり水だ。」
 「いいから全部飲め。」
オスカルは指図した。仕方なくアンドレはゴクゴクと飲み干した。

 「もう1杯いるか?」
オスカルは声をかけた。
 「いや、水はもういい。」

アンドレはオスカルに空のゴブレットを差し出した。オスカルはそれを受け取ると脇机に置いた。アンドレは暫くの間ゴブレットを見つめていたがオスカルは気づかない振りをした。アンドレはオスカルを見た。

 「パルスヴァル、酒は?」
それを聞いてオスカルは腕を組むとアンドレを睨んだ。アンドレは怪訝そうな様子でオスカルを見た。
 「パルスヴァル?」
 「・・・アンドレ。」
 「何だ?」
 「わたしはパルスヴァルじゃない。」

アンドレは驚いてオスカルを見た。それからあっけにとられたような顔をして 「じゃあ誰なんだ?」 と呟くと考え込んだ。しかしそれは長くは続かず、ふうと息をつくと 「まあ誰でもいいか。」 と呟いてオスカルを見ると笑った。

 「誰だか分からないが、気にしないでくれ。おれは気にしないから。」
 「わたしはオスカルだ!」

それを聞いてアンドレは驚いた様子でオスカルを見つめた。オスカルは横目でアンドレを見返した。しかしアンドレはくすくすと笑った。

 「すごいな。ラムは最高だな。」
 「アンドレ!酒の所為ではない、わたしはオスカルだ。」
アンドレは云々と頷いた。

 「分かってるよ。そちらも相当飲んだのだな。」
 「わたしは酔ってなぞいない。」
 「どのくらい飲んだ?」
 「たったの3本だ。」
 「そんなに飲んだのか!もう飲むのをやめた方がいい。帰れなくなるぞ。」
 「・・・心配する必要はない。もう帰れない。」
 「やっぱり。」
オスカルはアンドレを睨み付けた。

 「辻馬車が捕まらないのだ!だから今夜はここに泊まる。」
 「ここ?」
 「店の2階だ。明日になって素面になったら主に・・・」
 「そちらはどうするんだ?」
オスカルを遮ってアンドレは尋ねた。オスカルは機嫌悪げな表情でアンドレを見た。
 「わたしもこの部屋に泊まるのだ。」
アンドレは部屋を見回してからオスカルをみた。

 「でも、寝台が一つしかないぞ。」
 「だからお前と一緒にだ。」
 「それは困る。」
 「狭いが我慢しろ。それと靴を脱げ。」
アンドレは自分の足を見た。 「そうか、そうだな。」
アンドレは答えると靴を脱いだ。それからオスカルに 「これでいいか?」と尋ねた。オスカルは黙ってうなずいた。
 「だけど、困ったな。」
アンドレは呟いた。オスカルは訝しげにアンドレを見た。

 「なんだかいつもと違う気がするんだ。何故だか分からないけれど・・・」
 「酔っているのだ!」
オスカルは言い切った。それを聞いてアンドレは考え込んだ。
 「・・・そうかな?・・・そうかもしれない。おれは酔ってるんだ、もしかしたら、多分。」
 「多分じゃない。」
 「じゃあ酔ってる。かなり酔ってる、飲みすぎた。これで合ってるか?」
 「ああ、そうだ。」
オスカルが答えるとアンドレは笑った。

 「よかった。で、おれはアンドレだ。それで、えーと・・・・名前は?」
 「オスカルだ。」
アンドレは考え込んだ。それからようやく合点がいったという顔をした。
 「そうか、そうだったのか。」
アンドレは何度か呟いてからオスカルを見た。

 「偶然だな。いや、同じ名前なんだ。おれじゃないよ、おれの・・・・」 アンドレは笑うと 「知り合いと同じ名前だよ。」 というとまた笑った。

 「それじゃあ、オスカル。」 アンドレはクスクス笑った。 「変な感じだな。まあいいか。」 
 「オスカルは、男のおれに抱きつかれたりすると困るだろう?」
オスカルは腕を組むとアンドレを睨んだ。

 「もう抱きつかれたぞ。」
 「やっぱり。」
納得した様子でアンドレは頷いた。
 「納得するな。」
オスカルはアンドレを睨んだ。それを見てアンドレは笑った。

 「すまない。だけど最初に言っておくが、おれにそういう気がある訳じゃない。おれは男には興味がない。」
 「あったら困る!」
 「だろう?だからおれもオスカルにそういう趣味があると困る。大丈夫か、オスカル?」
 「いいかアンドレ!わたしはな!」
 「冗談だよ。」

アンドレは笑った。オスカルはウンザリした様子でアンドレを見た。アンドレはニコニコ笑うと不意に真顔になり沈黙した。オスカルは怪訝そうにアンドレを見つめた。アンドレは照れくさそうに笑った。

 「・・・参ったな。」
 「どうかしたのか?」
 「まるで本物だ。」
 「何の事だ?」
 「オスカルは、そっくりなんだよ。本当にそっくりなんだ。」
アンドレは、ほうと吐息をついた。オスカルはどうしようもないという様子でアンドレを見た。

 「アンドレ、おまえが誰とわたしを勘違いしてるかは知らんが・・・」
 「分かってるよ。おれは酔ってるんだ。かなり酔ってる。こんな風になったのは初めてなんだ。体がふわふわ浮きそうな気分で、何というのかな・・・」
それからアンドレは楽しそうに笑った。
 「ラムは最高だな。うん、これからジンをやめてラムにしよう。」
アンドレは呟くとオスカルが自分を睨んでいるのに気づいたのか再び笑った。

 「ごめん、悪かった。それでえーと、何だったっけ?」
 「いいかアンドレ、わたしはおまえの・・・」
 「ああ!そうだった!」
アンドレは叫んだ。
 「大丈夫、安心していい。女だなんて思ってない。本当だ。分かっている。これは酒の所為で、おまえが・・・・」
アンドレはオスカルを見つめた。
 「勿論知ってる。分かってる。違うって知ってるんだ。」
アンドレはオスカルから視線を外すとあてもなく視線を泳がせた。
 「ここにいるはずがないんだ。だって・・・」

アンドレの口が何かを言おうとして動いたがそれは言葉にならなかった。アンドレはそのまま口を閉ざすと俯いた。その様子にオスカルは店の主との会話を思い出した。彼女は何か言おうとしたが何も言えず、やはり黙ってアンドレを見つめた。アンドレは何も言わなかった。そのまま沈黙が続いた。オスカルがアンドレは眠ったのではないかと思いかけた時、アンドレは不意に顔を上げた。彼はオスカルを見て笑った。

 「えーと・・・・名前はなんだったっけ?」
 「・・・オスカルだ。」
オスカルは答えた。アンドレは嬉しそうに頷いた。
 「そうだった、オスカルだ。 オスカルと同じ名前だ。いい名前だ、オスカル。うん、いい名前だな。オスカル、オスカル、オスカル。」
アンドレは何度も名前を呼ぶと満足げに頷いた。それから彼はふらつきながら立とうとしたのでオスカルは慌てた。

 「起きなくていい!もう寝てろ!」
 「だけど右か左どちらかに寄らないと・・・」
 「おまえが寝たらどちらかに動かす。」
アンドレは少し考えた。
 「動かせないかも?」
 「なら転がす。」

オスカルが答えるとアンドレは倒れこむように横になった。それから彼はオスカルを見上げた。
 「ずっと立ってるのか?」
アンドレは尋ねた。オスカルは部屋を見回すと隅に椅子を見つけた。彼女は椅子に近づくとそれを持ち上げて寝台の側まで持って来ると椅子に腰を下ろした。