2人でアンドレに肩を貸して上がるには階段は狭すぎた。
酒場の主はオスカルにアンドレを託すと先に階段を駆け上がり、階段脇にある扉を開けて中へ入って行った。オスカルはアンドレ腕を自分の肩に掛け、階段を上がった。しかし階段を上るのは容易ではなかった。アンドレに階段を上がろうとする意思はあるようだったが、身体はそうはいかなかった。

アンドレが何度も転びそうになるのオスカルが支えた。それなのにアンドレは一言も口を開かず、それどころか顔を伏せたままオスカルを見ようともしなかった。オスカルは階段を1段、1段、慎重に上った。残り5段ぐらいの所で主が部屋から出てきてオスカルに代わってアンドレに肩を貸した。店の主に担がれるようにしてようやくアンドレは階段を上りきった。2人はアンドレを部屋に入れると寝台に座らせた。

主は、持ってくる物があるからとオスカルに声を掛けると部屋を出て行った。オスカルはアンドレを見た。アンドレは寝台に座り込んで俯いたまま、微動だにしないでいた。

 「アンドレ、大丈夫か?」
オスカルは声を掛けた。しかしアンドレは返事をしなかった。
 「アンドレ。」
もう一度声を掛ける。だが返事はない。オスカルは小さく息をついた。

 「上着だけは脱がした方がいいな。」
オスカルは呟くとアンドレの上着のボタンに手を掛けてボタンを外そうとした。するとアンドレはその手を払いのけた。オスカルはアンドレを見た。

 「自分で出来る。」
俯いたままアンドレは言った。オスカルは腕を組むとアンドレを見下ろした。
 「ならそうしてくれ。その方がこちらも助かるからな。」
オスカルが言うととアンドレはまた 「飲みすぎだ。」 と呟いてのろのろと上着のボタンに手を掛けた。

アンドレは手間取りながらもボタンを外した。だが、最後のボタンに手を掛けるとそのまま動きが止まった。オスカルは待った。しかし、動きは止まったままで、暫くするとボタンに掛けられた手はだらりと下がった。オスカルはまたしても小さく息をつくと、アンドレの代わりにボタンを外して上着を脱がせた。

オスカルは脱がせた上着を置くとアンドレを眺めた。それから暫し考えて、アンドレの隣に座るとクラバットに手を伸ばしそれを解いた。彼女が巻きつけられたクラバットを取ろうとアンドレの首に手を回した時だった。アンドレの頭がゆっくりと彼女の方へ傾いた。オスカルは伸ばした手をそのまま差し伸べてアンドレを支えようとした。

 部屋に戻って来た主は、寝台の光景をぽかんとして見つめた。
寝台では、オスカルが身体の上に覆い被さるアンドレの身体を押しのけて起き上がろうともがいている最中だった。オスカルは主に気づいて動きを止めると一瞬気まずげな表情をした。しかしすぐにアンドレの身体と再び格闘を始めた。主は、手に持っていた桶やリネン、コートなどを置くと、笑いをこらえながら下敷きになっているオスカルを引っぱり上げた。ようやく下敷きから逃れたオスカルは不機嫌な顔で 「メルシ」 と返した。

 「言い訳を考えておいた方がいいかもしれないぜ?」
主は唐突に言った。オスカルは怪訝そうに主を見た。
 「首ン所、少し赤くなってる。髪が邪魔してるから分からないかもしれないが、目敏い奴は、特に女は鋭いからな。」
主は自分の首を指差しながら言った。しかしオスカルは主の言い分を理解できず、きょとんとして彼を見つめかえした。主はニヤリと笑った。

 「あんたがここへ来た時、勘違いでもいいとか言って、アンドレが抱きついたろう?でもってあんたの首筋に・・・・」
 「分かった、もう言わなくていい!」
オスカルは自分の首を押さえると真っ赤になって叫んだ。それから寝台で眠るアンドレを睨みつけた。主はその様子をみて面白そうに続けた。

 「聞かれたら本当の所を正直に言った方がいいと思うぞ。」
 「そちらの方が誤解される。」
オスカルが言い返すと主は頷いた。
 「相手が男だと分かって変態扱いされちゃ、たまったもんじゃないな。なら無難に女が・・・」
オスカルは主を睨んだ。主は苦笑した。
 「まあ、何か考えておくんだな。」

主はそう言うと、先ほど持って来た桶の中から白柚の陶器の水差しを3つとゴブレットを取り出してサイドテーブルの上に置いた。それから寝台の下から洗顔用の平べったい白柚の陶器のボウルを引っ張り出した。

 「さてと・・・・」
それから主はサイドテーブルの上に置いた物を見た。
 「こっちの水差しには、酒が入ってる。これはあんたのだ。そしてこちらは2つとも水だ。リネンは適当に使ってくれ。それから桶は・・・」
 「何に使うんだ?」
オスカルは床に置かれた桶を見ながら尋ねた。
 「吐くかもしれないだろう?」
 「誰が?」
 「アンドレ。」
 「何故だ?」
主は驚いてオスカルを見た。

 「・・・飲み過ぎて吐いた経験は?」
 「何故飲み過ぎると吐くのだ?」
オスカルは尋ね返した。
 「すごいな。本当に底なしなんだな。」
主は感嘆して言った。オスカルは気づいて不安げな様子をした。

 「こんな風になると吐くのか?」
 「分からん、人によって違うからな。まあ、ならない事を祈るんだな。」
 「あ、ああ。」
 「じゃあ、俺は下を片付けて来るから、あとは好きにしてくれ。」
 「あ・・・分かった。メルシ。ボンソワ。」
 「ボンソワ。」
主はオスカルに返して、不意にニヤリと笑った。それを見て、オスカルは眉を顰めた。

 「何だ?」
 「いや、もし襲われかけたら・・・」
 「誰が襲われるのだ?」
オスカルは腕組みをして主を横目で睨んだ。主は苦笑した。

 「いや、まだ酔ったままだろう?だからちょっとな。」
 「心配はいらん!その時にはアンドレには悪いが武力行使させてもらう。」
 「そうか。なら、また押し潰さそうになってなんともならんかったら呼んでくれ。」

主は笑いを堪えながら答えた。しかしオスカルは主を睨んだまま何も言わなかった。主は苦笑すると部屋を出て行った。