アンドレは時計を見た。今夜はもう無理かもしれない。そもそも仕事は山積なのだ。アンドレは天井を睨んで、それから小さく息を付いた。

まもなく開かれる御前会議で3部会の開催が決定されるだろう。そうなれば三部会の警備はベルサイユ常駐の衛兵隊があたるのは間違いない。だが、留守部隊は使えない。
パリ常駐の衛兵隊員は約3600名いる。彼らは主に警察の補助的役割を担っていてそれで手一杯だ。それにパリの留守部隊の連中がスイス人騎兵といざこざを起こしたとオスカルは言っていた。三部会の警備どころかパリの警備にまで借り出されかねない状況だ。

アンドレはしかめ面をして、また時計を見た。
今日は泊まりになるかもしれないな。それなら会えるのは明日だ。
彼は手元の明かりを見た。彼は迷ったが、もう少しそのままにしておくことにした。

その時窓がガタガタと鳴って明かりが揺れた。アンドレは窓を見た。
この2、3日で急に冷え込んだ気がする。今年は雪は早いかもしれないな。
アンドレは目を閉じた。アンドレの脳裏にピエールの言葉が浮かぶ。アンドレは苦笑すると目を開けた。

無邪気な子供の頃の話だ。あの頃は事あるごとに僕が守ってやるからと言われたものだ。あの話はその延長上の言動に違いない。でなければピエールになど話はしないだろう。きっと初恋の相手について言いたくなかったからそんな話を持ち出したのだろう。
アンドレは考えると寝返りをうって目を閉じた。

 どの位か分からない、不意にアンドレは目を開けると時計を見た。しかし時計の針は少ししか動いていなかった。アンドレは扉に目をやって、それからもう一度時計を見てもう一度扉に目をやった。アンドレは悲しげに扉を見つめた。

 「いつも待つだけだな。」

アンドレは呟いた。彼は暫く扉を見つめていたが、やがて諦めたような顔をして、身体の向きを変えて扉に背を向けた。窓がまたガタガタ鳴った。アンドレはそれを見つめた。

ピエール、ちゃんとジョアンに伝えられるだろうか?うまくいくといいが。
アンドレは窓を見ながらぼんやりと考えた。

彼の記憶にある2人の姿は、5つか6つ。外を元気良く走り回り、お互いの名前を呼び合う声と笑い声だ。いつも一緒で、ころころと子犬のように遊んでいた。だが、いつまでもそのままではいられない。アンドレは悲しげな顔をして窓を見つめた。

伝えた所で、何ともならないかもしれない。ルイが相手ではピエールの分は悪いだろう。だが、好きだと伝えて出来る限りの事をして振られるなら、諦めも付く。辛い恋も思い出に変わり、そうすれば新しい恋も出来るだろう。
アンドレは苦く笑った。彼は枕元に視線を落とした。

 愛していると正々堂々と言えたなら、諦める事も捨てることも出来ずに思うだけの惨めな様にはならなかったろう。なんでもない振りをして微笑んで、その実、他の男に奪われるのではないかという不安に怯える必要もなく、他の男のものにしかならない絶望感も、必要とされない恐怖も味わずに済んだのだ。そうすればあんな恐ろしい・・・

後悔と自己嫌悪に押し潰されそうになり、アンドレは思わず喉元を手で掴んだ。
どんな言葉を言い連ねても如何なる謝罪も許されない。オスカルはおれが何をしようとしたのか、きっと気づいている。それなのに何も言わないのだ。

 「守らなければならない。」
アンドレは自分に言い聞かせるように呟いた。
この目が見えなくなろうともおまえを守らねばならない。だが、もしオスカルがそれを望まなければ?

不安が頭をもたげる。アンドレの心に、オスカルを手にかけようとした、あの時の感情が蘇った。
彼は掴んだ手に更に力を入れた。

 「オスカルを守らなければならない!」

それだけを考えろ。他に何も必要ない。ここにいるのはその為だ。オスカルを守るのだ。オスカルの心を他の男が捕らようとも、おれを必要としなかろうともう関係ない。それより、いずれ失明するのだ。それに備えなければならない。オスカルを守る為にしなければならないことのみに目を向けろ。アンドレは必死で言い聞かせた。

それ以上望んではならない。何も望んではならない。だが、もし願えるものなら、おまえを守って死ねるなら!この命をおまえに捧げられるなら・・・

コツコツと微かに足音が廊下から聞えた。アンドレは慌てて扉を見た。音は少しずつ大きくなる。彼はうれしそうに微笑むと手を離し身体を起こした。すると足音は止まり、カチャリと音がした。扉はノックもされず開いた。その途端、アンドレの顔に笑みが広がる。彼は先程の思いなど何一つなかったかのように、それどころか考えた事もなかったかのように優しいまなざしで訪れた人物に微笑んでみせた。

 「お帰り、オスカル。」