オスカルは無言のまま部屋に入ると寝台の側にあった椅子を乱暴に引いて座った。彼女はまだ着替えていなかった。髪は乱れて身体からは冷気が感じ取れた。アンドレは気づいて声を上げた。

 「馬で帰ってきたのか!」
 「ああ。馬車より速いからな。」
 「おまえ、風邪を引くぞ!」
 「ここでじっとしているのに、風邪を引いたおまえには言われたくないな。」

彼女はそう言いながら、手に持った袋をアンドレの寝台の上で袋を逆さに振った。中から巻かれた包帯がいくつも落ちた。アンドレはあっけに取られてその包帯を見つめた。オスカルは一つを手に取るとアンドレに差し出した。

 「巻けるか?」
オスカルは唐突に尋ねた。
 「ああ。でも何故アンナかカトリーヌに頼まなかった?」
 「わたしは、1人で包帯が巻けるかどうかを聞いているのだ。」
彼女は苛々した様子で言った。その様子にアンドレは素直に答えてよいのか考え込んだ。

 「どうなのだ?」 オスカルは尋ねた。
 「それは・・・そうだな。巻けると聞かれれば出来ない事はないと答えるが・・・」
 「回りくどい言い方をしなくていい。出来るのか?出来ないのか?どっちだ、答えろ!」
オスカルは低い声で命じた。アンドレは慌てて答えた。

 「出来る。」
 「よし!」

すると彼女は手に持っていた包帯を差し出した。アンドレはそれを見てそれからオスカルに視線を移した。
 「やってみろ。右のわたしと同じ所だ。」
オスカルは自分の腕を見せながら言った。
 「急ぐ必要はないが必要以上に丁寧に巻く必要もない。」

アンドレは包帯を受け取るともう一度オスカルの顔を見てそれから包帯に視線を移した。彼は自分の右手を身体の手前に持って来ると包帯を巻き始めた。

彼はすぐに包帯を巻き終えた。アンドレはオスカルを見た。しかし彼女は何も言わず包帯の巻かれた彼の腕を取ると持ち上げてあらゆる角度から確かめた。

 「おい、オスカル。お前一体・・・」
 「やはりおまえで正解だな。」
オスカルは頷いた。
 「だから何を?」
 「わたしに包帯の巻き方を教えてくれ。これには、わたしの指揮官としての威信がかかっているのだ。」
 「指揮官としての威信?」
アンドレは思わず聞き返した。
 「ああそうだ。名誉といってもいい。」
オスカルは上着を脱ぎながら言った。

 「何があった?」
彼女は答えなかった。オスカルは脱いだ上着を椅子の背もたれにかけるとアンドレを見た。だが彼女は答えなかった。アンドレはじっと待った。

 「・・・今日、包帯がほどけた。」
暫くしてぼそりとオスカルは言った。
 「うん?」
 「だから巻きなおそうとして全部取った。」
彼女は口元を一文字に引き締めた。アンドレは悟った。

 「うまく巻けなかったのか?」
オスカルはアンドレを睨んだ。
 「時間はかかったが、ちゃんと巻けた!ただ!」
 「ただ?」
 「巻き方が緩くてすぐに解けた。それだけだ。」
彼女はそれだけ言うと黙り込んだ。アンドレは少し考えてオスカルに尋ねた。

 「どの位かかったのだ?その・・・巻くのにだぞ?」
 「覚えているか!気づいたら兵士達が見ていたのだ!それもわたしを・・・・」
彼女はワナワナと震えた。

 「哀れむような視線だった。そうだ!あれはそういう目だった!」
彼女は叫んだ。
 「大佐が気を利かせて衛生兵を呼んで、ついでに言い繕ってくれなければ、兵士達に示しのつかない事態になる所だったのだぞ!」
彼女は更に続けた。
 「わたしは包帯一つ満足に巻けないと思われたのだ。このわたしが!」
アンドレは怒りに震えるオスカルを黙って見つめた。

彼にはその時の光景が容易に想像が付いた。
何度も包帯を必死で巻き直す彼女の姿。それにとうとう苦労して巻き上げた時の子供のように嬉しそうな顔、そしてそれがほどけてしまった時の落胆した様子。そして自分が見られていたのを知った時はきっと真っ赤になって・・・

 「アンドレ!」
 「な、なんだオスカル?」
 「おまえ・・・今、笑ったろう!」 オスカルは声を荒げた。
 「ま、まさか!」

アンドレは慌てて答えた。しかしオスカルは疑い深そうな顔をしてアンドレを見つめた。アンドレは微笑むと 「とにかく練習しよう。早くしないと夜が明けてしまう。」 と言った。それを聞いてオスカルは驚いて尋ねた。
 「そんなにかかるのか?」
 「勿論、包帯はそうそう簡単に巻けはしない。」
普通ならそんなにはかからない。だが、アンドレはしっかりと言い切った。その言葉にオスカルは渋々頷いた。

アンドレはオスカルに教えながら考えた。
きっと皆の目には、オスカルの姿がさぞや可愛らしく映ったろう。だけどもし、オスカルがそれを知ったら・・・
アンドレは包帯と格闘中の彼女の顔を気づかれないようにちらりと見て心の中で溜息をついた。
きっと、舌噛んで死んだ方がましだろうなあ。

 オスカルは情けないような顔をして自分の腕を見つめた。アンドレは自分の判断がかなり甘かったのを悟った。オスカルはアンドレと視線を合わせた。彼女は先程よりもっと情けない顔をした。アンドレは大丈夫だよと言うように笑って見せると、オスカルの腕の包帯をほどきながら考えた。彼は包帯を巻きなおしながらさり気なく口にした。

 「オスカル、おまえはとても忙しいだろう?」
 「それがどうした?」
 「処理しなければならない書類も山程ある。一刻の時間も惜しい。」
 「当然だ。」
 「だからもし包帯が解けたら、執務室へ衛生兵を呼んで包帯を替えてもらいながら書類に目を通す。」
アンドレは包帯を巻き終えると、どうだ?というようにオスカルを見た。しかしオスカルは不服そうにアンドレを見た。

 「わたしはなあ、ちゃんと包帯を巻けるところを兵士達に見せたいのだ!」
 「だから!もう少し練習して、それから見せればいい。」
 「もう少しってどの位だ?」
 「うまく巻けるようになるまで。」

彼女はアンドレによって巻き直された自分の腕の包帯を見てまた情けなさそうな顔をした。アンドレは安心させるように微笑んだ。

 「コツさえ掴めば直に出来るようになるよ。」
 「・・・分かった、そうする。」

オスカルは拗ねたような表情をして頷いた。
アンドレは思わずいとおしげに微笑んだ。だが、こういう表情をすると彼女の不興を買う。彼はすぐに気づいて顔を引き締めたが遅かった。彼女はやはりアンドレの見て眉を顰めた。アンドレは慌てて答えた。

 「いやその・・・ちょっと思い出したことが。」
 「何だ?」
 「・・・・夕方、ピエールがここへ来て・・・」
アンドレは思わず口にしてすぐに後悔した。だが彼はオスカルに笑って見せた。
 「面白い話をして行ったぞ。結婚したかった相手だ。」

彼は言った。オスカルはアンドレを見つめると考え込んだ。だがすぐに思い出して 「ああ、あれか。」 とあっさり答えた。アンドレはその様子からやはり自分の推測が正しかったのを悟った。彼はわざと大げさに呆れて見せた。

 「オスカル、子供に誤解を招くような事を言うなよ〜〜」
 「ちゃんと話した。理由はおまえが、わたしと一緒にいてはくれなかったからだとな。」
 「何だそれは?」
 「聞いたのではないのか?」
オスカルは怪訝そうに尋ね返した。

 「結婚したいという話だけだ。それ以上はアホらしくて聞く気にもならなかった。で、それはどういう意味だ?」
 「そういう意味だ。おまえはいつもわたしと一緒に遊んではくれなかったろう?」
アンドレは呆れ顔でオスカルを見た。

 「おまえなあ・・・四六時中、おれを引っ張りまわしたろうが?」
 「だが、ずっと一緒という訳にはいかなかったろう?でももし、結婚しておまえを妻にすれば夜だって・・・」
 「“妻”って何だ!“妻”って!」
 「そんなものだろう? 気にするな、些細な事だ。」
 「何処が些細なんだ!」
アンドレは叫んで気づいた。ピエールが分からないと言ったのは多分これだ。

 「とにかくわたしは、夜も一緒にいたかったのだ。同じ寝台で、一緒に眠れたらどんなにいいだろう、それが毎日ならどんなに素晴らしいか・・・」
彼女は続けようとしてアンドレの様子がおかしい事に気づいた。

 「どうかしたのかアンドレ?」
 「おまえ、それもピエールに話したのか?」
 「ああ、勿論。」
 「・・・それで、いくつの時だと言ったのだ?」
 「13になる少し前だ。」

それを聞いてアンドレは肩を落とした。
13なら、ちょっと早ければ結婚してる年だぞ。その年齢でこの言動だと意味するのは・・・

 「・・・オスカル。」
 「何だ?」
 「オスカルいいか?今度誰かにこれを話す時は!7つか8つと言え。7つか8つだ!」
 「いいや。あれは13になる少し前だ。間違いない。」
オスカルは否定した。

 「わたしはちゃんと覚えている。おまえと一緒に寝ようとして、あの時はばあやだけでない、母上まで出て来てきつく言い渡されたのだ。だからわたしはおまえと結婚さえ出来れば、一緒に寝ても怒られないだろうと真剣にその方策を・・・」

なんともいえない表情をして自分を見つめるアンドレに気づいてオスカルは苦笑してみせた。
 「我ながらガキだったと思うよ、アンドレ。」
彼女はそう言うと捲り上げた右袖のシャツを戻した。それから散らかった包帯を集めて袋に詰めた。アンドレが手伝おうとしたが彼女は止めた。アンドレは仕方なくその様子を黙って見つめた。

彼女は袋に包帯を入れると口を縛った。
 「ずっと一緒にいたかった。それだけは今も同じだ。」
オスカルは言った。アンドレはオスカルを見つめた。彼女は気づいてきまり悪げに顔を背けた。彼女は立ち上がると椅子にかけた上着をつかむと袖を通した。

 「早くよくなるのだぞ。おまえがいないと不便で困る。」
オスカルはボタンを留めながら言った。彼女はそれから詰襟のホックをきちんと留めた。アンドレは気づいた。
 「今から戻るのか!」
 「ああ。ブイエ閣下のおかげで雑用が増えたからな。」
彼女は袋に詰めた包帯を持った。

 「・・・馬車で行ってくれ。」
アンドレは頼んだ。
 「馬の方が速い。」
 「おれにはまだ無理だ。」
オスカルはアンドレを見つめた。

 「馬車の準備が出来るまでには着替えるから。」
アンドレはそういいながら毛布をめくり、ゆっくりと寝台から立ち上がろうとした。オスカルは慌ててアンドレを押し止めた。

 「今週いっぱいは安静にしていろとラソンヌ先生から言われたのを忘れたか!!」
 「医務室で寝てる。」
 「馬鹿!何の為に・・・」
 「急に具合が悪くなったといえばいい。」
 「だからそういう問題ではない!」
 「そうだ!ついでに包帯の巻き方も練習できる。空き時間が出来たら練習しよう。」
 「駄目だ!」
 「それにショコラくらいなら淹れてやれるし・・・」
 「・・・・くれなくていい。」
 「ならブイエ閣下の嫌がらせに対する愚痴。」
 「帰ってきたら嫌と言うほど聞かせてやる!」
オスカルは叫んだ。アンドレの表情が曇る。
 「さっき言ったのは嘘で、本当はおれがいない方が気が楽か?」

 「馬鹿かおまえは!」
オスカルはアンドレを怒鳴りつけた。
 「何が気が楽だ!この馬鹿!」

アンドレは驚いてその様子を見つめた。オスカルは怒りのあまり声を荒げた。
 「わたしがこの1週間どんな気持ちで過ごしたと思っているのだ!それなのに暢気に風邪など引いて!おまえはわたしがいなくても気にもしないだろうが!わたしは!わたしがどんな気持ちで・・・」

声が震えた。オスカルはそれ以上続けられず顔を伏せた。
アンドレの一つだけの瞳が微かに揺れた。

 「・・・風邪引いたのは、それはもう!反省してるよ。」
彼はわざと陽気な口調で答えた。
 「・・・嘘つけ。」
 「ほんとだって。あれからいくらおまえの帰りが遅いからといって、外へ見に行ったりはしてないよ。」
オスカルは顔を上げた。アンドレは優しく微笑んだ。

 「だから熱もすぐに下がったろう?おれには・・・」
アンドレの声がほんの少し震える。
 「おまえの側にいた方がいい。その方が早く治るよ、オスカル。」

その途端オスカルの表情が変わった。瞳がみるみる間に潤んだのでアンドレは慌てた。するとオスカルはアンドレの肩に自分の頭を乗せた。

 「オ・・・オスカル?」
 「急がなくていいからな。おまえの準備が出来たら屋敷を出る。」
オスカルは言った。
 「・・・メルシ、オスカル。」
 「それはわたしの台詞だ。」
オスカルはそのままの姿勢で言うと、腕をアンドレの首に回した。アンドレは黙って目を閉じた。
 「メルシ、アンドレ。」
くぐもった声でオスカルは言った。

暫くしてオスカルは顔を上げた。アンドレは微笑んだ。彼女はすぐ照れたように微笑むとアンドレに背を向けて扉に向かって歩いた。オスカルは扉を開けると振り向きもせず外へ出た。

The end