アンドレは寝台の中から目の前にいる少年を困った様子で眺めた。少年は真剣なまなざしでアンドレを見つめ返した。アンドレは考え込むと口を開いた。

 「お前の親父さんに聞いたらどうだ。」
アンドレが言うと、少年は口を尖らせた。
 「聞いたよちゃんと。聞くまでもないとは思ったけどね。」
少年は結果は言わなくても分かるだろう?という様子でアンドレを見返した。

 「ならお袋さん。」
 「聞いたよ!」
 「ジャンはどうだ?」
 「聞いた。」
 「それなら・・・テシネは?」
 「だから聞いたって!フランソワもアンリも、ギャスパーだってそうだったんだ。アンナだろう、それからマリー、あと執事さんにだんな様に・・・」
 「ちょっと待て!お前、だんなさまにまで聞いたのか!」
 「それは無理だから、ばあやさんに。」
 「おばあちゃんか!」
アンドレはほっとした様子で言った。

 「とにかく皆に聞いたんだ。全員だよ。」
アンドレはあっけに取られて少年を見つめた。少年は言った。
 「全員一緒だよ。初恋は失恋で終わったって。だからアンドレは?」

少年はアンドレをじっと見つめた。生真面目な様子、だがこんな話とはおおよそ縁のない子だ。それだけではない、どこか思い詰めた様子すらある。アンドレは尋ねた。

 「なあピエール、そんなの聞いてどうするんだ?」
 「いや、友達がさ。」 ピエールは続けた。 「好きな子がいるんだ。で、すごく気にしてて、俺・・・なんとかしてやいたいと思ってさ。だから・・・うん、ちょっと教えて欲しいんだ。」

ピエールはそれだけ言うと、また真剣なまなざしでアンドレを見つめた。
 「アンドレはどうだったの、初恋の相手と?」
少年は期待した様子をありありと浮かべてアンドレに尋ねた。アンドレは思い出そうとして考え込む素振りを見せた。
 「昔の話だしなあ・・・」
 「みんな覚えてたよ。忘れっこないって。」

ピエールは間髪入れず言った。アンドレは困ったような顔をして、寝台の中から少年を見つめた。
少年の顔が曇った。
 「それとも・・・・今でも思い出すのも辛い?昔の事でも?」
少年は尋ねた。
アンドレは苦笑すると 「まさか。」 と答えた。
しかし少年は項垂れた。
 「・・・ごめん、アンドレ。」

その様子はまるで自分自身の事のように辛そうに見えて、アンドレはようやくそれが友達の為でない事に気づいた。アンドレは傷に響かないように注意しながら身体を起こすと、少年に微笑んで見せた。

 「ピエール、そうじゃない。実を言うとおれの初恋の相手は、まともじゃないんだ。つまりだ、あんまり人には言いたくないんだが・・・」 アンドレは自分をじっと見つめるピエールに苦笑して見せた。
 「お袋だよ。大きくなったら結婚してくれと言ったら、もう結婚してるから駄目だと断られた。親父はおれが生まれる前に死んでいなかったから、おれはその時初めてお袋が親父と結婚してたのを知ったんだ。まあ間抜けな話だが、忘れもしない6歳の時の話だ。つまり、おれの場合は参考にならない。分かったか?」
アンドレはもう一度笑って見せた。しかし少年は不服そうな顔をした。アンドレは少年に尋ねた。

 「お前いくつになった?」
 「13。」
 「もうそんなになったのか!」
 「なんだよ、なっちゃ悪いの?」
 「そうじゃないよ。」 アンドレは慌てて否定した。しかし彼は感嘆した様子で 「そうか、もう13になったのか。」 と繰り返した。
 「来月誕生日が来たらだけどね。」 少年は少し不機嫌そうに答えた。
アンドレは心の中で頷いた。13なら好きな子がいてもおかしくない年だ。

 「なんだよアンドレ、ニヤニヤ笑って!」
 「そ、そうか?いや、悪かったな。そんなつもりは無かったんだが。」
アンドレは答えると微笑んだ。
 「いいかピエール。初恋が必ず片思いで終わるなんて、そんな事はない。おれの知り合いで、初恋の相手と結婚して幸せに暮らしてる奴もいる。」

途端、少年の顔は嬉しそうになり 「本当に?」 と尋ねた。アンドレはしっかりと頷いた。だが、少年は、すぐに暗い顔をして俯いた。

 「どうした?」
 「だけど・・・皆そうだったし・・・」
アンドレは大丈夫だよ、と言うように笑った。
 「初めてだからさ、だからどうしていいか分からない。それが理由さ。だからどうしてもうまく行かない事が多くなる。」
 「じゃあ、アンドレ。次の時は?うまくいったの?」

アンドレの顔が一瞬こわばった。少年はその様子を見てしょぼくれた。アンドレは気づいて慌てて言った。

 「いや、ピエール。その・・・」
 「いいよアンドレ。無理しなくても。ごめんよ。嫌な事思い出させて。」
少年は心底悪かったという様子で謝った。
彼は困ったような顔をすると少年を見つめた。

 「ピエール、相手は誰だ?」
暫くしてアンドレは尋ねた。少年は驚いた様子でアンドレを見たが、すぐに視線を逸らすと目を泳がせた。
 「相手って・・・何だよ?」
 「好きな子がいるんだろう?」
 「そ、そんなの関係ないじゃん。俺は・・・」
 「ピエール、こういう時は本当の事を言うべきだぞ。」

アンドレは優しい目で少年を見つめた。少年は少しの間アンドレを見ていたがすぐに俯いた。
少年は黙ったまま何も言わなかった。しかしアンドレは催促するでもなく、少年が口を開くのを待った。
どの位時間が経ったか、少年は俯いたままで囁くように言った。

 「ジョアン。」 それから顔を上げると 「俺、ジョアンが好きなんだ。」 と答えた。

アンドレは思い出した。
笑うとえくぼの出来る愛嬌のある子だ。ピエールの後をいつもついてまわっていた子じゃないか。だがジョアンなら、ここまで思い悩む必要など少しもないはずだ。

 「ジョアンなら大丈夫だよ。」
 「何が大丈夫なんだよ!全然大丈夫じゃないよ!」
ピエールは怒った。それは必死の形相という表現が相応しく、アンドレはびっくりして少年を見つめた。少年は続けた。
 「ちっとも大丈夫なんかじゃない!ジョアンはルイが!・・・好きなんだぞ。」

途端、少年の顔は今にも泣き出しそうな情けない顔に変わった。いつものやんちゃで強気のピエールはどこにもいなかった。アンドレは何か言おうとして口を開きかけた。しかし何も言えなかった。彼はその辛さを知っていた。少年の苦痛はそのままアンドレの苦痛と重なり、彼の胸に痛みが走った。彼は思わず胸を押さえた。

 「・・・それに俺、嫌われてる。」
ピエールの言葉でアンドレは我に返った。
 「だけど俺、いじめてなんかいない。そうじゃないんだ。そうじゃないんだよ。」
少年は蚊の鳴くような声で付け足すと俯いて黙り込んだ。その様子にアンドレは苦笑した。

 「好きだから、ちょっかい出したくなるんだよな?」
アンドレの言葉にピエールは顔を上げた。
 「アンドレもそうだったの?」

驚いた様子で尋ねた少年にアンドレは微笑んだ。
 「おれじゃない、おれの知り合いさ。お前とちょっと似たところがある奴でね。そいつはお前と違って、もういい年した大人なんだが・・・」 アンドレは笑みが顔中に広がる。 「大好きなのに本人の前だと素直になれない。つい意地を張ちゃうんだよ。」

アンドレは言って、また落ち込んだ様子で項垂れた少年を見て苦笑した。
しかし彼はすぐに笑うのをやめた。

 「ピエール、ちゃんと言えよ。」 アンドレは言った。
少年は顔を上げると何か言いかけた。しかしアンドレは首を振ると優しい目で諭すように続けた。
 「黙っていては駄目だ。」 彼は悲しげに微笑んだ。
 「ちゃんと好きだって言え。恥ずかしかろうと他に好きな奴がいようとも、嫌われると思っても、言った方がいい。ちゃんと自分の気持ちだけは伝えろ。でないと・・・」
 「でないと?」
アンドレは少年を見つめた。少年は真剣なまなざしでアンドレを見つめている。

 「何も伝わらない。言わないといつまでたっても友達のままだ。」 アンドレは答えた。
 「だけどアンドレ・・・」 ピエールは情けない声を出した。
 「伝えないと始まらないぞ。いつまでたってもお前を見てくれない。それどころかお前は意地悪だという烙印を押されたままになるぞ。それでもいいのか?」

 「やだ!」

少年は力いっぱい叫んだ。
それを聞いてアンドレは頷いた。
 「よし、それならもう決まりだろう?」
だが少年は不安げな様子でアンドレを見つめた。
 「嫌にも色々ある。さっき言った“やだ”が、我慢できるくらいの嫌なら・・・」

 「絶対嫌だ!」

ピエールは力の限り叫んだ。アンドレは笑って云々と頷いた。
 「なら、ちゃんと伝えろ。」 アンドレは言った。 「どうしたら自分の気持ちを分かってもらえるのか考えろ。但し、ジョアンが嫌がることはするなよ。それは絶対だ。」
 「その・・・どんな風に?」 ピエールは尋ねた。
 「だからそれを考えろ。」
 「だけど・・・」
アンドレは苦笑した。

 「まず謝れ。」
 「・・・分かった。それで?」
 「そうだな、今までした事で・・・ジョアンが嫌がったんじゃないかと思えるような事はしない。」
 「うん。それから?」
 「あとはお前が考えるんだ。」
アンドレが言うと少年は不服そうな顔をした。

 「人に聞いた言葉なんかで分かってもらえると思うのか?」
アンドレは優しい目で少年を見つめた。少年は考え込んだ。
暫くすると少年はアンドレを見た。

 「・・・俺やってみる。」

彼は返事をした。
アンドレは黙って頷いた。

扉を開けて出て行こうとした少年は、振り返ってアンドレを見つめた。
 「アンドレ聞いていい?」
 「何だ?」
 「その・・・2度目の時は、好きだって言えなかったの?」 少年は躊躇いがちに尋ねた。
アンドレは一瞬言葉に詰まった。しかしすぐに微笑んで見せた。

 「そんなところだよ。」
 「そっか・・・」 少年は呟くように言った。それから 「今でも後悔してるの?」 少年は尋ねた。

少しだけ間があった。
 「・・・ああ。」
アンドレは息を吐き出すようにして答えた。
 「とても後悔してる。」

少年が部屋から出て行くとアンドレは折れた骨に響かないように注意して横になった。その時、カチャリと音がして扉が開いた。
そこから顔をのぞかせたのはピエールで、アンドレは 「どうした?」 と声をかけた。

 「いい忘れた事があったんだ。あのさ、アンドレはオスカルさまの結婚したかった相手は知ってる?」
それを聞いてアンドレは目を伏せた。

 「・・・さあ?知らないな。」
 「アンドレでも知らないんだ。へえ。」
 「お前、オスカルにまで聞いたのか?」 呆れた様子でアンドレは尋ねた。
 「初恋の相手じゃないよ。それは教えてくれなかったから、結婚したかった相手。誰だと思う?いっとくけどジェローデルさまじゃないよ。」

少年は尋ねた。アンドレは 「さあね、誰だろう・・・」 と呟きながら寝台に身体を横たえた。
 「気になるだろう?」
 「・・・別に。」 アンドレは答えた。
 「なんだ、つまんねーの。」
少年は不服そうにアンドレを見た。
 「でもさあ、少しは聞きたくない?」
それでも少年は尋ねた。アンドレは苦笑した。
 「いいや、少しも。興味ないな。」
 「ほんとに?」
 「ああ。聞きたくない。」

アンドレはきっぱりと言い切った。ピエールは残念そうな顔をした。
アンドレは少年を睨むと 「いいか、ピエール。誰かに言いたい気持ちは分からんでもないが、こういう事は・・・」
 「誰にも言わないよ。アンドレだけだよ!」
不満げに少年は言った。
 「それならいいが・・・」
 「分かったよ、もういいよ。」
ピエールは仕方ないと言った様子をして 「じゃあ、おやすみアンドレ。色々ありがとう。」 というと顔を引っ込めて扉を閉めた。

アンドレはピエールがいなくなると小さく息を付いた。そして身体の向きを変えようとした。するとまたカチャリと音がして扉が開いた。アンドレは扉の方を見た。ピエールがまた顔をだけをのぞかせてこちらを見ている。

 「何だ、まだ何か用があるのか?」
 「いや、そうじゃなくて・・・」
 「どうした?」
 「言っていい?オスカルさまの結婚したかった相手。」
 「だからなあ、ピエール。おれはそんなの少しも興味が・・・」

 「アンドレだよ。」

少年は言った。
アンドレはポカンと呆けたような顔をして少年を見つめた。少年は嬉しそうに笑った。

 「びっくりした?」
それを聞いてアンドレは少年を睨んだ。
 「大人をからかうんじゃない。」
 「からかってないよ!俺聞いたんだもん、オスカルさまから!」
少年は叫んだ。

 「冗談だろう?」
 「違う!オスカルさまは言ったんだ!アンドレと結婚したかったって。」

アンドレは当惑の表情を隠そうとせず少年を見つめた。ピエールはアンドレの様子を不思議そうに見た。
 「何だよアンドレ、渋い顔して。」
アンドレは驚いて少年を見たがすぐに苦笑した。
 「いや。何でもない。それは多分あれだろう?昔の・・・そう、子供の頃の話。」
 「そりゃまあね。じゃないとそんなことオスカルさまが言う訳ないじゃん。」
アンドレは苦笑した。

 「だけどまあ十分驚かされたよ。」
 「だよね!おれもアンドレびっくりすると思ってさあ。だけど・・・」
 「何だ?」

 「よく分かんない事が色々あってさ。なんか変だったんだよな?」
少年は腕を組んで考え込みながら言った。アンドレはその様子に怪訝そうな顔をした。
 「ピエール、何だそれは?」
 「オスカルさまから聞いてよ、俺だってよく分かんなかったんだ。」
少年はそれだけ言うと笑った。
 「じゃあねアンドレ、俺がんばってみるよ!」
少年はそれだけ言うとまだ聞きたげなアンドレを無視して扉を閉めた。