3.仕事

私の仕事は先ず現地のメカニックに技術講習し、その後は現地での不具合対応、技術指導、環境調査等でした。ジェッダのディストリビューターは米国車の輸入元でもありました。出来たてのサービス工場は一寸した体育館よりも広い位で、最新式の診断装置などもある素晴しい工場でした。

数十人いたメカニックは全て外国からの出稼ぎで、イエーメン人、パキスタン人、フィリピン人等で、我々のメカニックとしては向上心もあるフィリピン人を4人選抜してくれました。彼らは理解力もあり、英語も読み書き出来るし、英語のマニュアルを見せると自分でも勉強していましたので、私としては比較的楽でした。アメリカ製のコンピュータ組込みのエンジン診断装置は、これらのフィリピン人のメカニックの他は誰も扱える者がいなかったので、我々専用の様に使わせて貰いました。

アル・コバールのディストリビューターはドイツ車の輸入元でもありましたが、ジェッダと比べると規模がずっと小さい会社で、メカニックは10人程しかおらず、全員がパキスタン人でした。ここでは全員が講習会に参加したので、受講証を発行する為に名前を書いて貰ったら10人中8人まではファーストネームがモハメッドでした。


馬子

フィリピン人のメカニック達 (右端が筆者)


スタートページに戻る