水を運ぶ老女








2.サウジに赴任

サウジの正式国名はサウジアラビア王国(Kingdom of Saudi Arabia)で、サウジアラビアを統一、建国したサウード家のアラビアという意味です。日本の面積の約6倍の広さです。国内にイスラム教の聖地メッカとメディナを抱え、国王はイマーム(イスラム教の最高指導者)も兼ねていますので、シャーリア(イスラム法)により統治し、イスラム教を国教として国民にイスラム教の教えを遵守するよう指導しています。世界中からメッカに巡礼に来ますので、サウジの国王は世界中のイスラム教徒に対しても責任があるのです。どこの会社に行っても小さな店に行っても、必ず国王の写真を額に入れて掲げてあります。

1982年当時、私は日本車メーカーの海外サービス部に所属していて、乗用車のサウジアラビア向けに輸出が開始されたのに伴い、現地の輸入販売会社の技術指導と環境調査のため駐在しました。
私が駐在した場所は「紅海の花嫁」と呼ばれているサウジ最大の港湾都市、ジェッダでしたが、ペルシャ湾(アラブではただ、ガルフと呼んでいます。)側のアル・コバールという都市にも別のディストリビューターがありましたので、両方の面倒を見るためにサウジの東西を行ったり来たりしていました。乗用車の販売が順調に始まって間もなく、中央部にある首都のリヤドにも支店が出来てそこにも時々行く様になりました。

サウジに到着して最初の手続は身分証明書と運転免許証の取得です。手続そのものは全て現地の会社の担当者がやってくれましたが、免許の取得には血液検査が必要と言う事で、指定された病院に行きました。そこでは先ず血液型を調べられ、血液型によって次に行くところが違うのです。同行の人はO型でしたが、OKと言われてすぐに申請書にスタンプを押してくれました。私はA型で、別の部屋に行くように指示されました。そこは駅の切符売場のようなカウンター式の窓口があり、中から腕を出せと言われてカウンター越しに片腕を突出すといきなり太い針を刺され、血液を採り始めました。これは強制的な献血だったのです。血を採られている事はすぐに判りましたが、カウンター越しですので、血液の容器が見えず、どれ位採られるか判らないのは非常に不安でした。随分と長い時間だった様な気がしました。後で聞いたら献血させられる血液型は日によって変るのだそうです。

イカマ(身分証明書、労働許可証)を受取ると、パスポートは会社の担当者に取上げられました。これは出稼ぎの外国人労働者の逃亡防止が目的だったようで、外国人従業員は全員パスポートを会社に管理されていました。当時は各国の大使館を始め、駐在事務所等は殆どジェッダにありましたので、欧米人も大勢住んでいました。

日本人学校もあって、当時は80人程の子供が在籍していました。(現在は各国大使館はリヤドに移っています。)家族連れで駐在している人も沢山いましたが、単身赴任している人達は単独で住むのではなく、1軒のアパートに同じ会社の人と一緒に住んでいる例が多くありました。私も単身赴任で、乗用車の輸入元の会社の家具付一戸建の社宅に住みました。隣家にはレバノン人の重役が一人で住んでいましたので、しょっちゅうお茶を飲みに呼ばれていました。この人からはサウジに関する事柄や注意事項を随分と色々教えてもらいました。

日本人の駐在員の中にはメイドを雇って食事や掃除をして貰っている人も多いという話を聞きましたが、私は自炊を通しました。始めの半年ほどは同じ会社の営業部からも1人来ていて同居していましたが、料理は全く出来ない人だったので料理は全て私がやり、彼は後片付けと皿洗い専門でした。従って、メニューを決めるのは私の権利でした。

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