イスローさんのアレクサンドリア一人旅

9月27日 別れ、そして踊るカイロ
コテコテのアラブポップスに合わせて踊る

 12時に起きた。イマーンがマーケットに朝食を買いに行ってパンとスクランブルエッグ、フール、野菜、チーズ、ターメイヤという豆のコロッケという豪華朝食を食べた。

 ここには食卓というものがなく、カーペットの上に座布団大の大きな銀のお皿を置いてその上に各種料理の皿を並べ、そこから各自が好きなものをとって食べるということになっている。また、自分が食べるのと同時に人にも取ってあげる。これは先日の魚を食べたときもそうだったが、食べているとみんなが魚を私のお皿に入れてくれる。お互いが自分も食べると同時に人にも取ってあげる。いい習慣ではないか。

 食後「シャワーを浴びたら?」と言うのでそうすることにした。そしたらモハメッドがなにやらガスのボンベを抱えて悪戦苦闘している。私がお湯のシャワーを浴びられるように温水器のガスの準備をしてくれていた。通常夏の間は温水器は使わないので調子が良くないらしくやっとの事で火がついた。途中「水でもいいよ」と何度も言いそうになったが一生懸命やってくれてるので黙って待っていた。久しぶりのお湯のシャワーを堪能した。

 今日もコンタクトの装着、歯磨き、お化粧の間ずっと子供達がついてきては眺めていた。また、スーツケースの中身にも「これ何?」「これ何?」と言って好奇心のかたまりになっていた。やはり女の子なので洋服や靴などにとても興味を示していた。

 エジプト人の髪の毛はたいてい縮れているので私のストレートの髪は大変珍しいみたいで、イマーンやハナーンが触っては「キレイね」と言ってくれた。そして、髪留めで留めたり、ゴムで結んでみたり、ひとしきりおもちゃになった。

 日本からいくつかプレゼントを持ってきていたので、昨日それをみんなにあげた。日本のスナック菓子、ガラス細工、キティーちゃんのカップ、カレールー、お茶漬けの素…。

 スナック菓子はとてもウケたようで、大事に少しずつ食べている。カレーとお茶漬けは食べ方をしっかり指導しておいた。とても喜んでもらって良かった。お返しにみんなから髪留めや、絵、置物などをいただいた。

 「もうずーっとここにいて」とか「今度はいつ来るの?」と何回も聞かれる。「また来年来るよ」って答えたけど来れるかなあ…。(行ってね:大家)ほんの短い間のつきあいだったけど「いなくなるととっても悲しい」ってホントに悲しそうに言ってくれて…。ちょっと泣きそうになる。

 4時過ぎにマグディが来て、ついにこの家族とお別れの時が来た。「またいつでも来てね」ってハナーンが言ってくれた。イマーンは私が車に乗るまでバルコニーから「バイバイ」って手を振っていた。

 どうもカイロにはモハメッドとターリクも一緒に行くらしい。カイロまで砂漠道路を通って2時間半。途中休憩に寄ったところでみんな甘いお菓子を一杯買い込んで車の中で食べ始める。この人達の食の感覚というのは一体…。

 私にも渡されるのだがお腹いっぱいなので食べれない。「ノーサンキュウ」というつもりで「ラー、シュクラン(アラビア語でNo, thank you )」と言って断っていたら、マグディが「女性は人から何か勧められたらラーって言っちゃいけない。シュクランって言って受け取らなくちゃいけないんだよ」って言った。私がちょっとムッとしていると「ここはエジプトなんだよ」と更に続ける。そんなこと言ったってお腹いっぱいなんだもん、と思ったけどここで言い争ってもしょうがない。次からは勧められたものは全て「シュクラン」と言って受け取り少し食べてあとはティシューに包んでバッグの中にこっそり隠した。

 そういえばマグディがホノルルでゴミをポイ捨てしたとき、私が「No ! 」と言ったら腹を立てて「2度とNoと言わないでくれ」と言われたことがあったなあ…。でも男性に「No」と言ってはいけない教えなんていうのがイスラムにはあるのだろうか?それともエジプトの女性は男性の言動に対し決して「No」と言うことはないのだろうか?または、これは彼だけの性格によるものか?ときどき彼の言動には理解し難しいものがある。

 もちろん良い意味でビックリすることもあった。ある日ホノルルで一緒に車に乗っていて信号で停車していたら後ろから追突された。幸い二人とも全く無事であったが、後ろの車からは誰も出てこない。マグディが後ろの車に向かって行った。気が短いので怒鳴り込んでいくに違いないと思ってバックミラーで様子をうかがっていると、2言、3言何か言って帰ってきた。と思ったら何事もなかったかのように車を発進させた。「警察とか呼ばないの」と言うと、「呼んでどうするの?お金でも欲しいの?」と言う。「彼女は飲酒運転だったし怖くて震えていた。自分たちが無事だったらそれでいいじゃない。神はそれ以上をお望みではない。警察を呼べば彼女は2度と運転できなくなるし、もっとも彼女は2度と飲酒運転はしないよ。」とさらりと言った。この寛容さにはぱっくり口を開くほど驚いた。それと同時にこの人達にとっての「神」ってどういう存在なんだろう、と興味を持つきっかけにもなった事件だった。

 アレキではアパートに滞在していたが、思えばお金を払ってない。でも一体誰が払ってくれたんだろうと思いマグディに聞いてみた。「払ったのはオレだけど、お金はいらない。君は特別なお客様だからね」と言う。「いや、払うよ」というとまた怒られるので「ありがとう」と言っておいた。更に2、3日前からとても気になっていた事があったので思い切ってマグディに聞いてみた。「マグディ、家の鍵は一つだけだって言ってたよね」「そうだけど、何で?」「ううん、じゃあいい」「何?言って!!」「いや、洗面所に置いてあった化粧品が一部なくなったんだけど…」「……。誰がそんなことを…。」と言って顔色が変わった。2,3日前お化粧をしようとポーチを開けるとアイシャドーと頬紅がなくなっていた。はじめはどこかに置き忘れたと思ったが、洗面所からポーチを動かしたことはなかった。盗まれた?でも鍵は一つしかない。となると誰が…?家に来るのはみんな男性なのに持っていくとは思えない。マグディはモハメッドとターリクにそのことをアラビア語で話している。その結果、一度部屋の掃除をしに女性が来たことがあるそうで、そのときではないかということだった。マグディはホントにすまなそうに「ごめんね。ホントにごめんね。弁償するから」と言って謝った。でもマグディが悪いわけではない。

 「いいよ、きっときれいな色で珍しかったから欲しくなっちゃったんだよ」そういう風に思わないとなんかやり切れない。

 カイロの街が近づくにつれ車も人も増えてくる。クラクションの音が尋常ではない。

 この時点で今日どこに泊まるのかも不明。カイロの街に入るとこの前アレキで会ったガマールが待っていた。誘導されて着いたところはガマールが所有しているアパートの空室だった。どうやらここに4人で泊まるらしい。広―い、広―い。リビングだけで日本の3DKと同じ位の広さがある。でも、恐ろしく汚い。誰も住んでないんだからしょうがないけど、床には埃がたまってるし、台所には使った食器がそのままだし、トイレは吐き気がしそうな程…。そしたらみんな掃除をし始めた。自分たちが泊まるとなるとやっぱり気になるのか…。おかげで一応必要最低限の場所は使えるようになった。お疲れさま。

 食事はアル・フセインモスクの近くで鳩とチキンを食べた。とってもおいしかった。

 その後カフェでシャーイを飲む。このモスクの一帯はとても賑わっていてカフェも満席で、その狭い通路を物売りが次から次にやってくる。私がトイレに行っている間にみんながいろんな物を買ってくれていた。銀のアクセサリー、革のスリッパ、置物、クルアーンの言葉が書いてある壁掛け等々。ターリクがまだ見ぬお嫁さん候補の私の妹に山のようにプレゼントをくれて贈り物攻勢をかけている。

 アル・フセインモスクはとても大きく、天に向かってそそり立つ尖塔が神への一途な信仰を象徴するかのように見えた。みんなは私に中を見学させようとして入り口のおじさんに交渉してくれたが、やはり服装がふさわしくなかったのでダメだと言われたみたいだった。イスラムでは手首と顔以外は露出してはいけないことになっているのは私も知っていたので、「ありがとう、でもTシャツががダメなのは判ってるから」とみんなに礼を言った。でも、たとえ服装が正しかったにしても私はモスクには入る気持ちにはならなかっただろうと思う。神との対話をする神聖な場所であるモスクに信者ではない私が足を踏み入れることは畏れ多くて出来ないような気がしたからだ。

 モスクを離れるとき初めてバクシーシをくれという子供を見た。汚れてところどころ破れた服を着て寄り添うように近づき「お金をくれ」とうつろな目でボソボソと言う。見た目6,7歳位だろうか。あげるべきか否か迷ったがそうしているうちにみんなが車に乗り込んだので私も後を追い車に乗った。ドアを閉めた後もその子はウィンドウ越しに私を見ていた。バクシーシと言ってもほんの10円、20円あげれば彼は食事にありつくことが出来るのだろうけれど、そのときの私はその初めての体験に動揺して本当にどうしていいのかわからなかった。

 カイロに来る途中「今日はウイスキーを飲むよ」とモハメッドが言ってたけど「ふーん」って感じだった。だけどこの後ガマールやその友達などと合流してあるホテルの中に入っていった時やっとその意味が分かった。バーというかクラブというか、お酒を飲んでライブで演奏される歌を聴くような店に入っていったからだ。日本のようにおねーさんがお酒やつまみを持ってきてくれて「ここはホントにイスラムの国なんだろうか?」と目を疑う。

 「今日はアレクサンドリアや日本からお客さんが来ています…います…います…」とがんがんエコーの効いたマイクでいちいち紹介されるのが笑える。キーボードの生演奏に合わせ男性・女性歌手がアラブポップスを歌いまくる。その間にもおねーさんが来ては艶めかしくお酒をついでまわる。モハメッドはお酒を飲んでゴキゲンだ。しばらくすると「ここは暑いから移動する」と言って別の店に行った。でも、そこは前の店より強烈だった。入り口を入っていくとタバコの煙で白くなった空気の向こうに1段高く中央ステージがあり、15人ぐらいの楽団が演奏して歌手が歌い、その脇ではダンサーが踊っている。前の店よりは広く100人位は入っているようだった。ここもマイクのエコーがすごくて、やはり「日本からお客さんが…」と紹介された。コテコテのアラブポップスが演奏される間、歌手がお客さんのテーブルまで来て手を引いてステージに上げては踊らせる。ある時歌手と目が合った。やばいと思ってすぐ目をそらせたがそのまま手を引っ張られステージに連行された。でも、もうここまで来たらしょうがない。「えーい、踊ってしまえ!」と開き直ってダンサーズのおねーさん達にリードしてもらい踊った。仲間の誰かがステージに上がると、残った仲間がチップを花吹雪のようにステージに撒きにくるのが慣習らしく、私が踊っている間ガマール達が10ポンド札!の紙吹雪を撒いていた。もちろんそのチップは私にではなく、ささっと集められ楽団に渡る。

 この店を出たのが朝の5時半。アパートに帰ってシャワーを浴び寝ようと思ったら白々と空が明るくなっているところだった。7時就寝。でも、こちらの窓はサッシじゃないしきっちり閉まらないので外の音で眠れない。むやみにクラクションを鳴らすのはやめろー!!と怒鳴りたくなる。こんな時のために…。耳栓持ってきて良かった。快眠、快眠。

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