イスローさんのアレクサンドリア一人旅

9月25日 第二の我が家、モハメッド家
「アルハムドリッラー」 

 1時半起床。リコンファームをしにエジプト航空のオフィスへ連れていってもらい、その後モハメッドの店に行った。この辺も車の部品や工具などの店が立ち並んでいるが、一つ一つの店は非常に小さくモハメッドの店も3畳位しかない。店の1メートル前には路面電車の線路があり、バス、馬車、荷車などもひっきりなしに通る。その1メートルの隙間に路上駐車もあったりして、すれすれの所を電車がかすめて通る。

 今日は女の子が危うく電車に轢かれそうになった。店ではモハメッドの長男のアフマドともう一人の少年が店番をしていた。アフマドは15歳、もう一人は16歳と言っていたけど16歳と言えば日本ではほとんどの子が高校生のはず。この子達は15や16で働いている、しかも手を真っ黒にして。昨日フールを食べたあたりでも、もっと小さな子供達がたくさん働いていた。学校に行けない子供もたくさんいるとマグディが言ってたっけ。

 その後、市場で魚を買い、モハメッドの家に行った。魚は買うと店で焼いてくれる。

 モハメッドの家に行くと「昨日は待ってたのに来なかった」と残念そうに言われた。そんなこと言われても…。なにしろ私の行動は行き当たりばったりですから…。(写真のモハメッド家の長女・次女 イマーンとイスロー。目が大きい!!)

 ハナーンは洗濯中のようだったが、日本のような自動洗濯機というのはなくて洗濯機の水槽のようなものに洗剤水をためて手動で洗い、すすぎや絞りももちろん手動であった。

 けっこうショックだった。洗濯機ぐらいはどこの国でも当然あると思いこんでいた。旅に出て自分で洗濯をしてみると洗濯機のありがたさと便利さがよく分かる。

 ところで、ここの家で気づいた事だが、やっぱり洗面所とトイレとシャワーは同じ所にあって床が一続きになっているので、シャワーを浴びるとトイレも水浸しになるという仕組みはどこも一緒らしい。しかも今日はそこで洗濯もしていたのでトイレに行くのに泡だらけの床を横切って行かなくてはならなかった。

 ハナーンは私たちのためにご飯を炊いてくれた。日本のとは違い、鍋に油とスープと調味料を入れて炊く。ご飯ができあがって夕食になった。なぜだかハナーンや子供達は一緒に食べない。私とマグディ、ターリク、モハメッドの4人でさっき買った焼き魚とサラダとご飯をご馳走になる。魚をフォークで食べようとしていると「手で食べた方が簡単だよ」と言ってみんなは手でむしって食べている。私も一緒に試してみた。不思議な感触だった。久しぶりの魚とおいしいご飯を食べて大満足。

 日本では「いただきます」「ごちそうさまでした」って言うけど、こちらでも同じような言葉がある。イスラム教では食前に「ビスミッラー」食後に「アルハムドリッラー」と言う。「神の御名によって」「神のおかげで」という意味らしい。部屋の中にはクルアーンの一節の書かれた額も飾ってあったりして生活の中に自然に信仰が息づいているのが感じられる。

 イマーンが教科書やノートを見せてくれた。教科書は地理のもので日本とそう大差はないが、ノートは紙の質も粗末で、でもその表紙にナイロンで手製のカバーがかけてあったりして泣かせる…。英語のノートを見ても一生懸命勉強している様子がうかがえる。

 時々バルコニーに出ては下の通りの様子を眺めたり、向かいのアパートの住人と話したり、また、上の階の人が掃除機を借りに来たりとご近所づきあいが盛んなようで、古き良き日本って感じだろうか。

 9時半頃マグディが「帰るよー」と言うので、「まだ居て!」という子供達の悲しい顔を見ながらモハメッド家を去る。それからまたマンシェイヤのカフェを何軒か回る。こうやってカフェ巡りをして顔をつないでいるのだろうか。いわば営業か?!

 途中、工具の輸入を20年以上していたというおじいさんがいて、たいそう英語が話せるのでうれしくて思いっきりしゃべってしまった。だってこっちに来てから日本語は全然話す機会もないし、英語もマグディと話すとき以外は使えないので、「好きなようにしゃべりたい」という欲求がたまっていたのかもしれない。こっちに来てこんなに流暢な英語をしゃべる人を見たのは初めてだった。街で「ドウ ユウ スピーク イングリッシュ?」ってときどき聞かれるので、しゃべれるのかな?と思って同じように聞くとたいてい「ノー」と言う。じゃあなんで聞くんだろう。ただ聞いてみただけ?

 明日は遂にアレキを離れカイロに行く。詳しいことはよく分からないがマグディが車で連れて行ってくれるという。とりあえずエジプトに来たからにはカイロにも行かないとね。ピラミッド見れるかなあ…。(インシャアッラーだよね:大家)
 
 

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