ブータン難民キャンプ・ルポ

UNHCRの研修で現地に行くことができました


カトマンズでブータン難民の活動家に会う

 1994年9月17日、日本を発ちシンガポール経由で、翌18日にカトマンズに入る。早速その日、メンバーの一人が連絡を取っていたブータン難民による人権擁護団体のひとつHUROBの中心メンバーのオムさん会う。彼が言うには、1988年にブータン国王が四人の妻と結婚し、その閨閥である悪い大臣たちが、無垢な国王に気付かれないように悪政(特に人口の約半数を占めるネパール系住民に対する同化政策、人権抑圧)を行っているのが、難民問題の原因とのこと。果たしてそんなアナクロな図式なのだろうか。

 同日夜に、ラタン・ガズメルさんより電話がありカトマンズに来ているので画材を受け取りたいとのこと。ガズメルさんにホテルに来てもらい、メンバーみんなでお話を聞く。このガズメルさん、元ブータン国立教育研究所講師であったが政治活動を理由に1989年に逮捕され、拷問を受ける。1990年にアムネスティ・インターナショナルの活動などにより釈放されるが、抑圧が強く国外脱出を余儀なくされたという人。ガズメルさんともう一人の難民の人はどんなに理不尽な同化政策がとられ、ネパール系住民が苦しめられているかを涙ながらに訴えた。そして自分たちの目で難民キャンプを見てもらい、その上で私たちが感じたことを聞きたいので現地でまた会いましょうと言って帰っていった。

 9月21日、国内航空機でキャンプ近くのビルトナガル空港へ。その日の内に各メンバーがそれぞれの受け入れNGOに配属され、具体的な研修を受けることになる。その実態は、受け入れNGOからすれば単なる足手まといなのだが、、、

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