ブータン難民キャンプ・ルポ

UNHCRの研修で現地に行くことができました


ブータン難民なんて知らなかった

 1994年の秋、私はどうしたわけか難民キャンプにいた。その数ヶ月前には思いもよらない事態である。場所はネパール南東部、インドとの国境沿いにあるブータン難民キャンプである。自慢じゃないが、私はそんなところにそんな難民がいること自体知らなかった。

 その年の夏、ルワンダでは80万人の人々が虐殺され、100万人以上の難民が隣国に流出していた。そんなとき、私は新聞にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)駐日事務所が一ヶ月の研修参加者を募っているという記事を見つけ応募することにした。自分一人でへんぴな難民キャンプに行くのは事実上不可能だし、NGO等で派遣されるには大変な決心と準備がいる。その点、この短期研修は願ったりかなったりである。書類審査の後、東京の駐日事務所で面接を受けた。稚拙な英語にもかかわらず、うまいこともぐり込めることになった。最終的には参加者は11名。学生は私を入れて6名、会社員4名、フリーター1名といった構成。中には英語の苦手な鉄道運転手や、妙に明るいテレビレポーター、パフォーマンスのうまいフリーターなど、どうも当初私が思い描いていた実地研修とはいささか異なることを予感させるバラエティ豊かな11名であった。  

 出発に先立ちブータン難民支援を日本で行っているアフラ・ジャパンリングホーファーさんに会ってお話を聞いた。彼は(1994年時点で)在日20年のオーストリア人で日本語堪能。彼よりブータン難民の現状についてブリーフィングを受ける。ブータン難民で人権活動家のラタン・ガズメルさんに会うように指示?を受ける。さらに難民の子供達のためにアフラジャパンが購入したバッグ一杯の画材をキャンプに届けるという重い(実際に重い)指令を併せて受け取った。

次に進む


もどる