ベトナム


94年12月20日―27日

ホーチミン

関西空港からホーチミンへ直通便が就航した94年、 観光化される前に何とかベトナムに行っておこうということで、12月末にベトナムに行った。
関空―ホーチミンはわずか数時間。東南アジア系の航空会社の例にもれず、 ステュワーデスには美しい人がそろっていた。
空港からはバイクタクシー(バイクの二人乗り)でファングーラオ通りに行った(8US$)。 ファングーラオ通りはバンコクで言えばカオサンであり、安宿や旅行代理店が集まっており、 ベトナム観光の情報収集には最適である。物価も安く、過ごしやすい。宿は一泊5US$で見つけた。 ベトナムの通貨はドン(D)。1US$=10000Dである。しかし、いろんな場面でUS$が普通に使える。
食事はビールは6000D、焼きそばが8000Dであった。因みにコーラは7000D、レモンジュースは5000Dである。 物価はかなり安い。

翌朝、6000Dで朝食を食べ、市内観光に行く。 原付バイクが一日6$で借りれたので、バイクで回ることにした。
南ベトナム、サイゴン陥落時の大統領府は、現在統一府として、公開されている。
中は、豪華な応接室などの他に、ベトナム戦争時の司令室などは展示してある。 各フロア―には、アオザイを着た案内の女の子がいて、英語で説明してくれた。
庭には戦車が展示してあるなど、べトナムでは、やはり戦争は欠かせない要素になっている。 統一会堂の入場料は4$。
ホーチミン(旧サイゴン)は、旧南ベトナムであったこともあり、町の印象が明るい。 街の名称はまだサイゴンで通じるし、そちらのほうが人々には親しみがあるようだ。 ベトナムではスクーターが町のシンボルであり、バイクタクシーに限らず、スクーターがところ狭しと走りまわっている。 しかも、日本でいうスーパーカブである。きれいな格好をした若い女の子もカブで颯爽と走っていく。
中国の自転車に対応するような感じである。
また、女子高生は白いアオザイが制服であり、彼女達が集団で自転車をこいでいる様も、 ベトナムならではの光景である。 日本人と比べてスタイルの良い娘が多く、しかも顔立ちが日本人に近いので、思わず見とれてしまう。
街中には、路上に床屋があったり、露天が並んでいたりするが、貧しい中にも、したたかな生命力を感じる。 新しいホテルなどの建設もあちこちで進行しており、直行便が就航したばかりでも、思った以上に近代化されてきている。 これから、どんどん観光化されていくだろう。 まだまだ、素朴なサイゴンもバンコクのようになるのかと思うと少し寂しい気がする。
ベトナムの文房具に入ると、派手派手のカードが目に付いた。なにかと思えば、ニューイヤーカードであった。 真っ赤な葉書大の厚紙に金文字などで新年を祝う文言が記してあり、中国風の絵がかいているというものである。 これはめずらしいので土産に買ってみた。16枚で64000D。
この日の夜はちょっと贅沢して、20000Dで煮込みとライスとビールを飲んだ。



ハノイ

12.22 ホーチミンからハノイに飛行機で飛んだ。(206US$、空港税15$)因みに宿から空港はバイクタクシーで2$。 来たときは相当にぼられていたようだ。 ハノイはホーチミンから飛行機で2時間程ではあるが、約1000km離れており気候が全く違う。 12月ではあったが、ホーチミンは暖かく半そででいられたのに対し、ハノイは真冬で寒かった。
町自体も、サイゴンが元南ベトナムでアメリカナイズされた明るい町なのに対し、 ハノイはまるで中国のようであり、人民服のような軍服を来て、 ヘルメット様のベトナム帽子(正式名称は不明)をかぶっている人が目立った。

ハノイの町は自転車を借りて回った。(一日3000D)
まず軍事博物館にも行った。ここは、ベトナム戦争関連の展示がされている博物館である。 入場料10000D(+駐輪代500D)。写真のような戦闘機の残骸などが展示してあり結構迫力がある。 「あのアメリカに勝った」というプライドと、戦争を引き起こした列強のエゴに対する反発が、 彼らの意識にあるように思われ、印象深い。是非訪れて欲しい。
ホーチミン廟は、ベトナムの英雄ホーチミンの遺体が安置されている(写真)。 こういった建物を見ると、ドイモイ政策で外国資本がどんどん入ってきていて、 日本人にとってさほど違和感がないベトナムも、やはり社会主義国なんだということを強く感じた。

ハノイから、一泊二日の現地ツアーで、世界遺産であるハロン湾クルーズの旅に行った。
ハノイで泊まったゲストハウスでアレンジしてもらったが、24ドルで一泊二日の旅である。
初日はバスでハノイを朝にでてハロン湾まで、5時間。 そこから午後に3時間のクルーズをして、Dau Go Grottoに行った(入場料2000D)。 10数人で行ったが、一緒に行った人たちは、フランス人が多く、食事のときにもフランス語チームと、 英語チームに分かれたが、フレンチチームの方がメジャーであった。 やはり、旧フランス領というのが、まだ影響しているらしい。
ここで、日本で英語教師をしているというアメリカ人の二人組と友達になった。 しかし、通常どこでも大きな顔をできるはずのアメリカ人だが、 さすがにこのメンバーのなかではどうも勝手が違うらしく遠慮していた。

翌日は、また4時間のクルーズをして、GoNau Grottoを見学(写真)(入場料3000D)。 さすが世界遺産。美しい湾の眺めである。
昼食を食べてからハノイに帰った。ハノイ着17:30。 夕食は肉料理2皿とコーラ。78000Dとぼられた。19:40発の夜行列車でフエに行った。(253000D)

フエ

フエには夜行列車で11:30着。 着後Le Loi Guest Houseにチェックイン。一泊8$。
古都フエは、丁度ベトナムの中央にあり、ベトナム最後の王朝、阮朝の都が置かれていた町である。 見所は阮朝王宮と、付近に点在している各皇帝の廟である。 私は、宿泊したフエゲストハウスでレンタサイクル(といっても昔ながらのごつい自転車、一日10000D) を借りて市内観光に出かけた。

まず、阮朝王宮に行った(入場料US3.5$、駐輪代1$)。noon gateという王宮門をくぐり、太和殿、 顕臨閣、長生殿などがあるが、保存状態が必ずしもよくはない。 周囲の堀も、周囲の自然に溶け込んでしまってその存在が分かりにくい。 ただし、規模は大きいので、当時はさぞ贅沢な宮殿であったことは偲ばれる。

次に、ペダルが壊れた自転車をはりばる漕いで写真にもあるカイディン廟に行った(US3$)。 小高い丘にある美しい廟であり、石つくりの西洋風の建物が印象的である。

トゥドゥック廟は中国風、もしくは日本風とも言うべき廟であり、庭園と池のある、落ち着いた感じである (US3$)。いずれも自転車で回れる範囲であるが、道が悪いので言い自転車を借りないと、パンクする危険がある。
一日フエの町を回って、ゲストハウスに帰る。 その日はクリスマス。ベトナムで過ごすクリスマスもまたオツなものである。 その夜、フエからホーチミンに夜飛行機で戻り(85$)、前回と同じホテルに泊まった。





クチトンネル


フエからホーチミンに再び帰ってきて、今度は郊外にあるクチトンネルにバイクタクシーで行った。
クチトンネルはベトナム戦争のときにゲリラの造った地下トンネルであり、 これを要塞化してアメリカ軍に抵抗したらしい。

なかでは軍服を着た案内の人に付いて回るようになっている(写真)。 中は広く、迷路のようになっているが、外からはカムフラージュされている。 食事を作る場所は、出た煙から、場所が特定されないように、 離れた場所から煙が出るようになっているなどかなり考えられて作られている。司令部は広く、昔の面影を残している。
ここでは銃も打つ事が出来た。
戦争もこうなるともはや観光資源として使われている感がある。