
ベトナム
関西空港からホーチミンへ直通便が就航した94年、
観光化される前に何とかベトナムに行っておこうということで、12月末にベトナムに行った。
関空―ホーチミンはわずか数時間。東南アジア系の航空会社の例にもれず、
ステュワーデスには美しい人がそろっていた。
空港からはバイクタクシー(バイクの二人乗り)でファングーラオ通りに行った(8US$)。
ファングーラオ通りはバンコクで言えばカオサンであり、安宿や旅行代理店が集まっており、
ベトナム観光の情報収集には最適である。物価も安く、過ごしやすい。宿は一泊5US$で見つけた。
ベトナムの通貨はドン(D)。1US$=10000Dである。しかし、いろんな場面でUS$が普通に使える。
食事はビールは6000D、焼きそばが8000Dであった。因みにコーラは7000D、レモンジュースは5000Dである。
物価はかなり安い。
翌朝、6000Dで朝食を食べ、市内観光に行く。
原付バイクが一日6$で借りれたので、バイクで回ることにした。
南ベトナム、サイゴン陥落時の大統領府は、現在統一府として、公開されている。
中は、豪華な応接室などの他に、ベトナム戦争時の司令室などは展示してある。
各フロア―には、アオザイを着た案内の女の子がいて、英語で説明してくれた。
庭には戦車が展示してあるなど、べトナムでは、やはり戦争は欠かせない要素になっている。
統一会堂の入場料は4$。
ホーチミン(旧サイゴン)は、旧南ベトナムであったこともあり、町の印象が明るい。
街の名称はまだサイゴンで通じるし、そちらのほうが人々には親しみがあるようだ。
ベトナムではスクーターが町のシンボルであり、バイクタクシーに限らず、スクーターがところ狭しと走りまわっている。
しかも、日本でいうスーパーカブである。きれいな格好をした若い女の子もカブで颯爽と走っていく。
中国の自転車に対応するような感じである。
また、女子高生は白いアオザイが制服であり、彼女達が集団で自転車をこいでいる様も、
ベトナムならではの光景である。
日本人と比べてスタイルの良い娘が多く、しかも顔立ちが日本人に近いので、思わず見とれてしまう。
街中には、路上に床屋があったり、露天が並んでいたりするが、貧しい中にも、したたかな生命力を感じる。
新しいホテルなどの建設もあちこちで進行しており、直行便が就航したばかりでも、思った以上に近代化されてきている。
これから、どんどん観光化されていくだろう。
まだまだ、素朴なサイゴンもバンコクのようになるのかと思うと少し寂しい気がする。
ベトナムの文房具に入ると、派手派手のカードが目に付いた。なにかと思えば、ニューイヤーカードであった。
真っ赤な葉書大の厚紙に金文字などで新年を祝う文言が記してあり、中国風の絵がかいているというものである。
これはめずらしいので土産に買ってみた。16枚で64000D。
この日の夜はちょっと贅沢して、20000Dで煮込みとライスとビールを飲んだ。
12.22 ホーチミンからハノイに飛行機で飛んだ。(206US$、空港税15$)因みに宿から空港はバイクタクシーで2$。
来たときは相当にぼられていたようだ。
ハノイはホーチミンから飛行機で2時間程ではあるが、約1000km離れており気候が全く違う。
12月ではあったが、ホーチミンは暖かく半そででいられたのに対し、ハノイは真冬で寒かった。
まず軍事博物館にも行った。ここは、ベトナム戦争関連の展示がされている博物館である。
入場料10000D(+駐輪代500D)。写真のような戦闘機の残骸などが展示してあり結構迫力がある。
「あのアメリカに勝った」というプライドと、戦争を引き起こした列強のエゴに対する反発が、
彼らの意識にあるように思われ、印象深い。是非訪れて欲しい。
ハノイから、一泊二日の現地ツアーで、世界遺産であるハロン湾クルーズの旅に行った。
フエには夜行列車で11:30着。
着後Le Loi Guest Houseにチェックイン。一泊8$。
フエからホーチミンに再び帰ってきて、今度は郊外にあるクチトンネルにバイクタクシーで行った。