インド/(バンコク)

1994.8.20‐29

バンコク

卒業旅行の際、ユナイテッドのアメリカ経由ヨーロッパ行きの航空券でマイルをためたので、アジア往復航空券を手に入れることができた。 せっかくなので、それを使ってバンコクに飛びインドに渡ることにした。
まず、バンコクのカオサン通りに行き、いつも泊まっているボニーゲストハウスに宿をとった。 すぐにカオサンにあるトラベルエージェンシーでカルカッタ往復に航空券を手配するが、格安の便はすぐには取れず、22日の出発になった。 そこで、出発待ちの間、バンコク観光をすることにした。カオサンは以前にも滞在したことはあり、チャオプラヤ川やワットアルンなどの寺めぐりは済んでいたので、 カオサンで会った連中と一緒にルンピニスタディアムに行き、ムエタイを見ることにした(写真)。
我々観光客は単に観光の一つとして見に行ったが、ムエタイは、現地の人間にとっては賭けの対象であり、 見に来ている人々の大半は賭けをするために来ているので、会場は殺気だっている。 試合自体は、若い選手から始まり数試合行われる。知っている選手がいるわけでもないので、応援するわけでもないのだが、 こういった格闘技を生でみるのはやはりわくわくするものである。 まあ、これはタイに限ったことではないが。
当日に言っても入場することは可能だった。時間のない人にもお勧めである。




カルカッタ

インドと言うところはとんでもないところである。一言で言えば何でもありあり。 およそ、人間の頭で考えつくことは何でもあるし、考えもつかないことも平気である、という国である。
まず、空港につき入国審査。そこで早速賄賂の要求があった。当然無視して入国。しかし、前途の多難さを感じた。
その後、空港の出口を一歩出た瞬間、目に飛び込んできたのは、多数のノラ牛であった。とても空港のあるような場所とは思えない環境。 そこから市内行きのバスに乗ろうと停留所を探す。どうやらターミナルのような場所にきたが、そこにはさびさびのバスが並んでいる。 壊れたバスが捨ててあるのかと思いきや、全てのバスが現役であった。バスの出発時間もあって無きような感じであり、全く信用ならない。

どうにかこうにか市内に着いたのち、サダルストリートに行き、ホテルパラゴンという安宿にチェックインした。インドは貧富の差が激しい国である。 カルカッタの通りにも物乞いが溢れているし、子供の物乞いも沢山いる。道端で寝ている人などはいくらでもいる。

ある時、中央分離帯のあるような大きな通りを歩いていると、その中央分離帯にぼろきれが並んでいるのに気づいた。 「なんだろうな?」と良く見てみると、なんと車のビュンビュン走る道の中央分離帯に寝ているぼろきれのような服をきた人間であった。 しかも何人も寝ている。驚くと言うより唖然とした。

カルカッタは全ての道が舗装されているわけではない。 雨が降ると水はけが悪いので、道は川の様になって、水浸しになり、ひざ下くらいまで水につかりながらジャブジャブ歩いていかなくてはならない。 「汚いなあ」と思いながら、「まあ、こんなところで、立ちションしているやつがいるわけでもないからいいか」と思いながらジャブジャブ歩いていくと、なんと目の前に立ちションしている男がいた。 「まいったなあ」と思ったが、「まあ、大便をしていたわけでもないから、まあいいか」と思いながら進んでいくと、なんと道端で大便をしている男がいた。 「とんでもないなあ」と思ったが、仕方ないので早足でその場を過ぎていった。 「この国はなんでもありだな」と思いながらも、「よもや女で小便しているなんてことはないよな」と思った途端、道端で小便しているおばさんに遭遇した。 そのとき、「ああこの国にはおよそ人間が考えつく限りのあらゆることは起こりうるんだな」と確信した。

あくる日、カルカッタの通りを歩いていると、道端にロンドンのダブルデッカーの古いものと思しきサビサビのバスが留まっていた。 「ああ、インドではぼろくなったバスは道端に捨ててあるだな」と思った次の瞬間、反対側から、全く同様の、車体全部が赤錆で覆われているダブルデッカーが、 ドアからはみ出て人がしがみついているような状態で、まさにすズなりに人をのせて走り去っていった。「まだまだ、俺の認識は甘かった。」といたく反省した。

以上の話は作りではなく全て実話である。インドに行くと人生感が変わると言うが、やはり変わるよなと思った。

カルカッタ市内にはリキシャーと呼ばれる人力車が走っている。これは他の町では、運転手は自転車で車を引いていたりするのだが、カルカッタでは本当に人間が走って引いている。 ここ、インドはカーストの国。小奇麗な服をきた子供が、汚い格好をしたオヤジが引くリキシャーに乗っているのを見ると、インドの貧富の差、カーストの悲哀を感じる。

カルカッタの町を歩いているとき、カーブにさしかかったリキシャーの内側に立っていたところ、リキシャーの車の軸が飛び出ていて、内輪差のために左足のひざ下を4cmほど切ってしまった。 見ると血がだらだら出ていて、肉が見えている。「これは縫わないといけない」と思い、病院を捜した。 血をたらしながら病院を探していると周囲の人はさすがに親切に教えてくれ、小さなクリニックについた。 中からは私服の医師らしき人が出てきて、事情を話すと診察室に私を入れた。
「これは縫わないといけない」といって、おもむろにペットボトルに入った消毒液と思われる液で消毒を始めた。 その後、「麻酔をするんだろうな」と思ってみていると、ナイロン糸と縫い針みたいな直針で、おもむろに縫い始めた。そう、無麻酔である。 痛いのなんのっていうのは言うまでもない。地獄のような時間であった。
その後、終わったのち、なにやら説明を始めた。 インドなまりの英語でよく言っていることがわかんなかったが、そのまま見ていると、目の前に置いてあった封を切ってある注射筒に薬液を入れシャカシャカ洗い始めた。 そしてそれに薬を入れると、やおら私の肩に注射をした。否も何もない。おそらく痛み止めは化膿止めの薬だったのだろうと思われる。 やはりインドである。エイズやB型肝炎なんて関係なしって言う感じである。危険極まりない。幸い、その後肝炎もエイズも発症してないので大丈夫だった様だが、インドで病院に行くときは注意が必要である。


ヴァラナシ

カルカッタからバラナシには夜行列車で行った。寝台車であるが、日本の寝台車のようなコンパートメントの3段の寝台と、そのそとの通路の、 窓がわの壁の一部が開いてベッドができるようになっている。したがって、結構狭く窮屈である。
ふと外を見ると、平行して走っている列車が見えた。夜の10時頃にもかかわらず、窓やドアから人がはみ出し、屋根にも人が乗っている。まさに、テレビでよく見る日本の敗戦後の帰征列車そのものである。
このように、この国では今まで見たことない光景をあたりまえのように目にすることができる。
この夜行列車のなかで、駅で買った消毒液とガーゼで昼に縫った傷の消毒をした。「全くオレは何だかすごい状況におかれているような気がするなあ。」と思いながら、一夜を過ごした。
あくる日、夜が明けて皆がおきだした。前述したように寝台車はベッドが沢山あり、それ以外にも一般の客も乗ってきて、車内は足の踏み場もない。 仕方がないのでベッドの上でごろごろしながら過ごした。駅に着くたびに物売りの声がうるさい。中には車内に入ってきて売って回る奴もいる。 通路にはそういったものの食べかすが散乱している。まさに阿鼻叫喚である。
怪しげな飲み物を売りにくる子供が多いなかで、「ペプシ」と叫びながらやってきた子供を捕まえて、ビンのペプシを一本買った。 ふたを開けて渡されたペプシを一口飲んだ瞬間、異様にまずいのに気づく。 「何でこんな味なんだ」と思った瞬間、「やられた」と思い、売り子を捜すがすでに後の祭り。どうやら水で薄めたコーラだったようだ。 しかし、これだけ混雑した車内を巧みにすり抜けてあっというまに逃げていったのは、鮮やかであった。幸いこの後下痢はしなかったが、インドはやはり侮れないと思った。



ヴァラナシについたら、雨が降っていた。リキシャーではぬれてしまうので、仕方なくタクシーにのって久美子ハウスまで行くように言った。次第に激しく雨が降ってきた。 そうこうするうちに運転手が、「着いた」と言う。しかし、どうみてもここには違うホテルの看板が出ている。 しかも繁華街からも離れているようである。運転手に文句をいうが、外は大雨。しかも、場所もわからない。ほとんど無き寝入リ状態でホテルに入る。 料金交渉の末、まあリーズナブルな料金となる。もちろん、運転手のリベート込みだろうが。大体、繁華街からかなり外れているし、安くて当然の宿である。 ぼられたと言うほど高い料金は取られなかったが、運転手に巧みにだまされたことが歯がゆかった。
かなり、警戒してのったタクシーだったにもかかわらず、だまされたことにインド人のずるがしこさを思い知ったと言う感じだ。 ただ、ホテルの人間は信用できる連中だったし、サービスもさほど悪くはなかった。

翌日は晴れ。もちろん宿はさっさとチェックアウトして、ヴァラナシのメインの場所に移動した。
インドの常であるが、牛がやたら歩いている。それもどこでも我が物顔である。 リキシャーで移動していると、道が渋滞していた。「インドでも渋滞か」と思って、リキシャーをそこで降りて、歩いていくと渋滞の先頭はなんと牛であった。 牛が交差点の真中で寝っ転がっていたために渋滞となっているのであった。
このあたりになると、もはや次々と起こることに対して免疫ができていて、さほど驚かなかったが、日本では考えられないことである。

ヴァラナシはガンガー(ガンジス川)の沐浴場として有名で、ある意味インドのインドたる典型の場所である。
インド人は朝からここで沐浴している。川沿いには火葬場があり、一般の観光客も見ることができる。生と死が身近に感じられるガンガーの流れを見ていると時間のたつのを忘れる。
ガンガーでは早朝に手漕ぎボートでのボートツアーにいける。私は4人乗りの小さなボ―トをアレンジしたが、元ボート部としては、是非ガンガーを漕ごうと思い、漕がしてもらった。これは最高。

ヴァラナシの町を歩いていると、そこここからサリーはどうかだの、シタール(インドの楽器)を見ないかだの、声がかかる。物売りなのだが、こういった連中を無視しつづけるのも結構うっとうしい。 インドを嫌いになる人は、こういった鬱陶しさから嫌いになるのだというのは納得できる。
しかし、私は、これを逆にとり、徹底的についていくことにした。 サリーや、じゅうたんや、パジャマ売り、また楽器屋にもいって全ての説明を聞いて、その上で何も買わないででてくる。というのを楽しんでいた。
これは結構暇つぶしになる。初めに彼らは「見るだけ」というので、「分かった見るだけだ」といって付いて行き、ひと通り話が済んだら、「初めに言ったように見るだけだ」といって去っていく。 これで、いろんな物売りのパターンと手口がわかった。最後の方は、悪乗りして、写真なんかを撮らせたりしても、堂々と店から出て来れるようになった。
しかし、インドではさんざんだまされるので、このくらいやっても、私の方がはるかにだまされていると思う。

あるとき、ヴァラナシの路上の屋台で、ミネラルウォーターを買って、宿で飲んでいた。1.5Lのペットボトルが半分以上なくなったところで、ふとボトルのキャップが変なことに気づいた。
通常ペットボトルはキャップの下にあるプラスティックのタグを引っ張って切ると空けられる構造になっている。 しかし、ふと考えてみたら、ボトルを開けるときにタグを切った記憶がない。また、通常タグを切ったとしても、切った残りはボトルについているのが普通である。 しかし、目の前にあるボトルにはタグの切れ端がない。つまり、スクリューキャップのみしかないのである。私はおろかにもこの時点まできて初めて、だまされたことに気づいた。 つまりこのボトルはミネラルウォーターと言いながら、通常のそこらの水をつめて売っていたのだ。屋台なので、すでに売った店はどこにもないだろう。 またもやられた、と思ったが、しばらくして「ちょっと待てよ。今現在体調は全く問題ないではないか」と思い直した。
旅行ガイドブックには、「インドの水を飲んだら必ず下痢をする」と書いてある。インドで生水を飲んではいけない。というのは常識のようになっている。 しかし、その後数日たっても以降に下痢する気配はない。一リットル近くの水を飲んで問題ないなら、これはもしかしたらぜんぜん大丈夫なんではないかと思い始めた。 その後は、そこいらの屋台で出て来る水も何の抵抗もなく飲んだ。現地の人間が飲んでいる水は飲めるという基準のもとどんどん飲んだ。 生野菜も食べた。しかし、結局帰るまで一回も下痢しなかった。
そして、少なくとも私に関しては「インドの水は飲める」という結論を得た。これは誰にも勧めるものではないし、その通りやって下痢しても全く責任はとらないが、 他人が言ったことをそのまま鵜呑みにしないと言う意味では重要な姿勢だと思う。

ヴァラナシからカルカッタに戻るときはまたひと騒動あった。帰りはヴァラナシ駅からカルカッタに行く夜行列車のHinduri expressに乗ることにした。 時間までは十分余裕があり、駅で時間つぶしをしていると、物乞いの子供が近寄ってきた。もちろんチケットなど持っているわけでもないだろうから、駅のホームには勝手に入って来れるのだろう。 適当にあしらっていると、日本人と分かったのだろう。そこいらにいる子供が10数人ほど集まり完全に囲まれる。「やばい」と思い、逃げ出した。 しかし、逃げても逃げてもついてくる。ただ、まだ実際に危害を加えられたわけでもないので、何もいえない。さんざん駅中を逃げ回って、何とか逃げおおせた。 しかし、インドの駅のホームには何でもいる。当然のように牛が寝ているし、鶏やねずみもうろうろしている。まるで動物園である。
そろそろ出発の時間になった。駅員には出発ホームを何度も確認したので、言われたホームで待っていると、列車が来た。いざ乗ろうとすると、なんだか様子が違う。 もう一度確認すると、乗るべき列車ではないという。そして、線路の向こうのホームで出発のベルが鳴っている。どうやらむこうの列車らしい。 重い荷物を抱え、あわててダッシュをする。そして、すでに動き始めていた列車になんとか飛び乗った。
まさにインド。なんでもありあり。駅員すら信用できない。

ヴァラナシの町は写真のように、例によって牛が歩き回り、人々と物乞いと物売りがひしめいている。一言で言えば「混沌」。まさにカオスである。 インドに行った旅行者の印象は極端に別れると良く言われるが、この混沌を楽しめるか、否かにそれは依存していると思われる。
本来初めはヴァラナシからデリーまで言って、カルカッタに帰ってくると言う日程を考えていた。しかし、ヴァラナシで完全に脱力した。このインドをあせって回っても仕方がない。 学生がインドにはまって長期滞在してしまう魅力の一端がわかった。
通信、交通の進歩により、世界は年々狭くなってきて、アジアの諸国も急速に先進国を追って変化している。 しかし、いまだにインドは良くも悪くも異国情緒を味わえる数少ない国であろう。一度はインドに言った方が良いというのは今でも真実であると思う。