アメリカ西海岸
―グレイハウンドの旅
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1992.10.31‐11.6
ロサンゼルス往復は時期を選べば5万前後で往復チケットが手に入る。現地の物価を考えると、
下手な国内旅行より安く上がる。そこで、大学5年の秋、大学祭休みの11月上旬という比較的すいている時期に、
短期のアメリカ旅行を計画した。資金は航空運賃を含めて一週間で10万。もちろんあらゆる技を駆使して、
究極の貧乏旅行を展開した。
ロサンゼルス

ユナイテッド航空で、成田を夕方に出て10時間。午前中にLAX(ロサンゼルス空港)に着いた。
今回の旅行は、時間がなく、お金もないので、できるだけ宿をとらず、夜行バスで移動するという方針。
荷物も軽くして、全荷物を持ちながらの観光とした。
空港からローカルバスで、まずUCLAに行く。大学構内の見学をした。
UCLAは、非常に大きい大学で
、ロサンゼルスの観光地の一つにもなっている。中は、単なる大学なのだが、UCLAの大学グッズは、
一つのブランドともなっているので、キャンパスグッズは充実している。
全米の有名なスポーツ選手も輩出しているだけあって、スポーツ施設はプロ顔負けのすごさである。
多くの大学内の建物は、寄付されたものなのか、名前を冠している物が多い。
写真にあるように、研究所一つ丸ごと、名前を冠してあったりした。
こういったものを個人レベルで寄付できるのはすごい金持ちなのだろうが、こういった習慣は日本にはないところである。

その後、ハリウッドに行き、有名なハリウッドサインや、ハリウッドスターの手形などを見る。昼食は、アメリカならではのマック。
ハリウッドにはグレイハウンドのバスディーポがあり、そこで、アメリパスというグレイハウンドのバスのパスを買う。
夜行のバスでフラッグスタッフというグランドキャニオンのベースタウンに行くバスに乗ることにした。
しかし、グレイハウンドのバスディーポというのは、大抵治安の悪い場所にあるらしく、日が暮れると外を歩くのは危険である。
そこで、早めにディーポに行き、日没後はディーポのなかで過ごした。
グランドキャニオン
フラッグスタッフに朝7時に到着。フラッグスタッフからグランドキャニオンにはシャトルバスが出ていたが、
時間を確認すると8時に出るとのこと。一時間あるので、朝食を食べながらのんびりしていた。
しかし、出発時間が近づいても一向に人が集まらない。不審に思い聞いてみると。もうバスは出た後だという。
しかし、時間はまだのはずと思って壁にある時計を見てみると、何故か9時を指している。自分の時計は8時。
???何だコリャと思うと、なんと時差であった。ロサンゼルスは西海岸時間だが、フラッグスタッフは中央アメリカ時間で、
同じ国でありながら1時間の時差があるのである。
しかも困ったことに、フラっグスタッフからグランドキャニオン行きのバスは、
一日一本とのこと。
しかし、フラッグスタッフの町には何もないので、一日いても仕方がない。
どうしようもないので、お金はかかるが、タクシーで行くことにした。何とか交渉の末、80ドルでグランドキャニオンに到着。
初めグランドキャニオン内に泊まろうとしたが、中にあるのは高級ホテルだけであるので断念。
フラッグスタッフに戻り、バスディーポからすぐのところにある、モーテルに泊まる。一泊11ドルで朝食つき。
翌日はフラッグスタッフの町をぶらぶらして、午後にラスベガス行きのバスに乗った。
ラスベガス
ラスベガスに着いた時はすでに暗くなっていたが、カジノのネオンで町は妙に明るい。
ここまできたらカジノに行かない手はない。使うお金は10ドルと決めて、まずスロットマシンから始めた。
スロットマシンの台の選び方はパチンコと同じで、タバコの吸殻の多いものにした。
スロットマシンは1¢、5¢、10¢、25¢、1$と段階がある。うまいことに、低額スロットマシンは結構出る。実際少し勝つことができた。
こうなると、さらに上の金額でやりたくなるのが、人間のさがである。しかし、これが胴元の手である。金額が多くなると、
だんだん負けてくる。最終的に1$のスロットマシンでやりたくなったが、これを始めると、
少し負けたはずでも結構な金額になってしまうので25¢まででやめておいた。
しかし、ギャンブルというのはうまく出来ているものである。結局、投入した金額は全て失って終了。
でも10$で2時間くらい楽しめた。初心者としては、こんな位が適当だろう。
ラスベガスはもちろん高いホテルしかないので、そのまま夜行のバスに乗って、ロサンゼルスに戻った。
パームスプリングス
ロサンゼルスに早朝到着。そのままパームスプリングス行きのバスに乗り換える。午前中にパームスプリングスに到着した。
パームスプリングスはカルフォルニア砂漠の中のオアシスで、リゾート地である。街中にはパーム椰子が多く、美しい町である。
町歩きをした後、夕方、サンディエゴ行きのバスにのり、アメリカ出身の同級生の家を目指した。
サンディエゴ
サンディエゴには夜に到着。同級生のお母さんに会った。私の同級生はアメリカで生まれ大学卒業までずっと住んでいたが、
その後日本に戻り、日本で大学に入りなおしたという経歴の人で、英語も日本語も喋れるバイリンガルである。
両親はもともと日本人だが、アメリカに移住し、日本語学校をやっているとのこと。お金がないので、
その日本後学校に宿泊をお願いして、その日は教室で寝ることができた。やはり持つべきものは友達である。
翌朝は朝からサンディエゴの町をぶらついて、海の方に行った。サンディエゴはきれいな町で、いいところである。
アメリカ西海岸は11月とはいえ、日中は日差しは強い。しかし、明るくて気持ちがいい。港もきれいで、眺めもいい。
しばし、ぶらついた後、その日のメインの目的である、メキシコのティワナに向かった。
ティワナ
サンディエゴからは、メキシコは目と鼻の先である。
メキシコ国境の街、ティワナはメキシコでありながら、日帰りの場合はビザがなくても入国ができる。
物価が安いこともあり、アメリカ側から買い物目的で多くの人が訪れている。
ティワナの町に入り、土産物屋の前を歩いていくと、中から「タナカさん、タナカさん」とか「スズキさん、スズキさん」とか、
とりあえず有名な名前を日本語で連呼してくる。
他には
、
「シャチョウさん、シャチョウさん、見るだけタダね。」
とか言って、結構日本語が結構堪能な奴も多い。
そのまま通りすぎると「スケベ―,スケベ―」とか「ドスケベー」とかいう捨て台詞までかかる。誰が教えたのか分らないが、
そのイントネーションも面白く、それを聞いているだけでも楽しめた。
日本語の声を無視すると、ハングル語や中国語で次々声がかかるので、すごいものである。
店にはいっていくと、これは安いだの、何が欲しいだの、いくらならいいかだの、うるさいことこの上ない。
さすがに辟易となり、とりあえず、食事をすることにした。
せっかくメキシコなので、タコスを食べることにしたら、その辺にファーストフード風のタコス屋があった。
中に入り、とりあえず、良く分らないので、適当にたのんだ。コーラとタコス。まあまあだった。
しかし、会計のときにびっくり、レシートにはやたら0が並んでいる。
「20000ドル?なに?やられた!やばい、ここはメキシコだった。どうしよう?」
と一瞬思ったが、店員は
「これはペソね。ドルだと、、、えーと、3ドルかな」
と言った。
「ああ良かった。そうか、ここはメキシコなんだ」
とあらためて思った。
ロサンゼルス
サンディエゴからロサンゼルスにバスで戻ったが、ロサンゼルスに戻ったのはすでに夕方だった。
グレイハウンドのバスターミナルは、ロサンゼルスでも最も治安の悪いエリアにあり、ターミナルの周囲にはホームレスがたむろしている。
そこから、サンタモニカビーチに行こうとしたが、地図によると、そのためにはどうしてもそこから、
ダウンタウンを数百メートル離れたところに行かねばならない。しかも場所が良くわからない。
サンディエゴで、友人のお母さんは
「ロスのダウンタウンは危険だからたとえ100mでもタクシーに乗りなさい」
といわれていたので、タクシーに
「サンタモニカ行きのバス停まで,行ってくれ」
といったところ、
「サンタモニカ行き?そんなのはたった300mだから、歩いて行け」
と乗車拒否された。仕方がないので、とぼとぼ歩いて外に出て行く。案の定ホームレスが近づいて来た。
「やばいなあ」と思ったが、しょうがない。なるようになれと覚悟を決めた。
「ヘイ、ジャパニ。俺はUSアーミーだ。ジャパニーズはフレンドだ。困ったことがあったら、オレに相談しろ」
と奴は言ってきた。汚い着替えを黒いごみ用のビニール袋に入れて持っており、どうみてもだタダのホームレスなのだが、
「タクシーか?バスか?」とおせっかいに聞いて来た。確かに困っているのは事実なのだが、
こいつが信用できるかどうかは別である。何か世話を焼いて、金をせしめようという手だと思われるが、この際仕方がない。
「サンタモニカビーチに行こうと思うのだが、行き方が分らない。どうしたらいいんだ?」
と聞いてみた。
「分った。一緒に来い。」
といって、私を連れてタクシーの運転手に話をつけに行った。二言三言会話をしていたが、やはり断られた。
「タクシーは駄目らしい。でもノープロブレムだ。そこにバス停があるだろう。このバスはサンタモニカには行かない。
でもOKだ。そこのバスにのって二つ目のバス停で降りろ。値段は1.5ドルだ。
そして、そのとき運転手に”トランスファー”と言うんだ。そうするとチケットをくれる。
そうして、バス停で待って51番のバスに乗れ。そうすればお金はいらない。いいか?1.5ドル払って、トランスファー、
そして51番のバスだ。OK?」
と完璧なガイドをしてくれた。その上、まだ,時間がある。
寒いからコーヒーでも飲むか?こっちに来い。といって、ホームルスがたむろしている場所に連れて行かれ、
皆が飲んでいるコーヒーを勧められた。私は普段からコーヒーは飲まないので、断ったが、
どうも睡眠薬などがはいっている気配はない。こいつはいい奴なのかもしれないと思い始めた。
「おまえはバスに乗るのに小銭はあるか?バスの中では両替は出来ないぞ?」
と言ってきた。確かにバスの中では両替は出来ないのは知っていた。そして、そのとき私は小銭を持っていなかった。
この時間は全ての店が閉まっていて、周囲には両替できそうな場所はない。
「来たな」とは思ったが、仕方がない。これだけ教えてくれたのだから、少々は仕方ないなと思い、10ドルを渡して、
「これを両替できるか?」
と聞いた。「OK」と言って彼は去っていった。
「戻ってこないかもしれないな」と思ったが、数分で奴は戻ってきた。
「両替をしてきた。」と言って1.5ドルを私に渡し、これで大丈夫だ。と知らん顔をする。一応
「おつりは?」と聞くと、怪訝そうな顔で、
「オレはおまえのためにこれだけ親切に教えてやった。そうだな?おまえはあのままでは一人でサンタモニカに行けなかった。
でももう大丈夫だ。そうだな?そして、おまえは金を持っている。オレは金がない。
このわずかなおつりをオレにくれても問題ないだろう?」
と至極当然のように言う。まあいくらかはやっても良いなと思っていたので、仕方がないと思ったが、
お釣りを全部取られるとは思わなかった。しかし、いまさらいくらか返してくれそうにはなく、あきらめた。
彼は確かに私のためにいろいろしてくれたのだから。
しかし,金のない学生には大金だったので痛かった。
実際その日とまるのは6ドルのゲストハウスだったからである。おそらくこれが初めから奴の目的だったのだろうが、
危害を加えられたわけでもなく、これはこれで面白い経験だったからと納得することにした。
実際彼の言う通りにして、サンタモニカにたどり着くことは確かにできた。
しかし、乗り換えのバス停はダウンタウンのど真ん中で、周囲は暗く、壁は落書きだらけ、
まるでゴーストタウンのように誰もいなくて物騒だったのと、降りるときに運転手も含め、
バスに乗っている人が皆スペイン語しか喋れず、アメリカなのに英語が通じない状態で、苦労したのを除くが、、。
サンタモニカでは、フラッグスタッフのモーテルで手に入れたチラシにあった安宿に行った。ここは、一軒家のそれぞれの部屋を旅行者に開放しているもので、基本的にドミトリーである。1泊10$の宿だったが、チラシを持参すると何と6$であった。長期旅行者も多く、シーズンには日本人もいるようで、日本語の落書きもあった。着いたのはもう遅く、夜だったので、何もすることはなかったが、近くのセブンイレブンに行って、「なるほど、確かにセブンイレブンはアメリカ発祥だった」というのを一応確認した。
翌朝、早く起きて、サンタモニカビーチのあたりを散策。季節はずれなので、少しさびしげだったが、シーズンはさぞかしにぎやかだろうと思わせるものがあった。