韓国

韓国2005



2005.11.11-13


病院旅行でソウルに行った。今回で4回目の韓国である。今回は、二泊三日のツアーであるが、実質観光は一日である。 板門店ツアーをメインで、予定してみた。

昌徳宮




金曜の朝に、成田出発。私には珍しい、JALの国際線でソウル入りした。
ツアーなので、定番の免税店めぐりがあり、いろいろと画策したが、免税店周りは、やはりはずせないらしい。
新羅免税店を経由し、ロッテ免税店で解散したが、明洞のホテルに戻ると、もう夕食の時間である。
予定していた宮廷料理の店に行き、十分食を堪能した。
その後、例によってソウルで定番の眼鏡を作成した。その時点で初日は終了である。

二日目はあらかじめ板門店ツアーを予定していた。 これは予約が必要なので、日本で予約を入れていたが、ツアーの集合は11:10なので、それまでに観光が出来る。 ということで、ソウルにある世界遺産の一つである昌徳宮(写真左)に行った。
昌徳宮は朝9時から、観光が出来るが、観光は全てグループツアーになっており、韓国語、日本語、英語などのガイドごとの入場になる。 日本語ツアーは9:15からということで、日本語ツアーにあわせて入場した。
この時期、昌徳宮はちょうど紅葉の時期であり、世界遺産だけでなく、紅葉も楽しめる(写真右)。




ツアーは昌徳宮内を、ガイドの説明で回っていく形であるが、およそ1時間20分ほどである。 最近の韓流ブームにのって、ここはドラマの何とかというシーンで出てきたところだとか言う説明があり、 おばさん達はウンウンとうなずいていたが、私には全く理解不能であった。
日本人ツアーの人数は多く、そのために来ているような人も多そうであった。 ブームとは恐ろしい。

昌徳宮から板門店ツアーの東亜免税店までは近いので、ツアーが終わり次第、タクシーで集合場所に向かった。











板門店ツアー



東亜免税店から11:30出発。バス二台で板門店に向かう。
他にも南侵トンネルや、非武装地帯ツアーなど、北朝鮮がらみのツアーはあるようだったが、板門店がメインのツアーであることに変わりはない。
バスで北上し、初めに昼食を食べて、観光の初めは臨津閣に行った。 ここは、朝鮮戦争停戦後、捕虜の交換で北朝鮮から戻ってきた韓国軍が、橋を渡って韓国領に戻ってきた場所であり、その橋を自由の橋と呼んでいる。 韓国人が自由に来れるもっとも北にある場所であり、正月になると、南北に分断された家族が統一の願いをしにくるそうである。
しかし、今の若い人たちは、そういった思いがないので、年寄りを連れてきて、その間、若者達は、臨津閣にある遊園地で遊んでいるのだそうだ。

その後、メインの板門店に向かった。到着までに、軍人によるパスポートチェックが二回あった。 厳重なチェックである。
まず、初めに国連軍のadvance campのブリーフィングルームでブリーフィングを行った。
我々は、国連のゲストであり、板門店で万が一命にかかわる状況になっても、国連、韓国、アメリカなどに責任はないことを認める、承諾を書いた。
また、カメラは特定の場所でしか撮れないこと。北朝鮮兵士には、手を振ったり、指を指したりしないこと。 その他、一緒に行く兵士の指示に従うということを注意された。
その後、バスで板門店、共同警備区域(JSA:Joint security area)に行った。



板門店に着くと、その回の40人は二組に分かれて、軍事停戦委員会の本会議場(右上)と、自由の家の展望台に行った。
板門店の軍事境界線上にある建物は、二種類に分かれており、水色の建物が国連側、灰色の建物は北朝鮮側となっている。 もちろん、我々は、国連側の建物しか入れないので、水色の建物に入った。
建物の中央に、テーブルがあるが、その中央に軍事境界線があり、右上の写真のように、その線上に兵士がいる。 兵士がなぜサングラスをかけているかというと、JSA内で北朝鮮の兵士を遭遇することがあり、その際、北朝鮮兵士がいろいろと挑発して来るそうである。 しかし、徴兵されてきた韓国軍の若い兵士は、つい挑発に乗りやすいので、表情を悟られないようにするためだという。
停戦委員会の建物自体の中は単なる会議場で、別段変わったところはない。 しかし、窓から外を見ると、やはり軍事境界線上にコンクリートで境界を表す線ができていた。
ちなみに、JSAで働く韓国兵士は、危険であるため、特別手当てがつくらしい。 このJSAでの、建物も微妙に配置されており、国連の建物を北朝鮮の建物が囲むような形になっているそうだ。 そして、JSA自体も、周囲は北朝鮮領となっており、状況的に北朝鮮のほうが有利である。 この辺、金正日はぬかりない。

その後、国連側の建物の横にある、自由の家というちょっと小高くなっている展望台に行った。 そこからの眺めが、写真左である。正面に北朝鮮側の建物が見えている。 望遠でよく見ると、入り口のところに北朝鮮兵士がいて、こちらを見ている様子であった。
移動は二列の整列である。そして、バスに乗り、写真の道を車内から写真を撮りながらゆっくり通った後、自由の家という、別の展望台に行った。

自由の家からの眺めが、写真左である。手前の草を買っているところが、国連側であり、草ぼうぼうのところは北朝鮮側である。
写真左の建物は、北朝鮮側の見張り小屋であり、右の写真はボーダーの看板である。 錆びているが良く見ると、ハングルと英語でmilitary demarcation lineと書いてある。 これを北朝鮮側から見ると、同様にハングルと中国語で書いてあるらしい。

写真左下は、北朝鮮の国旗掲揚台である。160mあるというギネスにも載っているという世界最大の国旗掲揚台だそうだ。 じつは、これと同様の韓国側の国旗掲揚台があるそうで、初めは低かったのだが、だんだんお互いに高さ比べをするように、高くしていったらしい。
こういった、見栄の張り合いも面白い。