ガラパゴス

ガラパゴス



2006.9.15-25


9月15日

仕事終了後、午後に成田空港に向かった。 15:50発、CO 006便でヒューストンへ。そこでトランジット。 キト行きのCO 653は1時間半ほど遅れて出発、同日24:30過ぎにキトに到着した。
今回はあらかじめキトの現地旅行社のNauta Routesでガラパゴスツアーをアレンジしていた。 というのも、ガラパゴスはクルージングでないと観光をするのが難しく、現地でアレンジはできるものの、時間に限りがある中では、 効率よく回るには予約しておく必要があったからである。
現地の旅行社ではあるが、日本人が働いており、インターネットで予約できるので、手配は簡単である。
さらに、キトの滞在も予約済みであったので、 迎えの車でホテルにチェックインした。手配のホテルは快適である。
その日は早々に就寝した。


キト



9月16日

朝8:00に起床。
キトは、世界遺産に指定されている旧市街を持つ首都でありながら、実は2800mの高地である。 空気が薄いのをひしひしと感じる。
この日は、一日キト市内観光と赤道記念碑ツアーの予定で、9:30に迎えの車が来る予定であった。
しかし、ちょうどこの日は土曜日であり、キト近郊のオタバロで土曜の朝市があるという。
急遽予定にオタバロの朝市観光を加えてもらった。 (気が付くのが遅かったので、出発が9:30であったのが、失敗であり、最後の予定が押してしまったので、本来はもっと早く出れれば良かった。)
まず、午前中で終わるオタバロの朝市が、まず初めの目的地になった。キトから2時間ほどの道のりである。 アンデスの山並みを見ながら、ドライブとなる。インカの北限はキトの少し北であるとのこと。
途中、山の斜面に広がるハウス栽培のバラ園があちこちに見えた。
バラは近年、エクアドルの主要産業になっており、海外に輸出されているそうである。
オタバロに到着。オタバロはエクアドルでもインディヘナの多い町であり、 ペルー、ボリビアで見たような格好をしたアンデスのインディヘナが多い。
オタバロは小さい町である。朝市の場所には程なく着いた。8月はオフシーズンであり、8月までは朝市の人出は大変なものだったそうだが、 この日はそれほどでもないようである。
市自体は、ペルー、ボリビアであったものとさほど変わらない。面白いのは、豚を丸ごと焼いて、肉を売っているくらいである。(写真左)

旅行はまだ始まったばかりであったが、キトは帰りには戻ってこないので、早速買い物をしてみた。 屋台で売っている名物焼きバナナを食べながら回り、インカ系のグッズを買ってみた。

昼は、近くのレストランで昼食。エクアドル料理は、各地域の独特のスープだそうである。
スープをたべていると、レストランに次々にフォークローレのバンドが入ってきて演奏をする。
彼らの目的はCDを売ることなのだが、飛び入り参加のミュージシャンもいたりして、自由な感じである。

オタバロの朝市が終わり、次にMuseo Intinanに行った。(写真右上)
ここは赤道記念碑のすぐ隣にある施設である。 以前は赤道記念碑のところに赤道が走っているとされていたのだが、 GPSで計測しなおしたら、 真の赤道はこのMuseoの辺りにあることが判明し、ここは公園となったとのことである。
エクアドルならでは、いかにもありそうな話である。

赤道上では、いろんな実験が行われた。
赤道の北側、南側で水の流れ落ちる渦巻きが逆になり、赤道上では渦をまかないで落ちるとか、 重力が弱くて卵がたちやすいとか、やや眉唾のような話もあったが、それなりに楽しめた。

予定より時間を超過したので、キト市内に戻ったのはすでに夕方になってしまった。
旧市街は、独立広場(左)、カテドラル(中左)、サンフランシスコ教会(中右)、ラコンパニーア教会(右)と回って、最後にパネシージョの丘にいった。
パネシージョの丘は180mほどの丘である。 ここには1975年にスペインから部品を運んで作ったという高さ41mのマリア像がある。上に登れるようになっているが。キト市内が一望できる(写真右)。 また、市内の教会からもちょうど、マリア像が見えるように作られている。

ホテルに戻り夕食は近所のレストランで、クイ(モルモット)料理を食べた(写真右)。 クイはアンデスの伝統料理である。鳥に似た食感であるが、小骨が多く食べにくい。








ガラパゴス



9月17日

朝8:00にホテル出発。空港は市内近くにあり、ホテルからは近い。国内線のtame航空で9:30出発、グアヤキル経由でガラパゴスのバルトラ空港に行った。
3時間ほどで、バルトラ空港に着いた。国内の時差は1時間なので昼過ぎに到着となる。
到着ゲートで、すぐさま予約してあった今回のガラパゴスクルーズのフロレアナ号の女性ガイドに声をかけられた。 同行者は全員で8名。他は、ほとんど欧米の旅行者である。

ガラパゴスは、国立公園となっており、自然保護にひときわ気を使っている。観光は、必ずネイチャーガイドと一緒に回らないといけないので、 サンタクルス島のような大きな島以外の無人島には、クルーズで無いとそもそも入島が出来ないことになっている。
プエルトアヨラに行くと、実は現地でもクルージングのアレンジが出来るのだが、人集めからしなければならず、時間がかかるので、 休みが限られている私としては、今回はあらかじめ日本でクルージングを予約してきたのである。(もちろん少々値段は高くつく)

全員そろってから、バスに乗り込んで港に移動。空港のあるバルトラ島からすぐにフロレアナ号に乗り込むこととなった
港の桟橋で早速アシカの出迎えにあった。ここに限らずガラパゴスでは、アシカがいたるところにいて、しかも、逃げない。
港には、クルーズの船が沢山停泊しており、それぞれの客を乗せてディンギーが船へとピストン輸送をしていた。我々も早速乗り込んで出航となった。


乗船して少し休憩の後、ネイチャーガイドから早速初回のブリーフィングがあった。 まず、ガラパゴスの観光の原則について説明がある。
まず、動物には触れない、エサを与えない。
自然の生態系を守るという意味であり、動物に触れることを禁じるのは人間のにおいがついてしまうからだそうである。
また、各島には何も置いてこない、持ち出さないという基本原則は、ここがダーウィンの進化論の発祥となったことからも重要なことである。 各島の独立性を保たないといけないからである。
入島にはドライランディング(足がぬれずに靴を履いて入る)とウェットランディング(足がぬれてので裸足で入る)があるが、 ドライランディングの際は靴の泥も洗ってから入るという徹底ぶりである。
「貴方達が島から持ち出せる唯一のものは写真だけだ」とのこと。 実は国立公園になる前に散々人間に荒らされてしまっているのだが、学術的にも、エクアドルの観光的にもガラパゴスは重要な場所なので、 通常の観光地よりも厳しい規制があるようだ。

この日は午後から早速近くのサンタクルス島にあるBachas Beachに行くこととなった(写真左)。初の入島。ウェットランディングである。

Bachas Beachは白い砂のきれいなビーチであるが、Bachasというのは、 第二次世界大戦の際に、米軍が作った基地の名前であり、実際にビーチの一部に米軍の基地の跡が残っている。 (国立公園になったのは戦後の話なので、当然その頃に環境保護の観点があるはずも無い)
入島時早速迎えたのは、赤いカニ(Sally Light foot Crab 写真右)であり、手のひらサイズほどもある大きいカニである。
横でなく縦に歩くというふれこみだったが、確かにゆっくりと前後にも動いていくようであった。

このビーチでは、シュノーケルOKということで、早速シュノーケリングをしてみた。
白い砂が広がるビーチなのだが、砂が舞い上がるので、浅瀬のところでは、透明度が良くなかった。 まあまあ小魚はいたが、いまひとつであり明日のダイビングに期待して終了した。
水温は23-4度くらい。ガラパゴスはフンボルト海流という南極から南米大陸を上がってくる寒流の影響で、赤道直下であるというのに、水温が低く 気候も涼しい。

その後、上陸観察となった。移動するtrailはあちこちにクイが打ってあって、我々が自由に奥の方に入っていくことは出来ない。
ビーチ沿いにサボテンがあった(写真左)。ガラパゴスウチワサボテンと言うらしいが、このウチワのつく位置、形が各島によって違うらしい。 それによって、各島独自の進化を遂げるらしく、幹が高い場合、それを食べるゾウガメの甲羅は首が上に伸びれるように鞍型になっており、 そうでない場合は、下草を食べやすいように、フラットな形をするとのことである。

ビーチには、ウミガメの歩いた後が残り、その近くにはフラミンゴの集まる池がある。 そして、ウミイグアナがその近くを歩いていくというまさに野生の王国である。(写真中)
まさに別世界に来たことを実感する週間であった。

しばしの散策の後、日没近くになり、船に引き上げた。(写真右)
夕食後、船長と他のスタッフの紹介があり、同時にダイブマスターのパブロを紹介された。これから3日間彼と一緒に潜ることになる。
パブロはスキューバイグアナのスタッフであり、リクエストに応じて、クルージング船に乗り込んできたというわけである。 今回のメインの目的がハンマーヘッドであることも十分伝えておいた。
明日の朝のダイビングでは"may be"とのことである。まあ、初めからそううまくいったら楽しみがなくなる。
ということでいよいよ、明日は朝からダイビング。早々に寝て明日に備えた。


9月18日

今回のガラパゴスツアーは、上陸観察もするが、自分としてはダイビングがかなり重要な目的として考えていた。 しかし、フロレアナ号はダイビングの専門のクルージング船ではなく、午前、午後に上陸観察の時間が必ず設けられている。
実際、他のお客さんはダイビングはやらずに、上陸観察だけを楽しむ人たちであった。
しかも、午前の上陸は朝8:00からという時間設定なので、上陸の合間にダイビングをするとなると日程的にかなり厳しくなる。 実際、毎日のダイビングは早朝に一本、午後に一本という強行軍であった。

昨晩は、サンタクルス島とバルトラ島の間の海況の良いところで停泊し、翌朝ノースセイモアに到着。
朝6:00にダイビングの準備開始。ほぼ日の出と共に行動開始となる。

ノースセイモアは大物が期待できる有名なポイントの一つであり、前日のブリーフィングでも、もしかしたらハンマーが見れるかも、ということだった。
ディンギーに乗り込み、島の崖沿いにしばらく行ったところで、エントリーとなる。 ポイントに行く途中に水面から、ガラパゴスシャークを目撃。早速のお出迎えである。 うねりが強く流れているので、ドリフトダイブであり、エントリーも全員同時にバックロールで入るという感じでである。
日本のショップだったら、上級者限定となるようなポイントなのだが、他のメンバーは30-60本程度の経験であり、 それでも、全く平気で潜らせてくれた。
後は自己責任ということだろうが、海外ならではの話である。

水温は24度。透明度は15m程度だが、プランクトンが多いので、魚は多い。その分大物が出そうな海域である。
流れは確かに強く、流されながらポイントに向かうという感じ。まず、ガーデンイールのエリアに着くが、 これがまた、見たこと無いくらい大きいガーデンイールが沢山いて、しかも近づいてもあまり逃げない(写真左上)。
そのうちにまずいきなりマンタが登場。あっという間に通りすぎたと思ったら、今度はマダラトビエイが現れるというめまぐるしさである。
しかし、実はこれはその後の序章に過ぎなかった。
その後、さらに流されていくと、大きな根に到着。そこは、マダラトビエイが5-6枚乱舞しており(写真右上)、 何匹いるかわから無いほどのホワイトチップ(写真右)が泳ぎまくるというとんでもないポイントであった。
しばし岩につかまって、そのまま眺めていたが、大興奮である。サメも、エイも我々が来ても逃げる様子もなく、近くを悠々通り過ぎる。
シャッターチャンスは数限りなくあった。
しかし。ふと見るマクロも、見たことの無いウミウシ(Mulliner Doris:写真左)がいたりして、思わず写真を撮ってしまう感じである。

タンクはアルミの14リットルという馬鹿でかいものであり、初心者にもエア切れの心配は全く無い。 というわけで、この状況で60分のダイビングが出来た。
ハンマーは見れなかったけど、十分満足のダイビングであった。

エキジットして船に戻ったら、すでに7:45。上陸観察があるので、片付けもそこそこに、朝食を食べて、すぐさま上陸となった。
これは、この後毎日こういった状態であったが、さすがにあわただしい。

ノースセイモアは、周囲が崖であり、ディンギーをつけたところから、岩場を登って上陸するという感じであった。ドライランディングである。
まずアシカに遭遇(写真左)。これがガラパゴスでの初アシカであった。(この後アシカはいやというほど見れた)
アシカは愛嬌があり、人間が来ても全く逃げない。つい触りたくなるが、それは厳禁となっている。
ちなみに、アシカとアザラシの区別は耳の形と、乳頭の数だそうである。(ネイチャーガイドが教えてくれた)

この時期、ガラパゴスは乾期であり、やや寒々とした絶海の孤島という感じである。 ここは、野鳥の楽園でもあり、カモメにガラパゴスでは定番であるアオアシカツオドリなどは普通にいる(写真右)。
ノースセイモアでは特にグンカンドリのコロニー(写真中)があって有名である。こういった野鳥の生態についてもネイチャーガイドが詳細に説明してくれた。


しばらく、歩いていくと、リクイグアナに遭遇した(写真左)。 昨日のウミイグアナと大きさは同じだが、体色が違う。

このリクイグアナは本来バルトラ島にいたもので、セイモア島にはいなかったらしい。
それを、研究者が実験的にセイモア島に移動させてきたものとのことである。
その後バルトラ島のリクイグアナは米軍が駐留したときに、射撃の的にしたりして絶滅してしまったので、 結果的にバルトラのリクイグアナがセイモア島に残ったということになったそうだ。
国立公園となり、いまは厳しく守られているガラパゴスだが、それ以前には人間の手で相当自然は破壊されてしまっているわけである。
島ごとの独自の進化の歴史の長さを考えると、破壊するのがいかに簡単なのかがわかる。
サボテンも昨日のBachas Beachとは形が違う。まさにダーウィンの進化論である(写真右)。

上陸観察を終えて、船に戻りサンタフェ島に移動となる。
午後のダイビングは、15:30頃からサンタフェ島で行った。
水面のコンディションは良かったが、かなり厳しいドリフトダイブであり、岩につかまっていないと容易に流される。
通常海外のダイビングでは、グローブをしない場合が多く、現地アシストの女の子がグローブをしているのをみて、 珍しいなあと思っていたのだが、その理由はこういうことだったようだ。
大物はあまりいないポイントだったが、Razor Surgeonfishの群れはきれいだった。(写真左)他にはKing Angelfish、Mexican Hogfishなどであった。
水温23度、透明度はいまひとつで10m程度。マクロを探そうにも、流れが速く余裕はなかった。

船に上がって、夕方から午後のランディングとなった。サンタクルス島のプラサスにドライランディングである。
プラザスはアシカのビーチである(写真右)。 朝のランディグでアシカをみたものの、ビーチ一杯アシカで埋め尽くされたようなところに来ると、さすがにびっくりする。
ここは、アシカの繁殖所だそうで、子供のアシカが沢山いる。 アシカはたいてい寝ているので、ちょっと見ると死んでるんではないかと思うものもあるが、ふとした拍子に起きてきて安心する。
しかし、中には骨になったアシカの死体もあるので、死んでいるものをいるようだ。
ビーチにいるアシカには外敵はないのか、全くといっていいほど警戒心がない。
実際以前は最大の天敵は人間であったはずなんだけど。

日没前に船に戻る。明日のブリーフィングはエスパニューラ島。夜間に移動するらしい。 船酔いする人は酔い止めの薬を飲んでおいたほうが良いといわれたので、船長に薬をもらった。
その後夕食をたべて、睡眠。時差に慣れず、まだ時間が変だ。


9月19日

ガラパゴスクルージング二日目の朝となった。 この日も例によって6:00起床でダイビング準備となる。
船は夜半まではサンタフェ島にいたが、夜中に移動を開始し、朝にはエスパニョーラ島に着いた。
幸い船酔いはしなくて快調な目覚めであった。

本日の一本目は、ガードナーリーフ。一日2本のダイビングだが、朝のポイントが基本的に大物狙いなので、期待できる。

うねり、流れは昨日同様に強い中エントリーした。
まず、マダラトビエイ(写真左)に遭遇し、その後アオウミガメ(写真中)を遠くに見たあと、ダイアモンドスティングレイ(写真右)に接近遭遇。 これはなかなか見ごたえがあった。
その後、アシカが現れて別のアオウミガメと今度は接近遭遇。 Gulneafowl PufferのGolden phase、Long nose Pufferなどの小物を見てエキジットとなる。
まあまあのダイビングだった。

船に戻って、朝食後、午前中はエスパニョーラ島のガードナーベイにウェットランディング(写真左)。 しかし、我々はビーチのみにしか立ち入りはできず、奥には入っていけないらしい。

このビーチは、ひたすらアシカがいる。観光の人間よりアシカのほうが多く、明らかに主役である。 アシカは、愛嬌があり、見ていて飽きない。
景色もよく、海もきれいでのんびりできる場所であった。午前中の上陸は細かなガイドもなく、のんびりタイムとなった。

二時間程度ビーチでまったりとして帰船。その後、スキューバチームはダイビングの準備、 他の客の希望者はシュノーケリングタイムとなった。
二本目はガードナーアイランド。ドリフトダイブである。水温は21度とやや低い。
この二本目は、Red-lipped Batfish、Mexican Hogfishに、途中アシカが寄ってきたり(写真右)、アオウミガメが来たりといった感じ。
ドリフトダイブといっても、流れが緩やかだったので、のんびりダイブであった。パブロは「さえないダイビングだった。」といっていたが、 まあ、いつもいつも大物狙いのハードダイビングでは疲れてしまうので、たまにはこういうのも悪くはない。
それでも、最後に現れたBlack Stripped Salemaの群れは見事だった(写真中)。

昼食をとって、しばらく休憩。私は時差の関係もあり、爆睡した後、午後のランディングとなる。
エスパニョーラ島の反対側に行き、プンタスアレスにドライランディング。ややハードなトレッキングとなる。
ここでは、カニとウミイグアナの出迎えの後(写真左)、歩を進め、アオアシカツオドリ、Masked Booby(写真右)、Galapagos Hawk、アホウドリなど多くの鳥をみた。
ここは、野鳥の楽園であった。風も強く、野鳥が乱舞する様は、まさに絶海の孤島である。先に行くと、断崖絶壁となり、 寄せてくる波が岩の隙間からしぶきとなって吹き上がる迫力の光景が広がる。

午後のランディング後、船に戻り、エスパニューラ島の沖合いで停泊した。明日はフロレアナ島に移動する。
パブロが、毎日朝早いのに気を使ってくれたのか、明日の朝は起床時間が6:10に変更となった。(大した違いはないけど)



9月20日

クルージング3日目の朝となる。船はフロレアナ島に到着した。
前夜の移動でやや船酔い気味で調子悪い。
ダイビングは最終日であり、この日の朝が最後のハンマーチャレンジでもある。
ポイントはEnderby。パブロの話では、かなり期待できるポイントであるようだ。
いつもは潜らないイスラエル人のガイも今朝は特別参加で一緒にもぐることとなる。

ディンギーを出すが、いつにも増して、波が高くうねっている。
この日はほかの団体も来ていて、先を越されてしまった。 そのためか、パブロはさらにディンギーを回りこませてからエントリーした。
激しいドリフトダイブだったが、まずアシカに遭遇した後、エンゼルフィッシュの群れ、Black stripped salemaの大群(写真中左)、 バラクーダの群れ(写真右)がひしめくエリアに入る。
ここは確かにすごいポイントであり、魚は逃げないので、群れの中に完全に入って、360度魚の世界にいることができる。
パラオのブルーコーナー並みのすごさである。
そして、さらにwhitetipが何度か現れ、アシカも泳いでいくという中、パブロはかなり粘ってくれて、 最後は、寒くなるほど60分のダイビングであったが、残念ながらハンマーは見れなかった。 しかし、十分楽しめたポイントであった。

この日午前の上陸は、プンタコルモランドにウェットランディング。
フラミンゴの池をめぐったが、少し遠めであり、初日に近くでフラミンゴを見ているので、いまひとつという感じであった(写真左)。
その後、ビーチに行き陸上からウミガメを目撃した。 このビーチはウミガメの産卵場所とのことで、砂の上にウミガメの歩いた跡が残っていた。
そして、磯にはカニである。このあたりになると、すべての生き物は一度みたことがあるので、新鮮味はない。 天気もいまひとつで、早々に船に帰った。

その後二日目同様、ダイビングチームとシュノーケルチームに分かれて、準備。
二本目のポイントはデビルズクラウンという、海底火山のカルデラが水上に現れている場所であり、 流れが速く、カルデラの外側をドリフトで流れながら潜ることになる(写真右)。
流れは速く、なにもつかまらないと10分ほどで流れていってしまうらしい。
よって、途中岩場につかまりながらのダイビングとなる。
というのが、当初のブリーフィングだった。

しかし、実際は潜ってみると、まったく流れがなかった。となると魚もいないことになるが、実際大物は現れなかった。
シュノーケル組はカルデラの中で潜っていたが、小雨も降ってきて、やや寒いので、早々に戻った。
これで、ダイビングは終了。まあまあ満足のダイビングだったが、ハンマーに関しては残念であった。 またの機会に期待である。

午後のランディングはポストオフィスという場所にウェットランディングであった。 この場所には目立った生き物はいない。 ただ、ポストオフィスという各国の船がそれぞれの国から持ち寄った手紙を置いて、 自分達の行き先の国宛の手紙を持っていき投函するという場所がある(写真左)。
文字通りポストオフィスである。
気の長い話で確実に届くかどうかは怪しいものだが、ありがちな話ではある。
ポストオフィスに近辺には、船から廃棄されたと思われるドラム缶などがおいてあり、落書きがしてある。
その中に大きく日本語で目立つ落書きが書いてあったが、あろうことか「Japon」とまで書いており、 ちょっとどういう神経か疑われるとともに、日本人として恥ずかしい限りであった。

その後帰船し、船はサンタクルス島のプエルトアヨラへ向かい、夕食後8:00過ぎにはプエルトアヨラに停泊した。
クルージングとしては、これで終了なのだが、今夜の宿泊は船の中であり、明日の朝下船となるスケジュールである。
ほかのメンバーは明日キトに帰るが私はプエルトアヨラでさらに一泊することとなる。
その夜はプエルトアヨラで一時下船が許可された。ディンギーで港に向かう。
プエルトアヨラの町に行き、インターネットカフェに行ったり、レストランでお茶をしたりして、一時間ほど時間をつぶした。
ここ3日間クルージングでゆれながら生活していたので、陸上に上がってもややゆれてしまう感じである。 しかし、久々の陸上生活はほっとした。



9月21日

本日でクルージングは終了。 いつもながら朝早く6:30に起床。 船からの日の出(写真左)をみた。
6:45に朝食を食べて、パッキング。港には多くの鳥がいて、船の周囲は鳥だらけである。(写真右)

7:30に下船、プエルトアヨラの港に上陸した。
タクシーで港からそのままチャールズダーウィン研究所に移動した。いよいよゾウガメとの対面である。
ガラパゴスのゾウガメは乱獲されて、食べられたり、油をとられたりして、今では野生のゾウガメを見るのは難しくなっている。
実際我々が回った島では見ることが出来なかった。
今では、このチャールズダーウィン研究所で繁殖をしている状態である。 ゾウガメは各島で独自の進化を遂げているため、繁殖も島ごとに行う形になるが、 すでに絶滅してしまった島もある。
チャールズダーウィン研究所にいる、 有名なロンサムジョージもピンタ島の最後のゾウガメだが、近似の種のメスを入れても全くその気にならず、繁殖は絶望しされている。

ゾウガメは1回に7-8個の卵を産む。 野生では、外敵によりそのうちの一個が生き延びるに過ぎないわけだが、この研究所では、全部を人口で孵化させて、 ある程度の大きさになるまで育ててから野生に戻すという作業を行っている。
飼育したゾウガメにはタグが付いているわけだが、調査をすると、タグの無いゾウガメも発見されるとのことで、野生で繁殖しているものもいるらしい。

ロンサムジョージを見て、鞍型の、ドーム型の両方のゾウガメを見て、ダーウィン研究所は終了となる。

クルージング仲間と別れて、プエルトアヨラの町にあるホテルフェルナンディーナにチェックインする。
このホテルは、現地ツアーでアレンジしてもらったが、市の中心から離れていて、不便である。 だからこそ、高いホテルだが、宿泊代をディスカウントして、ツアーで使われるのであろう。
しかし、安宿のほうが、繁華街に多くあり、便利である。
プエルトアヨラの町中にはとラベルエージェンシーがいくつかあり、ガラパゴスツアーのクルージングをアレンジしている。
多くのオプションがあるので、時間があれば、プエルトアヨラにきてからクルージングをアレンジしても全く問題なさそうであった。

クルージングの間は朝6:00起きのダイビングで、2ダイブ、2上陸観察というハードな日程であり、疲れていたので、 この日は全くの休養日とした。
サンタクルス島の観光というのも可能だったが、街中をぶらぶらして買い物をしたり、長い昼食を食べたり、昼ねをしたりしながら過ごした。
残念ながら、明日の朝も7:30ピックアップなので、早起きとなる。つくづく、早起きのツアーである。


グアヤキル

9月22日

朝6:30に起床。パッキングをして7:00に朝食。 その後、近くの公園で時間をつぶす間に、ダーウィンフィンチを見かけた。(写真右) ピックアップが7:30にホテルに来てそのままバルトラ空港に向かった。
サンタクルス島のタクシーは、皆ダットラであり、表示も無い。荷台に人が乗れるようになっているが、実際乗っているのは見なかった。 この辺りアフリカとは違うのかも知れない。

サンタクルス島からバルトラ島にはフェリーで渡るが、距離は100m程度である。
バルトラ側に着くと、バスが待っていて自動的にそれに乗り換えることとなる。 桟橋から空港まではわずかな距離であり、すぐ着いた。

さて、問題はグアヤキル行きの飛行機である。もともと10時30分発の便で予約を入れていたはずだったのだが、 昨日確認したら、その予約が23日であることが判明。こちらも確認していなかったのも悪かったのだが、 とりあえず、間に合うように空港に行ってみて、交渉してみるということになっていた。
チェックインをしてみると、やはり、一便は予約が一杯ということ。12時30分発の二便でチェックインすることとなった。

ただ、一応一便でキャンセルが出ることも考えて、ウェイティングだけはかけておいた。
空港の近くには、土産屋が並んでいる。(写真左)そこで買い物をしながら待ったが、結局キャンセル待ちは難しく、空港で長い時間をつぶすこととなった。
やはりガラパゴスはツアーで動いている人たちが多いので、なかなかキャンセルは出ないのかもしれない。

空港の外の売店には、パスポートにガラパゴスのスタンプを押してもらえる店がある。 これはオフィシャルなものなのかどうか不明であるが、店のおじさんが押してくれた。 今回パスポートは新しくなったので。査証欄の余裕は十分である。
売店でクルージングで一緒だったイスラエル人のガイに再会した。彼は、下船した足で、昨日ゴードンロックツアーに行っていた。
そして彼の話では、ゴードンロックでハンマーを見たそうである。我々が6本潜って見れなかったものを、彼は2本で見たというわけである。
さすがユダヤ人は抜け目無い。

その後、みやげ物を買いながら暇をつぶして、12時30分発のtame192便でグアヤキルに行った。

グアヤキルには15:30に到着。空港にはホテルから迎えが来ており、マイクロで市内に向かい、グランドホテルグアヤキルにチェックインする。
このホテルはロケーションとしては、市内の中心、カテドラルとセミナリオ公園の裏にあり、申し分ない。

グアヤキルはこの日だけなので、早速観光に行く。効率よく回る必要があった。
ホテルの裏にある、カテドラルとセミナリオ公園にまず行った。 カテドラルはキトで世界遺産の教会を見てきた目からすると、さほど新鮮ではない(写真右)。
セミナリオ公園は通称イグアナ公園と呼ばれ、市内の真ん中になりながら、イグアナが放し飼いになっているというのが有名な公園である。
しかし、ここも、ガラパゴス帰りの身にはたいしたインパクトは無かった。

その後、グアヤス川沿いにあるマレコン2000通りを歩いて行った。
グアヤキルはエクアドル第二の都市だが、人口はキトよりも多い。町並みはヨーロッパ風であるが、都会である。 観光都市というより、普通の町であり、土産物屋などを探すのは難しい。
時間がもったいないので、歩ける距離ではあったが、そこからタクシーに乗って、工芸品マーケットに行った。
タクシーは市内の移動はほぼ1ドルである。安いのでケチる必要も無い。

工芸品マーケットは、オタバロの朝市と同じようであり、インカのみやげ物などを売っている。 Tシャツなどは、言い値が8ドルで値切って7ドルであった。空港近くの土産店では、言い値10ドルで値切って9ドル、 プエルトアヨラでは、言い値10ドルでなかなか値切れないという感じだったので、確かにグアヤキルのほうが安い。
しかし、工芸品マーケットだから仕方ないが、いわゆる土産屋とは違うので、服くらいしか買うものは無い。 オタバロに行った後ではさほど物珍しいことはなかった。

その後、サンタアナの丘に行った。440段の階段を登っていくと、上には展望台があり(写真左)、グアヤキルの町が一望できる。
ここは以前スラムだった地域であり、国策できれいな町によみがえらせたところである。建物はパステルカラーで統一してある(写真左上)。
そして、建物の壁には、以前のスラムのときの写真が張ってあった。

ここから、タクシーでホテルに帰る。 ホテル周辺を散策するが、土産屋みたいなものはない。単なる普通の町である。 みやげ物をガラパゴスで買っておいてよかったと思う。

夜はグアヤキル名物のマングローブガニを食べに行った(写真右)。 味は大味でが、確かにカニである。全てにわたり量が多いので、食べきれなかった。
まだ、船酔いの影響が残っているかもしれない。



ニューヨーク

9月23日

グアヤキルのホテルを朝5:00にチェックアウト。5:10に空港に向かう。 この旅行は毎日早起きであったが、この日のこの早さは決定版である。
7:45発のニューアーク空港行きでニューヨークに向かった。
順調に飛行していたが、ボルチモア付近でニューヨークの上空の天気が悪く、このままでは着陸までに上空でかなり待つ必要があるとのこと。
一旦ボルチモア空港に降りて待機するとのことになる。
本来ニューヨーク到着が15:30だったのだが、ボルチモアに15:20に着陸することとなる。
最悪、ここでおろされることも考えたが、ニューヨークから300km、電車で2時間半、バスで3時間かかる場所である。 観光するにも何もなさそうな場所であり、何とかニューヨークまで行きたいところである。
着陸してしばらくそのまま待ち、4時過ぎにようやく再離陸となった。結局ニューアーク空港には5時頃到着となる。 結構なアクシデントだった。

ニューアーク空港では@ニューヨークというネットで探した日本人経営の会社に空港でのピックアップを頼んでいた。 マンハッタンの市内まで相乗りタクシーで45$というのは、決して安くはないが、一人でタクシーに乗るともっとかかるそうだ。 地下鉄ではマンハッタンにいけない空港なので、まあ仕方ないところである。
実際は他の客がいなかったので、相乗りではなかった。

ホテルは同様にネットで手配したHotel 41 at Times Square。 タイムズスクエアに近いという立地だけで決めたのだが、一泊150$かかる。ニューヨークのホテルは高い。
もともとトランジットの時間だけの観光なので、無駄な時間はない。よって、日本でアレンジできるものは日本で予約しておいた。
@ニューヨークで、ミュージカルのチケット(ライオンキング:111US$)とエンパイアステートビルの展望台の入場券(15US$) も頼んでおいたので、着いてからの行動に迷いはなかった。
夕食は話のネタに、狂牛病入りの米国Yoshinoyaの牛丼(BBQdon)を食べてみた。5ドルの設定なので、料金は日本より高めである。

そして、20:00にライオンキングを見に行った。私はミュージカルはブロードウェイでしか見たことが無いが、ど派手な演出は素人目にも十分楽しめる。
ストーリーは知っているので、英語が聞き取れなくてもOKである。なにせブロードウェイだから、 端役をしている人もそれなりな人なんだろうなと思いつつ、鳥とか、草とかやっている人も大変だなあと思いながら見ていた。
22:30過ぎにニュージカル終了。その足で地下鉄でエンパイアステートビルへ行った。
セキュリティがうるさいのは9.11の影響だろう。展望台へ行って夜景を見るが、 エンパイアステートビルがないニューヨークの夜景であるから、よく考えるとどうなんだろうとも思った。 本来、他のビルからエンパイアステ−トビル入りの夜景を見たほうがよいのではないかとも思う。
タクシーでホテルに帰り睡眠。翌朝のピックアップも7:30。つくづく朝早い旅行である。



9月24日

ホテルを7:30にピックアップでニューアーク空港へ行った。チェクインした後、少し買い物。 昨日のYoshinoyaの牛丼があたったのか、腹具合が悪い。
ニューアーク空港では試験的に一度チェックインした後、 搭乗前に再度指紋をとって再チェックをしているという。ただ、試験的なものなので、やらなくてもどうにかなるとのこと。
再チェックのアナウンスを無視して搭乗したが、実際パスポートの写真の提示を求められたのみで問題はなかった。
ということで、今のところは、不快な指紋押捺を無理してやる必要は無いということである。

その後は順調に帰国。懸案のガラパゴスであったが、結構金を使ってアレンジして行ったので、現地の自由度があまりなく、 自由旅行としては物足りなかったが、ガラパゴス自体は十分楽しめた。
まあ、懸案の場所は、どこも行きにくいから、懸案で残っているので、仕方は無い。
本来、南米はもっと時間をかけて回るべきだと思う。