エジプト

2002.1.17-1.22


カイロ

カイロの到着は12時すぎであった。 入国に時間がかかった。ビザは切手のようなシールを15US$で買えばよく、空港で手に入る。 現地通貨は£であり、150US$=612£である。

入国してすぐにトラベルエージェンシーにつかまった。 この手のトラベルエージェンシーはエジプトでは悪名が高く、ガイドブックにも書いてある。 聞いてはいたがすかさずの登場であった。
チケットの変更で、KLMのオフィスにそのとき行きたかったので、KLMを目指したら、 このトラベルエージェンシーが、KLMは別のターミナルだという。 そして、自分が連れて行ってやるから一緒に来いというので、これはおそらくあとでもめるのが分かっていたが、 どうなるかというのも面白いのでついていった。
行った先は確かにKLMのオフィスであったが、すでに閉まっていて、奥にいる係官にきくと、 予約の変更はここでは出来ないとのことである。
そして、市内にあるKLMのオフィスに行けば何とかなると言うことになった。 すると、そのトラベルエージェンシーが車で連れて行ってやるという。 さすがに、ここで、これにつかまったらもうだめだろうと思ったので、
「市内のオフィスなら自分でいけるから、もう良い。」といって突っぱねた。 すると、やはり色々食い下がってくるので、
「自分はバスで市内にいくので、放っておいてくれ」というと、
「分かった。ならターミナルの移動代に5ポンド払え」と言ってきた。
ちょっと頭にきたので、小額の金額だが、
「俺はお前に一度もオフィスに案内せよとはいっていない。お前が勝手にやっただけだ。金を払う気はない」と突っぱねてみた。 すると、色々行ってくるが、とにかく金は払わないの一転張りで突っぱねると、
「もし払わないのならポリスを呼ぶ。」というので、
「呼べるものなら呼んでみろ。俺はちっとも悪くない。」と言って、しばらくもめていたが、こっちもポリスが来ると面倒なので、
「分かった。お前がレシートを書くなら払ってやる」ということにして、5ポンドを支払い、
「ではレシートにお前の名前と旅行会社の名前を書け。」というと、書こうとしないでごまかそうとする。
「おれはとにかく、お前の名前とお前の旅行会社の名前の入ったレシートがほしいのだ」しつこく言って、 書かないのならお前の写真を取るといって、デジカメを出し、顔と名札の写真をとろうとすると、非常に抵抗した。 向こうも私の意図を知ったらしく、
「お前は私の会社にトラブルを起こそうとしている」という。こっちも、
「お前が今日したことを、お前の名前と会社名で皆に知らせるだけだ。 お前が間違ったことをしていないのならなんら問題はないだろう」というと、ついに観念したのか、払った5ポンドを返してきた。 ということで、余計な時間をとったが、ようやく勝利した。

このように、こういう輩は放っておくとどんどん付け上がるので、たまには鉄槌を加えてやらないといけない。

そして、エアコンつきのバスで2ポンドで市内まで行く。普通のバスでは0.5ポンドである。 本来の物価はこんなものなので、無料シャトルバスがでているターミナル間の移動に5ポンドするはずがない。
市内のタハール広場に着き、宿まで荷物を持て移動するのが面倒なので、2ポンドでタクシーを拾い、 日本人宿であるSafari Hotelまで行った。
ビルに入っていくと、Sultan Hotelが2階にあり、Safari Hotelは5階にあった。 しかし、荷物が重く上の階に上がるのが面倒だというそれだけの理由でSultan Hotelに変えることにした。 この辺、学生時代なら、間違いなく、5階まであがったのだが、根性が無くなったようだ。 ちなみにSultan Hotelは一泊8ポンドのドミトリー。Safari Hotelは6ポンドである。


ギザ

翌日、朝6時に起きるはずが6時半になった。 その時点から、マイクロバスに乗りギザのピラミッドを目指した。
ギザにつくと周囲は霧の中であり、何も見えない。よってピラミッドもどちらの方角か分からない。 散々迷った挙句に、ようやくピラミッドの入り口に着いた。この時点で7時過ぎになっていた。 ガイドブックによると、7時にいって並ばなければ、ピラミッドの中に入るチケットが売り切れると書いてある。
しかし、この入り口の店の親父が、8時にならないとゲートは開かないと教えてくれた。 寒いこともあり、この店でシャーイを飲みながら待つことにした。
そして、7時45分ころゲートが開き中に入る。しかしこの時点でも周囲は全く何も見えない。 そして、ピラミッド用のチケットを買った。並んでる人など全くいない。問題なくチケットが買えた。
そして、クフ王のピラミッドの前まで行ったがいまだに何も見えない。 しょうがないので、とりあえずクフ王のピラミッドの中に入ることにした。 ここは一日150人限定なのだが、この寒さとテロ以来の昨今の観光客減の状況から、楽勝でチケットが取れた。 ここで、日本人の学生二人組に会い、1、2、3番を日本人で占めた。そして、一番に中に入る。
期待したほど、中はたいしたことは無く、棺のある部屋まで狭い通路が延びているだけである。 わざわざ並んでチケットを買うほどのものでもない。
すぐに終了し、外に出た。相変わらず寒い。しかもいまだピラミッドの全景は見えない。

その後、近くにある警察の休憩所に行きシャーイをご馳走になる。 パレスティナなら、当然のこと無料だが、ここエジプトの観光地は何でもバクシーシであり、ちゃんと1ポンド取られた。

その後も霧が晴れるまで室内物しか観光できないので、次にクフ王の太陽の船博物館に行った。 ここは、クフ王のために作ったと思われる大きな船が発掘されたところにそのまま博物館を作ったものである。 14年かけて43mの巨大な船を復元したという。時間をつぶすには良いところであった。

その後メンカウラー王のピラミッドに行くが、ここは中には入れなかった。 そして、そこから、カフラー王のピラミッドに行った。いまだ霧は晴れない。
カフラー王のピラミッドは中に入れた。10ポンドで入場、カメラ代さらに10ポンド。出るときにバクシーシ1ポンド。
この辺がエジプトである。

ギザの土産屋の勧誘は、非常に悪質で多くの被害を出しているようである。 現在のトレンドは、まず勧誘して、断ると、「プレゼントだ」といって、小さな商品を渡す。 断っても、「no money」と言って渡してくる。 そして、受け取ると、それをきっかけとして、あれこれ話しかけてきて、最終的には高額のバクシーシを要求する。
こういったパターンであった。
それを逆にとって、一度、アガールをプレゼントだといって渡してきた男がいたので。 「ありがとう」と言って、散々写真を撮らせた挙句に、「じゃあね」と言っていなくなろうとしたら、あわててバクシーシを要求してきた。 そのまま、無視しても面白かったが、その場合は絶対引き下がらないだろうから、「じゃあこれはいらない」と言ってアガールを帰して、 終了した。もちろんバクシーシは払わない。
本当に、親切でやってもらったのならともかく、勝手にいろいろやってバクシーシをよこせというの本来はおかしな話なのだから、 そんなものは払う必要がない。 ということで、こういう連中はもっともっと痛めつけなくてはいけないと強く思った。

貴族の墓やら、周囲の遺跡を見て、10時過ぎになると、ようやく少し、霧が晴れてきた、しかしまだピラミッドの頂上は見えなかった。
11時半ころになり、暖かくなってくると、ようやくピラミッドの全景が見えた。 しかし、もやがかかっているような感じで、いまいちな感じで結局ここまでと判断した。
今日は日が悪かったようだ。
最後にスフィンクスをみて、ギザは終了とした。 その後、スフィンクスの前のケンタッキーに行って食事をしながら天気の回復を待つが、 結局もやがかかった状態でそれ以上改善はしないということを確認。これで、ピラミッドは完全に終了とした。
例の学生達にここでも会い、他のサッカーラなどのピラミッドに行くかどうか訪ねられたが、 この天気ではどこに行っても期待薄ということで、やめて、カイロに戻ることとした。
そして、バスで0.5ポンドで2時過ぎにカイロに帰った。



カイロ

カイロに戻って、とりあえず、王家の埋蔵品で有名なカイロ博物館に入った。
ここの圧巻は、写真にもあるツタンカーメン王のマスクや棺である。 博物館の一画に、ツカンカーメンコーナーがある。 よく社会科の教科書にも載っているようなものであるから、さすがに見ごたえがあった。
しかし、他のピラミッド関係の埋蔵品は大英博物館でも結構見ているので、私にとってはさほど珍しくはなかった。
その後、宿に帰って、ルクソール行きの手段を聞くと、バスよりも列車のほうがよいというので、 駅に行き翌日の夜行列車を手配しようとした。
しかし、10時発の夜行はすでに1,2等ともフルとのこと。ここでも、学生時代なら、迷わず一日予定を延ばしたのだが、 今は金より時間であるので、高級寝台車の手配をすることにした。
値段は291ポンドというとてつもなく高い列車である。普通の夜行は60ポンド程度なので、その高さは尋常ではない。 しかし、時間は待てないので、先を急ぐことにした。

翌日はシタデルという、イスラミック地区に観光に出かけた。
シタデルまでタクシーで3ポンドで行った。 入場料は20ポンド。
有名なモハメドアリモスクや、刑務所、軍事博物館などを見た。 ここのモスクでギザのピラミッドで合った学生に再びあった。こういうことは、個人旅行ではよくあることである。
シタデルはなかなかいいところであった。高台にあるのだが、ここからカイロの町が見渡せる。 のんびりした旅行なら、十分丸一日つぶせる。

その日の夜 カイロ発の夜行寝台車で8時半にカイロを出た。
300ポンド近くの大出費なだけあって、かなりの贅沢な列車である。 コンパートメントは二人用であるが、客がいないので一人で占領できた。
夕食もついてきて、お茶は別料金だったが、なんと朝食まで付いてきた。 また、電気も使えたので、各種電化製品の充電もすることが出来た。



ルクソール

ルクソールに着いたのは朝の5時。4時半に起こされて朝食を食べるというあわただしさはしょうがない。
この後、アスワンに行くことも考えていたので、駅でアスワン行きの列車を調べてみた。 すると、自分の乗ってきた夜行列車にアスワンまで45ポンドで乗れることが確認でき、、 最悪明日の朝にこれに乗ればアスワンにいけることが分かったので、この時点でルクソールは一日で終わりにすることにした。
そのあと宿探しをして、Hotel El Salamという日本人用安宿に部屋を取った。 早朝であったが、その日のルクソールツアーに参加できるということを確認して、8時半の出発まで仮眠をとった。

8時半ちょっと前に起床して、ルクソールツアーに参加した。 値段は、学生だと40ポンドのところを、成人だと94ポンド、ニフェルタリの墓に行くとさらに120プラスという値段設定であった。 このあたり、十分調べる時間が無かったので、どうなのか全く分からない。
この宿から一緒に行ったのは、なんとカイロのピラミッドであった日本人学生二人組と、ここで始めてあった日本人の計4人であった。 この宿も日本人宿なので、集まるところにはやはり集まるようだ。
他にバスの中で韓国人カップルとアメリカ人二人組で総勢8人のツアーである。

まず、王妃の谷に行き、ラムセス三世の息子の墓や、王妃の墓に入った。 オプションのニフェルタリは高かったが、定評があるということで、結局行くことにした。
ニフェルタリの墓は彩色がきれいであり、これは修復したとのことだが、当時の色がしのばれて確かになかなかよかった。 しかし、120ポンドと言う値段に見合っているかどうかは別である。

その後、王家の谷に行く。ここでは王家の墓3箇所と、追加料金40ポンドでツカンカーメンの墓に行くことが出来る。 ツアーのメンバーも、日本人3人以外は皆行かないようで、たしかに墓の規模も小さいので、今回はツタンカーメンには行かないことにした。

まず初めにラムセス9世、その後ラムセス3世。最後にラムセス4世と墓を回った。 規模的にはラムセス3世が一番大きく、色的にはラムセス4世がよいということである。
しかし、入れない墓もあり、定評のあるラムセス6世の墓には行かなかった。

この後、昼食タイムとなり、パピルス屋につれていかれて、昼食のサンドイッチを食べながら、パピルスを見た。 ツアーではよくあるいつものパターンである。 そして、白人達が沢山土産を買うのもいつものことである。
その後は、時間の関係でハトシェプト葬祭殿とラムセス3世葬祭殿の選択となったが、ガイドがラムセス3世のほうを勧めるので、 そちらに行くことになった。
行く途中ハトシェプト葬祭殿はバスから眺めて写真を取り終了となった。そして、ラムセス3世葬祭殿に着いた。
ここは規模がかなり大きい葬祭殿であり、ルクソールでは最も見ごたえがあった。 ガイドがいると、壁画や建物の説明をしてくれるので、遺跡系の場合こういったツアーはお得である。 そうでないと、何を見ても、皆同じに見える。

そして、ツアーは終了した。 すでに4時半。もうルクソールはこの日で終わりにしてアスワンに行くつもりだったので、 ここからタクシー5ポンドでカルナック葬祭殿に行った。入場料は20ポンドであった。

ラムセス3世葬祭殿を見た後では同じような感じである。しかし、こちらのほうがさらに規模は大きい。 しかし、ガイドがいないので、見るだけならとっても早く終わる。
そして、再びタクシーでルクソール神殿に戻った。もう少し日が傾きはじめていたが、ルクソール神殿を一通り見学した。
そうこうするうちに、日没となり、ナイル川に沈む夕日を見て、宿に帰った。 充実した観光であった。というか、忙しすぎるきらいもある。
宿に帰ってから、早速アスワン行きの手配を始めた。そして、駅に行くと夜の10時に列車があるという。 切符は列車内で買えということなので、一旦宿に戻った。
その後、今日一緒だった例の日本人二人組と一緒に夕食を食べた。
このとき見た宿帳にはアブシンベル行きのツアーが早朝4時にあるという。 夜のうちに行けばこれに参加できるかもしれないということになる。
また、マルワホテルというのがお勧めだそうで、日本人宿でもあるそうだ。 こういった情報が容易に手に入るのが、日本人宿のメリットである。
ルクソール行きの列車の出発は10時なので、それまで時間をつぶし、 宿の近くのシェイク屋でバナナとマンゴーとイチゴとオレンジとりんごのシェイクを食べた。 これは贅沢で非常においしい。
帰って来てシャワーを浴びて、着替えて駅に向かった。 駅までは5分もかからない。あわただしい一日であった。



アスワン〜アブシンベル

出発は10時のはずだったが、少し遅れて10時15分ころルクソール駅を出発した。 そして、アスワンに着いたのが、1時半ごろであった。
そこから宿を探したが、マルワホテルは行ったが、フルだと言うので近くにある、aminホテルに泊まった。
トリプルのシャワーなし部屋が25ポンドと高く、部屋も汚い。しかも電気のプラグが使えず、種々の充電が不能である。 文句をいったら、プラグだけ、工事中の部屋を使わせてくれた。
プアなホテルだが、深夜で他を探すのも面倒で、しょうがないので、とりあえず泊まることにした。
翌朝のアブシンベルツアーにこれから参加できるかどうか聞くと、ツーリストポリスが朝8時にならないとあいていないので、 4時からのツアーは今日は無理だとのことであった。 考えが甘かったようである。
ということで、眠かったこともあり、その晩はそのまま寝た。

翌朝は8時過ぎに起床した。
アブシンベルの飛行機が今日飛べるかどうかをホテルの従業員に聞いたら、トラベルエージェンシーを紹介してくれたが、そこは休みであった。 そして、いくつかのトラベルエージェンシーを回るうちに、結局エジプト航空のオフィスに着いた。 アブシンベル行きの飛行機は、あとは今日は10時半発のものしかないが、乗れるかどうかは空港に行って待ってみるしかないとのことであった。 この飛行機は自由席であるので、定員ぴったりと言うことはありえない。おそらく大丈夫ではないかと言う予想の元、空港で待つことにした。
そして、空港ではエジプトマネーしか受け付けないということで、100ドルを両替した。 100US$=460ポンド。レートはちょっと良い。
その時点で、すでに時間は9時過ぎであったので、そこから宿に戻らず、直接空港にタクシーを飛ばして乗りつけた(20ポンド)。
そして、係員に聞いてみると、10時15分まで待って、それで空席があれば乗れるとのこと。 こういう飛行機に空席がないはずがないので、やはり空席があり、往復320ポンドでゲットした。

飛行機は10時半出発で、11時半頃ついた。そのまま、シャトルバスでアブシンベルまで連れて行かれた。
ここで、HISのエジプトツアーの日本人グループに遭遇し、添乗員さんとバスの中でちょっと話しをした。 このツアーは、テロ後初のツアーだそうで、その割には30人ほどいて大所帯であった。 格安で、会社としては赤字覚悟だそうだ。それでも地元の関連業者との関係を保っておくことのほうがメリットがあるのだそうだ。
そして、そのままの流れで、アブシンベルに到着した。入場料は20ポンド。

中では、約一時間の時間があり、大神殿、小神殿と見学する。天気がよくて、非常に気持ちいい。暑さも、それほどでもない。 大神殿はさすがに迫力があった。中の壁画も見ごたえがある。
そして、何よりすごいのは、アスワンハイダムを作る際、遺跡が水没することになるので、 これを人間の力で移転させたと言うことである。 その様子も、展示してあった。

1時過ぎに、駐車場に戻り、空港へ戻った。
アスワンに戻って、タクシーで市内に戻った。(20ポンド) そのまま、エジプト航空のオフィスに行き、明日のカイロ行きのチケットを予約した。 とにかく、今回はビュンビュン飛ぶ旅行になった。しかし、時間がないので、仕方がない。
飛行機は、翌朝の9時40分発のカイロ行きにしたので、今日はアスワンに泊ということになった。
昨日のホテルが最悪だったので、ホテルを変えることにして、ナイル川ベリでナイルビューが見える部屋をさがし、 Hathur Hotelというホテルをみつけた。
聞くと部屋はあるようで、見せてもらったら良い部屋があいていた。 ナイルビューの部屋が30ポンドと格安であり、しかも部屋はきれいである。
ここにチェックインすることとし、元のホテルに戻り、チェックアウトをしてから、Hathur Hotelにチェックインした。
チェックインしてから、時間があるので、アスワン市内観光に行くこととしたが、ホテルを出るやいなや、 フルーカの勧誘につかまった。
すでに4時過ぎであり、日没まで時間がないことを考え、一時間半くらいで、ナイロメーターと遺跡のあるIsis島に行くことにして、 30ポンドという交渉で、船に乗り込んだ。
初めは天気がよく、気持ちが良かった。まずナイロメーターを通り過ぎて、のんびりIsis島まで下り、Isis神殿を見るはずだった。 しかし、ここで、なんとIsis神殿はフィラエ島にあり、Isis島にはないということが判明した。 基本的な情報不足で、恥ずかしい限りだが、しょうがないので、このままアガハーン廟、キッチナー島経由で岩窟墳墓群に行き、 エレファンティネ島を周回するというコースに変更することとし、結局60ポンドと言うことになった。
しかし、残念ながらこの辺で日没となり、周回するにはしたのだが、寒くなってきて、早々にボート乗り場まで引き返した。
残念ながら、ちょっと出発が遅すぎたように思われる。
やはり来たバクシーシ攻撃は60+10ポンドと言うことで決着した。こういう手続きは面倒である。

その後、夕食はちょっと豪華に行こうと思い、川沿いのアスワンムーンと言う有名なレストランでカバブとオニオンスープ、 ミックスサラダを食べる。計30ポンドであった。
その後スークをぶらつき、せき止めの薬を買って、その日は終了した。

朝起きて、7時半に朝食。9時50分の飛行機なので、一時間前に空港に行くとしても8時50分につけばよい。 ということで、それまでに少し観光してから空港に行くこととした。
8時にタクシーを拾い、50ポンドで切りかけのオベリスクとアスワンハイダムによってから空港に行くように交渉した。
まず、きりかけのオベリスク(Unfinished Obelisk)に行く。10ポンド。ここで、昨日のHISツアーの一行に遭遇する。 考えることは一緒である。 ここは、単なる石切り場なのだが、種々の遺跡を作ったもとになるものである。しかし、見るだけならすぐ終わった。

そこから、急いでアスワンハイダムに向かう。 ハイダムは入場5ポンド。遠くにアスワンダムが見える。ハイダムは幅3600mの巨大ダムで1970年に完成した。 このダム建設でできたナセル湖は全長500kmというのだから日本のダムとはスケールが違う。 ここも、時間があればもっとのんびりしたのだが、あわただしく空港に向かった。


カイロ

カイロには12時に到着した。すぐに市内にタクシーで行った(25ポンド)。 そして、再びSultan Hotelにチェックインして、荷物を置き、観光に出かけた。
行き先はハーンハリーリであり、土産屋の並ぶ界隈である。
途中スークイルアタバを見てから、ハーンハリーリに着いた。 一回一通り眺めてから、まず、フセイン広場の近辺で食事をした。 ケバブとコシャリとシャーイで15ポンドほど。ここに来て初コシャリとなる。
フセイン広場の近辺にはガーミアアズハルという大学とガーミアアブルダハブ、ガーミアフセインと宗教施設が立ち並んでいる。 それを眺めているだけでも、十分な観光である。
食事の後、ハーンハリーリのなかに突入した。みやげ物屋の並ぶ界隈は、やはりあちこちから声がかかった。 いくつか交渉をして、買い物をした。得をしたかどうかは分からない。 なにせ、彼らは手練手管のアラブ商人である。
その後、タクシーでタフリール広場に戻り(5ポンド)インターネットをやって、宿に戻った。 宿に戻ってシャワーを浴びた後、最後に残っていたこととして、ハマムという鳩料理を食べることにした。
良い店を宿の人に教えてもらい、迷いながらも到達した。 そして、12.5ポンドでハマムとサラダを食べた。 鳩自体は肉の部分がほとんど無くどこを食べてよいか分からないほどであったが、まあ、旅の楽しみと言うことで、一応満足した。
その後、この店でかかっていたエジプト歌手のヒットソング「ソーヤソー」のテープが欲しくなり、買いに行った。 また宿に戻り、準備をして少し寝てから、12時過ぎにタクシーで空港に行った(30ポンド)。
飛行機の出発は3時55分のため、空港でしばらく時間をつぶし、チェックイン空港内の売店でパピルスを見ていたら、値段的に安く、 前に行ったパピルス屋と変わらず、しかも本物の様だったのでお土産に思わず買った。
一緒にアガールも買った。16ポンドが高いかどうかは分からない。