大連

2007.5.4-6

大連


5月4日


GW中の5月4日なので、すでに出国している人はしているようであり、成田空港はやや閑散としていた。
13:20出発の大連行きで出国する。3時間ほどのフライトである。
時差は1時間であり、15:30頃に大連空港に到着した。空港からタクシーで市内まで行く(35元)
そして、市内中心にある中山広場に面する大連賓館へチェックインした。

ここは旧満州時代のヤマトホテルであり、歴史のある建物である(写真右)。
つくりが大きく、昔の高級ホテルそのままであるが、内装はリニューアルしてあるので、現在でも十分快適である。
一泊シングルで現地価格498元(7500円)であり、ネット予約で7000円であったが、日本の著明な政治家が泊まったこともあり、 入り口に赤絨毯が敷いてあるようなホテルであるから、この値段で泊まれるのは贅沢とも言える。

大連市内は、さほど大きくなく、市内の主な場所には十分歩いていける距離である。

まず日本の植民地の時代の古い建物が残っている中山広場をぐるっと回る。
古い建物と、新たに出来た近代的な建物が混在しているのが、大連の特徴である。
中山広場には、中国銀行大連分行(旧横浜正金銀行)、郵政省(旧関東逓信局)、中国工商銀行(旧朝鮮銀行大連支店)、 遼寧省対外貿易経済合作庁(旧大連警察署)、中国工商銀行(旧大連市役所)、中国交通銀行(旧東洋拓殖大連支店) 、中信実業銀行(旧中国銀行)とそれぞれ、重みのある重厚な建造物が並んでおり、歴史が感じられる。

その後、中山広場近くの世界貿易センタービルに登り、57階の展望台(40元)に行った。
ここからは市内が一望でき、中山広場(写真中上)と、大連港(写真左上)が見える。
大連港は中国第二の港であり、この港があるために、歴史的にロシア、日本などに支配されてきたわけである。

さらに、歩いて旧満鉄本社(現大連鉄道 写真左)を見に行った。
日本で言えば大正つくりの重厚な建物である。 このような建物があちこちに、いまだに残っているところが大連の面白いところである。

そして、中山広場から西に行き、友好広場、勝利広場から日本の上野駅を模して作られたという大連駅に行き、 その付近にある繁華街をぶらついた。
ここにも旧三越の秋林女店など、昔ながらの建物が残っているが、同時にマクドナルドやケンタッキーもあり、 キャンペーンガールが新製品の宣伝をしていたりする不思議な世界である。

夕食は、中華料理という気分でなかったので、スイスホテルの中にある日本料理屋でとんかつ定食(95元)を食べた。
日本人の料理人がおり味は完全に日本風で問題ない。

夜になると市内はライトアップされていてきれいである。
中山広場もライトアップされていて、夜になると大勢の人が集まってきて、ダンスをしたり、 足で羽をける鶏毛鍵(けいもうけん)という蹴鞠のような遊びや、ムチのようなものを使ってやる電気のこま回し、 果ては大きな筆で地面に習字をしている人もいる。
見ているだけでも、なかなか面白い。

明日は、旅順旅行をする予定であったが、特にツアーも予約しないで来たこともあって、 どうしようかと思っていたところ、たまたま、 ホテルに泊まっている他のお客さんのために来ていた旅行社の楊さんという方にホテルのロビーで会うことが出来、 旅順ツアーをお願いした。

旅順は外国人に解放されていないので、自由旅行は難しく、タクシー往復で203高地と水師営だけなら400元、 ガイド付き、昼食つきで、さらに東鶏冠山北保塁に行くと1000元とのこと。
全て回っても2時には市内に帰ってくるとのことで、少々高いがここでケチっても仕方ないので、 ガイド付きツアーでお願いすることにした。
いつもながら行き当たりばったりでも何とかなるのが世の常である。

旅順


5月5日


朝9時ロビー待ち合わせなので、8時30分に朝食を食べた。朝から中華料理で、炒め物、卵におかゆなど。 なかなか重い。

9時にロビーに行くと、昨日の楊さんではなく、大連中国旅行社の関(かん)さんが迎えに来た。
関さんもベテランの添乗員で、大連の外国語学校で日本語を勉強したというが、日本の留学経験がないのに、日本語はほぼ完璧である。

タクシーに乗って旅順に向かう。大連から旅順は1時間の道のりである。
この時期中国でもGWであり、国内旅行者も多い。
結婚式ラッシュでもあり、結婚式場のあるホテルの入り口には竜と鳳凰の飾りがある(写真右上)。
時折、白いリムジンと黒の外車の車列に行き違ったが、これは新郎新婦とその家族を乗せた車列であるという。 経済レベルにより、車の数やグレードが違うらしい。もちろんベンツが何台も来ればお金持ちであるわけだ。
経済開放政策で中国は貧富の差は激しい。

旅順は軍事施設があるので、外国人には解放されていない。
個人で行く場合、203高地と水師営のみで、旅行社といくと東鶏冠山北保塁へ行けるが、 他の場所を自由に歩き回ることは出来ない。
まず初めに、東鶏冠山北保塁(写真中)に到着した。
ここは、日露戦争の激戦地であり、旧帝政ロシアがトーチカを作り防衛をした陣地である。 100年前の戦争でありながら、多くの実弾の跡や、砲弾の跡が生々しく残っている。

中には展示をするスペースもあるが、写真などの展示がある中で、 必ず何の脈絡もなく日本軍人が現地の人間を斬首するという写真が入っている。
このあたり中国に国家的な情報操作の戦略を感じた。

次に有名な203高地(写真右上)へ行った。
乃木大将が1万人の犠牲を払って攻略した日露戦争の激戦地であり、 日本軍がここを占領した後、ここからの280mm榴弾砲でロシア艦隊を壊滅させたという場所である。
標高203mであるためにこの名があるが、じつは攻撃前は206mあったとも言い激しい戦闘を物語っている。
203高地の上にある璽霊山(写真左上)という碑は203をもじって立てられた慰霊碑であるが、なかなか考えられている。

最後に日露戦争の講和をした際に使われた場所である、水師営(写真右)にいった。
外にあるナツメの木(写真中)は、ロシアの司令官ステッセルが乗ってきて、乃木将軍に送られた白馬がつながれていたというものである。
古い家屋は再現されたものであるが、戦争中は野戦病院として使われていたとのこと。
中には古い手術台が残されており、それが交渉時のテーブルとなっている。
ここでも、写真の展示の中に日本軍が義和団を斬首する写真があった。しつこいことこの上ない。

水師営で再び中華料理の昼食を食べて帰りとなる。
帰りは大連の海岸線を回って帰った。さすがこの辺は旅行社だけあって気が利く展開である。
市内に近づくと、星海広場から海岸線の別荘地を回り、燕窩嶺、北大橋、老虎灘と大連海岸線の景勝地を回った。 現地の人たちも観光できているようなところであり、景色も良い。ラッキーな感じである。

最後に市内に向けて、中南路を戻るついでに土産物屋に入らされる。
ここは、例によって、ツアー用の連れて行くとリベートをもらえる土産屋であるが、今回時間のない中で強引に観光をしているので、このくらいは仕方ない。

少し土産物を買うと、向こうもこれに味をしめたのかこのまま市内観光もやるということになった。
こちらも市内観光に行くつもりであったので、応じてみた。この辺は、双方の利害が一致したわけである。

まず、旧日本人街(写真左、中)に行った。
このあたりは、旧満鉄の社宅であり、古い建物を改装してきれいにして観光のspotにしようとしているわけだが、 実際に改装された建物はきれい過ぎて面白みが全くない。
それよりも裏の路地にいまだに残る古いままの家屋に貧しい人々がそのまま住んでいる様のほうが興味深い。

そして、この後、案の定、この後お茶屋に連れて行かれた。
これもリベートがあるためだが、さらにこの後ロシア人街の観光もする約束になっているので、仕方ない。 このあたりがギブアンドテイクである。
お茶屋でお茶の説明をひとしきり受けて、多くのお茶を飲んだ。 別に買う必要もないし、ここで何も買わなくても、連れてきたガイドの収入は変わらないのだが、 こういう場で何も買わずに出てくるようなことは、飽きるほどやってきたし、面倒だから 今回は素直に少しお茶を買ってあげることにして、一葉茶を買ってあげた。
私も人間が出来てきたようだ。

最後に旧ロシア人街(写真左下、中下)へ行った。市内観光としてこれで全て完了である。 旧ロシア人街のほうが日本人街よりも大きく、テーマパークのようにきれいである。道も大きく、両側に 屋台が並んでおり、人々も多く集まっている一大観光spotである。
改装はしているが、ロシアの旧式の建物は豪華で見ごたえがある。
しかし、ここも裏通りに行くと、昔のままのぼろい建物に貧しい人々が実際に住んでおり、 とても社会主義平等の国ではない国内事情が垣間見える。
ここは、十分楽しめる。

このまま、16:00ころホテルに帰って一日観光は終了。 ガイドも少しうっとおしくなった頃なのでちょうど良い時間であった。
この後は、一応、大連大学中山病院(旧満鉄大連医院 写真右)を見に行き、再度旧日本人街を散策。

夜のレストランはガイドに聞いてあったが、一緒に行く気はさらさらなかった。
しかし、ホテルにもどったら疲れが出てきて、早々に爆睡した。



5月6日



この日が最終日である。
出発は13:10。二時間前に空港に行くとして11:00過ぎにいけば良いので、少し市内でぶらつく時間はあった。
朝起きて、ゆっくり準備をして9:30頃にホテルをチェックアウトする。その後、町をぶらつくも、特にやることもない。
遅い朝食として、たまたまあった吉野家(写真右)に入ってみた。吉野家はまさに日本の吉野家である。
中国の吉野家はロゴなどは同じであるが、店自体は少ししゃれた感じであり、ちょうどマクドナルドのような感じである。
店員も若い女の子であり、アイスなども一緒に売っている。客層も日本と違い、若い女性も多い。 もちろん、牛丼を売っているが、それ以外の料理も売っており、まさにファーストフードのような感じ である。
私は牛丼を食べたが、牛丼自体は日本と同様であり、キムチと味噌汁がついて15元は安いとはいえるが、 中国の物価からすると微妙である。

その後、町を歩いていると、路面電車(写真左)が走ってきた。大連の路面電車は新しい車両もあるが、 満州時代の旧式の車両も走っているとのことで、この辺日本では考えられないことである。

早めに空港にタクシーで行くが、出国手続き自体が、出発1時間半前まで始まらないというお役所仕事で、 早く行っても時間の無駄だった。やっぱり、この辺中国はまだまだである。