チェンマイ

2008.2.9-12
チェンマイ
いままで数多くバンコク行きの機会はあったものの、なかなか行けなかったチェンマイに、短期の旅行でいくことにした。

2月9日

まず、18:45出発のJL707でバンコクに行く。この日、東京は雪が降っている寒い日であった。
バンコクは気温26度。半袖、短パン状態である。時差は二時間あり、到着は深夜0:00過ぎであった。
チェンマイには翌朝6:45のフライトであり、国際線用のスワンナプーム空港ではなく、国内線用のドンムアン空港である。
空港内で寝ることも考えたが、体力温存のため、ドンムアン空港の近くのホテルに泊まることにした。

エアポートシャトルで150ドル。そのままアメリホテルに直行しチェックインした。
高級ホテルであるが、夜間の短時間の滞在ということで、4000Bのところを2700Bにディスカウントしてくれた。 しかし、十分高いけど。
超でかい部屋で、通常なら泊まらないところであるが、早々に寝ただけで他にたいした事はせず5:00にモーニングコールをしてもらった。



チェンマイ



2月10日

5:00に起床して、空港に行く。
6:45発のチェンマイ行きで7:55にチェンマイ着。タクシーで日本で予約していたstar hotelに行った。
ホテルには8:30頃に到着した。早すぎてチェックインできないとのことで、部屋が準備できるまで時間をつぶすこととなる。
ホテルはチェンマイのナイトバザールをやっているチャンクラン通りの近くであり、そこのマクドナルドで朝食を食べた。

9:30過ぎにホテルに戻り、チェックイン。寝不足もあり、市内観光は午後にして、昼頃まで睡眠した。


昼過ぎに起きてホテルを出て、まず旧市街まで歩いていった。チェンマイは暑く、旧市街の見所も点在しているので、 歩いて全ての観光をすることは無理である。
そこで、旧市街の入り口でレンタバイクを借りた。免許など確認しないので、簡単に借りれて、一日200Bである。
ヘルメットも借りたが、現地の人間はノーヘルで乗っている人もいる。結構いい加減である。

バイクでそこから寺周りをすることにした。
まず、旧市街の中にある、ワットプラシンに行った。境内にあるライカム礼拝堂(写真左上)に中にプラシン仏が収められている。
壁には昔の壁画があり、価値のあるものらしい。

そこから、旧市街内をバイクでワットチェンマンに行った。
ワットチェンマンは1296年メンラーイ王が作った寺院であり、かつては宮殿だったそうである。
大きな本堂は。派手派手で、タイ風のキンキラキンのつくりである。その隣に写真(中上)のような仏塔があるが、 その基部は象の装飾があるのが、タイ風である。

その後、さらに旧市街の中を移動して、ワットチェディルアンに行った。
ここは、1411年に立てられて、1545年の自身で壊れるまで86mあったという、スケールの大きな仏塔チェディルアンがある。 1992年に修復されたそうであるが、ラオスやミャンマーにあるような感じの仏塔であり、見ごたえはある。
周囲にある寝釈迦像にろうそくと花を納めておいた。

その後、旧市街から出て、北に向かい、ワットクータオに行った。
1613年にビルマの王、プレーンノーンの墓として建てられた寺院であり、ひょうたんの形の仏塔(写真左)がある。 しかし、ここはこれだけという感じ。

そして、さらに北に向かい、スーパーハイウェイに入ってワットチェットヨートに行った。
ここは、結構広いスペースのある寺院であり、壊れている仏塔も含め、遺跡のような感じである(写真中)。 1455年にティロカイート王によって建てられたそうである。ブッダガヤのマハーボディ寺院をモデルにしたらしい。

その後、スーパーハイウェイを南に向かい、スティープ通りを東に入って、最後の目的地ワットスアンドークに行った。
ここは、1388年クーナ王によって建てられた寺院で、大きな青銅の仏像が本堂に安置されている。 境内は広く、白い仏塔が沢山立ち並んでいる。この時点でまだ4時過ぎ。チェンマイは十分暑い。

バイクの移動なので、時間はかなり節約できて、そのまま、ホテルの近くに帰ってきた。
ロイクロー通り沿い(左)には、土産屋や、旅行代理店など旅行者向けの店が並んでおり、そのなかに日本料理屋があった。
珍しいので、昼夜兼用の食事として、そこですしを食べてみた。
暑いチェンマイでのすしは、衛生上はややチャレンジャーとは思ったが、まあそれなりなものが食べれた。 店の中には日本語表示もあるので、おそらく日本人が絡んでいると思われる。
ロイクロー通りの中には、ムエタイのリング(右)がある。その周囲は飲み屋になっており、 酒を飲みながらムエタイの試合を見るという感じになっている。
ちゃんとした試合では、賭けが始まるのだろうが、この日はアマチュアのような若い選手の試合ばかりで、 周囲も盛り上がっていない。
駆け出しの若い選手が、試合終了後に飲み屋の客にチップをもらいに来るのを見ると、この世界も厳しいものだと感じる。


二日目に、山岳民族の集落を廻るツアーに以降としたが、バンコク行きの飛行機の時間があるので、 市内に4-5時には帰ってくるという条件で探すとなかなか思ったツアーがなくどうしようかと思ったが、幸い、850Bで、思った通りのツアーを見つけることができた。

翌朝は8:00-8:30の間にピックアップが来るというとのこと。 そうなると、ツアーから帰ってきてからは時間がないので、この日のうちにレンタバイクを変えそうとしたが、 すでに6時には店が閉まっていたので断念。明日朝のツアー前に時間を使って返しに行くこととした。 なにせパスポートを人質として取られているので、仕方がない。なかなか忙しい感じである。

2月11日

朝、7:30にチェックアウトして、レンタバイク屋に行き、バイクを返してパスポートをゲットして一安心。 その後、トゥクトゥクでホテルに戻って、ツアーのピックアップに乗った。旧市街のホテルなどを廻り、総勢11人のツアーである。
年代は高く、ゲストハウスに泊まっているような若者はいないので、高いツアーなのだと思われる。 マイクロバスだが、居住性はよく、冷房も効いている。 ゲストハウスの主催の安いツアーはあるのだろうが、おそらく狭いバスでぎゅうぎゅう詰めという感じだと思われる。暑いタイではつらい感じだ。。




ツアーはまずオーキッドファームに行った。タイの名産である蘭の栽培場である。多くの種類の蘭が栽培されており、その場で買うことも出来るようだ。 しかし、検疫の加減で日本には持ち込めないらしい。
その後、ハイライトとも言えるカレン族(写真中)とパドゥン族(写真左)の村に行った。パドゥン族は有名ないわゆる首長族である。 首につけたリングは4年に一つずつ増えるらしいが、彼らの首の長さは、頚椎自体の間隔が開いているわけではなく、 肋骨が圧迫によって押し下げられて、首が長く見えているだけのことらしい。よって、沢山リングをつけると灰が圧迫されて危険があるらしく、 現在では制限されているとのこと。基本的には彼らは貧しいので、政府が保護しているらしい。
この村は観光用だろうが、彼らは民俗衣装を着てみやげ物を売っていた。

その後は、Changdao caveという洞穴に行った。ここは鍾乳洞であるが、中に仏像が安置してある。奥行きは300mくらいであり、内部はひんやりしている。
残念ながら内部は暗いので、良い写真は撮れなかった。

Caveの近くで、タイ風の昼食を食べ、少し休憩をして、午後の観光に出発。
初めに、パロン族の村に行く(写真右上)。




この村では実際に人が住んでいる高床式の住居が並んでいる。屋根はわらぶきである。写真のような民族衣装をきた女性がみやげ物をうるのがうっとうしいが、 高床の床下に家畜を飼っていたり、生活排水がそのまま溝に流されてドブの用になっていたり、日本の昔の田舎を思わせる感じで素朴である。

次に、派手なキンキラの装飾をしたアカ族(写真左)の村を通り、リースー族の村(写真中)に行った。民族衣装の女性は皆、物売りで同じなのだが、 写真のような子猿を背中に乗せた犬が大うけ。 monkey on the dogは本日のハイライトであった。
帰りがけに、レッドラフ族の村を通った(写真右)。しかしここには現在村人はいないという。結局、計6族の村を廻ったツアーであった。 日帰りツアーとしては、こんなところだと思う。
山岳地帯からの帰りは約1時間半。旧市街に帰ってから、自分のホテルに着くまで時間がかかったので結局5時過ぎに帰ってきた。
まだ、夜ではなかったが、ナイトバザールの出店に行って、みやげ物を買ってそのまま空港に向かった。

短期の旅行であったが、まあまあという感じであった。