アンコール遺跡

1999.2.11‐15

海外旅行は綿密な計画をして、などと考えるひとは多いと思うが、実は割と簡単に行けるのである。 今回の旅行はまさにそう言った旅行であった。 海外旅行に慣れていない貴兄のためにいくつかのノウハウとともに、御紹介しよう。
99年1月15日、連休中にもかかわらず仕事をしていた私は、突然どうしても旅行に行きたくなった。 (私のような、海外個人旅行者にはよくありがちなことである。) ふとカレンダーを見ると2月11日は木曜日である。金曜1日休むと4日間とれる。 アジアの近場ならば十分行ける日程である。そこで、以前より考えていたカンボジア、 アンコールワットへ行くことを検討した。エービ−ロードを見ると、 アンコールヘのツアーはバンコクから直接シエムリアプへ飛行機で飛ぶらしい。 しかし、旅行代理店に電話すると、成田‐バンコクが満杯ですでにツアー用のチケットは返してしまい、 航空券はすべてキャンセル待ち、しかも11日出発は最も混む日程だとのこと。 しようがないので、全日空、タイ航空、マレーシア航空を掛け持ちしてキャンセル待ちをした。 こう言う場合、キャンセルが出るのは直前になる場合が多い。
その通り、出発3日前の2月8日、ほとんどタイムリミットで諦めかけてたとき、 ラッキーなことにタイ航空のバンコク往復とバンコクエアウェイズのバンコク‐ シエムリアプ往復のチケットがとれたという電話が入った。
ということで今回の旅行は始まった。
第1日目
朝9:30成田発のバンコク行きに乗った。プーケット経由で17:50着予定だったが、遅れて結局18:30頃に着く。 空港ですぐシエムリアプの予約変更をしてみる。 というのは、翌日のバンコク‐シエムリアプ間の飛行機が午後便しかOKが入らなかったからである。 しかし、今回この区間は、ノーマルチケットであり、ドタキャンが出ていれば、午前便に予約が入る可能性がある。
案の定、うまく午前便に予約を変更できた。 ということで、3日前に予約のとれた航空券は、旅行始まってからの変更で、思い通りの日程に変貌をとげたのであった。 なにもかも、行き当たりバッタリだが、結構うまくいくものである。
その日はバンコクに泊まり、翌朝6:30までに空港へ行くため、早く寝た。


第2日
ホテルより空港へ行くのに、同じホテルに泊まっていたユダヤ人がタクシーを頼んでいたため便乗して行く。 彼は、ユダヤ系日本人で日本名:若浄人 英名Jony Walkerと言う。 まあそんなことはどうでもいいのだが、結局空港までのタクシー代はタダとなる。(ラッキー)
9:00シエムリアプ空港に着く。 そのまま、まっすぐバイクタクシー(日本で言うスーパーカブの二人乗り)で市内のタケオゲストハウスへ行く。 ここは、日本人バックパッカーたまり場で、シャワー付きダブルの相部屋で一泊3ドル。 シャワーなしだと2ドルで、ただのランドリーサービスがあり、1ドルで昼と夕食が食べれる。 時期的に卒業旅行の学生が多く、9割方の宿泊者は日本人だった。 チェックイン後すぐさま、空港から乗ってきたバイクタクシーと交渉し、空港からのタクシー代も含め、 1日5ドル(これは相場である)で雇い、アンコール観光へ旅だった。
まず、初めにアンコールトムのバイヨンに行く。バイヨンでは、現地の子供が勝手にガイドをし始めた。 こういうのは大抵最後に金を要求するので、あらかじめ「ガイド料はいくらだ?」とこちらから聞いてみると、「up to you」と言う。 本当かよと思いながら見学をはじめた。 ここは初めはヒンズー教の寺院でその後仏教の寺院になったとのことで、第一、三回廊が仏教、 第二回廊がヒンズー教の壁画という作りになっている。彼のガイドはまずまずであり、金を払っても良いなと言う気になった。 バイヨンの一番上まで登り、ガイドは一通り終了。金をくれというので、100バーツ払った。 しかし、彼は納得しない。もう5ドル払えと来た。 バイクタクシーを一日拘束して5ドルの国だから、100バーツ(320円くらい)は30分程度のガイドには十分な報酬である。 「up to you 」と言ったおまえが悪いと言って、当然支払わなかった。
次にバプーオン、王宮、ピミアナカス、象のテラス、ライ王のテラスを一通り回る。 ピミアナカスは傾斜の急なピラミッド型の遺跡であり、しかもその階段の幅が以上に狭い。カニ歩き状態で登って行くが情けないことに太腿が完全に筋肉痛になった。
ここで昼食とした。日本は真冬だが、こちらは真夏の炎天下であり、すでに日焼けし始めていた。

昼食後、まずチャウサイテボダとトマノンに行く。この2つは近くにあり同時にまわったが、規模的には小さく今一つである。
その後、タケウに行った。ここは再びピラミッド型の遺跡であり、バイヨンと同様の作りであるが規模ははるかに大きい。 しかし、建設途中だったようで壁画彫刻がないのが残念であった。 筋肉痛の足に鞭打ちながら上まで登るとまわりは見渡す限りジャングルであった。
次には、とうとう念願のアンコールワットに行った。 西参道から歩いて行き、西塔門を抜けると、有名な中央祠堂(例の3つ並んだとんがった塔)が現れた。 アンコールワットはテレビの映像でも何度か見ていたが、やはり本物はスケールが大きい。 中の参道の両側には池があったらしく、当時はさぞかし贅沢な眺めであっただろうと容易に想像できた。 さらに、テラスから第一回廊を一周する。この回廊の壁のレリーフも手が込んでいた。
中央祠堂の階段を登り、塔の一番上に行く。ここからの眺めは、最高である。アンコールワットのハイライトと言えるだろう。 しばし、ここで時間を忘れて、ぼーっとしていた。
時間は2時半。まだ日没には時間があるので、炎天下ではあったが、次に西バライに行くことにした。 西バライは、人口の貯水池だが、なんと東西8km、南北2kmというとんでもない規模である。 11世紀にこんなものが造られたかと思うと驚きである。昔は、東バライにも人造湖があったが、現在は干上がっている。 4ドルでボートに乗って西バライの中心にある島、西メボンに行く。 ここは小さな島で現地の人もおばあちゃんが一人いるだけだったが、妙に落ち着いた。 遺跡としては今一つだが、他の遺跡にはない味わいがある、お勧めの一つである。
さて、時間も過ぎ、日没を見るためアンコールワット方面に戻る。本日のサンセットは有名なプノンバケンである。 ここは、小さな山の頂上にあり、多くのサンセットツアーがここに集結するので、夕暮れの時間になると、 プノンバケンは大賑わいであった。 本日は、やや雲がかかっており今一つのサンセットであったが、プノンバケンからの眺めはなかなかであった。
忙しい1日はこれで終了。宿に帰った。


時は2月12日。カンボジアもタイからの陸路が開くなど、旅行しやすくなってきている。
ここタケオゲストハウスは日本人宿として人気があり、宿泊者は9割方日本人で、その8割方は卒業旅行者であった。

シエムリアプにバンコクから飛行機で来るのはツアー客か私の様に時間のない社会人だけで、大方の旅行者はプノンペンからボートで来る。 今は、バンコクから鉄道で国境まで行き、そこから乗合トラックで直接シエムリアプに入るルートがあるらしい。 早朝にバンコクを出て夜には着くし、カオサンで260バーツと格安なので、貧乏学生には人気である。 但し、乗合トラックは途中2時間程悪路を耐えなければならないらしい。 プノンペンからは陸路でベトナムにも入れるので、カンボジア、べトナムともに、普通に行ける国になってしまっている。
以前は、カオサンでもベトナムやカンボジアは入国しにくく一種ステータスみたいなところがあったが、 今彼等の話を聞くとミャンマーやラオスが現在ではそういった位置にあるらしい。時代は移り変わるものである。
宿の連中と外食、アンコールビールを飲んで初日が終わった。






第二日目 アンコール観光は文字通り日の出から日没まで。時間のない私のような短期の旅行者は早朝からどんどん動く。 本日はサンライズツアーとして、スラスランに行った。スラスランは「王の沐浴のための池」だそうで、テラスから池が見渡せる。 昨日の夕日と違い今朝は、登る朝日が水面に映えて絵にかいたような美しい光景であった。
近くの屋台で朝食を取る。ラーメンが一食500リエル。1ドル=3750リエルであるから、いかに物価が安いかわかるだろう。 今日は先ずバンティアイスレイを目指す。 ここはちょっと離れた遺跡であり、以前は治安が悪く軍隊の護衛付きでないと行けなかった場所らしい。 しかし、現在は治安もよくなり普通に行けるようになっている。
行く途中にプレループに寄った。ここはまた、ピラミッド型の遺跡だが、なかなか壮大な遺跡である。 周囲に多くの遺跡があるので、慣れてしまっているが、もし日本にあったら単独でも相当有名な観光地になるはずである。 それ程価値のある遺跡が、沢山当たり前の様にころがっているという感じである。
未舗装の悪路をバイクタクシーでくねくねと行く。道の左右には、たまに大きな穴が見えるが地雷の跡だろうか? 4‐50分程その道を行き、バンティアイスレイに着いた。
バンティアイスレイは赤色砂岩とレンガで出来た寺院であり、その彫刻の美しさで有名である。 保存状態もよく、その色合いがさらに価値を高めている様にみえた。
次はまた来た道を戻って、バンティアイサムレ、東メボンと回る。 バンティアイサムレは回廊型、東メボンはピラミッド型の遺跡である。 だんだんパターンに慣れてきたので、みる時間も短くなってきた。
次は、タソム。砂岩の寺院だが、建物より東塔門に絡み付いている木のつたの方が興味を引いた。 そして、ニャックポアン。ここは、治水の対する信仰の寺院で、大きな池を4つの小さな池が囲むような一風変わった構造である。 大池の中央には祠堂が立っている。
ここで、昼食。炎天下ややハードな動きだったが、気持ち的には盛り上がっており、この時点でロリュオスにも行くことにした。

昼食後、現地によくあるハンモックでくつろぎ、午後の観光に出かけた。
先ず、プリアカーンに行く。ジャングルの中に埋もれていたらしく、破壊が激しい。 かなり大きい石造建築なのだが、原型をとどめない位の状態である。 規模だけならアンコール遺跡の中でも一ニをあらそうと思われるので残念である。
次に行ったタプロームはある意味でアンコールの名所である。 というのは寺院の周壁に巨大な樹木が絡み付いて、えもいわれぬ空間を造りあげているからである。 まさに「自然の脅威」。これを見たら掛け値なしに、絶句するだろう。タソムは単なる前振りに過ぎなかった。 これも、確実にアンコールの一面である。
アンコール周囲の遺跡の最後はバンティアイクディ。 参道が長く、十字型の回廊を持つ寺院だが、ここもやや保存状態が悪く残念だった。
いくつか見てない遺跡はあるが、有名どころは一通り見たので、アンコールはここで終わりにして、 次はロリュオス遺跡を目指すことにした。ただ、どうせついでなので、途中シエムリアプのマーケットに寄った。
どこの国でもマーケットにはエネルギーがあふれている。 そして、その生活のエネルギーみたいなものを感じるのは妙に心地よいものであり、旅の醍醐味の一つである。 マーケットは他のアジアの国でも行っており、それ自体は見当たらしいものではなかったが、 シエムリアプでも庶民のエネルギーを十分に味わうことができた。 小1時間程してマーケットを出て、最後の目的地ロリュオス遺跡に向かった。
バイクタクシーで40分程。 ロリュオス遺跡の一つプリアコーという小さな遺跡を見て、本日のサンセットポイント、バコンに着いた。
バコンはピラミッド型の遺跡で中央祠堂もかなり高い。9世紀の遺跡だというが、保存状態も良い。 アンコールから離れているので、観光客はやはり少なめだが、時間があればおさえておきたい場所である。 最後の力を振り絞って階段を登る。いやー本当に疲れた。観光は駆け足でしてはいけないなと思いつつ、沈む夕日を見た。 残念ながら本日も雲が邪魔をしたが、今日1日の充実ぶりを思い、これも一つの旅かなと満足感にひたっていた。

総括 翌日、アンコールワットのサンライズを見に行き全ての観光は終わり。 10時半にバンコクへ飛び、タイ式マッサージで体の疲れをほぐした後、成田へ向かった。
カンボジア(といってもシエムリアプだけだが)は物価は安く、物も豊富で人間も素朴である。 以前より治安も良くなったようで、観光は今が旬だと思われる。 これ以上観光化が進むと、ガイドがはびこり、人間が悪くなり、物価も上がってくる
。 乞食こそあまりいないが、現地の人は着るものもまだ粗末で、生活レベルは他の東南アジアの国より明らかに低い。
一つ500リエルのサンドイッチや1000リエルのシェーキ(ミックスジュースのようなもの)はいつまで食べれるのであろうか? 今回の旅の経路まとめ
2/12
9時シエムリアプ空港到着、
空港からバイクタクシーでゲストハウス。
午前中:アンコールトム(バイヨン、バプーオン、王宮、ピミアナカス、象のテラス、ライ王のテラス)
午後:チャウサイテボダ、トマノン―タケウ―アンコールワット―西バライ(西メボンに船で渡る)―アンコールワット―プノンバケンでサンセット
2/13
スラスランでサンライズ。
午前:プレループ―バンテアイスレイ―バンテアイサムレ―東メボン―タソム―ニャックポアン
午後:プリアカーン―タプローム―バンテアイクディ―シエムリアプのマーケットへ行く―ロリュオス遺跡へ(プリアコー、バコンでサンセット)
2/14
再びアンコールワットでサンライズ 10:30シエムリアプ空港発