ニュ―ジ―ランド1

1992.8.19‐9.16

ニュージーランド2へ
1992年夏、夏休みを使って語学研修目的にニュージーランドに行くことにした。 なぜニュージーランドだったかといえば、単純に値段が安かったからである。 しかも語学学校のプログラムであったが、後半は自由旅行も出来るようになっていた。
ということで、8.19成田空港北ウイング夜8:30発のNZ航空24便で、成田を出発した。 出発してすぐ10時頃夕食となり、11時半に寝るが、朝4時にたたき起こされる。 めちゃめちゃな時間感覚であるが、実は時差があるため朝7時となっていたようである。 成田からオークランド行きのダイレクト便ではあったが、実は途中フィジー経由でありナンディに到着。 ナンディ空港で給油トランジットをして、同じ飛行機に再び乗り、8時半に出発。 結局12:30にオークランドに到着した。


オークランド


空港からシャトルバスで市内に行った(6NZ$)。車内で早速、日本人の女の子をを見かけ、情報を仕入れるため声をかけてみた。 彼女はワーホリ(ワーキングホリデイ)で来ている東京の専門学校生の北村さんという人で、 普段はクライストチャーチの食堂でアルバイトをしているとのこと。 今回は二日間の日程でオークランドに遊びに来ているとのことだった。 あとで感じたことだが、彼女に限らず、ワーホリで来ている人には女性が多い。 特に、オークランド,クライストチャーチといった大きな都市では、ワーホリの日本人が多く、 街中で日本人を良く目にする。やや異国情緒がないともいえるが、初めての海外だったので、逆に安心感があった。
とりあえず昼食を一緒に食べた。カフェテリア方式の店で、何を頼んで良いか分からなかったが、 彼女がニュージーランドではフィッシュアンドチップスが基本だというので、早速洗礼を受けた。 値段は6NZ$(1NS$=6-70円)。その後分かれて、ぶらぶらオークランド市内を徘徊した。 予定では、オークランドから陸路で北島を縦断し、南島のクライストチャーチを目指すという予定だったので、 まずビジターセンターに行き、トランスポートの情報を仕入れた。 当初その日の夜行列車でウェリントンに行くつもりだったが、 飛行機で着いたばかりだし、二日連続車中泊はきついので、その日はオークランドにとまることとした。 宿泊はユースホステルにすることとし、市内にあるオフィスに行き、ユースのブッキングをした。 オークランドには数箇所のユースがあり、空いている部屋を紹介してもらった(一泊16NZ$)。
ユースに着くと、同室にまた一昨日ワーホリで着いたばかりだという立石君という日本人がいて友達になった。 同じユースには、6月からこちらに来ている男性二人、女性一人のフリーターらしき日本人たちもいて、 すぐに日本人グループが形成されて、いろいろ情報交換をした。 彼らもワーホリ軍団だが、ほぼ一ヶ月ほどずっとこのユースに泊まっているとのこと。 現地の情報には詳しく、いろんな情報を仕入れることができた。 この後の旅行中はずっとこんな感じで、ユースに行けばほぼ必ず日本人に会った。
そんな中でも、せっかくニュージーーランドに来たので、 同室のニュージーランド人につたない英語でコミュニケーションを求めてみたりしたりもした。
当初の予定では、オークランドから、直接ウェリントンに行き、 そのままクライストチャーチまで南下する予定だったが、長期滞在の日本人に、ウェリントンに行くなら、 ロトルアにいけと勧められたので、そうする事にした。 こういうように現地での情報で行き先を臨機応変に変えるのも自由旅行の醍醐味である。
宿泊は、ロトルアのユースをオークランドのユースから予約してもらった。(17NZ$)。 移動はユースの掲示板にロトルアに行く乗合マイクロバスが25NZ$と書いてあったので、 これをブッキングし、翌朝早速ロトルアに出発した。

ロトルア


早朝8時30分ピックアップのバスでロトルアに行った。 車内は白人の女性二人、男性が二人にカップルとおばさんで、そのうち日本人二人、アジア系の人一人が乗ってきた。 その日本人二人は千葉から来たおばさんと京都の女子大生で、8月2日からホームステイに来ていて、今は自由旅行中だそうだ。 しかし、本当に、こんな感じで、良く日本人に会った。 そうこうするうち、ロトルアに到着。ユースに着いて彼らと別れた。
ユースに着いたのは午前中で、まだオフィスが開いてない。 そこにまた日本人男性が同様に待っていたので、話をした。 彼はケンジという名前で、6月からこちらに来ているとのこと。 主にトレッキングをしていて、ここに来る前は山小屋に泊まったり、 テントを張って野宿したりしていたそうだ。 パトカーをヒッチしたなどと話をしており、かなりのベテラン旅行者であった。 もう、すでにかなりの国を回ってきているバックパッカーらしく、主にインド、 東南アジアを回っているとのことである。 しかも、日本では骨董屋をしているというのだからとてもあやしい感じである。 海外で骨董を買いあさっては、それを日本に持ち帰り売って、店をたたみ、全ての金を持って、 金が尽きるまで海外を放浪するというのが彼のライフスタイルだそうだ。 世の中にはとんでもない人がいるものだ。
とりあえず.彼と一緒に、食事をすることにして、スーパーに行き、野菜や、 ステーキ肉などの買い物をして、ユースで自炊をした。 さすが、ケンジさんはベテランパッカーらしく、手馴れた感じで料理を作っていた。 ユースではこのように自炊をするのが安く上げる手目に必要なので、料理が苦手な私はいたく反省した。 でかいステーキとご飯(ケンジさんの持っていた米で)結構なディナーだったが、 これで一人当たり11.5NZ$というのだから安上がりである。 また、この米というのは今後のユースでのキーワードであり、長期旅行者たちは、みんないろいろ工夫をして、 上手に米をたいていた。
その日はその後の予定を考えたが、結局先を急ぐことにして、 翌日の午後ウェリントンに行くことにした。
まず翌朝、ウェリントン行きの列車のチケットを買うつもりで、ステーションに行き、 チケットを手にした。しかし、あとで、これからとんでもないことになった。
ロトルアは火山と温泉で有名なところである。 午後一時半出発なので、午前中だけ観光するために、まず、街中にいき、貸し自転車屋を捜した。 これだけのことでも、結構迷い、いろんな人に聞いたりしているうちだんだん度胸がついて来た。 結局1時間6$の自転車を半日9$で借りることができた。 その後Volcanoを見に行こうとしたが、とんでもない強風で、道にも迷い二時間あまり走った後、 結局断念した。 途中、写真にあるような競馬場でラグビーの練習をしているところに出くわした。 ニュージーランドのラグビーは国技とも言うべきスポーツであり、こういう光景はよく見かける。 Volcanoは見れなくても、こういった光景をみながら街中を散策するだけでも、結構面白かった。 10時から1時まで自転車を借りたが、 最後の一時間は列車に乗るためにあらかじめ駅を確認しておこうと思って、 市内の列車の駅を捜しながら人に聞きまくって走り回った。 しかし、後になってみると、どうやら新駅と旧駅があるらしく、 人によって言うことが違いしっちゃかめっちゃかに振り回される。 時間がだんだんなくなったので、ユースから荷物を持ってきてさらに捜しまくった。 そして、1:30発の1:15の時点で新駅に着くが、その時点で大変なことが判明した。 私の買ったチケットは列車のチケットではなく、バスのチケットだったのだ。 しかも駅から出ようとする列車は貨物列車でウェリントンには行かない。 絶望的な状況にその列車の車掌がタクシーを呼んでくれて、 バスターミナルまで行き駆け込みで1:30のバスに間に合った。 なんとも、まぬけで慌てたハプニングであった。
ロトルアを出て、2:30にタウポで乗り換え、ウェリントンまで長時間バスに揺られた。 窓から見える景色はタウポ湖以外はまさにニュージーランド。 山と羊と馬と牛という単調な景色であった。
ウェリントンについたのは午後9時。すごい雨と風でとりあえずユースに着いた。


ウェリントン

ウェリントンのユースには夜遅く着いたので、あまりなにもすることが出来なかった。 しかし、やはり前と同じ様に日本人の女の子二人組にあった。 彼女たちは今までのワーホリの人たちとは違い、現地の高校に留学しているとのことで、 出来れば大学進学を目指しているということだった。 ホームステイをしているが、ステイ先がひどくベビーシッター扱いをされていてトンでもないなどと 結構愚痴っていた。半年位いるけど、これが始めての旅行だということで、 こちらにいる日本人にもいろんな人たちがいるんだということが分かった。 また、さすが高校生で来てると英語がうまく、発音が違う。 語学は若いうちにマスターすべきだと思った。
ウェリントンは首都でありながら、実は町としては小さな町で、これといったところもない。 初めはこのまま船で南島まで渡り陸路でクライストチャーチを目指すはずだったが、 時間がないために飛行機で飛ぶことにした。 朝ユースのオフィスが開くと同時に空港までのタクシーをブッキングしてもらい、 短時間で市内観光に行った。といっても、港のあたりをうろついて、すぐに時間切れ。 タクシーで空港に向かう。このタクシーのなかでの会話。
私「この辺で競技ボートをやっているところはないか?」
運転手「この近くでもやっているけど、今は冬だからやっていない」
私「実は、私は大学のボート部なんだけど、どこかでボートを漕いで見たいんだけど。」
運転手「そうか、そんなに小さいのによくボート部でがんばってるね。」
ちなみに、私の身長は181cm。日本ではボート選手としても小さい方ではない。 しかし、ボートは外国では、バスケットやバレーと同じように、2m近い大男のスポーツなのである。 しかも、ニュージーランドはボートでは有名で、オリンピックなどでも上位で活躍している。 ただ、「小さいのに、、、」といわれるとは思っていなかった。 これがニュージーランドの常識なのだろう。これでは、日本はなかなか勝てないわけである。
そうこうするうち空港に着いた。 そこで、スタンバイチケットを買い、もらったものの、その後どうするのか分らない。 通じない英語をあれこれ言っている間に、向こうもあきれたのか、 きちんとしたチケットに替えてくれ、10:30発のクライストチャーチ行きに無事乗ることが出来た。 英語がわかんなくても、どうにかなるんだということが分かった。


クライストチャーチ

11:15クライストチャーチに着いた。 空港でステイ先のMrs.Dunchanが迎えに来ているはずだったが、見つからない。 とりあえず、baggage claimで荷物を取りに行くと、なんと自分の荷物が出てこない、 とトラブルだらけ。荷物は、チケットがスタンバイであったため、 一便早い飛行機ですでにクライストチャーチについていたとのこと。奥から荷物を持ってきてくれた。 ホームステイ先には電話で連絡するも全く出ないので、仕方なくシャトルバスで市内に行き、 学校を確認し、その後、空港で買った地図を便りにステイ先に行った。
途中、またステイ先に電話してみると、ようやく通じた。どうやら行き違いになったらしい。 ステイ先に到着し、一休みしてからクライストチャーチ市内を一回りした。
と、ここまでくるだけで、いろんな場面でいろんな人に話しかけなければならなかった。 そのため、英語に関しては、初めは緊張して、なかなか単語が出てこなかったが、 リラックスしてくるとだんだん楽に話せるようになった。何事もやってみなければわからない。
その日の夜、日本へ国際電話をした。 Japan Directではなく、交換を通してかけてみたが、何と日本の電話は留守電。 しかし、数秒の留守電をかけるのに7$も取られた。納得できない。

翌日から、語学学校に行った。初日の午前中は、クラス分けテストで、 午後からクラスに分かれた。seniorクラスに入ったが、今週から入ったのは、 私とKumiko、Naokoの3人。その他女性3人と男性1人の計7人のクラスは何と全員日本人という状態。 これは、かなりがっかりした。 日本が夏休みであるためもあるが、これではニュージーランドに来た意味がない。 ただし、逆に友達になるのには問題なく、その日から早速授業後に遊びに行った。と言うことで学校は非常に楽しかった。
クライストチャーチの町の中心にはカテドラルがあり、学校はこの近くにある。 カテドラル前の広場に、郵便局もあり、何かとこの近辺で行動することが多かった。 ここにはwizardの格好をして、南北が上下逆の世界地図を売っている有名な人がいる。 なるほど、北が上で南が下というのは、人為的に決めたことであり、根拠がない。
おそらく先進国が北半球に多いということで、決まったのだろうが、こういう視点というのは重要である。 いままで、当たり前で疑問を持ったこともなかったが、海外に来ると、 こんなことに気がつくということだけでも来た甲斐があると思った。


ステイ先は、諸事情により、初日にして突然変更になった。今度は、トムとマリアの若い夫婦の所である。 トムはもともとイギリスの南部の出身。マリアはスペイン出身であり、その夫婦がニュージーランドに移住してきたというわけである。 まさにインターナショナルである。子供のいない若い夫婦なので、部屋が余っているらしく、 地下にある3ベッドある大きな部屋が私の部屋となった。 しかし、同時にステイしているのは私だけだったので事実上一人部屋であった。
ホームステイは私が二人目だとのことで、前の学生も日本人だったそうである。彼は典型的日本人学生であったようで、 ブランド物を持ち、こちらでも高いみやげ物やブランド品を買いあさっていたとのこと。
「学生なのに何故そんなに金を持っているんだ?」
とよく聞かれたが、大学に入れば自活するのが当たり前な彼らの常識では、理解できないだろう。 しかし、私がよくsecond handの店にいって買い物をしてきたりするのをみて、日本人にもいろいろいるんだと言うことがわかってくれたようである。

クライストチャーチは坂の多い街だが、ここのステイ先はその坂の上側にある家であり、 朝などは写真のように、町が霧の中に隠れて見えた。 高台にあるので、景色は良い。 私は自転車を借りて、学校まで通学したが、町自体は小さいので、大した距離ではない。 トムは市内にある工場で働いているが、仕事場まで家から15分である。仕事が5時に終わっても5時半には余裕で帰れる。 ある日、トムが6時頃家に帰ってきて、
「今日はこんなに遅くまで働いて大変だった。」
と言っているので、
「日本では、通勤に1-2時間かけるのは珍しいことではないし、残業も当たり前なんだ。」
というと、たいそう驚いて、
「それはクレージーだ。家族との時間をどうするんだ。大体仕事のあと何も出来ないじゃないか?」
と言う。その通り、その後トムとマリアと一緒に、平日夜に知り合いの家にディナーを食べに行ったり、 劇場に行ったりということがしばしばだった。プライベートの時間を非常に大切にする欧米人の考え方は、 確かに自然であり、日本人の常識のほうがおかしいのかもしれない。

ある朝、雪が降っていた。 冬だから雪が降っても良いとは思うが、ニュージーランドでは、これは大変なことらしい。
実際に積もったのは10cm程度なのだが、みんな大騒ぎである。 私は日本人の感覚で、当たり前のように学校にいこうとしたら、トムが「一体どこに行くつもりだ」と変なことを言う。 よく聞くと、この大雪のために、学校も会社もすべて今日は休みになったと ラジオで言っていたとのこと。なんという国だと思ったが、郷に入らば郷に従えということで、今日はお休みになった。 休みとなれば、徹底しているのが彼らで、近所の友達のうちに行って、朝から酒を飲み始めパーティが始まった。 外は一日中雪である。ありがちな話だが、中にはクロスカントリースキーの板を持ち出してすべっている連中もいた。
翌日の新聞はこの雪をなんと「40年に一回の大雪」として報道していた。翌日の授業でも持ちきりだった。
しかし、この雪は後々大きな問題をおこした。 というのは、この雪でラムが寒さに耐えられず沢山死んだそうなのである。 主要産業で人口よりも羊の数のほうが多いこの国にとって、これは大問題である。 その当時、ダイアナ妃の浮気問題がちょうどホットだった頃だったので、テレビでは何時見てもラムとダイアナ報道が連日続いていた。


市内では雪が降らないのに、クライストチャーチからは日帰りでスキーにいける山がある。 そのひとつ、マウントハットは日本のナショナルチームが合宿をしていることでも有名なスキー場である。 実際、私の行った時と同時期にワールドカップに出ている岡部が合宿をしていたらしい。 マウントハットにはバスで行くが、山を上っていく途中でも、周囲に雪がない。日本でスキーに行くときには、かなり下の町でも雪が積もっているのが常だが、 本当にこれで、雪が積もっているのか不安になった。しかし、面白いもので、ある標高をこえると突然に銀世界となる。しかも、そこはすでに森林限界を超えている標高であり、 木が全く立っていない。スキー場に着き、着替えてゲレンデに出る。この景色もすごい。ゲレンデに全く木がないのである。よって、コースというものは存在しない。 リフトをおりたら、縦横無尽に滑り放題なのである。しかも標高が高いからパウダースノーである。 まさに大満足。こういったスキー場が日帰りでいけると言う環境は最高である。



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