パプアニューギニア

2003.8.23−8.30
パプアニューギニア



8月23日

種々の事情により、郡山から成田に直行し、出発1時間前にチェックイン。 21:20にニューギニア航空の直行便でポートモレスビーに出発した。

8月24日

朝5時にポートモレスビーに到着。 まず両替をする。100US$が300K(キナ)。計算上およそ、40倍にして日本円という計算である。 そのまま6:10出発のマダン行きの国内線に乗り継ぐはずだった。
しかし、いつになっても出発しない。電光掲示板の表示は「Delay」。空港の待合室のベンチで寝ながらひたすら待った。
結局出発は11:50。6時間待ちで、いきなりメラネシアタイムの洗礼を浴びた。

マダン



ポ−トモレスビーから1時間でマダンに到着。 いつものごとく、宿を全く決めていない状態で飛行場に降り立ったが、ここで、予想外の展開になる。
空港をでても、タクシー、公共バスが見当たらないのである。つまり町までの公共機関がない。 同じ飛行機に乗っていた観光客は皆ツアーの一行であり、ホテルから迎えの車がきている。 よって、この一行がいなくなると、ここの空港から町まで行くことは不可能になると思われた。 したがって、これらの迎えのバスに直接交渉するしかない。 迎えに来ているホテルは、3箇所ほどであったが、ほとんどはマダンリゾートホテルのマイクロバスであり、ここが大手のツアーと提携しているのだと思われた。 こういうホテルは大抵高いはずである。 ほかに来ているなかでマダンインと書いてある、一番みずぼらしそうなバスに交渉し、部屋が空いていることを確認して、ホテルまで送ってもらうことにした。 バックパッカー用の部屋があるくらいだから、問題ないはずである。
マダンインはマダンの町から歩いていける距離にあるといっても、少し離れたところにあった。(まあ、それが安い理由でもある) 値段は、badget single 44K、 トイレ、シャワー付きで88K、エアコンつきだと120Kである。 東南アジアの感覚で言うと、かなり高い。初めはぼられたかと思ったが、どうもパプアニューギニア自体結構物価は高い。 とくに個人旅行者にとっては、旅行しにくいし、ツアー旅行者で旅行者物価が決定しているようで、割高である。
88kの部屋にチェックイン。すでに時間は14時であった。 まずやることは、明日のダイビングの予約である。 二箇所あるダイビングショップに電話をかけて、一日2ダイブ、レンタル込みで値段を確かめると、マダンリゾートホテルが230k、もう一箇所が245kであり、 とりあえず、マダンリゾートで予約をいれた。 その後、とにかくマダンの町にいくことと、マダンリゾートホテルで情報を仕入れることにして、そこまで車で送ってもらった。
マダンリゾートは想像通り立派なリゾートホテルで、海外からのツアー客が来るのもうなずける施設であった。 場所も海岸線にあり、湾内の眺めがいい場所である。ホテルにはインターネットもあり、滞在は快適そうであった。 しかし、周囲の民家は逆にみすぼらしく、住民の生活レベルにはギャップがある。 裸足の子供は沢山いて、裸足の大人もいる国である。
マダンの町は、マダンリゾートから歩いてすぐのところにあるが、この日は日曜であり、ほとんどの店が閉まっていた。 治安が悪いと言われているが、多くの国を旅行してきた目でみると、少なくともマダンの町には、さほど危険は感じなかった。 そこから、歩いてマダンインまで帰る。20分ほどかかるが、地理関係を自分で把握するのは歩くのが一番である。 しかし、非常に小さな町であり、把握するのは難しくない。

8月25日

朝からダイビングである。朝食後8時40分にマダンリゾートに集合する。
この日のダイビングのメンバーは8人で、なんと全員日本人であった。
私と同レベルの女の子二人組と100-200本レベルの4人組、男性1人という内訳である。 他に、朝日放送の取材チーム二人が加わった。
私以外の人は皆マダンリゾートに泊まっているようである。
インストラクターも日本人の女性であり、完全な日本人ダイブである。

早速マダンリゾートからすぐの桟橋より出航した。全員同じ飛行機で来たこともあり、この日が初ダイブ。 一本目はチェックダイブとして、軽めに行った。
透明度は一般的に言えば悪いわけではないが、マダンとしては少し悪いようで、リゾートダイブが多い私の目でも、確かにちょっと物足りない。

2ダイブはおよそ午前中に終了。大物はバラクーダの群れと船上からみたカジキマグロである。



その後、今後の予定を立てるためにair niuginiに行った。 というのは、当初、マダンからゴロカに行く予定だったのだが、マダンリゾートで手に入れたパンフレットをみて、ラバウルにも行ってみたくなったためである。
さらに、ダイビングのインストラクターの話では、海なら、ラバウルよりもケビエンのほうが良いとのこと。
日本ですでにマダンーゴロカーポートモレスビーと言うルートでチケットを取っていたのだが、やはり慣れないことはするものではない。 大抵の場合、旅行先の情報を入れると、行き先が変わるのが常である。
ということで、チケット代は勿体ないが、自分の感覚を信じて、行き先を変更することにした。
国内線の日程をあれこれ考えて、結局、マダンーラバウルーケビエンーポートモレスビーというルートで航空券を手配した。 よって、マダンは本日で終了となる。マダンはどうもリゾートリゾートしていて、金を使わないと他にやることがないから、 今ひとつであり、私にとってはまあ良い選択である。
その後マダンのマーケットなどをうろついて、終了。マダンはやはり、リゾートだけあって、ツアーに入らないとやることがない。
夜はニューギニアのSPビールを飲んで、ステーキを食べた。うまかったが、結構高かった。(25K)


ラバウル



8月26日

早朝より活動開始。朝6時30分にホテルを出て、7時35分にマダンーラエーホスキンスと乗り継いでラバウルに到着した。
国内線だと、観光客も乗っていないので、送迎のバスもない。 幸い、ここでは、町に行くマイクロバスがあり、1.2Kでkokopoの町に行った。

実は、ここは空港から、ラバウルに行く途中にあり、ラバウルの町ではない。
ラバウルは94年に火山が噴火したため、ほとんど町としては崩壊しており、昔ラバウルに住んでいた人達の多くは、 ここkokopoに移ってきているのである。 宿も大きなホテルのみラバウルで営業しているが、guest houseの多くはkokopoに移っているそうだ。
よって、city centerに行きたいといって乗ったバスは、ここkokopoに着いたわけである。

今回は、kokopoのTaklam guest houseというところに泊まった。 近くには、インターネットカフェがあり、階下はchopstick restaurantという中華料理屋である。 値段はいい値段であるが、今回はエアコン付き、トイレ、シャワーつきの部屋で125Kである。





チェックインしてすぐに半日市内観光に行った。
コースは、Japanese burge tunnel-Admiral Yamamoto bunker(左下)-Japanese peace memorial-Rabaul old airport-Japanese plane wreckage(右下)- Japanese submarine base(中下)- Rabaul volcanological observatory(左上) と回った。観光としては充実のツアーであった。
途中、トラベルロッジにあるダイビングショップに行き、翌日のダイビングを予約した。235Kで2ダイブである。旧日本海軍の基地であったラバウルであるから、 基本的に沈船ダイブということでお願いした。

8月27日

本日は朝、まったりと起きて、9時30分過ぎ、朝食の後、宿の近くにある博物館に行った。 高射砲や戦車、撃墜された戦 機やその他、多くの戦争の遺物が展示してあった。
その後インターネットをチェックしてから、昨日予約していたダイビングに行った。
天気はまずまず。しかし、ラバウル市内に行くと火山灰がひどい。ダイビングショップにいくと、日本人の女の子のインストラクターのtomoさんに合った。 今日のバディらしい。ケアンズから来て、ここにもう一ヶ月居候しているという。
ラバウルは本来ダイビングとしてはいいところなのだが、この火山灰で客は少なく、今日のお客は私1人であった。 今日は、沈船ダイブを希望していたので、一本目はdeep diveで33m潜るという。
早速、近くの桟橋から、船を出し、湾内で潜った。潜っていくと透明度は火山灰のため、ひどいもので、周りが全く見えない。 ただし20m以下になると、少し改善したが、それでも完全に視野が良くなったわけではない。 沈船自体は、かなり大きなものであったが、輸送船のようで、戦艦ではない。 予想では、透明度の良い海での沈船ダイブを考えていたので、ちょっとがっかりである。





そして、さらに問題は、一本目が深く潜ったのだが、浮上の速度が速かったようで、ダイブコンピュータ上はDND(24時間潜水不可)となってしまった。 ということで、二本目は中止、一本で終了してしまった。
まあ、こんなこともあるだろうということ。 ラバウルには以前はともかく、噴火後は火山灰がひどくリゾートとしては今ひとつ。観光客も当然いない。 戦跡観光に徹したほうが良いと思われる。実際、日本人でくるのは、戦争巡礼団が多いようである。 ちなみに、この巡礼団は、けしからんことに山本五十六bunkerなどに行き、その壁に「第○○回巡礼団、平成××年、、、)などと落書きをしている。 いくら遺族でも、観光地に落書きはないだろうと思うのだが、どんなもんだろう。

ダイビング後、guest houseに戻り、kokopoのマーケットをぶらついて、この日は終了。 明日はケビエンに行くこととなる。
この日、ダイビングのインストラクターのtomoさんと話したが、PNGの物価はやはり高いとのこと。通常の東南アジアの感覚で行くとべらぼうである。 300mlのビンのコーラは1.6k。x40円と考えると、日本と大して変わらない。 宿だって、125kの部屋は約5000円であり、部屋の程度はバンコクあたりでは1000円程度のものであることを考えると、個人旅行者には 旅行しにくいところである。


ケビエン


8月28日

今日はいろんなことがあった。
朝起きて、すでに9時過ぎ。朝食をあきらめ、荷造りしてチェックアウト。レシートの明細をみるとラバウル半日観光が180Kになっている。 確か65Kと書いてあったはずと文句を言うと、これは二人分だという。半日ツアーは最小人数二人であり、ラバウル往復25Kであるので、90Kの二人分という説明である。
やっぱここでもやられたと思い、一応そんな話は聞いていないと文句と言ったものの、出る前に値段を確認していなかったという甘さもあるので、泣き寝入りとなる。 しかし、こう来るとは思っていなかった。
カードで支払い、そのまま空港へ行く。 10時50分発でケビエンに11時20分到着。 ケビエンにはツリーハウスという、木の上に作ったログハウスがあり、そこに宿泊も出来るという情報を仕入れていたので、まずツリーハウスを目指すこととした。
空港に迎えに来ていたのは、Malaganbeach resortという高級リゾートホテル(マダンで言うとマダンリゾートにあたる)とケビエンホテルのバスであった。 とにかくそこいらにいるホテルからの迎えの人に「ツリーハウスに行きたい」といってみると、近くにあるトラックを指して、「これがツリーハウスのトラックだ」と教えてくれ関係者が来ているとのこと。 今回も例によって、直接交渉で、宿泊が決定した。
ここも、公共交通機関がない。ちょっと待って、そのトラックにのった。
ケビエンの町に到着。ここも小さな町であった。そこにある、ツリーハウスの事務所に行き、「今日泊まりたいんだけど」と聞いてみた。 一泊140 Kでコテージに泊まれるとのこと。現地には何もないので、食事は町でとってから、3時頃に現地に行くということになった。
とりあえず、昼食を食べ、少し買い物をした。また、支払いは現金のみということで、トラベラーズチェックを現地通貨に換金した。
3時過ぎにトラックにのってツリーハウスに向かった。 現地には30分ほどで到着。
ツリーハウスのメインの建物は、3階立てで、そこはレストランなどの建物となっている。 その周囲にコテージがある。
現地は本当に何もない。海とジャングルだけのところで忽然とツリーハウスがあるというシチュエーション。 コテージ一つが丸々宿泊先になった。
なかなかいいところではある。
となりには現地の人が住み、貝で作ったシェルマネーを作っている。しかし、売りつけようとする商売っけは全くなかった。

夕食はメインのツリーハウスでバイキング。ここから国際電話もかけられるんだから、たいしたものである。電気は自家発電である。 水道はタンクである。
まったりと夕食をとった後、オーナーと一緒に近くにある蛍の木を見に行った。
トラックで20分ほど行ったジャングルの中に、それはあったがこれは圧巻であった。
蛍が木一杯にとまっている数mの木であり、その蛍が同調して光る。中には周囲を飛び回る蛍もいて幻想的な光景である。 これがニューギニアの森の中であるからなおさらすごい。


蛍の余韻でいい気になって帰ってくると今度は最悪の状況となった。
部屋に戻ると、荷物が丸ごとない。よもやこんな人里はなれた森の中のコテージでドロボーが入るとは思っていないので、すべてを置いていたため、 パスポート、現金、カード、航空券を含むすべての荷物が取られる形となった。
手口は、コテージの壁を貫いて鍵を開けたという単純なもの(写真右)。確かにこれでは簡単だ。
これはまさに絶望的な状況である。
しかし、マネージャーは「心配するな、犯人は分かった」という。どうも少し前までツリーハウスで働いていた少年二人組だとのこと。 足跡がコテージの周りにあったことと、バックをもっていたのを目撃した者がいるらしい。
そのときすでに夜の10時。そこから、大捕り物が始まった。 ツリーハウスの従業員、その他若者が十数人集まってきて、大捜査となる。
たちどころに、トラックの荷台に大勢乗って、町の方まで走っていった。
待つこと2時間ほど。
明日は大使館に連絡して、航空券は航空会社と交渉して、、、などと考えていたら、なんと、犯人が1人捕まったとのこと。 トラックに犯人を乗せて、みんなが戻ってきた。
私のバッグと、着替えその他の荷物、パスポート、航空券、トラベラーズチェックが戻ってきた。これで、何とか日本には戻れる。 ただし、現金とキャッシュカードは別の犯人が持って逃げたままである。
こういう輩は、口で言っても分からないとのことで、まず、とにかくつかまえた犯人をボコボコに集団暴行をし始めた。 そして、警察に突き出すという。これがニューギニア流である。
取られた現金は、ここに来る直前換金したばかりなので、700K(28000円程度)および、米ドル200$、日本円10000円と決して少なくない金額である。 犯人は少年であり、キャッシュカードは使えないだろうとのこと。明日一番でとめれば実害はなさそうである。
夜中であったが、とにかく、犯人を警察に突き出す。相棒の家にも連絡が行き、帰ればすぐおさえられる体制になった。 おそらく、今森の中をうろついているだろうとのこと。町は小さいので、明日夜明けとともにつかまるのは時間の問題であるという。
ただし明日午前中にフライトはあるので、それまでにつかまらないと困る。 それは、ツリーハウス側も同様で、私に金がないことが分かっているので、必死に捕まえるべく包囲網を張り巡らしている。
観光的にも大打撃となることもあり、かなり力を入れているので、どうやら安心出来そうである。


ポートモレスビー



8月29日


朝7時30分起床し、朝食をとる。昨日の泥棒の片方はまだ逃亡中である。 少し雨が降ってきてシュノーケリングは中止する。
出発の9時まで時間はあっというまにすぎた。
町に戻って残ったトラベラーズチェックで両替し、ツリーハウスと警察に盗難証明を書いてもらった。 さすがに昨日の宿泊代、食事代はタダになった。
これで、200Kほど得したが、とられた金額は1500-1600Kであるから、結構痛い。
カードは日本に電話をして、とりあえず止めた。
あとは、犯人が見つかるかどうかだが、結局11時のフライトまでに犯人は捕まらず、その時点でケビエンから出たので、そのあとは分からない。

連絡先は置いてきたが、ツリー-ハウス的にも、今後つかまえた後、私のほうに連絡してくれてきちんと処理してくれるかどうかは怪しい。まあ、仕方ないけど。

ケビエンからポートモレスビーに到着し、昨日から今日までの処理が十分だったかどうか、心配だったので、PNGJAPANという現地代理店に相談してみた。 そして、そのままの流れで、ゲートウェイホテルへ宿泊。一泊300Kと高いホテルだったが、お金は何とかなった。
どうやらとるべき書類と手続きは取れているようであり、後は、念のために日本大使館に連絡したほうが良いだろうということになった。 ホテルにチェックインして大使館に電話。大使館の人は結構親身に相談にのってくれたが、現在実際に大きな支障はないので、様子を見ることとなる。
とにかく手続き的には問題がなく安心する。
この日は、特にすすこともなく、お金もないので、おとなしくしていた。

8月30日

この日はPNGJAPANのほうで、出発までポートモレスビー半日ツアーがあった。午後2時のフライトにあわせたツアーであり、40ドル。 他にやることもないので、参加することにした。
9時にチェックアウトして、マイクロバスで市内観光に行く。ここで、マダンのダイビングで一緒だった日本人の一行と再会。 こういうのは、よくあることである。ガイドの日本人がまた変わった人で、青年海外協力隊でマラウイに行ってから、オーストラリアでパイロットの免許をとって、 今パプアニューギニアの国内線のパイロットをしているが、アルバイトで週一回ガイドをしているとのこと。 日本にはもう適応出来ないといっていたが、こういう人は、海外に来ると実は珍しくなくしょっちゅう会う。
市内観光はまず、月に一回というクラフトマーケットに行った。(右上)ちょうど土産物も盗難にあったので、ここで買い足す。
その後、ポートモレスビーが一望されるパガヒルに行った。(左上)ポートモレスビーの海は実はそれほどきれいではないとのことだが、 このように遠くからみるときれいに見える。
その後、ポートモレスビー植物園に行き、木登りカンガルー、極楽鳥、カソワリ(左下)、また、残念ながら季節ではなかったが、いくつかのランもみた。
その後、国会議事堂に行き、昼食。
ポートモレスビーで一番うまいという中華料理を食べて終了となった。 ポートモレスビーの中華料理というのも変だが、もともと独立してから、マレーシアあたりの華僑がたくさん入ってきたとのことで、実は中国人は多いのだそうだ。 逆に、オーストラリアなどの輸入経済で成り立っている国でありながら、オーストラリア人は多くないらしい。
貧富の差は激しく、お金持ちがいて、物価が高い割りに、いまだに裸足の人達がたくさんいる。職のない人はあふれていて、1人の収入に親戚縁者、多くの人間がぶら下がるという 他力本願な国らしい。
途中の国内線で、裸足の人間が、飛行機に乗っているのをみて不思議に思ったのだが、それは、どうやら、航空会社に勤めている親戚が手を回したということらしい。 中東でも、他力本願な人達は沢山いるので、これ自体珍しいことでもない。
その後、そのまま空港に行き、帰国。
今回も、いろいろあったが、まあまあというところ。 泥棒も、何とか乗り切ると、それなりのハプニングで面白いとも思えるものだ。