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読書記録2004年1月


『外套・鼻』
ゴーゴリ,訳:平井肇(岩波文庫)1840,1835/★★★★

 『鼻』は奇想天外かつ奇妙奇天烈なストーリーで解釈に苦しむ。
素朴に受け取れば大きく立派な鼻に象徴される、見掛け倒しの自尊心や虚栄心、
虚勢を哂い、それを戒める訓話だが、人間の心にはそれが大きな位置を占める
という事実を単に微笑ましく描いただけだろうか、それとももっと別の意味が
あるのだろうか?自身の鼻になにかしらコンプレックスを抱えていたのだろうか?
 以下は『外套』のみについて。

−あらすじ−

 見事なまでに起伏なき平坦な生活を淡々と送る主人公、貧しき小役人
アカ−キエウィッチにとって外套の新調は大事件であった。心躍らせながら
仕上がりを待ちわび、いよいよ目的の品を手に入れ天にも昇る心地となるが、
一夜にして追い剥ぎに奪われてしまい、一転奈落の底へと突き落とされる。
なんとか外套を取り戻すべく奔走するも夢叶わず、失意の中息を引き取る。
が、亡霊となって現れ、事件の捜査、外套奪還の請願をけんもほろろに
突き放した居丈高な有力役人の外套を奪い取ることで復讐を遂げる。

−感想−

 訳者の後書きによるとゴーゴリはこの『外套』によって、「…伝道者的に
隣人愛を鼓吹し…卑小で無価値な、一個の《霊魂の乞食》の像を描き出して、
こうした一顧の値打ちのない人間でも、人道主義的な愛と、尊敬にすら値する
ことを強調している」とのこと。

 主人公のアカーキイ・アカーキエウィッチは九等官で、これはつまり取るに
足りない木っ端役人に分類される役職だ。さらに彼は滑稽で愚かしく痛々しい、
仕事以外になんの楽しみもない、哀愁漂う人柄である。が同時に、つまらない
その仕事に健気にひたむきに打ち込む、誠実な憎めない愛すべきキャラクター
でもある。こういう人物設定や、その人物が生身の身体をもって生活する、
一個の生ける実存として鮮やかに描かれる様に、あらゆる人間に対する
ゴーゴリの暖かい眼差しが感じられる。

そのために、まったく滑稽な主人公でひどく哀れな物語だが冷笑的な気分に
なぞ全くならず、また、独特の軽妙さとユーモアがあって、暗い感傷的な
気分にもならない。さらに後半の復讐劇は現実離れで奇妙奇天烈ではあるが
愉快であり、なんとも不思議な読後感である。

 まあ要するに、アカーキイ・アカーキエウィッチと同じように、息はして
いるが死んでいるも同然のような暮らしをしているムシケラ並みの僕も、
やっぱり身体を有しこの世に位置を占めて一個の実存として僕なりに生きて
いるわけだ、それもまあ悪いことではあるまい、と感じさせてもらった次第だ。

−名文の抜書き−

誰からも庇護を受けず、誰からも尊重されず、誰にも興味を持たれずして、
あのありふれた一匹の蝿をさえ見逃さずにピンでとめて顕微鏡下で点検する
自然科学者の注意をすら惹かなかった人間…事務役人的な嘲笑にも甘んじて
耐え忍び、何ひとつこれという事績も残さずして墓穴へ去りはしたけれど、
たとえ生くる日の最後の際であったにもせよ、それでもともかく、
外套という形で現れて、その哀れな生活を束の間ながら活気づけてくれた
輝かしい客に巡りあったかと思うとたちまちにして、現世にあるあらゆる
強者の頭上にも同じように襲いかかる、あの耐え難い不幸に圧しひしがれた
人間は、ついに消え失せてしまったのである!…p.49-50

その生活があまりにも無内容であったために、そうした些事(一着の外套を
めぐる悲喜こもごもの感銘)が彼を死に至らしめるほどの重大な原因となる
のである。このように、あまりに空虚な生活にあっては、わずかな偶然が
こうした重大な結果を将来するのである。…p.107,後書きより


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