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読書記録2003年8月
『趣都の誕生−萌える都市アキハバラ』
森川嘉一郎(幻冬舎)2003.2/★★★★
−要約−
二一世紀に入ってからの秋葉原という街の出現の斬新性、特異性、
そして都市を形づくる力の所在の移行、を論じる。
「趣味の構造が場所を変え、その場所が趣味を定義する。この新たな関係が
誕生した街…秋葉原…。」これまで個室に隠匿されてきたオタクの趣味が、
それによって都市風景を変容せしめた!このような都市風景の成立過程は、
「インターネットの場所、サイトの成り立ちを現実の都市が模倣して出来た」
「決定的に新しい現象」である。
以下異なるコンセプトで開発され発展した街の比較対照を要約する。
60年代的都市風景の象徴である西新宿は、官主導の国家的プロジェクトとして、
行政権力による開発が行われた都市である。
その特徴は権威、理念志向、そして個的趣味の空虚さ。
80年代的都市風景の象徴、渋谷と池袋の開発は、それぞれ東急、西武と、
民主導すなわち大規模資本により戦略的商業的に行われた。
その特徴は外向的かつ海外志向で上昇志向、己が上位文化に染まる趣向。
利潤重視のため大衆迎合的美に溢れる。
00年代からの秋葉原の発展風景は、巨大な組織的意志や戦略がない。
自然発生的であり個主導。人格の地理的な偏在によって発生した、
いわば個室の趣味が都市風景を変容せしめる、という自体が進行した。
その特徴は内向的で国産志向、下方志向、己が上位文化を染める趣向。
文化的権威に対して脱社会的な防衛的態度をとる。
−感想−
行政が何らかの象徴や合理性、機能性で人々の都市への求心力を計るのが、
最早全く無効なのはよく理解できるし、また、憧れのライフスタイルに
なるような、ワンランク上のマスイメージをでっち上げて、それで大衆動員
しようという商業資本の手法は、未だ一定の割合で有効であるものの、
これももう限界が露呈している。
そういう大きな物語やら文化的階層の虚構性、相対性に目が向き、冷めて
しまうと「外界に合わせ、権威との同化を目掛けてさらにブラッシュアップ」
なんて上昇志向を維持するのは困難だ。にしても、そういった情況、
輝かしい未来喪失後の都市風景の変化を主導するのがオタク的趣味、
とはいやはや驚きだが、今後も諸個人の趣味がさらに分化してそれぞれの
特殊性が際立ってくるのは間違いないだろうし、ならば確かにこういう方向へ
向かうのにも頷ける。オタク的趣味と一口に言っても、その対象は数限りなく
多様になり得るだろうし、ならば均質化の進んだそれぞれの街が、それらを
個別に惹き付けるような、新たな個性を取り戻す日が来るのかもしれない。
現在僕の住むニュータウンは、ポストモダン的な資本のあだ花が、
行政主導で整備された都市基盤の上に咲き乱れているという、日本全国
どこにでも見られるような風景を呈している格好だが、それは色褪せ萎れて
きている現状は否めない。じきに多くの団塊世代が定年になり老人の
仲間入りをし、老齢人口が日本屈指の街となる、とすれば秋葉原同様、
魅力があるかは知らないが、そこに住む人々共通の趣向を見出し、
個性ある特異な町に変貌する可能性もなきにしもあらず、といったところか。
住人に趣味の構造の共通性があるとは考えにくいが、過去の世代的記憶の
共通性はあるだろう。未来への夢が潰えた今、ただでさえノスタルジーに
想いを馳がちな老年の、現代に見合う団塊世代固有の特殊な趣向がもし
芽生え花開いたら…。それが街づくりを主導、先導したら、
それもまた面白い風景になるのではなかろうか。
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