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読書記録2003年7月


『地下室の手記』
ドストエフスキー・訳:江川卓(新潮文庫)1864/★★★★★

−紹介と要約−

自意識過剰から閉じこもりの生活を送る、妄想的観念が異常に肥大した男の
独白調の小説。その自意識過剰から、人間が条理によってのみ生きる存在では
ない、むしろその根本は不合理だ、システム、整理された表から逸脱したがる
"気紛れ"こそが人間の本質である、という結論を導き出し、全き理想社会
建設の不可能性を主張する。これで語られる「苦痛は快楽である」
というテーゼや、ドストエフスキーのロシアのロマンチスト観などは有名。

−感想−

「僕は病んだ人間だ。僕は意地悪な人間だ…僕はおよそ人好きのしない人間だ、
僕が考えるに、これは肝臓が悪いからだと思う。…」

僕も彼と同じく病的な自意識過剰ゆえに、この書き出しから一気に
のめり込んでしまった。吹き出すと同時にわくわくさせてくれる序文だ。
中島敦著『山月記』では「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」から「虎」に
なるほどの自意識過剰を描いていたが、これは強烈な印象といい粘着性ある
反動的な論理といい、その上をいく凄まじさだ。

痛々しくて、滑稽で、あまりに惨めで哀れで…。
要するに、強く共感してしまった(笑)。沈みがちなときの僕とこの地下室の
住人は、心理状態、精神構造、発想や思考の仕方が驚くほど似通っている。
他人を軽蔑しきっているくせに、人恋しくて堪らないところもだ。
彼も恋をするわけだが、自意識の弛みに動揺し、耐えかねて、
錯乱状態に陥ってぶち壊してしまう。こういうところまで僕とそっくりだ。
とても他人事とは思えない。

「…僕が片隅で精神的な腐敗と、あるべき環境の欠如と、
生きた生活との絶縁と、地下室で養われた虚栄に満ちた敵意とで、
如何に自分の人生を無駄に葬っていったか…」

ラストの方のこの言葉や、書物を取り上げられたら全てを見失い途方に
暮れるだけだろう、と論じる箇所は、僕の未来に感じる悔恨を予言している
ようで、心底震えてしまった。その後翻訳者江川卓さんのこの解説だ。

「二枚の合わせ鏡(己の意識に映る他者と、他者の意識に映るであろう自己像)
に映る無限の虚像の列のように不毛な永遠の自己運動を繰り返し、
ついに何らの行動にも踏み出すことができない。ただ、その無限の像の彼方に、
これまで誰も覗き込んだことのないような実存の深淵を見出すだけである。
これが<地下室>にのめり込んでしまった者の運命である。」

これは僕の真に望むところではないのだが…どう足掻いてもこうなってしまう
気がしてならない。いや、それほどの深淵にすら辿り着けないだろう。
虚しく意気消沈。

というわけで、僕にとっては憂鬱な予言の書となってしまったが、
いくら突き詰めたところで自分の思い描く自己像や他者というのは、
所詮独りよがりの思い込みに過ぎない、という定理は覚えておいた方がよい。
その悪しき思い込みは、他者とのコミュニケーションを介してのみ
書き換えられる、自意識過剰の無限地獄の処方箋はそれのみだ。


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