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読書記録2001年8月


『怠けものの思想−80年代の行動原理』
笹川巌(PHP研究所)/社会学・思想/★★★★★

タイトルどおり。これはそうとう凄い本なのではなかろうか。「怠け」について、経済、歴史、心理、語源、思想、などなど、多角的に真面目に考察された変わった本。幸福論でもある。努力は良い面だけでなく悪い側面も持ち合わせている、逆に怠惰は悪い面だけでなく良い側面も持ち合わせている。このことに気付かせてくれる一冊。

メチャクチャおもいっきり簡単に要約してしまえば…もちろん怠けているだけではダメであって、社会や個々人の薬として有効に使いましょう、怠けは許されざる絶対悪ではないのですよ、ということ。

物質的欲望、それを満たすためのつまらない労働、ステータスやアイデンティティのための消費、などなど…私はこういったものに嫌悪感を抱いているが、それを批判するに、心の豊かさうんぬんってのはどこかストイックなイメージがあり弱い気がしていたのだ。今までにない視点はないものかと思っていた。怠惰への欲望か。面白い。モノか怠惰か。冷静に考えると馬鹿らしい消費は多いだろう。勤労はもはや一概に美徳とは言えないかもしれない。勤労と引き替えに得る消費にはくだらないものが溢れすぎだ。

全五章で、二章は怠けに関わる物語や論説、思想の紹介、分析で、ここが最も面白かった。ものぐさ太郎やバートランド・ラッセルの『怠惰への賛歌』などなど盛りだくさん。特に気に入ってしまった荘子の引用文があったので抜粋。

「いま世俗の人々の営みや、その楽しみとしていることは、それがはたして真の楽しみであるのか、真の楽しみでないのか、私にはわからない。世俗の人々が楽しいとしているところをみると、すべての人がこぞってむらがり、あたかも死地に突入する動物のむれのように、やむにやまれぬ勢いにかりたてられて、楽しみに向かって殺到するかのようにみえる」
…適度の迎合は必要なのだろうが…こういう動物の一匹にはなりたくないものだ。

怠け者の私には非常に嬉しい本だったが、むしろ努力家、いや、マスメディアや世間の情報に流されている多くの方にこそ読んで欲しい。きっとハッと、ホッとすることがあるから。


『ゴーマニズム思想講座 正義・戦争・国家論−自分と社会をつなぐ回路』
小林よしのり、竹田青嗣、橋爪大三郎(径書房)/社会学・鼎談/★★★★

正義を掲げた絶対○○主義がオカシイ形で蔓延する現状、その問題と解決策、今後の展望を漫画家、思想家、社会学者の三人で議論。具体的なテーマは…報道、差別、戦争責任、従軍慰安婦、歴史教科書、市民運動、国家、個、などなど。

12時間ぶっ通しだったそうで、かなり突っ込んだ議論になっている。小林さん、竹田さん、橋爪さん、それぞれの主張は微妙にすれ違っていて、今の私の問題意識になっているテーマが多く議論されていて非常にためになった。ちょうどいい時期に読んだと思う。色々ハッとさせられる記述が多かった。

小林さんが実体験から社会に抱いた疑問、違和感はしごくまっとうだ。これが全くなくなったらヤバイ。私は彼をそうとう誤解していた。ただその先は共感しかねるものがやっぱりポツポツ出てきてしまうな…。

竹田さんの著作を数冊読んで影響を受けているので、彼の主張が最も受け入れやすい。しかし竹田さんの考え方だと、社会の理不尽さへの関心は、ごく狭い範囲にしか向きにくいような気もする。

橋爪さんは思っていたより微妙な部分が多かった。今後の世界像やアイデンティティの問題などに特に。最も説得力がありもろに現実主義、ゆえに保守的な印象を受け、心情的に不満を感じたのかもしれない。

ラスト…宗教が果たしてきた役割、生きる意味や心の拠り所は公的なルールからは導かれない。あと、公的なルールではない内面の倫理的規範、これも非常に重要なのだ。それを受け取るのが公的なルールからだけではダメなのだ。そこら辺が最終的に、それをどういう形で取り出すか、そこが問題だ、で終わってしまったのが残念。まさにそこが大問題なのだ。

…当然ながらこの本での討論で得られる答えが全てではない。ここで批判されるような方々のおかげで成り立っていることも非常に大きいだろう。まぁ「羊のロマン主義」に傾きつつあった私を良い具合に中和してくれた。しかしこれからもその思いは大切にしておきたいところだ。ここで指摘された落とし穴に陥らないように。

平衡感覚がいかに重要か!今の私にとっては素晴らしい本だった。


『ソクラテスの口説き方』
土屋賢二(文藝春秋)/ユーモアエッセイ/★★★

『文藝春秋』で連載されている哲学的ユーモアエッセイをまとめた本。これで現在出版中の著者のエッセイ集は全て読んでしまった。

受ける印象は今までと同じ。毒が強いと言えばそうかもしれない。他者を笑いものにするわけだが、その毒を自分自身へも向けて自ら笑いものになっている。だから嫌悪を感じず笑えるのだろう。

NHKのテレビ出演に関するエッセイが三編ある。その番組を見ていたので、このネタの料理の仕方は特に楽しんだ。


『日本の戦争』
田原総一郎(小学館)/歴史・近代史/★★★★

著者はテレビでもおなじみ。誰もが勝てないとわかっていた戦争に日本はなぜ突入していったのか。明治維新まで溯り、その原因を研究者の取材などを通して徹底解明する。

「富国強兵」
「和魂洋才」
「自由民権」
「帝国主義」
「昭和維新」
「五族協和」
「八紘一宇」
の全七章。

情報量ギッシリでとても頭に入りきらないが、著者の進め方が上手ですらすら読んでしまった。…歴史は一口には語れない、と痛切に感じた。知らなかった事実の連続で、日本の過去への認識がかなり変化した。普段接することができない歴史、特に政治舞台のウラ事情…なんと言ったらいいか、これは…。著者は総括してくれないので、ここで示されたことをどう捉えるべきか少々困ってしまうが…。今後どういう未来を望むか。それを基本に考えたい、その材料としたい。

ある流れを作り出しそれが動き出してしまうと、流れを作った本人ももはや止められない…。この本では世論迎合が強調されていた。無駄かもしれないが…意識はしよう。


『現代思想の冒険』
竹田青嗣(毎日新聞社)/哲学/★★★

袋小路に陥った、ポストモダン思想の先を模索する。
袋小路というのは…「現実」ははたして人間の理性によって正しく認識されうるか、それに否といったポストモダンは行き詰まってしまった、一体今後どうするのか、とまぁこんなこと。

「<思想の現在>をどうとらえるか」
「現代思想の冒険」
「近代思想のとらえ返し」
「反=ヘーゲルの哲学」
「現象学と<真理>の概念」
「存在と意味への問い」
「エロスとしての世界」
の全七章。

二章ではソシュール、レヴィ=ストロース、ラカン、ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、ボードリヤール、ドゥールズ=ガタリ、などの思想とその問題、究極のニヒリズムを紹介。

三,四章では「“ものの見方”の変移」に着目して、まずデカルト、カント、ヘーゲル、マルクスの思想を、続いてその対極に位置するというキルケゴール、ニーチェの実存思想を概観。

ここからニヒリズム克服への模索。五章でフッサール現象学から「ほんとう」の根拠の所在を確かめ、六章はハイデガーを中心に展開。最終章はジョルジュ・バタイユに触れながら著者のエロス論が展開される。

感想。というかまとめてみる。

現代思想に興味があったのだが、早足に確認を、といった程度。読みやすい文章なのだが現代思想はやはり難解。そして現代社会論は、恐ろしいことばかり語ってくれる。目標も意味もない生、あるいは<死>か<狂気>…もはや社会は手が着けられない、社会を改編しようとする展望も、行き着くところは同じもの→懐疑論、ニヒリズム、反社会的心情…。

そこから先へ進む道、最重要のエロス論…これまた難解だったが、著者の『はじめての現象学』『現象学入門』で感じたような…「ほんとう」の根拠の所在を確認し、それは絶対でないが、万人を解放する真理や、理想的な社会なぞ論理的に実現され得ないが、「それにもかかわらず」可能性の模索、終わりなき社会改編の努力には意味も根拠もある、ということで。…う〜ん、まとめきれない。

これが二章最後で示されるような、ポストモダン的世界像の解消になるのかわからないが…そのニュアンスは受け取れ、なにやら安心感があった。


『サンダカン八番娼館−底辺女性史序章』
山崎朋子(筑摩書房)/ノンフィクション・売春問題/★★★★

東南アジアに身売りされ娼館で売春を強いられた、元「からゆきさん」の老婆サキさんと三週間共同生活し、その体験談などをまとめた本。

『歴史教科書何が問題か』で「からゆきさん」という言葉が出てきて(その本には山崎朋子さんの寄稿もあった。そこで山崎さんは『新しい歴史教科書』を「論理的だが…感情的な…記述」と批判していた気がするが、この本の記述もかなり感情的だ)…具体的な意味もわからず、なんとなく読み流していた。そこへ知人に勧められ、この本を読んだ。

感傷的にならず冷静に…と読んだが、やはり少なからずそうなってしまった。私は歴史を知らなすぎる。ショックは大きい。今月読んだ『怒りの葡萄』で感じたこととダブるが、さらに強烈だった。絶対貧困とはどういうことか…私は、ここまで酷な状況はあるべきでないと単純に憤るのだが、しかし晩年のサキさんは達観していて…崇高なのだ。

現代は…売春ツアーにじゃぱゆきさん、か。まったくどうしたことか!これは大きな社会問題の一面だろうが、こういう例を生み出す現状にできる限り荷担したくない。どうすればいいだろう…?この私でもできることは…?

蛇足だが、著者は取材のためとはいえ、思い切った方法、行動をとったものだ、と驚いた。あと、第二次大戦敗戦直後、サキさんの満州での体験談で、今までの八路軍へのイメージが崩れた。


『自己コントロールの檻−感情マネジメント社会の現実』
森真一(講談社)/社会学・感情社会学/★★★★

現代社会を代表する道徳的規範として(自他の)人格崇拝、合理化(マクドナルド化)、というふたつのキーワードを挙げ、そのマニュアルを提供する心理学を社会学の立場から批判的に見ながら、心理学が無意識に押し進めた社会の心理主義化、倫理の高水準化の弊害について論じられる。

以下自分なりに要約してみる。

現代社会は倫理の低下している社会ではなく、倫理水準が向上している社会であるため、些細な違反に対して過剰に反応する、という。また、面白いことに、キレるのは自己コントロールの技術や能力の低下ではなく、求められる倫理水準が高くなっている社会ゆえに自分の人格をも高く設定し、それが傷つけられたとき過剰に反応するためだそうだ。他者尊重プラス合理化から対話がなくなり、間接的に自己の尊重強要、叶わねばブチキレ、か…実に面白い。

社会の心理主義化(問題の原因を社会より個々人の内面に求める)
→社会に適応できない人は自分を責め、息苦しさから心理学的知識を頼る
→その価値観を内面化、感情すらマニュアル化し社会へ適応
→社会のさらなる心理主義化→…→…
心理学の権威増大、社会への批判能力喪失、自助努力への強迫観念(他者へも向けられる)。

後半、雇用に関連付けて考察される。
人格崇拝、合理化→個性尊重、自己実現→能力主義、雇用流動化。
人格崇拝と合理化が能力主義と雇用流動化への合意を得させ、その徹底が人間疎外と非合理を生む。能力主義、雇用流動化に異議を唱えると惨めさを感じ自己の人格が傷つくため、渋々ながら市場の求める価値観を受け入れてしまうというのは面白い、というか可笑しい。

いつも通り理解できたとは言い難いが感想を。

事例の解釈など、論の展開には若干疑問もあったが…自分に当てはまる指摘が多くショッキング。今まで倫理(ここでの定義は心理学による)の弊害について、ここで語られるようなことは考えてもみなかったから、強烈な衝撃を受けた。反省しなくてはいけないことも多い。解決策はこの本では全く示されない。大局的なことは知らないが…自分のとるべき態度を考えると、竹田青嗣著『はじめての現象学』を読んで感じたことなどがベースになりそうだ…。

後半部の雇用の辺り…この価値観での自己実現は多様なようで、実は限られた幸せの形態だ。目に見える形では、所得が多いか少ないかということで現れるだろう。所得による消費に価値を置かなければ、責められようが蔑まれようがどうということは(程度によるが。勘違いしないように)ないだろう。他にいくらでも幸せの形態はある。スペンサー・ジョンソン著『チーズはどこへ消えた?』は、今思えばそういった市場、大企業の価値観を内面化するために読む本といったところか。自らの価値観、感情すらマニュアル化して生きるなんて哀しい現実だ。

…ったく、タルい世の中である…。職場の競争でモーレツ努力→他者からの高評価、高収入、経済発展→生活は大量広告による大量消費=幸福…ついていけない者は、不幸な、努力の足りないクビにされても当然の怠け者、ではないのだが。その幸福はなにによって成り立つか考えて欲しい。それにしても価値観多様化と言われる社会でなぜこうなる?共存しようよ、させてくれ、しないとあなた方の大半が堕ちるよ…と言いたい。…あ〜っ、頭がゴチャゴチャだ。それにしても面白い一冊だった。


『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』
ダグラス・ラミス(平凡社)/思想・社会学・憲法問題・消費文化批判/★★★★

理想主義こそ現実主義、それを21世紀の常識へ、という理念で、経済発展、戦争と平和、安全保障、日本国憲法、環境危機、民主主義、など様々なテーマについて語られる。ラディカルだ。著者は日本に長く住むアメリカ人。語り下しなので平易な文章でとても読みやすい。

「タイタニック現実主義」
「「非常識」な憲法?」
「自然が残っていれば、まだ発展できる?」
「ゼロ成長を歓迎する」
「無力感を感じるなら、民主主義ではない」
「変えるものとしての現実」
の全六章。

感想。全てに共感した。

が、二章で取り上げられるテーマは非常に難しい問題で、簡単には頷けない。例え今後「平和常識」が常識になっても非平和常識的な事態(組織的暴力)は絶対起こるだろうが、それ対してどう対処すればいいのか。「平和常識」なぞ通用しない世界は常に現実に存在しうるわけで…この日本にも戦争はカッコイイとその一面を強調し真顔で主張する人もいるし、共感する人も多いようだし。しかし、だからこそ「平和常識」が世界で常識になるように願いたい。戦争はカッコイイとか、必要悪でやむを得ない→正当化とか、そういうのが常識では困る。そのために可能な限り自分自身が「平和常識」を保持していたいし、それを育んだ憲法第九条は問題があろうと大切にしたい、けど…。

やはり平和理念を声高に叫ぶだけではダメなのだ。平和を守るにはルールを逸脱する集団が現れたとき、罰する暴力(橋爪大三郎さんは公的な実力と言っていた)がどうしても必要だ。そこらへんを現実的に考える必要がある、即改憲に結びつけたくないが…公的な実力…改憲ではなく、なんか別の方法はないのだろうか?…やはり国連を中心としたような改憲が、ひとつの現実的な選択肢では…?

タイトルに直接つながる三,四章などは普段私も漠然と思っていることと同じで、それがこうも見事に語られていると読んでいて嬉しくなってくる。
経済発展=成長→「経済は発展しなければならない」=イデオロギー…
経済発展は必然的なものでなくイデオロギーと考えられるとは、この本を読んで初めて教えられた。

先進国と呼ばれる国々は、もう物質的には十分豊かだろう。これ以上の消費を得ても、それによって今以上の幸せを感じられるかといえば否だろう。モノが溢れても、技術が進歩しても、消費欲が同時に増せば、過剰労働は避けられない。過剰労働→大量消費→消費欲増大→過剰労働…もうこんなもん追求するのはウンザリだ、と思う人は多いのでは?違った豊かさを求める時期に来ていると思う。最近この思いは強くなる一方だ。

…どの問題も個々人がどれだけ自覚し行動するかにかかっているようだ。著者は問題解決に徹底した民主主義を提示している。こういう本がたくさん売れて欲しい。多くの人の常識を覆してくれれば嬉しいことだ。

けれど…著者の母国がほとんど全ての問題の最大の元凶でしょう、そっちが変われば他も変わる、というか一番抵抗しているのはどこなんだ…と思えてならないのだが。


『怒りの葡萄』
(文庫で上・下)ジョン・アーンスト・スタインベック,訳:大久保康雄(新潮社)/小説・アメリカ/★★★★

舞台は1930年代のアメリカ…大不況と干ばつ、砂嵐によって東部の農地から追い出され、活路を求めて西部のカリフォルニアを目指す多くの農民、その中のひとつ、ジョード一家の姿が描かれる。

こんなにもせっぱ詰まった、西部への大移動があったとは知らなかった。1929年世界大恐慌の影響、こういうことだったのか…。

旅中、ジョード一家の家族が欠けていくのが悲しいが、カリフォルニアにさえ到着すれば…と思っていたらこの有様だ。なんて理不尽な社会なのだろう!コニーの行動は残念だが、この状況では仕方ないのか…?いてもどうかなるものではないが、しかし…。元説教師も…なんてこったろう!トムのその後はわからないが、「怒りの葡萄」が早く大きく実るように、と祈らずにはいられない。ここで描かれるような農業のあり方、資本主義の矛盾…憤りを感じる。

酷い苦境に立たされるジョード一家の姿は辛い。しかし力強い生命を感じる。…生きている!いのちや人格が尊重されない世界は嫌だ。どこかで狂うと次々と狂う。大切にすべきはなんなのか。ラストの場面が象徴的だ。心に響くたくさんのことが詰まっていた。

文学作品を読む度いつものことだが、最後の解説に、は〜そうなのか、確かにそうだ、とただただ感心。訳者大久保さん 、『O.ヘンリ短編集(三)』 は読み辛かった(失礼なことを書いて申し訳ない)が、これはとても読みやすかった。

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2002/2 追記
現代において…餓死者がゾクゾクと出る貧困国に食糧需要はないという。経済学的に見ると、購買力がない=需要がない、ということで、そこに食料はまわらない。奇妙なことにそういう国が、農産物や畜産品が最大輸出品目、なんてこともある。それは我々先進国の人間が過剰に無駄に消費する。なんて理不尽な状況だろうと思う。この小説で描かれるのと同じような状況が今だっていくらでもあるんだ。


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